第1章
第1話 極寒吹雪の人影Ⅰ
極寒の雪原の上を全高10mの鋼鉄の昆虫達が這う。大きな六本の足の内、後ろの四つの足を駆使して移動し、最前の二つの足に30mm突撃機銃を装備し、真ん中の二本の足にはチェーンブレードを内蔵している。
この兵器の名は『多脚型機動歩行戦車』。戦場で対人、対戦車、対空兵器として戦ってきた。
ソビエト連邦陸軍に正式採用されたMt-04ヴィフラは配備されてから開戦直後からフィンランド戦線で活躍していた。
ヴィフラの進路上にはフィンランド戦線で前線基地となっているビボルグ基地がある。
「ビボルグ基地、ビボルグ基地。此方、第三四中隊。これより帰投する」
ヴィフラのコックピット内でラスカーはビボルグ基地と通信をする。基地までもう500mも無い位置でないと高周波によるノイズによってまともに通信をすることが出来ないからだ。
ラスカーに網膜投射されたビボルグ基地が見えた。
「こち、ら、コン、ト…ール。繰り返す、こちらコン、ト、ロー、ル。第三四中隊、おかえ、りなさい」
ノイズ混じりだが通信手の女性兵士の声を聞いて、第三四中隊のメンバーはようやくと言った感じで息をついた。
安心したからか、ラスカーの耳に
「お前達、まだ気を抜くんじゃない。そういうのは基地についてシャワーを浴びてからにしろ」
ラスカーは怒気の無い、子供をたしなめるような声で言う。するとこの隊で一番のお調子者スタルコフが不満を垂れる。
「うっへー副隊長、お堅いねぇ……」
「黙れ、一日中雪原の中で温泉を探す楽しい任務に入れてやってもいいんだぞ?あと、今は隊長代理と呼べ」
「へーい」
スタルコフの反省の色が見えない返事に他の隊員が笑ってしまう。ラスカーは代わりに溜め息をつくのだが。
第三四中隊の隊長は現在後方の基地で装備の受け取りをしに行っていた。だから副隊長であるラスカーが隊長を代行していたのだ。
次第に雪原が切れていき、基地内に入っていく。雪かきをしたのは整備科か、ドイツの防空網ローレライ・システムによってお荷物と化した陸戦航空隊の連中かラスカーは知らないが、しっかりと雪かきされた滑走路にヴィフラの六本足をつけていく。
ラスカーはヴィフラをいつもの一番ハンガーに滑り込ませる。他の隊員達も順番にハンガーにヴィフラを収納していく。
コックピットハッチを開けると、緊張の熱気が籠っていたコックピット内部に厳しい冬の冷気が流れ込んでくる。だが、その冷たさが今のラスカーにはちょうどよかった。涼しいと感じられる。
ヴィフラ含め多脚型機動歩行戦車のコックピットは腹部に存在し、ワイヤーロープで搭乗者を引き上げたり、下ろしている。
ラスカーは不満を覚えたことはないが、他の隊員がやれ怖いだのと騒いでいるのを聞いたことはあった。戦場でも同じことが言えるのか、と問いただしてみたいが、いってもどうせ治らないのでラスカーも慣れていった。
そのワイヤーロープでヴィフラから降り、ハンガーの床に足を付ける。続々と第三四中隊のメンバーも降りてくる。
「第三四中隊、集合!」
ラスカーがそう言うと第三四中隊のメンバー達が駆け足でラスカーの元に集合する。
「繰り返すがお前達、怪我は無いな? もし怪我をしているようなら凍え死ぬ前に医務室に行くように。今回の任務はフィンランド軍が我々の敷いた警戒線を越えてちょっかいを掛けただけだったから戦闘は無かったが、先ほどの私語等、規律が緩んでいるように思える。アリアナ・カシヤノフ大尉が怒らなかったとしても俺は許さないから各自、任務中は自重するように」
ラスカーがそう注意をすると、主にお喋りをしていたスタルコフ少尉やダリア少尉が苦笑をラスカーに向ける。絶対に反省していない自信がラスカーにはあったが、これ以上言うのはお互い気分がよくなくなると考える。
