第5章
第45話 権謀の一〇二
正暦1944年 12月24日 ジューコフスキー基地
「トルストイ同志少佐。君の転属願いを受理した。君の新しい配属先だ。目を通したまえ」
「拝読します」
ラスカーはヴォイニーツキー大佐に手渡された辞令をその場で開く。
参謀本部直属、第一〇二航空機甲大隊。大隊長ラスカー・トルストイ少佐。
(参謀本部…直属?)
辞令の違和感をラスカーは飲み込んだ。現場の大体を仕切る下級将校に知らされない事情をラスカーは推し量ったからだ。
「第一〇二部隊には北部戦線、レニングラード方面軍司令部基地にて六ヶ月の錬成任務が与えられる。六か月後の部隊の出来栄えを考慮して新たな任地が決定される。いいな?」
「はっ」
現在も追撃作戦が行われている南部戦線と違って北部戦線には閑古鳥が鳴いている。
冬季の北部戦線は豪雪により、冬に大きなトラウマのあるドイツ軍の大規模な侵攻計画は行われないためだ。
開戦初年、短期決戦を志向していたドイツ軍の足を凍てつかせた厳冬はソビエトに命の猶予を与えた。冬ごもりの間に防御陣地を築き春侵攻に備えられた事は今大戦の泥沼化の原因でもあった。
「レニングラード方面軍司令部基地には約一月後に向かうことになっている。ここで出来ることは全て済ませておきたまえ」
ヴォイニーツキーには色々と世話になった。ラスカーは一層の敬服を込めて右手で礼を示した。
「お世話になりました。イヴァン・ウラジーミロヴィーチ・ヴォイニーツキー同志大佐」
「またいつか、酒を汲み返したいものだ。ラスカー」
別れに対する寂寥は無くても、その言葉には確かに別れ惜しいという感情があった。
「機会があれば、必ず」
「昇進おめでとう。トルストイ同志少佐。レニングラードでも壮健で。武運を祈っている」
「ありがとうレオニード同志政治委員。野戦昇進だ。それに薄給は変わらんさ。あなたともいずれ、どこかで」
礼を言い握手を交わす。
「まぁ使い道も無い金だろうしな。ところでデスクを片付けたようだが、まだ一月はいるのだろ?」
「後任のために片付けたんだ。それとまだ編制は完了していないから、当面は参謀本部の方で仕事をすることになるらしい」
そうか、とレオニードは手を離した。
「それでは、失礼します」
ラスカーはこの部屋にいる全員に見えるよう敬礼し、荷物を片手に持ってジューコフスキー教導隊を後にする。
正暦1944年 12月25日 参謀本部
第一〇二部隊の上級組織が参謀本部戦務局という位置付けがされている以上、第一〇二部隊の指揮官であるラスカーはこちらに出勤しなければならなかった。
同じ航空機甲大隊である第一〇一部隊はエリョーメンコ少将麾下の部隊であるはずなのだが、何故第一〇二は参謀本部付きなのだろうとラスカーは思考の隅で考えていた。それが余計なお節介になるのは目に見えているが口に出さなければ問題も無いのだ。
広い室内に一ダース程の机が用意されてはいるがここにいるのはラスカーだけだ。
(今後の事を鑑み、FoTEの運用法を実際に参謀本部が体感しなければ、流動的な戦況を読み解き作戦立案をする事は出来ない。とはマシェット准将閣下の言葉だが………)
机上のマグカップを口元で傾けて中のコーヒーを口に含む。
戦務局次長ゾーヤ・アナートリエヴナ・マシェット陸軍准将に説明された言葉をラスカーは反芻する。
そもそも起りは三軍合同出資の試験大隊であった。それを最近になって総隊と体裁を改めたのだ。今更陸軍単体で試験も何も、総隊の試験データをフィードバックすればいい筈なのだ。
(きな臭いな)
権謀術数が蠢き合う連邦の、そのしがない将校が首を突っ込んでいい話ではないという気が痺れそうな程に感じられる。
政治なんてものはラスカーの専門外だ。上の事を組織の末端がアレコレ心配したとてどうしようもない。
「苦いな」
連邦の政治、謀略の歴史はこのコーヒーのように暗いのだ。
参謀本部直属の第一〇二部隊には専用の通信一個小隊が用意されている。
ジーメンス粒子の影響下、ローレライの傘のど真ん中でどの程度機能するかは今の所不明であるが、雑務の処理には有用である事がラスカーの目の前で証明されていた。
