第27話 シベリア広域機動演習Ⅱ

 KsY-17の腰部スラスターが上げる唸るような甲高い起動音は平然と装甲を浸透してコックピット内のラスカーの鼓膜を震わせる。

 やがてその推力は固定ケーブルの限界を超える。機体は最大速を出せるまでに至ったスラスターの急加速によって地上に機体をつなぎ止めていた固定ケーブルをパージさせた。


「グッ………」

 ラスカーは下腹部に力を込めて急加速に伴う負荷に耐える。

 体を面で押し潰されているかのような感覚を凌ぐと、東の果てに昇る朝日が目に映る。暖かな陽光はこれから始まる機動演習に赴く兵士らをその光でもって歓待しているようだ。


「第九小隊、所定高度まで上昇」

「第一〇、同じく」

「第一一も同じく。異常は見当たらず」

「第一二小隊も同じ。問題はありません」

 第三中隊に所属する各小隊長と副長から通信が入る。第三中隊、全十六機のメドヴェーチがシベリアの空を飛んでいる。


「よし。日本海を拝みに行くぞ」

「「了解!」」

 ラスカーの呼びかけに対して返ってくる返答はどれも意気揚々とした物ばかりだ。ラスカーも思わずその士気の高さに頷いた。


 ウラジヴォストクまでは約6000kmの距離がある。メドヴェーチならば最大速度で飛び続ければ十五時間で到着出来る距離だ。まぁ実際は兵装の重量と増槽の重量が合わさるために到着まで二〇時間程。ラスカーはそう考えている。


 ラスカーは視界上にマップを表示させる。そこには機体数分の一六の点がやじりの形に展開している。アローヘッドと呼ばれる隊列である。


 先頭を飛ぶラスカーは遮るものの無い暁を眺められ、実に心穏やかなフライトを楽しんでいたのだが、急に第三中隊をミサイルアラートが襲った。

「グローム13より中隊全機! 六時の方向より敵機接近! 数は四!」

 来たな、とラスカーは息を整える。踏ん張りが効くように足をもう一度開く。


「全機散開して敵機を撃破しろ。ここで落ちてくれるなよ」

「「了解!」」

 戦域データリンクを通して、先頭を行くラスカーにも後方の第12小隊や第11小隊の戦闘の様子が確認出来る。


 アフリカでラスカーが示した通りFoTEの空戦時に於ける戦闘機との戦闘力の優越は確かなようで、新米パイロットの彼らも危なげなく防空軍の戦闘機にペイント弾でペイントしていく。三分も経たないうちに最初の戦闘が終わってしまった。


「第一一小隊、目立った損害無し!」

「第一二小隊、損害はありません」


「分かった。初戦は戦果充分だろう。だが、ウラジヴォストクまでに何度もこういった戦闘が起こる。周囲警戒は当然だが燃料、弾薬の残量にも留意しておけ」

 この機動演習は何もシベリア合同火力演習の為だけの演習では無い。来るソビエト連邦軍の敵地ドイツの奥深く、首都ベルリンまでの浸透強襲を想定した演習なのだ。如何に目標に辿り着くまでに燃料と弾薬を温存しながら戦うのか、という事だ。その為にラスカーは指揮官として、感覚的には捉えられない消耗と戦う術を知らなくてはならない。




 ラスカーは時刻を確認する。〇八〇〇。ノヴォシビルスクを出発して四時間が経過した。防空軍との戦闘は散発的であり、ここ一時間は戦闘機どころか対空砲の砲弾の一つも飛んできていない。


 志願してパイロットになった新兵達にとってはただ真下を見つめるばかりの時間は苦痛であり、開きっぱなしの自由回線から私語の類が流れ始めた。

(部隊全員に聴かれているのが分からないのか………?)