「カシヤノフ大尉は明日の夕方頃に帰られる。俺からは以上だ。何か質問等あるか?」
ラスカーはメンバー達の顔を見渡す。
「無いようだな。それでは解散!」
勢いのある元気な返事がハンガー内に響いた。
北方方面軍第三四中隊の中で一番の年上はラスカーとアリアナだ。両名とも一八歳、同じ士官学校を同じ年に卒業した間柄だった。なぜアリアナの階級の方が高いのかと言うと、単純にスコアの差だった。たった一機分違うだけなのだが。
ちなみに彼女の家はちょっと特殊であるが。
第三四中隊は基本的にメンバーの平均年齢が低い。それは多脚型機動歩行戦車のパイロットの選考基準が理由だ。
通常の戦車が複数の人数で操るのに対し多脚型機動歩行戦車は基本一人だ。複座式もあるのだが普通は機行戦車一機に対して搭乗者は一人だ。
たった一人での複雑な機行戦車の操縦を可能たらしめる要因として『脊髄接続』という物がある。脳が体を操る時に発する電気信号を脊髄接続によって機行戦車に反映してほぼタイムラグ無しで操縦することが出来る。
しかし、この脊髄接続は誰にでも出来るのではなく、兵、士官学校で選科した際に機行戦車を操れるように、体内にナノマシンを埋め込む。その為、ナノマシン移植手術を受けていない兵士やナノマシン移植手術を受けても定着しない老兵には操縦出来なくなってしまっていた。
閑話休題、話を戻すとして、第三四中隊の平均年齢は一六、上は一八歳で下は一五歳だ。
お喋りがしたいのはラスカーにも理解出来るが、如何せん若すぎる。上司と部下というより先輩と後輩、上下関係が緩い。アリアナはよくやっているとラスカーは代行を務めるたびに感心していた。
更衣室で自分のパイロットスーツを脱ぎ、ラスカーのロッカーに収納する。インナースーツが汗を吸い、肌に貼り付く感覚が気持ち悪い。ラスカーはすぐさまインナースーツも脱いだ。すると、歳のわりというか流石軍人と言うべきか、かなり引き締まった身体をしている。ラスカーの色素の薄い身体の上から下へ汗が垂れる。
早くシャワーを浴びてしまおうと、ラスカーはロッカーの中に常備してあるタオルを持って更衣室に付随しているシャワー室へ向かった。
シャワー室の中にはラスカーを除いて誰もいない。スタルコフ達はまだじゃれ合っているのだろう。
(風邪を引かなければいいが…)
そう思いつつタオルを壁にかけてシャワーノズルを手に持ちお湯を出す。温かいお湯がラスカーの肌を撫で、汗を落としていく。
シャワーノズルを頭の方にまで持っていき頭も濡らす。
(夕食まで時間があるな……何をしようか……読書でもしようか? いや確か持ち込んだ本はこの前読みつくしてしまったしな…、いつもならアリアナが押し掛けてくるんだが………)
自分で言った通り、ラスカーはシャワーを浴びることでオンとオフが切り替わるのだった。
ロシアの大地は広大だ。ビボルグ基地から最も近い基地でさえ戻ってくるのに一日はかかる。さらにローレライ・システムによって高高度に上がることができない。よって空輸は行えない。それが移動に著しい障害を引き起こしている原因だった。
兵站が充分に行えない。最前線基地のビボルグ基地において命取りになりかねない問題だ。だが、ローレライ・システムの中継基地を破壊するには枢軸国たるフィンランドを攻め落とす必要があった。
(この基地を維持するには兵站の確保が必要で、兵站の確保をするにはフィンランドを落とさなければならなくて、フィンランドを落とすには基地や戦線を今ある備蓄で維持しなければならない。矛盾しているな)
もし出世をしたとしてもこの基地の指揮官にはなりたくな、とラスカーは自嘲気味に笑った。
ラスカーは夕食は既に済ませており、後のやるべきことと言えばもう眠ることしかない。
