第32話 木を隠すなら森の中

 新学期が始まった。斉木も坂田も一学期と特に変わることなく過ごしていた。一つ特筆することがあるとすれば、吹奏楽部を辞めて帰宅時刻が大幅に早くなった為、二人で斉木の部屋で過ごす時間が増えたことくらいか。

 同じく帰宅部の水谷に誘われて二人揃って将棋サロンに顔を出すことも増えたが、会員でもない二人は何故かサロンの人たちにやたらと歓迎された。それは坂田の天才的な指し筋を見たいという欲求と、斉木の人懐っこい性格のせいだろう。

 そんなある日、突然斉木は水谷に呼び出された。何事かと驚いた斉木が指定された通り図書室に行くと、水谷は拍子抜けするほど何事も無いかのように奥の窓際の席で本を広げていた。彼はそこにいるのが実に自然で、とても誰かを呼び出して待ち合わせしているようには見えなかった。それだけでも『流石水谷』と斉木を唸らせた。

 斉木は自然にそこに近寄って水谷に声をかけた。彼は「こっち来いよ」と言って自分の隣の椅子を引いた。正面ではなくて横に来いという事なのだ。内緒話をするにはこうして並んで本を開いた方が自然と言う訳だ。

 隣に座った斉木が開口一番「流石ですな」と言うと「俺を誰だと思ってんだよ」と水谷が返してくる。

「なんで体育館の裏に呼び出されないのかと思った。基本中の基本だろ、体育館の裏」

「そんなところに居たら『みんな注目してくれ』って言ってるようなもんだろ」

 水谷はさりげなくノートを開いてシャーペンを取り出す。演出も抜かりない。

「ここは水谷には全く違和感ねーな」

「木を隠すなら森の中だよ」

「俺には違和感抜群」

「お前は音楽室なら違和感ないよ。でなきゃ体育館な」

「ほっとけ。で? 何の用? 言っとくけど坂田は俺のもんだ。やらねーぞ」

「ばーか。俺にはBLの趣味は無いよ」

「俺だってねーよ」

 二人は思わず目を合わせプッと吹き出す。

「この前さ」

「あ?」

「ほら、投了前に中止した日」

「ああ、あの日か。お前がド変態だと知った日な。このスケベ野郎」

「うるせーな。確認しただけだろ。坂田から何か聞いたか?」

「お前が力になってくれるって言ってたけどな」

「おい『けど』って何だよ、『けど』って」

「だってお前下心満載じゃん」

「そう思ってるだろうと思ったよ」

 水谷は何を書くでもなく、ノートに○だの△だの落書きをしている。

「あの日、俺は優弥ゆみちゃんと決別するためにお前らを呼んだんだよ」

「は?」

「坂田が優弥ゆみちゃんなら、彼女はもうこの世にはいない。だから俺も諦めがつく。俺こう見えて結構女々しいの」

「ほんっと女々しいな」

「うるせ」

「で、どした?」

 シャーペンを用も無くノックして、芯を出しては引っ込めながら、水谷は続ける。

「ちゃんと優弥ゆみちゃんにお別れを言ったよ。彼女はもういない。俺と将棋を指しているのは坂田優弥ゆうやだと自分に言い聞かせた。もう俺には坂田は坂田でしかないよ。お前の相方のな」

「……うん。最後の一言、特に大切」

 また目を見合わせてプッと吹く。

「ほんとお前ってやつは。これじゃ坂田もお前の事が好きになる訳だよな」

「何だよ、水谷も俺に惚れたか?」

「ばーか。お前は中間テストの心配でもしとけ」

「あ、ちくしょー、俺もその台詞言ってみてえな」

「それより……もっと重大な話がある」

「何?」

 水谷は眼鏡の奥で周りを確認すると、声を潜めて話し出した。

「俺さっきトイレ行こうとしたらさ、坂田が真っ青な顔で歩いてくるのが見えてさ。そんでなんかヤバそうだと思って『保健室行くか』って声かけたんだよ。そしたらあいつ、トイレ連れてってくれって言うから連れてってやったんだけどさ」

「何? 悪いもんでも食って下痢したのか?」

「アホ。下痢ならいいけど吐き気がするってずっと吐いてたんだよ、二限と三限の間の休み時間ずっと。そんで、ちょっと落ち着いたって言うからそのまま保健室に連れてってやったんだけどさ、お前知らなかっただろ」

 水谷はいかにも斉木と勉強の話をしているかのように、たまに本をめくったりノートに落書きをしながら喋っている。

「知らんかった……。三限は数学だからあいつと教室違うし」

「俺は数学になると坂田と同じクラスだから、坂田を保健室に連れてって三限遅刻したけど、その旨先生に報告して遅刻扱いにならなかったんだわ」

「なんだよ、坂田、俺に何にも言ってくんねーし」

 ところが水谷はやれやれと肩を竦める。

「あーやっぱ、斉木ダメだなこりゃ」

「何がよ?」

「単刀直入に聞くけどさ。お前あいつとヤる時、ゴム付けてねーだろ」

「……は?」

 水谷が益々声を潜める。

「あいつ、『悪阻つわり』じゃないのかって言ってんだよ」

「……え?」

「妊娠させたんじゃね?」

 斉木は頭の中が真っ白になった。いや、意味は理解している。待て、それはどういう事だ? 坂田が、俺の?

「だって、あいつ、え、嘘だろ」

「お前が付き合ってるあいつは男だけど、お前がヤッてるあいつは女だぞ。ナマでヤッてんじゃないだろうな?」

「……」

「聞きにくいとは思うけど、ちゃんと確認した方がいいよ。あいつ多分、生理来てないよ」

 水谷はそれだけ言うとノートやシャーペンを片付け始めた。

「俺……」

「な、俺がついてて良かっただろ。じゃーな」

 水谷は本を棚に片づけると、斉木を一人残して図書室を出て行った。

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