 ラスカーは練度不足に溜め息をいて、無駄口を諌めようとした時、不意に別の声が聴こえてくる。


「演習中だぞ。私語は止めろよ」

 ミハイロヴィッツ少尉だった。部隊にお喋りを聴かれている同僚を見かねたのか同じ新兵として注意をしたのだった。


「あっ、全部聴こえて………?」

「すみません………」

 私語を聴かれていた二人は急に声のボリュームを下げ、蚊の鳴くような声で謝罪した。

「ブラッコ少尉もグラフ少尉も志願して来てるんだろ。そんなんじゃ周りのいい迷惑だ。口じゃなく目を動かせよ。これだから女ってのは………」

 ミハイロヴィッツ少尉は二人の糾弾を続けた。別にそこまで言わんでも、と他から聴こえてくる。


「なんでミハイロヴィッツお坊ちゃまにそこまで言われなきゃいけないのよ」

 ブラッコ少尉がミハイロヴィッツ少尉に食ってかかった。


「ちょっと、カーラ………」

「止めないでイオ。腰抜け没落貴族のボンボンに口のきき方を教えてあげるだけだから!」

「こ、腰抜け没落貴族だと………!」

 この時、ラスカーを含む殆どの人間がミイラ取りがミイラになったな、と確信した。


 ラスカーが今度こそ黙らせようとした時、けたたましくもアラートが鳴り響いた。

「高熱源体高速接近。その数八。守備隊の対空ロケット砲です」

 淡々とエルヴィラが報告を上げた途端、全員が気を引き締める。


「全機散開し、回避機動をとれ。増槽に当たればFoTEでも簡単に吹き飛ぶからな。絶対に回避して見せろ」

「「了解」」


 ロケット弾の襲撃とラスカーの号令によって慌ただしくも言い合いが中断され、部隊が二つに分かれる。

 誰もいなくなった空間をロケット弾が通り過ぎていったと思えば、今度は戦闘機が空に上がってきた。


「敵機、数は八。敵戦闘機ミサイル発射。なおも接近してきます」

「後列の一一、一二小隊はフレアをばらまけ。ミサイルを回避した後、反撃。二機編隊エレメントを忘れるな」

「「了解!」」

 後方で光が瞬く。八機の機体から散布されたフレアだ。

 一一小隊と一二小隊が一斉散布したフレアによってミサイルはあらぬ方向へと飛び去ってしまった。


 こうなれば何も怖くない、と中隊全機が一気に反転し戦闘機に向かって飛び掛る。


 FoTEは新兵器としての運命で、戦闘機と運用方法も戦術も似通っている。だがこういった小回りがFoTEはかなり利いていた。戦闘機ならば機首を傾けねばならぬところをバーニアを吹かせばいいだけなのだから。


「貴様らもかなり鬱憤が溜まっていただろう。ほら、お待ちかねの獲物だ。残すなよ? 防空軍に失礼だからな!」

 中隊に言っているようでラスカー自身に言い聞かせていた。恐らくであるが一番フラストレーションが溜まっていたのはブラッコ少尉でもミハイロヴィッツ少尉でも無くラスカーその人である。


