第2話 極寒吹雪の人影Ⅱ
廊下を走る兵士達の中を逆行するラスカー達。その向かう先は機行戦車が待機している大型ハンガーだ。
状況を即座に理解した熟練兵達は道を譲るが、慌て戸惑う新兵達がなおも廊下を走り去ろうとする。
その新兵の一人リュドミラ・ロンスキーがラスカーの肩にぶつかり、転んでしまう。リュドミラは今日の早朝にラスカーと共に雪かきをしていた。
「お、おい! 新入り、何やってる! 早く退けろ!」
同じ陸戦航空科の兵士がリュドミラに怒鳴った。リュドミラはいよいよパニックを起こしそうになるが、辛い教練時代の教官の言葉を思い出して立ち上がり、他の兵士達と同じように脇によけ敬礼をした。
「トルストイ中尉、ご武運を!」
ラスカーは何も言わずにまた大型ハンガーに向かって走り出した。他の第三四中隊のメンバーはもう向かっている。リュドミラの言葉と敬礼はラスカーの背中に投げかけられた。
「おいロンスキー、ドイツ軍を前にした時のトルストイ中尉はかなり気が立ってんだ。あんま下手なことはやるなよ?」
リュドミラに怒声を浴びせた兵士がなだめるように、慰めるような声音で言った。この兵士はリュドミラの為にラスカーの傍で叱っていたのだった。本来のラスカーならばもっと酷いことをしてもおかしくないからだ。
「はい、でも…カッコよかったです……!」
ぶつかったリュドミラに一瞥もくれず、走り去っていくラスカーはリュドミラの心に強烈な印象を残した。このリュドミラの言葉に周囲の兵士達はやはり魅惑の青年将校ラスカー・トルストイと、噂は深く根付いていくのだった。
「そこまでマヌケな感想が言えるなら、お前は大したパイロットになれるよ。そら、俺達もぼさっとしてないで行くぞ!」
「はい!」
(どうか、無事に生き残れますように……)
リュドミラは本当にいるならばとっくのとうに過労死しているであろう神に純真の祈りを捧げた。
大型ハンガーに鎮座するのはMT-4ヴィフラ。長い間フィンランド戦線を支えてきたソ連軍が誇る多脚型機動歩行戦車。その雪原に紛れ込むような銀色の機体が第三四中隊を待っていた。
「副隊長、お先に!」
スタルコフ以下、先に向かっていた三人のヴィフラのメインカメラが鈍く輝きを放つ。
ドイツ軍の先ほどの攻撃から、まだ次の攻撃は無い。吹雪の中を突き進むような連中の狙いが読めないが、だからと言ってファシスト共にこの基地に留め続けさせる理由は無い。
「視界が不安定な分、注意してかかれ。連中の目的が判明していないから慎重に。だが生かして返さないつもりでいけ!」
ラスカーもヴィフラから垂らされたワイヤーロープに掴まって、コックピットに入る。
「こちとら碌な補給も無いまま戦ってきた第34中隊ですよ? 吹雪の中の戦闘だって何回もやった。温室育ちのちょび髭軍なんかにゃ負けませんよ! エイベン・スタルコフ以下二名行きます!」
そう言って暴風吹きすさぶ戦場にヴィフラ達が突進していく。ラスカーも遅れていられない。
ヴィフラコックピットの底部ユニットが閉まる。用意されたシートに腰を下ろす。すると自動でラスカーの首にNRリングが取り付けられる。
首に取り付けられたこのリングによって脊髄、脳の情報を読み取るのだ。
「くっ…!」
この読み取りには脳に負荷が掛かる。だが、次の瞬間にはラスカーの脳内にヴィフラに関する情報が流れ込んでくる。
ラスカーの両手に握られた操縦桿と両足が踏み込むフットペダル。そしてNRリングによる経脊髄制御によってヴィフラが立ち上がる。
「ラスカー・トルストイ中尉、出撃するッ!」
ハンガーから降ろされたラスカーのヴィフラもまた、暴力的な吹雪の中に身を晒すのだった。
(視界が完全に見えなくなっているというわけではない、か………)
ラスカーの網膜には真っ白な光景が投射される。だが、ところどころに黒い影が見えた。
「スタルコフ、状況を知らせ!」
ラスカーは
「副隊、長…。敵、の攻撃、で他、の二人が………」
(なんだ? 様子がおかしいが、まさか………)
「おい、スタルコフ! どうした、二人がどうしたんだ!? しっかりと報告しろ!」
嫌な予感を振り払おうとラスカーが無線に怒鳴った。だが、帰って来たのはノイズだけである。
爆発音がビボルグ基地に木霊した。
「クソがァァァ!」
ラスカーは爆発のした方向に機体を向けて前腕部の30mm突撃機銃をばら撒く。知覚強化されたラスカーの五感がそこに何かがいるのを捉える。
(いるッ、スタルコフ達をやったクソ共がそこにッ!)
