第14話 ピクルス
相変わらず斉木の部屋は生活感が無い。いつものように取り澄まして立っているアロカシアの大きな葉が坂田を出迎えてくれる。
「アイスとホット、どっちがいい?」
「ホット」
「俺と同じだな。俺もホットの方が好きなんだよ」
ゴチャゴチャ言いながらも、斉木はいつものように豆を挽き始める。
「この香りが好きなんだよ、豆挽いてる時の香りが。だから僕はホットがいい」
「そーゆー理由かよ」
「うん」
坂田の思いがけない理由に、斉木は思い切り笑っている。斉木にしてみればそんな坂田が可愛くて仕方ない。
「今日は何がいい?」
「ジャズ。サックスが聴きたい」
「
「いいね」
斉木がその数にして六桁はありそうなCDの中から、いつものようにスルッと一枚を選んでオーディオにセットする。程無くして如何にも『燻銀』といった感じの渋いサックスサウンドが流れてくる。
「これ、誰?」
「ソニー・ロリンズ。サックス界のレジェンド」
そう言ってキッチンカウンターに戻った斉木は、コーヒーカップを二つ持って来てソファの前のテーブルに置いた。
「ハンバーガー冷めたかな?」
「まだあったかいよ」
「冷めないうちに食おうぜ」
二人でハンバーガーに
「今日のこれ、ソース多くね?」
「うん、ちょっと多いよね。どうせならピクルス多めにして欲しかったよ」
「え、何、坂田ピクルス好きなの?」
「うん」
「全部やる!」
斉木がハンバーガーをパカッと解体して、中からピクルスを引っ張り出す。
「あーんしろ。上向いて」
「えー、マジで……あーん」
斉木が坂田の口の真上にピクルスをぶら下げると、坂田がそれに食いつこうとする。まるで小学校の頃のパン食い競争だ。
「あ、こら、わざとブラブラさせんなよー、食えないし」
「あはははは」
斉木が坂田の顔の前でピクルスを振るもんだから、坂田は斉木の手首を両手で押さえつけてパクッと咥えた。が、勢いがつき過ぎて斉木の指まで咥えてしまう。
驚いて慌てて斉木の指を両手で引っ張って放すと、斉木がフッと笑う。
「お前の唇、柔らけー。変な気、起こしそう」
「起こすな変態。斉木やっぱホモだろ」
「うん、俺、お前でBLに目覚めた」
そう言ってまた二人でゲラゲラ笑う。
「山根が聞いたらマジでドン引きすっぞ」
「するね、間違いなく」
「斉木君ってそおゆう人だったのぉ! 信じらんなーい、サイテー!」
「上手い、似てる似てる」
斉木が山根の真似をしながらも、ソースの付いた指を舐めている。坂田がさっき咥えた指だ。それを見て坂田は内心穏やかではない。
「なんで急に退部届なんか出したの?」
「ああ、レベルの一定でない連中と組むと、マジで疲れるから。この前のジャズフェス、聴いただろ? レベルの揃った人たちと演ると、つまんねー事に気を遣わずに音楽に集中できるんだよ。今の吹奏楽部じゃ、俺だけが勝手に疲れちゃう」
「でも日本でトップクラスなんだろ? あの吹奏楽部」
斉木が半分はみ出したビーフパティを無理に押し込むと、反対側からレタスがはみ出して来る。
「日本でトップクラスでも、俺とレベルが合ってねえ。疲れる」
「そんなもんなのか……。じゃ、僕の相手なんかすんごい疲れるんじゃないの?」
「は?」
坂田が心配そうに言うと、斉木はいきなり笑い出した。
「だってお前と一緒に曲やってねーじゃん。教えてただけだし」
「あ、そっか」
「お前こそなんで急に辞めたんだよ」
「斉木の居ない吹奏楽部なんてつまんねーもん」
「お前マジでキスしたくなるな」
「このBL野郎。山根呼ぶぞ。斉木君てそーゆう人だったのぉ! サイテー!」
坂田がポテトを振りながら言うと、斉木がコーヒーを吹き出す。
「お前も上手いじゃん。めっちゃ似てるし」
「褒められてる気がしない」
「褒めてねーし」
また二人でゲラゲラ笑う。
「マジでさ、斉木の居ない吹奏楽部なんて居る意味無いし。一人でなんて楽器吹けないからさ……」
「ここで吹けばいいよ」
「え?」
「吹きたくなったらさ」
「……うん」
ハンバーガーを食べ終わった二人は暫くレジェンドの演奏を聴きながら喋っていたが、ふと、斉木が思いがけない提案をした。
「なあ、坂田、どーせ夏休み入ったし、今日ここに泊まってかね?」
「え?」
「爺ちゃんに連絡しとけばいいんだろ?」
「あ、ああ……うん、まあ、そうだね。でも、なんにも準備して来てない」
「俺のTシャツ貸してやるよ。パンツもな」
「おい」
「いーから爺ちゃんに電話しろ」
「ごめん、嘘ついてた。僕は爺ちゃんと一緒になんか住んでない」
「え?」
「一人暮らしだよ」
「なんだよ、じゃあ問題ないじゃん」
「ん、まあね」
坂田は一抹の不安と、それをはるかに上回る期待を持って、斉木と一晩過ごすことにした。
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