第23話 他人
一週間経った。斉木も坂田もお互い一切連絡しなかった。そんな中、斉木のスマホに一件のメールが入った。
『会いたい』
坂田からだった。斉木は大急ぎで『俺も。今すぐ来い』と打った。が、送信していいのか躊躇した。――坂田がここに来たら、俺は絶対ヤバい。外で会った方がいいか? 暫く悩んで『来い』の部分を『会いたい』に変えて送信した。
坂田の返事は早かった。
『今、家の前にいる』
斉木が慌ててベランダから顔を出すと、すぐ前の道路で斉木を見上げて手を振っている坂田が見えた。斉木は迷わず『来い』と返信した。坂田は手元のスマホを見て、もう一度顔を上げると、マンションの入り口に向かって行った。
一週間ぶりの坂田だ。斉木は坂田を同性の友人として見る事ができるのか、とても恐ろしかった。ここで坂田を女として扱ったら、その時点で自分たちの友情は消えて無くなるのだろう。もしかしたらその方が自分たちにとって幸せなことかもしれない。そうなったら斉木は坂田の秘密をずっと心の中にしまって生きていけばいいのだ。それはそれでまた、苦しい事なのかもしれないが。
呼び鈴が鳴ると同時に、斉木は弾けるように玄関に向かう。急いでドアを開けると、そこには一週間前と同じ坂田が立っていた。七月末だというのに長袖のシャツを着て、ジーンズを履いている。
斉木は突っ立っている坂田の腕を掴んで部屋に引っ張り込むと、ドアが閉まるのも待たずに彼を抱き締めた。
「会いたかった。すっげー会いたかった。もうホント、気が狂いそうなくらい会いたかった」
坂田は何も言わない。斉木は一瞬後悔した。自分は坂田を女として扱っていないか?
恐ろしくなった斉木はそっと手を離した。坂田の顔を覗き込むと、彼は宙の一点を見つめたままぼんやりしている。
「ごめん……まず上がれ」
俺は一体何やってんだ、しかも玄関で……斉木は自分に呆れた。こんなにも坂田を欲していた自分に開いた口が塞がらない。
気を取り直してコーヒー豆を挽いていると、リヴィングのソファに座った坂田が小声で何か言った。
「え? なんか言ったか?」
「死んだよ」
ハッとして斉木が顔を上げる。
「父さんから連絡があって。病院で……自分で」
「まさか、お母さん?」
「……うん」
斉木はコーヒー豆を放り出して、キッチンから戻ってくる。
「ちょ……っと。お前、ここに居ていいのか? 帰らなくていいのか?」
「父さんが、帰って来るなって」
「なんで!」
「母さんを死んでまで苦しめないで欲しいって」
坂田は無表情のまま淡々と話している。何か自分の感情を持ってしまうのを避けているかのように。
「苦しめないでって……一番苦しんだのはお前だろう!」
斉木はテーブルをドンと叩く。が、坂田は全く動じない。
「いや、きっと母さんだ」
「スマホ貸せ!」
「何するの?」
「お前の親父に電話かける」
「何言う気?」
「てめーはそれでも父親かって言ってやる」
坂田がフッと笑う。他人事のように。
「そんなの、別にいいよ。僕は自分の位置付けが判っただけでも良かった。今まで宙ぶらりんだったんだ。それが今日はっきりした。いいことだよ」
「お前!」
「僕の生活費だけは毎月ちゃんと振り込んでくれるらしいよ。扶養義務は全うしてくれるみたいだ。弁護士通して言ってきたから間違いない。それを放棄したら僕の方でも扶養権利者として弁護士を雇う」
――なんて事だ。生活費の話をするのに弁護士の事まで考えなきゃならないのか! 自分の親だろう? 血を分けた息子だろう? 何考えてんだ!
「一応僕の事をまだ息子、いや娘か、だとは思ってるんだろうな。大学までは出してやるって言ってたよ。弁護士通してだけどね。僕がハーバードにでも入ったらどうする気なんだろうね。留学費用も出してくれるのかな? ま、そんなに優秀じゃないけど」
斉木には考えられなかった。こんなのまともな高校生の言葉じゃない。十五年間も自分を偽って生きてきた結果がこれか?
「坂田、頼む。自分に素直になってくれ。お前、そんなこと考えてないだろ? 今までずっと両親を愛してたんじゃないのか?」
「うん、そうかもね。でも今は他人だよ。アリだろ? 身体が女なだけの男だって居るくらいだ、血が繋がってるだけの他人が居たって全然不思議じゃない」
「じゃあ、血の繋がっていないだけの家族があったっていいよな?」
「え?」
どこを見ているとも分からなかった坂田が、斉木を振り返った。
「例えば、俺とお前が家族になったっていいんだよな?」
斉木は本気で言っていた。少なくともそのつもりだった。だが、坂田は哀しげな眼をして笑っただけだった。
「なぁ、斉木」
「何?」
「この前、僕がシャワー浴びてる間に聴いてたトロンボーンのヤツ、聴かせて」
「トロンボーン? ……ああ、あれか。分かった」
斉木はCDシェルフから向井滋春を引っ張り出した。
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