ラスカーは弾丸をばら撒きながら突撃する。次第に金属と金属がぶつかり合って弾かれる音を強化された聴覚が捉える。
「……ッ!」
真っ白な視界から相手の弾丸が飛び出してきた。それは正確にラスカーの機体を捉えていた。
その弾丸をラスカーはヴィフラの機体の姿勢を低く構えることで回避する。ラスカーの頭上を弾丸が通過していく。ラスカーの後方で爆発の衝撃が広がる。
今の銃口から放たれたマズル・フラッシュによって僅かだが敵の位置が分かった。推測の域を出ないが、ラスカーは迷わず飛び掛かった。
ラスカーの機体がぶつかった。ドイツ軍の兵器に。その瞬間にラスカーが30mm弾を放つが、敵の動きは止まらない。なおもラスカーを引き剥がそうとしてくる。
「死ねッ死ねッ死ねッ!」
ラスカーは中腕部のチェーンブレードを敵-のどこの部位かは分からないが-に押し当てる。
「お前達は殺すッ! 絶対に殺すッ!」
世界各国、どの軍にでも繋がる回線というのが存在する。滅多に使わないような物だが、ラスカーはこの瞬間、この回線を通して忌々しきドイツ軍の兵士に怨嗟の唸りを送り付けていた。
「くっ…! 離せッ! おい、リー! このヒステリックを引き剥がせ! お前にもこれ聞こえてんだろ………ッ!?」
MT-4ヴィフラに搭載されているチェーン・ブレードはものの数秒で敵の機行戦車を斬り裂く。
(この会話から察するに相手は後、一機ッ!)
「お、おい! ダン! 返事をしやがれ! アカ野郎がッ! よくもダンを!」
足音が聞こえてくる。敵の足音だ。ラスカーは右前腕の30mm突撃機銃を投棄して敵の残骸を、生き残りに向かって投げつける。
「うわっ!? これはダンの…? テメェ・・・!」
ラスカーは投げつけた瞬間に、自身のヴィフラも走らせる。この敵の一連の反応から察するに相手は少年兵だ。ならばまだ残酷には成りきれない。
敵の生き残りは残骸を判断するのにライトを付けた。この天候下での戦闘のアドバンテージは自らの位置を正確には悟られないこと。そんな大前提すら知らない、いや慣れていないのかもしれないが、今のラスカーにとってはいいカモである。
チェーンブレードで機体を支えていた脚と思われる部分を切断する。
二本を切断したところで重い物が地面に着く音と衝撃が発生した。
「アカ野郎がッ…! お前が死ねッ!」
未だ悪い視界の中で敵の放った弾丸がラスカーを襲う。ラスカーは咄嗟に左前腕部で防ぐ。その手に握られていた30mm突撃機銃が敵の弾丸によって破損。ラスカーの網膜にダメージを負ったという旨の表示がされる。その表示を見る限り左前腕部は使えなくなった。
この衝撃でコックピットも激しく揺れる。ラスカー本体にも激痛が走った。だが―
「この状況下で前腕部は、不要ッ!」
もともと30mm弾丸では敵の装甲に穴は空けられなかった。ヴィフラは火力低下を起こしたどころかむしろ軽くなったと言える。
「ハアッ!」
敵の銃弾がヴィフラの頭部を掠める。今のマズル・フラッシュで武装している箇所が見えた。チェーンブレードがその箇所を抉る。
「クソクソクソクソ!」
ヴィフラの機体に敵が触れる。このまま押してヴィフラを剥がそうということらしい。だが、その抵抗もラスカーの一振りでなんの意味もなくなる。
「終わりだ。そのままミンチになって地獄に堕ちろ!」
(コイツを殺せばスタルコフ達の仇は取れる!)
