第34話 人形

「お前、どうする気だったんだよ」

 斉木の問いに坂田は答えない。かれこれ一時間膠着している。

「なあ、あのまま家に帰してたら、二度と俺の前には姿を現さないつもりだったんだろ?」

 坂田は何を考えているのだろうか。いくら話しかけても、どんな風に問いかけても、全く反応する気が無さそうだ。いや、反応できないのだろうか。どう反応していいかわからないのだろうか。

「じゃあさ、俺の希望言うよ。それなら聞いてくれるだろ?」

 これにさえ坂田は反応しない。が、斉木はめげずに続ける。

「俺はさ、お前の事を性的少数者だなんて思ったことは無い。お前は『ただの坂田』だ。もっと言えば、『俺の大事な坂田』だ。俺が自分の大事な人をパートナーにして、その人に俺の子供を産んでもらう。何もおかしいことは無い。その大事な人がお前だったってだけだから」

 坂田は眉毛一つ動かさない。聞いているのだろうか。

「その……どこで……産む? この辺じゃ誰かに見られちゃうかもしれないだろ。少し離れたところにするか?」

 坂田は相変わらず表情も無く、一点を見つめている。坂田はもともとそんなに表情は豊かな方ではないが、ここまで来ると人形のようだ。今まで家族と暮らしてきて、ずっと自分を偽る中で身に付けた知恵なのだろう。

 そう思うと斉木はやるせない気持ちになる。今その表情を作らせているのは、他でもない自分なのだから。

「学校の近くはやめた方がいいよな。あ、待てよ、逆に近すぎて盲点になるかもしれないな」

「僕は産まないよ」

 坂田は何でも無い事のようにさらりと言った。つもりだった。が、声は正直だった。喉の奥に何かが引っ掛かってちゃんと言えなかった。自分の中にいるもう一つの命が自分にそれを言わせないようにしているんだ、そう思えた。

「え……今、なんて言った?」

 斉木が問い詰める。聞こえていた。だが、確認したかった。

 坂田は大きく深呼吸して、もう一度言った。

「僕は、産まなぃ……」

 その言葉は途中から震えながら消えて行った。斉木は聞いてはいけないことを聞いたのかと後悔した。が、これは遅かれ早かれ必ず確認しなければならない事だ。

「ごめん。坂田、ごめん」

 嗚咽を漏らす坂田の頭を抱いて、斉木はその髪を撫でた。

 坂田自身も驚いていた。まさかこれを言うのに自分が感情をコントロールしきれないとは思っていなかったからだ。だが感情とは無慈悲なもので、どれだけ自分の心を偽る事が出来ても身体までは偽りきれず、涙が後から後から溢れて来てしまう。

 坂田は細心の注意を払って、なるべく冷静に話すように心がけた。

「ごめん斉木……お前の子供、産みたくないわけじゃないんだ、だけど、僕は……僕は子供を育てられない。自信がないんだ、愛してあげられる自信が」

 斉木はただ黙って坂田の髪を撫で続けた。

「僕自身、親のお人形だったんだ、僕に人格なんて無かった、親の言う通りピアノ習って、お習字やって、バレエもやったよ、女の子みたいな可愛い服着て、僕の意思なんて一つも聞いて貰えなかった。母さんは僕を愛してると言ってた、口癖のようにね。だけど愛していたのは僕じゃない、『僕を可愛がっている優しいお母さん』である自分を愛してただけだ。だからカミングアウトした僕を愛せない自分が許せなくて狂ったんだ。あの人が愛していたのは自分だけだったんだよ。その為に僕を育て、僕を可愛がり、僕を自慢の娘に作り上げたかっただけなんだよ」

 声音は静かだが全く勢いを失わずに話し続ける坂田に、斉木は何も言えない。

「父さんは僕には完全にノータッチだった、最初から僕にはあまり触れたくなかったんだろうな。それに母さんが僕を父さんから遠ざけてる部分もあった。父さんへの腹いせに、母さんは僕を可愛がっていたようなものだから。だから父さんは僕と話そうとなんてしなかったよ。そんな風に全く愛されずに人形として育った僕が、どうやって子供を育てるんだ? 僕は子供の愛し方なんて知らない、愛されて育ってないから知るわけがない。大事な大事な斉木の子供を、僕のような可哀想な子供に育てちゃいけないんだ。だから僕はこの子を産まないと決めた。だけど、この子だけが一人で死んでしまうのは可哀想だ、折角この世に生を受けたのに親に抱かれずに死ぬなんて、そんな酷い事があるか。だから、僕はこの子と一緒に死んでやることにしたんだ」

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