「トルストイ同志少佐。志願者の内、条件に合致した者の資料がコチラになります」
「同志少佐。大隊に配備される機器設備のリストがコチラに」
「最終選考の面接室に情報部三課の部屋を借りてきました」
うむ、とラスカーは返事のフリをして呻く。
たかだか一二名ほど人員を追加しただけでラスカーの机を軋ませていたタスクがみるみる減っていく。
「伍長、資料が足らないようですがどうなっていますか。軍曹、大隊に配属された整備班にもしっかりと連絡事項を回しておくように」
「「はいっ」」
このデスクワーカー達を仕切っている軍官こそ、マリベル・クラースヤ通信中尉。エリョーメンコ少将の秘書官をしていた女性だ。仕事が出来ないわけがなかった。
ラスカーは机にふんぞり返って彼女らの仕事振りを眺めているしかすることがない。
マリベルにそうしていろと言われてしまったのだ。「同志大隊長殿は些末な事務作業などは気になさらずにコーヒーでも飲んでいてください」と。将官とはいつもこうなのだろうかとラスカーはコーヒーを啜る。
「ヴォイニーツキー大佐はこんな感じだったな………」
レオニードも優秀な男だからな、としみじみ思う。
前線に立つ方が気楽なのはラスカー自身の性分であるらしい。
ラスカーは通信小隊の獅子奮迅の活躍振りを眺めるが、一つ気になることがあった。
マリベル・クラースヤ中尉以下一二名は全て女性なのである。
総隊からラスカーと同じように転属された者や軍政アカデミー出身の者までいる。
連邦が男女平等であり、他国と比べても女性の社会進出が進んでいるとは言え軍に入隊する女性は少ない。ある意味で貴重な女性軍人が揃って第一〇二部隊に配属されているのは出来すぎた偶然ではないだろうか。
「同志少佐、何か………?」
思考に耽っていると、ラスカーの視線に気付いたマリベルが急に振り向いた。
「い、いや………。効率的な仕事振りだと思ってな」
「ありがとうございます。コーヒー、お代わりおつぎしましょうか?」
あ、ありがとう………、とラスカーはマリベルにマグカップを差し出すと、勢い余ってマリベルの手に触れてしまう。すると、マリベルはラスカーを見て微笑んだ。
「すぐにお代わりをお入れしますね」
「あ、あぁ………」
何かやりずらい。前に会った時の方が話しやすかったとラスカーは感じていた。
マリベルだけじゃない。なぜか他の兵達も妙にラスカーとの距離を近めに取るのだ。
(俺が女性に免疫が無いからなんだろうか………凄くやりにくい………)
「はい、少佐」
コトン、と音を立て差し出されたマグカップには淹れたてのコーヒーが注がれている。表面に映ったラスカーの顔を白い湯気が
正暦1944年 12月26日 参謀本部
来月にはレニングラード方面軍司令部基地へと赴かなければならないのだが、航空機甲大隊の定員四八名にはまだ足りていない。そのためにラスカーは情報部三課の倉庫同然の部屋を借り、面接を行う運びとなっていた。
選考基準として、第一○一部隊の方にも補充要員を同時期に送らなければならないので優秀もしくは即戦力に足るパイロットは弾く。第一〇二部隊は六ヶ月の猶予があるが、南部戦線を転戦する第一〇一部隊はその余裕は無いからだ。
ラスカーの座る選考官席の前に四人の面接者が緊張した面持ちで佇んでいる。
「ミハエル・プレタエフ少尉であります! 強化機甲戦闘機試験総隊から参りました!」
ミハエル・プレタエフ。訓練生出身の青年だ。ラスカーはプレタエフの顔と彼の資料とを交互に見て質問を始める。
「プレタエフ少尉。君は座学、実技に於いても平均以上の成績を収めているな。こっちで定めた基準としてそう言った者には第一〇一部隊の方を勧めているのだが、こちらの勧告を蹴ってまで我が隊を希望する理由は?」
「はっ! 私の故郷はスランツィであります。母や妹達はまだ故郷に残ったまま、いつ死ぬやもしれない不安におびえているのです。ですから小官も北方戦線の戦列に加わり、故郷スランツィを守りたいのです!」
「その理由は些か公私混同が過ぎるのではないかな。貴官の熱意には賛同したいが、それを理由に一度となく上官の進めを断っていることについて、貴官の中で軍規とはどうなっているのか」