ラスカーがチェーンブレードを振り下ろそうとした瞬間――。
「撃ち方やめっ!」
聞きなれた上司の声でラスカーの、ヴィフラの動きが止まった。
(この声は………)
ラスカーを止めた声はアリアナ・カシヤノフ大尉の声であった。後方で新装備の受け渡しに行っていたはずの彼女がなぜ、ここにいるのか。ラスカーは困惑する。少しは勢いの弱くなった吹雪の中、トレーラーで走ってくるなど正気の沙汰ではない。
「同志中尉、それ以上の攻撃は不要である」
「なぜか! 敵はまだ投降していない!」
卑しくもスタルコフ達の息の音を止めたドイツ人が!
「敵は既に戦意を喪失している。私達はそんなことの為に戦っているのではない」
だがアリアナはラスカーに戦闘の停止を命令し続ける。これは仇でもなんでもないと。虐殺だと。
ラスカーは闘志に冷水を掛けられたようだった。
「了解しました……カシヤノフ同志大尉」
気づけば吹雪は止んでいた。ラスカーの網膜にトレーラーの中からインカムを握ってラスカーを睨むアリアナが見えた。
続いてラスカーに踏みつけられた状態の敵を見る。その姿は異様だった。今の今までラスカーが機行戦車だと思っていたドイツ軍の兵器は機行戦車ではなく、辺りに飛び散った足は四つ。つまりこのドイツの兵器は二足で直立していたのだ。
「ドイツの新兵器か…?」
だが最早ラスカーには興味が無かった。今まで隠れていたのであろうソビエトの兵士達が銃を構えてドイツ軍の新兵器を取り囲む。すると、その新兵器の胸部が開き、ドイツ軍の兵士が現れた。
観念したらしい。両手を頭の後ろで組んでいる。
ドイツ軍の兵士はラスカーが思った通り、少年だった。歳はラスカーよりも若い。
トレーラーから降りて来たアリアナが拳銃を突きつけて少年兵に話しかける。ラスカーの強化された聴覚がそれを聞き取った。
「貴様の身柄を拘束する。おとなしく従ってもらおうか」
少年兵は上半身だけになったもう一人のドイツ軍機を見つめ、無言で頷いた。
第三四中隊はこの戦闘で死傷者四人を出した。スタルコフ達が死に、ラスカーは肋骨等の脆い骨を骨折していた。
普段ならそう言った物からも身を守るパイロットスーツを着なかった為だ。
「ラスカー、あんたには後方の基地に行くよう命令が出てる」
カーキの軍服を着込んだ長い金髪の少女、上司でもあるアリアナが医務室で衛生兵の治療を受けて、休んでいたラスカーにそう告げた。
ドイツ軍の奇襲があったのはもう一昨日だ。上の行動が嫌に早い。
「このタイミングでか? 第34中隊は三人ものパイロットを失った。今ここで俺が離れたら………」
「そう言っても上からの命令には逆らえない。でも、待遇的にはここにいるよりもよくなるらしいわよ?」
そんなこと………、ラスカーはそう言ったところで言葉を止めた。
「あの、ドイツ軍の新兵器はなんだ?」
アリアナは周囲を見回す。そしてラスカーのベッドの周りにある仕切りを閉めた。
「これはパパから秘密で教えてもらったんだけど………人型機動兵器『
「対ドイツ………そう言えば背部にジェット・スラスターみたいなのを積んでいたな…、そうか。ローレライ・システムに干渉されない低、中高度を飛ぶって訳か。一々歩く機行戦車よりも移動速度は速い」
一昨日の奇襲ではラスカー一人で殲滅されてしまった新兵器、それが機行戦車を超えるというのは冗談にしてもつまらな過ぎた。
「あんたねぇ、私のライバルのあんたがそんなポットで兵器に負けるわけないでしょ。奴らの目的はおそらく戦闘ではなく我が軍の『
「試作機? なんでそんな物がビボルグ基地にあると思ったんだ、ドイツ人は」
アリアナはラスカーを睨んだ。ラスカーにはなぜ睨まれたのかが分からない。
「ヒント、私が受け取りに行っていた新装備」
「まさか、アリアナが受け取りに行ったのがその『
だとするならば一昨日の初撃とその次の攻撃の妙な感覚は説明がつくか、とラスカーは推理した。
「そうよ、おそらくそう」
アリアナは短く答える。
「だが、なぜそんな物がここに?」
ビボルグ基地は最前線基地だ。試作機を回してきたところで不完全な機体じゃいつ落とされるか分からないし、故障したとしてもここではすぐには直せない。
「さあね。私が得た情報を総合して出てくる答えは、戦闘データが欲しかった。早急にね。ここならかなりの頻度で戦闘が起こるから。でも、ここは敵の正面に陣取っていて、敵に試作機の情報が漏れていた。だから上はあんたの後方行きを命令した」
アリアナはつまらなさそうに言った。それがラスカーの移動の理由だと。だがラスカーには分からない。アリアナにはもったいぶる癖があった。
「待て、アリアナ。鈍い俺には分からない。その試作機がなんで俺の移動の理由になる」
「そりゃ、その試作機のテストパイロットがあんただからよ」
「は?」
「うん?」
(聞いてないぞそんな話! 一体いつから決まっていた!)
