第3話 ユーラシアから集う戦士達Ⅰ
ジューコフスキー基地のブリーフィング室には強化機甲戦闘機試験大隊に配属となったソビエト連邦が誇る精兵が揃っていた。
各員が手元の資料を睨んだり、隣の席に座る兵士と話しながら時間を潰していた。なにしろこの場を用意した主催者が未だ現れないからだ。
ラスカーは当然、手元の資料に目を通していた。だがラスカーが今読んでいる箇所はもう三回ほど読んでいるのである。そこまで同じ文章を読めば、文章はただの記号に変わる。ラスカーがちらりと一瞥をくれただけで何が書いてあるのかが分かってしまうようになる。
ブリーフィング室のドアが開け放たれる。瞬間に真冬のシベリアのように空気すらも凍り付く。連邦軍の精鋭達の視線を一身に集めるのはカーキの軍服を着た男。だが軍服を着てはいるが兵士達の輩とはその身に帯びるオーラが違う。
「私がこの度新設された強化機甲戦闘機試験大隊を任されたアレクセイ・エリョーメンコ少将である。同志諸君よろしく頼む」
エリョーメンコ少将は口許だけが笑まれた。目は笑っていない。あの目や雰囲気から察するに叩き上げということはまず無いとラスカーは推測する。戦場で人を殺すよりも政争で人を殺すような類の人間だろうとラスカーは無意味と知りつつアタリを付ける。それは他の兵士も同じようだった。
「さて。私の自己紹介も済んだところだが、本題に入る前にちょっとした
エリョーメンコ少将が扉の方を向かれて声を掛けられた。
「はっ。失礼いたし、ます」
すると、凛とした声がブリーフィング室に響く。だが、その返事はいささか以上に訛りが酷いというか、片言のようだった。イントネーションがおかしい。これにはラスカー達も顔を見合わせる。
ブリーフィング室に入って来たのは、日本人だった。ラスカー含め兵士達の顔は先ほど以上に渋い顔をした。この場で一応笑っているのはエリョーメンコ少将のみである。
「大日本帝国海軍、遣ソビエト機動艦隊第四航空隊所属、
極東から来た少女が腰を45度に折って頭を下げた。だがラスカー達の目は異質な物を見るようであった。
なぜならこれはソビエト連邦陸、海、空軍の垣根を越えた軍事プロジェクト……。しかも参謀本部直属の部隊とあって、国家プロジェクトと言っても差し支えないだろう。それなのに、そうだと思っていたのに突然日本人の部隊も参加することになっていたという事が兵士達にこの状況を飲み込みづらくしていた。
「帝国軍とロシア帝国軍が戦った日露戦争での両国の関係改善の為に締結された日ソ同盟の中には両国の軍事的な技術提携の約束という条文が存在する。この度の我が国におけるFoTEの開発の難航に際し大日本帝国との共同開発ということに決定された。その為に藤堂中尉達は強化機甲戦闘機試験大隊に参加する。彼女らもまた同じ志を持った仲間ということになる。くれぐれも噛みつき合って私に君達の再就職先を決めさせないように気を付けてくれたまえ?それでは手元の資料を開いてほしい」
エリョーメンコ少将がそう脅しともとれるもはや常套句、一般的な、ありふれた定型文で締めくくられ、二国の威信をかけたプロジェクトの説明が始まった。
日ソ同盟はドイツがモロトフ・リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)の破棄に伴って締結された軍事同盟だ。冬季でも凍らない港を欲するソビエト連邦と大陸進出を狙っていた大日本帝国。対ドイツに兵を割きたいソビエト連邦と中国侵攻中に横やりを入れられたくない大日本帝国。利害の一致と呼べそうな物が多々あるなかで、唯一共通の悩みの種は対アメリカの姿勢を取っているということである。様々な思惑が交錯し結ばれた同盟であるが、日露間のシコリはロシア帝国が倒れ、ソビエト社会主義共和国連邦になった現在でも解消されたとは言い難い状況だった。
エリョーメンコ少将が説明をし終え、ブリーフィング室から出ていくと整備部隊の連中もぞろぞろと出ていてしまった。今、この部屋に残っているのはラスカーを含むテストパイロットとしてユーラシア中から集められた兵士達だけだった。
テストパイロット達が単純にエリョーメンコ少将には色々と手続き等があるんだろうし、整備の連中は試作機の整備があるのだろう。現状することが無いメンツが居残っているだけの状態だからだった。
今ここにいるテストパイロットは七人、だが資料だと八人。陸軍から二名、海軍から二名、空軍から二名、日本からの二名である。ラスカーは気になって藤堂を見るが、けして話しかけることはない。
「この中で階級が高いのは誰かな?」
七人の中の誰かがそう言った。だが続く声は無い。
「士官以下は?」
誰も手を上げない。
「少尉の人~?」
三人が手を挙げた。
「中尉の人は~?」
ラスカー、藤堂の二人が手を挙げた。
「大尉の人?」
一人だ。
「それ以上」
声の主が手を挙げる。
「なるほどねぇ、それじゃあ階級順に並びなおそっか。これからは仲間になるんだし。そうだねぇ。左端から少尉の順に並んで」
佐官クラスの兵士の言う通りに並び直す。当然だがラスカーは中尉であるから藤堂の隣に座った。
「藤堂中尉、もう一人のパイロットはどこにいるのかなぁ?」
「
「なるほど、了解した。それじゃ自己紹介をしていこうか!僕はソビエト連邦陸軍所属、ザイシャ・コーヴィッチ。階級は少佐だ。多分だけど僕がテストパイロット部隊の指揮を執る確率が高いからその時はよろしく。歳は23だよ。次は大尉で」
(ザイシャ・コーヴィッチだと!)