ラスカーは大人しく眠ることにした。ラスカーにとっては最近、睡眠すら任務の様に思えてきていた。「眠れるときに眠れ」。士官学校時代の教官の言葉の地味な重みがラスカーに実感となって襲ってきたからだった。
休息をとるのも任務の内。そう思うといつもより寝つきがよくなる気がしていた。
次の日、ラスカーはいつも通りに、起床時間よりも早い時間に目が覚める。目を覚ましたラスカーがまずすることは顔を洗うこと、次に歯を磨く。部屋に付けられた簡素な洗面台で一連を行って、そうしてからいつも通り制服を着る。細かい作業をすると頭が冴える。ボタンを一個一個締める度に覚醒に近づき、着替えが終わるころにはラスカーの頭は完全に冴えた。
「よし…」
ドアノブを握り、私室から出る。廊下の空気は酷く冷えている。気温はきっと氷点下だっただろう。ラスカーが廊下の窓を見れば氷柱が大きく太く成長していた。
雪も降ったようだった。昨日、雪かきした滑走路も既に白い絨毯が敷き詰められていた。
「朝食まで時間がある。雪かきをしておくか………」
そうなるとコートが必要になる。きっと気温は0度も無いだろう。昼だって二桁に行くか怪しい雲行きだ。そう考えて、ラスカーは一度部屋に戻ってコートを羽織る。
羽織っても大して変わらない気がするのだが、無いよりはましとそのままラスカーは外に向かって部屋を出て行った。
除雪用スコップを持って雪かきを始める。しばらくやっていると次第に人が増えてきた。主に雪かきは新兵の仕事なのだが、ラスカーは雪かきをすることで体を暖めることが目的でもあるので気にしていない。
「おはようございます中尉」
ラスカーよりも若々しい少女の声が雪かきをするラスカーの背中に投げかけられる。
「おはよう、早起きとは感心だな」
ラスカーがそういうと新兵は「そっちの方がはやかったけど…」みたいな顔をしたが、それに気づけるほどラスカーは敏感ではなかった。
新兵がラスカーの隣に付けて同じく雪かきを始めた。
ラスカー自体、お喋りではないから自然、新兵との間に会話は無い。別に無くてもいいとラスカーは考えていた。
こんなラスカーでも人並みに人付き合いをやっていけるのはアリアナのおかげでもあった。
「自分、陸戦航空隊なんでここにいても大して仕事とか無くて…未だにレニングラードの空を飛んだこと無いんですけど、戦場ってどんな感じなんですか?」
新兵の方がこの空気に耐えられなくなりラスカーに話しかけた。
ラスカーは作業の手を止めないが、質問には答え始めた。
「俺は機行戦車乗りだから、空は飛んだことは無いが…そうだな。晴れて空気の澄んだ夜は星空が綺麗だぞ?さっきまで殺し合いをしていたのを忘れられるくらいにはな」
ラスカーがそう言うと新兵は黙って空を見た。
「きっと、お前達の方がよく見えるんだろうな………」
ラスカーはただただ雪を除けながら言っているが、戦場を知らぬ新兵の心を掴むには言葉だけで充分だった。
「中尉! じ、自分もし空を飛べるようになったら星空の写真を撮りますから! だ、だからそれまで………!」
「そうか、ならお前がきちんと飛べるようにローレライ・システムを破壊しないとな」
ラスカーは努力をする人間を好む。新兵のやる気にラスカーも嬉しい気持ちになった。実際の新兵の気持ちなど微塵も理解していないが。
「は、はい! 頑張ります!」
ラスカーの容姿はこの基地の中でも一、二を争える程度には整っている。ラスカーの透き通るようなプラチナブロンドに色素の薄い白い肌。物憂げな碧い瞳に見つめられれば恋に落ちない女子はいない、とビボルグ基地でまことしやかに噂されているのだが、その実アリアナがなぜラスカーに構うのかと言う理由について第三四中隊の面々が考えた結果に出た結果が、アリアナはラスカーに恋している、という物だったというわけだ。