 最前列にいたラスカーは機体達の間を縫うように飛びながら一機目の戦闘機に飛び付いた。

のろい!」

 照準を合わせた先で防空軍パイロットの顔がよく見えた。唖然、驚嘆。そんな感情だろうか。今までにないほど鮮明にその表情が読み取れた。

 ラスカーは機翼を狙って引き金を引く。一秒もしないうちに青の塗料が炸裂した。


「次だ!」

 他の機体の攻撃に対する回避機動をとっていた戦闘機の機体下部に一発。

 後ろに付いた機体を引き剥がそうとしていた戦闘機に一発。


「ッ!」

 機銃の掃射を避けるべくラスカーはスラスターを後方に噴射し機体を引かせる。


 機銃を放った戦闘機は誘うようにラスカーの脇をすり抜けた。

 ラスカーはペイント銃を構えるが周りの機体を盾にするように飛び、戦闘機もなかなかラスカーに引き金を引かせない。


 ラスカーは戦闘機の進路を予想し、そこに照準を合わせる。飛び出すタイミングを計り、引き金を押し込むがそこに戦闘機は現れない。

「消えたッ!?」

 そう思ったのはほんの一瞬。ミサイルアラートが鳴り響く。


 ラスカーはフレアを噴射し回避機動をとった。しかし、そこへーー

「後ろを獲るかッ………!」

 ラスカーが回避機動をとった一瞬の間に戦闘機が機体の背中に張り付いていた。


 そしてミサイルアラートが嫌になるほど鼓膜を叩く。

「殺す気か………? これが戦場だ! 最高だな全く!」

 ラスカーはそう毒づくとインサイドループのように大きく宙に円を描きミサイルをやり過ごす。


 全身が引っ繰り返る感覚は半年ぶり。全身が沸き立つような衝動は一ヶ月振りだ。

 戦闘機の上面を照準が捉えるが戦闘機は機体を減速させメドヴェーチの影に隠れてしまう。


 ラスカーは機体を反転させる。正面に戦闘機を捉えた。

 一瞬覗いたパイロットはメドヴェーチを睨んで親指を下に向けて振り下ろした。満面の笑みを浮かべながら。


 ペイント弾が発射されるよりも早く戦闘機は螺旋を描くように機体を回転させながらメドヴェーチとの距離を詰め、脇をすり抜けていく。

 ラスカーは久しぶりの高揚感、酒じゃ味わえないような陶酔感で満たされている。戦闘機のパイロットもまた然り、だ。

 強敵と相見えた喜びと命を賭けて殺し合っているかのような実感に二人は酔いしれている。


 短く旋回し再び機体と機体が向き合う。そして互いに距離を詰める。確実に弾を当てられる必死の距離まで。

 目に映る全ての物がスローモーションのように緩やかに流れていく。


 鼓動の間隔がさっきまでの何十倍も開き、呼吸を求めるように肺が拍動するも依然息苦しくもどかしい。それも全てこの一発の為。

(三、二、…一!)


 互いが互いに向けて引き金を引いたのが分かる。しかしーー

「ペイント弾命中。敵機の撃墜判定と認む」

 何処か誇らしげなエルヴィラの報告が悠然と全てを物語る。

 戦闘機の機翼に青の花が咲いた。




 戦闘が終わった途端、またあの退屈な時間が来るのか、と思うとラスカーは憂鬱な気分になった。ラスカーは耐えられない脱力感を覚える。


 一息ついた第3中隊が今まで通りに隊列を組もうとした、その時。不意に二機が隊列から外れた。

「ん? どうした。遅れるな」


「いや…その何というか………」

「また喧嘩を再開させたらしく………」

 後列を任せた二人の小隊長はどうにも歯切れが悪いと思えば、ブラッコ少尉とミハイロヴィッツ少尉の喧嘩が再発したと言うではないか。その為に編隊が乱れ、再出発出来ないでいる。


(なら止めろよ! 部下の管理ぐらい…ってまぁ俺も言えた義理では無いが…あぁ、実に面倒だ………)


 面倒だ、煩わしい。ラスカーの知らないところでやってくれ、と思いつつ、これも職務だ、と息を吸い込む。


「中隊全機へ。予定よりかなり早いが貴様らに休憩をくれてやろう。全機着陸用意。その後、五分は機体から降りろ。それと第一一小隊と第一二小隊の小隊長は俺の所に来るように」

 そう先程の張りは何処へやら、といった口調でラスカーは第三中隊に着陸の命令を出した。


 一六機全機体が地に足を付け腰を屈めた。これがまともな設備が無い場所で機体から降りる時の姿勢である。


 ラスカーの機体の足下に呼び出した二人の小隊長が待機している。その二人に喧嘩中のブラッコ少尉とミハイロヴィッツ少尉を連れてくるよう命じて、ラスカー自身も機体を降りた。


 風がラスカーの頬を撫でるがどうにも生暖かくて気持ちが悪い。


「トルストイ同志大尉、二人を連れてきました………」

 第一一小隊の小隊長はラスカーの見ていた限りでは常に明るく振舞っていたのだがどうにも顔色が悪い。


「しっかりと立ちなさいミハイロヴィッツ同志少尉、ブラッコ同志少尉」

 第一二小隊の小隊長も気配りの出来る人間である、ジューコフスキー基地には記載されていたが、こちらもラスカーの顔を見た途端に目を伏せた。


「二人とも、手数をかけて申し訳なかった」

「い、いえ………」

 ラスカーが労いの言葉をかけるが、やはり反応は異常であった。


「さて、コズィン・ミハイロヴィッツにカーラ・ブラッコ。ここは託児所でも初等学校でも無い。まして周りの人間はお前達の保護者では無い。そこで質問だ。お前達は何だ? 言ってみろ」