ラスカーはそう叫びたくなる気持ちでいっぱいになる。対してアリアナは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。
「ラスカー・トルストイ中尉!」
アリアナは改まった表情でラスカーを見る。
「貴官は今から北方方面軍第三四中隊での任を解き、新たな任務に従事することになる。貴官の新たな配属先はジューコフスキー基地、強化機甲戦闘機試験大隊となった。細かいところは現地の指揮官に従い、貴官の任務を果たせ。ま、こういうこと」
ジューコフスキー基地とはソビエト連邦空軍の基地のはずだが、陸軍であるラスカーがそこに配属されるということは軍のトップ、国のトップは強化機甲戦闘機という新兵器に枢軸打倒の光を見出しているということだ。つまりなりふり構っていられないほどに人手が必要ということになる。
「アリアナ、俺が抜けたら第三四中隊は大丈夫なのか」
ラスカーの問いにアリアナの目が厳しくなる。しかしすぐにいつもの子供っぽいような目に戻った。
「私のスコアはあんたより一機分上なのよ? 問題無いわ」
「違う。今のスコアは俺がお前より一機分多い。そして抜けたのは四人だ。その穴を埋められるのか、と聞いている」
士官学校時代からアリアナはよく出来ていた少女だったのだが、そのせいで人に頼れない性格をしていた。今までは同レベルのラスカーがいたから上手く出来ていた。
「やれる。私を舐めないで」
「本当か?」
アリアナは下を俯いてしまう。だが、少女の心の機微を読み取れる男はこの空間にはいない。
「ッ!? アリアナ、泣いているぞ!?」
「馬鹿! 馬鹿ラスク! ちょっとは察しなさい!」
「!?」
ラスカーの分からないことだらけの空間で、更に訳の分からないことが起こる。なぜかラスカーはアリアナに抱きしめられていた。ベッドに押し倒されるような体勢になる二人。ラスカーが下でアリアナが上だ。
「いい! 馬鹿ラスク! 一刻も早く強化機甲戦闘機を完成させて北方戦線に帰ってきなさい!そうして私との決着を付けるのよ! 分かった!?」
ラスカーは答えられず、アリアナの涙を自分の手で拭った。だが、拭っても拭ってもアリアナの涙は止まらない。アリアナは答えを待っているのだとようやくラスカーは理解した。
「泣くなカシヤノフ大尉。了解しました。このラスカー・トルストイ。新しい任務に全身全霊を捧げることを約束します」
これでいいだろう、とラスカーが小さく息を漏らすと―――
「そういうことじゃないわよ馬鹿ラスク!」
ラスカーの頬にアリアナの平手打ちが見事に炸裂したのだった。
「痛ッ!?」
まだ繋がっていない肋骨にその振動が響いて、ラスカーは声にならない呻きを上げてしまった。
そのままアリアナは医務室から出て行ってしまう。
「ちょっといい感じにムードが盛り上がったのに、どうしてああなるのかなぁ、あぁもう!」などと言いながら。
だが今のラスカーにその少女の心の声を聞きとる余裕は無かったのだった。
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