実際はしょうもない腐れ縁なのだが、お互いそれを人には言わないせいで誤解されたままになっていた。
「人も多くなって来たし、俺はそろそろいいだろう。新兵の仕事を奪うのも悪いからな。それじゃあ」
ラスカーはそう言い残して兵舎の方に戻っていく。その背を新兵は残念そうに見つめるが、ラスカーがもう一度振り向くわけも無かった。
昼を過ぎた頃、白い疾風が吹き荒れ始める。あっという間に風は視界を覆う。吹雪いてきた。これが起こると通信だけでなく視界からの情報すら駄目になる。ビボルグ基地に駐在する全兵士の警戒が自然と高まってしまう。
「とはいえ、それはフィンランドの連中も同じなわけですし! のんびりしましょうよ! 副隊長! あ、トランプでもします?」
スタルコフは既にオフの気分のようだった。いつもならラスカーが注意するところだが、確かにこうも視界が酷ければ例え進軍しても攻撃目標まで辿り着けないだろう。レーダー等使えるなら別だろうが、電磁波を好き勝手に放出するジーメンス粒子によって構成されるローレライ・システムによってパラボラアンテナ群は前衛芸術のモニュメントと化した。
よって暇なのである。
「いいだろう。ポーカーの役ぐらいなら俺にも分かるぞ」
ラスカーが乗り気で返事をするとスタルコフは目を丸くした。
「え…? ほんとに? 副隊長、熱があるんじゃないですか?もしくは明日は血の雨でも降るんじゃ………」
「おい、スタルコフ。お前ちょっと裸で基地の外周を走ってこい」
ラスカーが本気で乗ってくるとは思っていなかったスタルコフは目を輝かせてカードを配り始める。
メンバーは第三四中隊に割り振られたブリーフィング室にたむろしていた男四人衆だ。
カードは五枚、ラスカーに配られたカードはハートのエース、クラブのクイーン、ダイヤのエース、スペードの3、そしてジョーカー。
(役はエースのスリーカードか………)
そこそこに強い役だ。更にカードの交換で役の強化を図りたいラスカーだったが、それ以上で役に繋がるようなカードは来なかった。
「それじゃあ準備はいいですか?」
スタルコフが音頭を取る。
「いきますよ? せーの………ッ!?」
五枚のカードを机の上に広げた瞬間、巨大な爆発音と共にブリーフィング室にけたたましいサイレンが鳴った。
「どうした!?」
ラスカーが立ち上がり、窓の方を見る。外の視界は白く染まっている。
「失礼いたします! 敵襲です! アンノウンから襲撃を受けました!」
ブリーフィング室の出入り口のドアから一人の兵士が血相を変えて入って来た。その顔はあり得ない物を見た顔だ。
「この吹雪の中、敵襲だと!? 一体どこの馬鹿だ!」
「わ、分かりません。この視界では相手がどれくらいで、機行戦車なのか爆撃機なのかも………」
爆撃機ならば、ローレライ・システムの干渉を受けないのはドイツだけだ。だがローレライ・システムに干渉されないとしてもこの吹雪の中を航空機が飛んでこられるわけがない。となると、
「機行戦車で強行してきたのかッ………ナチス共がッ………!」
ラスカーの目に憎悪や怒りの混ざった暗い炎が燻る。物憂げな少年などどこにもいなくなっていた。
「第三四中隊は
アリアナがいない今、第三四中隊の指揮官はラスカーだ。ここはフィンランド攻略の為に奪われるわけにはいかない。
「了解いたしました中尉!」
伝えに来た兵士が兵舎に走る。
「お前達、出撃だ! 狼共にロシアの大地に踏み込んだことを後悔させてやれ!」
「「「了解!」」」
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