「私は………」

「自分達は党に忠誠を誓った軍人です!」

 ミハイロヴィッツは声高にそう叫ぶ。そうだ軍人だ。そう騙るが故にラスカーは今、こうして時間を浪費している。


 ラスカーは二人のお子様・・・に近寄って、耳元に口を寄せる。


「違うぞコズィン・ミハイロヴィッツ」

 ラスカーは鳩尾みぞおちに拳を突き立てた。

「俺もよく叔父に殴られたよ」

 ラスカーの昏い双眸を覗き込んだミハイロヴィッツは胃の中身を全て吐き出してしまう。


「カーラ・ブラッコ、お前は何だ?言ってみろ」

「わ、わたしは………」

 ラスカーと目を合わせぬようにブラッコは目線を下げた。あの昏い双眸を見れば自分もそこに転がるミハイロヴィッツと同じようになるのは明白だった。


「教練課程もだいぶ簡略化されているらしいな………」

 ラスカーは脇に立っていた第一一小隊の小隊長の頬を裏手で殴った。


「部下の失態は上司の失態だ、違うか?」

「その通り、です」

 第一一小隊の小隊長は痛みに歯を食いしばり根性でその場に立つ。


「もう一度聴くぞカーラ・ブラッコ。お前は何だ。どんな舐めた理由でこの部隊に志願したんだ! 言ってみろ!」

 ラスカーはブラッコの前髪を左手で掴みあげて無理やりにでも自分との目線を合わさせた。


「ごめん、なさい………」

 ラスカーは空いている右の拳を鳩尾に突き刺す。


「ッハ………」

 ブラッコの吐瀉物がラスカーの肩を汚すが、ラスカーは気にも留めず同じ質問を繰り返す。


「違うな。お前は俺の言っている事を全く理解していないぞ。お前はどこの何様で、どんな理由があって部隊から大切な時間と燃料を奪い、更には俺にお前の上官を殴らせた? 説明しろ、カーラ・ブラッコ!」

「わたしは、祖国の為に、軍にし、志願して軍人、になりま、ひた………」

 嗚咽が混じり、訥々と絞り出すようなブラッコの釈明が始まる。だが、答えはおよそラスカーの求めるものではない。


「そうか軍人か」

 ラスカーはもう一度ブラッコの鳩尾を殴る。ラスカーの肩に黄色い胃液が吐きかけられる。

「わた、ひは軍人………連邦軍に自分から志願したん、です…志願しました………」

「続けろ」


「昨年の、観覧式で、FoTEのアクロバットを見て、わたしもと思って、志願しました………」

「なるほど。お前にとっては曲芸がしたかった、それだけの理由で志願したと」

 ラスカーは拳を握り込む。


「ヒッ…! ち、違いま、す…。私も大隊に入隊する為に選抜試験をくぐり抜けてきました………。家に妹が、いるんです。その妹達に、武器を持たせない為に、私が戦わなくちゃ、いけないんです!」

「それがこの様か。お互いに時間の無駄だったな」

 前髪を握る左手に力が入る。ブラッコの髪の毛が数本、はらりと抜け落ちて風にまかれた。

「一つ、教えてやろう。失敗とはな、物事に取り掛かる前から決まっているんだよ。作戦の内容、作戦に携わった人間の意図、作戦を実行する人間の行動。どれか一つでもヘマをすれば失敗する。アフリカがそうだった!」

 傍らに立っているエルヴィラが目を瞑り、顔を伏せた。

「アメリカ大統領が賞賛? ふざけるな! そんな事をしてもあの作戦は失敗は覆らないんだぞ! 怠惰なアメリカ海軍艦隊が落伍してくれたお陰で枢軸軍を取り逃した! しかもツケを払うのは枢軸国と国境を接する国家だ!」