ラスカーは心の中で呻く。ザイシャ少佐は第一次スターリングラード防衛戦で単身ドイツ軍機行戦車部隊を足止めして無傷で帰って来た陸軍最高のエースだ。
その茶髪を無造作に伸ばした青年ザイシャは欠伸をしていた。
「ソビエト連邦海軍所属、バルト艦隊の…って今は違うのよね。アニーシャ・ヴィッテ大尉よ。そっちの
アニーシャは艶のある金髪を短く切りそろえた女性だ。ラスカーよりも二歳年上らしい。ラスカーは全く興味を持たなかったが、第34中隊のメンバーの中では大人の色香があるとかで人気だったのだ。
バルト艦隊の港があるのレニングラードのクロンシュタットという都市だ。何度か火力支援ということでラスカーとアニーシャは同じ作戦に参加していた。だが、面と向かって話したのはこれが始めてだった。
ちなみに
次に藤堂が立ち上がった。
「刑部陸軍大尉は現在別任務につき、自己紹介はご容赦ください。私は大日本帝国海軍遣ソビエト機動艦隊第四航空隊所属、藤堂弥生中尉です。歳は17です。よろしく」
さきほども自己紹介をしたからだろう、藤堂は手短に自己紹介を済ませた。席に座り直す際、藤堂の夜の帳を表したような黒の髪がふわりとたなびいた。
ラスカーは自分よりも歳が下だったことに若干驚いていた。
続いてラスカーの番になる。藤堂の視線がラスカーに向けられてラスカーは立ち上がった。
「ソビエト連邦陸軍所属、ラスカー・トルストイ中尉であります。ビボルグ基地よりやって参りました。歳は18。以上」
ラスカーが人前で話をするときは常に「手短に、簡潔に」を心掛けている。ラスカーの自己紹介は自己紹介の体をなす最低ラインまで見事に言葉を削ってあった。
なにはともあれ次は少尉グループである。
「ソビエト連邦空軍所属、マクシム・エフストイ少尉です。そしてこっちが弟のマルセル・エフストイ少尉。所属は同じく空軍です。歳はお互い15です」
マクシム少尉とマルセル少尉の顔は瓜二つ、一卵性双生児なのだろう。ブリーフィング室内に意外な物を見た、というような空気が流れる
六人が自己紹介を終えた。最後の一人に自然と一目が集まる。あんなさらし者になるのはラスカーだと耐えられないがろうが、最後の一人はその視線を物ともせずゆっくりと立ち上がった。
「はーい! 私が最後の一人ですかぁ? 私はソビエト連邦海軍所属、ジャンナ・アラロフでーす! よろしくです! 歳は内緒です!」
一人だけこの場にそぐわないような幼い声。TPOにこれでもかと立ち向かっているようなジャンナはラスカーのことなど意に留めない。
「よし、これで全員…この場にいる者達の自己紹介が終わったね。さて、次は…と言いたいところだけど、今の僕達にはやることも無いからね。兵舎の部屋に戻ろうか。一応士官には個室が用意されているらしいから」
ザイシャ少佐はあって間もないとはいえ上官の任を果たしている。同じ陸軍出身のラスカーにとってザイシャという男は憧れの存在であった。第一次スターリングラード防衛戦はソビエトの交通の要所、国内有数の戦車生産の都市。当時のソビエトの対ドイツ南部戦線の最後の拠点だったスターリングラードはドイツ軍の昼夜を通して行われる執拗な空襲、砲撃。包囲された状況の中、半年間の包囲から街を守り、後方の援軍がやってくるまで持ちこたえたザイシャは全陸軍兵士の誇りと言っても良かった。
「何も言われていないけど、一応明日の08:00には、そうだね…第三指令室に集合して命令を待とうか。何もなければ集合の後、軽く体を動かしたいと思う。試作機も八機揃っているとも思えないしね。前線から離れたとはいえ身体が鈍るのはご免だろう。問題は無いかな?」
ラスカーはもちろん、異議を申し立てる者はいない。ザイシャは満足気に頷いた。
「それじゃあこの場は解散」
「敬礼っ」
ザイシャの次に階級が高いアニーシャがザイシャ以外の者に敬礼をさせる。
「後は自由でいいから」
六人分の敬礼を受けたザイシャがまた敬礼をし、そう言ってこの場は締められた。
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