第50話 勘

「日本に居ないというのはどういう事かな?」

 水谷の話を聞くために出てきた人は、どんな役職の人か知らないがアイロンの当てていない皺くちゃのワイシャツにヨレたスーツを着た四十代くらいのおじさんだった。いや、案外服装や無精髭のせいでそう見えるだけであって、実際はもっと若い人なのかもしれない。

「俺はあの二人とは親友といえる仲だったと思います。斉木はミュージシャンで、ライブとかやってるんです」

「へーえ、ロックバンドか何か?」

 入り口付近にある交通安全課の奥のソファに案内されて、水谷はこのヨレたイメージのおじさんと微妙に噛み合わない会話に辟易しつつも、なんとかして伝える努力だけはしてみる。

「若い、イコール、ロックバンドっていうそういう古めかしい考え方は捨てて貰えませんか? 先入観から入ると見える筈のものも見えなくなるんじゃありませんか?」

「なかなか鋭いね。俺は島崎しまざき。君、水谷君って言ったっけ?」

 島崎と名乗ったおじさんは身を乗り出して来た。思わず水谷も下がって来た眼鏡のフレームを上げる。

「はい。俺は小学生の頃からずっとこれまで学年一位をキープして来たんですが、この学校に入って坂田に一位を譲る羽目になりました。あいつは滅茶苦茶に頭が良いんです。斉木の方はそんじょそこらの素人ヘボバンドじゃなくて、世界レベルのプレイヤーですよ。ピアノにサックス、ドラムにベースもこなします。仕事でピアノを弾きに行くこともある。夏に横浜で行われる横浜ジャズフェスティバルってご存知ですか? ご存じなければ検索してください、すぐに出てきます。あんなところでソロプレイヤーとしてステージに立つんですよ」

 全て山根から仕入れた情報だ。彼女が居なかったら、水谷は斉木に関することは殆ど知らないままだっただろう。即検索をかけている島崎を見ながら水谷は心の中で山根に感謝する。

「そんな斉木と一緒に居て、これだけ日本中で騒ぎになっているのに全く見つからない。これは海外で音楽活動をする斉木に坂田がくっついて行ってると思いませんか?」

「何故坂田君が斉木君にくっついて行くと思うんだい?」

「あの二人は親友です。坂田は家庭環境に問題を抱えてて、俺は良く知らないんですけど、坂田、親と上手く行ってないみたいで、なんかもう他人同士みたいな感じなんです」

 島崎がモバイルPCから顔を上げる。

「そういえば坂田君、親が出てきたことが無いな。いつも弁護士だ」

「そうなんです、坂田は自分の親と話すにも間に弁護士を入れられてるんですよ。それで何度か自殺未遂してるんです。もしも、日本で苦しい思いをしている坂田に、斉木が音楽活動のために海外に出ると言ったら、連れてってくれと言うかもしれません」

 水谷は『あるとすればその逆だろ』と心の中で自分にツッコみながら、必死の演技をする。これで見つかれば、少なくとも彼ら二人の間の問題ではなく、坂田の親の問題にすり替えられるかもしれない。実際、親との間にも大いに問題はあるのだから。

「ふむ。で、君の予想では、彼らはどこにいると思う?」

「そこなんです。ジャズなんですよ、彼の得意分野は。でもジャズとなると本場はアメリカです。アメリカで仕事するとなると相当の実力者になる、寧ろアメリカなら音楽留学になると思うんですよ。僕はヨーロッパじゃないかと思ってます。勘でしかないんですけど」

 島崎が頷きながらボールペンを立てる。

「ヨーロッパのどの辺り?」

「ウィーンかパリ。二択です。勘ですけど」

 水谷の眼鏡の奥の瞳が、島崎を真っすぐに射貫く。

「よし、君の意見を参考にしよう。多分君の勘は当たる」

「何故そう思うんです?」

「俺の勘だ」

 そう言うと島崎はニヤリと笑った。

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