第27話 水谷

「お前、歩き方、変」

「るっさいな。お前が言うな」

「何、痛いの?」

「当ったり前だろ。僕は『初めて』だったんだからな。まったくもう」

「ごめんごめん。坂田があんまり良過ぎて」

「アホか」

 真っ赤になっている坂田が可愛い。こうしてシャツにジーンズなんて格好をしている坂田は昨夜の『彼』とは別人に見える。普通に小柄な男子高校生、いや、男子中学生か。

 とは言え、その実態は昨夜『初めて』の体験をしたばかりの女子である、ここはやはりいろいろ心配なので斉木が家まで送ってやることにしたわけだ。が。歩き方が微妙に不自然であることは否めない。

 そしてこんな日に限って知り合いに遭遇する、と相場は決まっているのだ。

「坂田?」

 二人が振り返ると、隣のクラスの水谷が立っていた。あまり会いたくない相手ではある。

「斉木も一緒? どっか行くの?」

「いや、帰るとこ。水谷は?」

「将棋」

 水谷は右手の中指と人差し指で将棋の駒を挟んでいるようなポーズをとる。

「この辺で将棋なんかやるところあんのか?」

 斉木はちょっと意外そうに突っ込んで聞いているが、坂田はその話に興味がなさそうだ。

「何、斉木も将棋すんのか? 今、会員が減ってて相手が足りないんだよなー」

「俺がそんなもんできるわけねーだろ?」

 水谷は銀縁眼鏡のフレームを押し上げて「ま、将棋っていう面構えには見えないな」と、少し残念そうに笑う。

「坂田は将棋しないの? お前頭良いし、将棋強そうだよな?」

 水谷の眼鏡の奥の瞳が坂田を挑発している。学年トップの座を奪われた水谷らしいリベンジの仕方かもしれない。

「ルールくらいは知ってる」

 坂田の言い方は極めて静かだが、僅かに挑戦を受ける意思があるのを斉木は感じ取った。ルールを知っている程度で、長年将棋をやっていそうな水谷の挑発なんかに乗って大丈夫なのか、と斉木は内心穏やかではない。

「なあ、これから帰るだけなら、少し俺の相手して行かないか? もう俺の相手になる奴がいないんだよなー、あそこ」

「いいよ。僕でいいなら」

「坂田」

 斉木が坂田の腕を掴む。

「何? 斉木も俺と坂田の対戦見たいの? 一緒に行こうぜ。爺さんから子供までいろいろ居て楽しいよ。お茶も飲み放題」

「……じゃ、俺も一緒に行く」

 二人が水谷に連れられて行ったところは雑居ビルの二階にあり、こんなところに来て大丈夫なのかと二人を不安にさせたが、行ってみるとなんのことは無い、将棋を楽しむ人たちのための健全なサロンのようなところだった。

 入り口には靴箱があり、小さな子供用のサンダルみたいなものもあれば雪駄せったのようなものもある。そこで靴を脱いで靴箱に片づけ、一段上がると一畳ほどの板の間の奥に畳が敷いてある。二十畳ほどの広さの部屋には脚の付いた将棋盤が八つほど置かれていて、部屋の隅には給茶機が据え付けてある。奥の方にも部屋があり、そちらには大きなテレビモニターが見える。壁にはいろいろな表彰状などが飾られており、半分くらいは水谷のものだった。

「すげーな、水谷ってこんな凄い奴だったの?」

 斉木が素直な感想を述べると、水谷はまんざらでもない様子で饒舌に語る。

「アマチュアの小さい大会くらいだったら優勝できるけど、全国レベルの大会になったらもっと凄いのがワンサカいるから、同年代でもまるで歯が立たないのとかザラに居るよ。俺はそういう連中に勝負を挑みたいんだけど、ここのサロンではもう俺の相手になる人が居ないんだよね。全国レベルを目指したくても、磨けないんだよな」

「それなのに僕なんかが相手でいいのか?」

「坂田はなんかトリッキーな一手を繰り出してきそうな気がするんだよな。それに全国レベルって言っても、俺なんか所詮趣味の範囲だし。小さい頃からマジでやってる奴には見向きもされないよ」

 三人が奥に入っていくと、みんなが水谷に声をかけている。やはりトップクラスの棋士になるとみんなが対戦したがるのだろう。当然のことながら、そうなってくると水谷の相手が気になるわけだ。みんなぞろぞろと水谷の周りに集まってくる。

「ごめんな、坂田。みんな俺の対戦見に来ちゃうから、気が散るかもしれないけど」

「別にいいよ。そもそも気が散るっていうほど出来ないから」

 一番奥まで行くと、水谷は坂田に席を勧めた。

「ここ、俺の指定席なんだ。ここに招待したの、坂田が初めて」

「ふうん、そうなんだ。光栄だね」

「じゃ、始めようぜ」

 斉木が見守る中、二人は駒を並べ始めた。

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