「それは………」
プレタエフが言い淀んだ。熱意ばかりの人間は時として私情を優先させる。冷徹な思慮に欠けているとラスカーは判断せざるを得ない。
「結構だ。次の者」
「はっ!」
威勢の良い返答が室内に響く。
「最終的な貴官らの配属先はおって郵送される書類を見てほしい。結果はどうであれ、貴官らは連邦軍の未来ある若きパイロットであることには変わりはない。貴官らの党に対するより一層の献身を自分は望んでいる。以上だ、解散」
「「はっ」」
四人の敬礼に返礼し、彼らが退室するのを待ってラスカーは腰を椅子の上に戻した。
「お疲れ様です同志少佐。こちらをどうぞ」
「あぁ、ありがとう。えぇと………」
差し出されたコーヒーに口を付けつつ、ラスカーが今飲んでいるコレを淹れてくれた人物の名前を思い出そうとするが、パッと思いつかない。それを悟ってかその人物は自分から名乗った。
「エレーナ・ネムツォフ准尉であります」
「そうか、ネムツォフ同志准尉。美味しいよ」
「ありがとうございます同志少佐」
エレーナという女性士官もマリベルと同様に笑んだ。
「郵送される書類の作成は今日中に行います」
「選考については自分に一任されている。結果も明日には彼らの下に届けられるよ」
「承知しました。では、私は作業に掛かります」
エレーナの敬礼には軍人的な無骨さよりも女性的な優美さの方が勝っているように見えた。エレーナ・ネムツォフ准尉は軍政アカデミー出身だったことを思い出す。共産党側の人間というわけだ。
エレーナも退室していった。部屋に残っているのはラスカーと後片付けを始める通信小隊の兵士二人だけ。だが、彼女らは黙々と作業に集中している。
「軍服を着た政治屋というわけか………」
ラスカーは手元の選考資料をまとめて立ち上がる。
「貸してくれた情報三課への礼にキチンと整理してやってくれ」
「「はいっ!」」
ラスカーは片付けをする兵士にそう告げてこの部屋を後にした。
正暦1944年 12月29日 ジューコフスキー基地滑走路 明朝 大隊結成式
除雪された灰褐色の滑走路の上に八〇余名が整列し眼前の壇上に立った己らの指揮官を注視する。
「大隊、傾注!」
第一〇二航空機甲大隊副長アリアナ・カシヤノフ大尉の号令が基地に木霊した。
「大隊指揮官ラスカー・トルストイ同志少佐殿より訓示を頂く!」
アリアナからマイクを渡される。コードの弛みを手繰り寄せてラスカーは眼下の部下達を一瞥した。
「同志諸君。選ばれた軍人であると自覚する青き将校兵士ら諸君。自分はこの最初の訓示を同志諸君らの間違いを正す場と考えている。自分は砂漠の空の高さを知っている。平原の空の清廉さを知っている。祖国の空の重厚さを知っている。同志諸君は自分の知る何物も知りはしないだろう。教義教範を貴ぶ諸君らは戦争の本質を知りはしないのだ。無知なる同志諸君、第一〇一大隊に赴いた彼らの方が軍人として万倍もマシだということを知れ。我が隊が未だ実績も功績も無いことを知れ。同志諸君らは我が隊に誇りを持ってはいけない。それは空手形を誇らしく掲げる愚かな行為であることを知れ」
こうまで言ったが、誰もラスカーから目を離さない。内心で結構、と呟く。
「パイロット諸君。貴官らには国から玩具が配給されたな。高価な玩具だ。なにしろ実弾が撃てる玩具の人形だ。貴官らには六ヶ月もの暇が与えられる。無能かどうか判別するには充分過ぎるほどの時間だ。その間、貴官らは人形遊びに興じることになるのだが、いつまでも戦場で人形遊びをしているようなら好きなだけ狼共の餌場のど真ん中で遊ばせてやる。配給食を糞に変える資格は普遍的な物では無い。少なくとも現状の貴官らの戦死は貴官らの戦功よりも遥かに価値のあるものだということを肝に銘じておけ。貴官ら自らの人的価値を積極的かつ明確に証明してくれることを切に期待している」
「「はっ!!」」
「以上だ」
ラスカーはアリアナにマイクを返し一歩退いて両手を後ろに組む。
「
産声を上げた若き第一〇二部隊は朝焼けと共に動き出した。
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