第16話 アルコール

 それから二人はリヴィングに戻って、どうでもいい話をたくさんしていた。坂田の通知表が五段階評価で体育の『2』とそれ以外の『5』だけで埋め尽くされている事や、斉木は体育と音楽だけが『5』であとはイマイチ成績が振るわない事が一番盛り上がった。

 順位が発表になってから水谷が坂田を微妙に敵視している事などもなかなかに楽しめた。何しろ坂田が今まで住んでいた町はここと違ってかなりの田舎で、お互いの順位なんか気にしたこともなかったし、成績で敵視するなんてことは考えてもみなかったからである。

 夜になって、坂田がスパゲティを茹で、レトルトのミートソースを掛けて二人で食べた。合宿のような気分だ。「こんな合宿なら毎日やってもいいや」と坂田が言うと、「じゃあここに住めよ」と斉木が返す。なまじ冗談とは取れないような言いっぷりに坂田は少し焦った。

「坂田、酒飲んだ事ある?」

「ある訳ないじゃん。未成年なんだから」

「お前、変なとこ真面目だよな」

「斉木あんの?」

「毎晩ちょっとだけな。急性アルコール中毒とかヤバいから、ほんとちょっとだけだけどさ」

 斉木はコーヒーだのジャズだのと矢鱈と大人びているが、まさかアルコールまで手を出しているとは思わなかった坂田は、大いに面食らった。

「何飲んでるの? ビール?」

「いや、ワイン」

「度数高いんじゃないの?」

「十二から十三パーセントってとこかな。だから一杯だけ。お前も飲んでみる?」

「え、だけど……」

「無理しなくていいよ。別にこんなもの飲めたって偉くも何ともないし」

「ちょっとだけ飲んでみたいかな」

「じゃ、ちょっとだけな」

 斉木が冷蔵庫から白ワインを出してくる。ありがちな『桃のワイン』とか『リンゴのワイン』みたいなジュースっぽいヤツじゃなさそうだ、どうやら本物の『葡萄酒』らしい。坂田はドキドキしながらその様子を眺めている。

 リヴィングのテーブルにワイングラスを二つ並べた斉木は、自分のところには半分くらい、坂田のところには四分の一くらいの量を入れた。

「合わなかったらすぐやめろよ?」

「うん」

 坂田はドキドキしながらグラスを口元に運んだ。グラスの縁に唇が付いた瞬間、ふわっと立ち昇るアルコールにむせ返りそうになる。ビクッと身を引く坂田を眺めながら、斉木は普通にそれを飲んでいる。

「舌がビリビリする」

「旨いだろ?」

「辛い」

「あーごめん、俺、甘口嫌いなんだよ。辛口しかねーや」

 オドオドしながらチビチビ飲んでいる坂田とは対照的に、斉木はコーヒーでも飲んでいるかのようにそれを味わっている。

「はふー。顔が熱い」

「大丈夫か?」

「うん。慣れたら美味しくなってきた」

「やべーな、お前酒飲みになりそうだな」

「そーかも」

「今日は初めてだから、これで終わりにしとけよ?」

「もうちょっと。斉木と同じくらい」

 甘えるような仕草と変に色気のある目つきに負けて斉木は肩を竦める。

「しょーがねえな」

 斉木がグラスに半分くらいワインを入れてやると、坂田が嬉しそうにしている。

「お前、無駄に可愛らしいな」

「またかよこのBLホモ野郎」

「坂田可愛いなー」

「うるせー」

「押し倒していい?」

「アホか」

「手首見せろよ」

「……え?」

 突然だった。斉木は前後の脈絡を無視していきなり話を振ったのだ。

「左手見せろ」

「何のこと?」

「知らねーと思ってんのかよ」

「……何がだよ……あ、ちょっ」

 斉木は問答無用で宣言通りに坂田をソファに押し倒した。

「やめっ……」

 斉木に手首を掴まれ、抵抗できなくなった坂田が暴れる。

「大人しくしろ。怪我すっぞ」

 斉木は坂田のシャツの袖を引っ張り上げて、手首の傷が見えるようにして掴んだ。

「俺がこれ知らないと思ってた?」

「……それは」

「お前が居るとお前の親が自殺すんだろ? 俺が何も考えないと思ってたのかよ」

 組み伏せられたままの坂田は必死に目線を逸らすが、斉木がそれを許さない。坂田の顎を掴んで斉木の方に顔を向けさせる。

「俺に……話せるか?」

 態度は強引だが、斉木の口調はとても優しい。

「話せないなら、俺は二度と聞かない」

 真っ直ぐ坂田の目を見てそう言った斉木は、手首を押さえつけている手を緩め、体を起こした。茫然自失の体でいる坂田から視線を外し、一人でワインを飲み始めた。

 やっと体を起こした坂田は、俯いたまま目の前のグラスを見つめる。

 どちらも何も言葉を発しないまま暫く時間が過ぎた。

「俺、シャワー浴びて来るわ。お前俺のいない間に勝手に飲むなよ? 危ねーからな?」

「あ……うん」

 シャワールームに向かう斉木を、坂田はぼんやりと見送った。

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