 二度と失敗は許されない。それがあの作戦で死んでいった兵士達への唯一の贖罪だ。失敗を繰り返すような人間はそれは獣畜生と同じだ。

「俺はな、カーラ・ブラッコ。失敗の要因は刈り取るべきだと考える。芽を出さぬうちにな。お前達のように、平然と隊の統率を乱すような存在が戦場で作戦行動に出たらどうなるか分かるか? 死ぬんだよ、周りを巻き込んでな。それは部隊全滅に留まらないかも知れない。お前が仕損じた敵がお前のその家族を殺すかもな。お前の目的を顧みない行動で、だ。お前の家族を貫いたのは、家族を焼いたのは、破裂させたのは、紛れもないお前の怠慢だ」

 ブラッコは震える顔を左右に振りさっきまで一緒に話していたイオ・ラシャール少尉や隣で跪くミハイロヴィッツを見る。同僚らもまた、彼女を見つめている。

 ラスカーの声は第三中隊の全員の耳に届いていた。前線に出た事がある隊員達は唇を噛み締め、新任達はそんな先輩の姿を見て言葉の重みを感じていた。

「俺はな、目の前で両親を武装親衛隊に殺された。痛みに苦しみながら死んでいく両親を目の前にして俺は逃げたんだ………。後になって何度自分を恨んでも呪っても、誰も帰って来やしないッ………! 俺と同じ思いを故郷に残した家族にさせたいかカーラ・ブラッコ! コズィン・ミハイロヴィッツ!」


「絶対に嫌です…私はっ、キュリケの為に、戦争を終わらせたいっ」

「声が小さい!」

 檄を飛ばすなら声を張り上げろ、とラスカーは叫ぶ。

「私は早く戦争を終わらせて、家族を抱き締めたい!」

 カーラ・ブラッコの目付きが変わった。さっきまでと比べれば遥かにマシになっただろう。

「お前はどうなんだ、コズィン・ミハイロヴィッツ」

「自分は………」

 ミハイロヴィッツが言い淀む理由をラスカーは知っている。それがこの国では口に出すのが憚られるという事も。

「シベリアのど真ん中に盗聴器があるものか。俺が発言を許可する。余計な事は気にせず叫べ」

「僕は…ッ! ミハイロヴィッツ家の男として、これ以上人民が犠牲になるのが許せなくて軍に入隊しましたっ! 父は僕に言った! 家名が地に落ち、貴族の誇りを忘れてしまっても、弱き者の庇護者であれと! たとえそれが共産党の犬になろうとも、僕はそう生きたい!」

 上流階級の人間は革命によって大半がシベリアに拘留か銃殺となった。ミハイロヴィッツの人生の中で普通の人生よりも不自由を多く感じたであろう事は第三中隊の全員が察している。


「トルストイ同士大尉、失礼ながらお願いがあります」

「何だカーラ・ブラッコ同志少尉」

 少尉、と官位を付けて呼ぶ。ラスカーの目の前にいるのは我儘な子供ではなく、志を共にする軍人だ。


「未熟な私に罰をお与えください」

「僕にも! 僕にも罰を!」

 ブラッコ少尉とミハイロヴィッツ少尉はパイロットスーツのファスナーを下ろすと、腫れて赤くなった鳩尾を差し出した。

 第一一、一二小隊の小隊長らは愕然とした表情を浮かべている。先程まで泣きじゃくっていたブラッコ少尉が自ら上官に殴れと懇願しているのだ。その瞳は未熟な少年の、お転婆だった少女の、ソレでは無かった。しかし、ラスカーはそれこそが戦士の瞳であると信じている。


 歪んでしまった彼らの叫ぶ覚悟をラスカーは受け止める。ラスカーの右の拳に力が込められる。


「いや、その必要は、無い」

「大尉?」

 ラスカーは自分の頬を右手で殴った。もう一度、もう一度。三発目に行こうとしてずっと見ていたエルヴィラがラスカーの右腕を必死に抑える。


「離せザノフ少尉」

「ご自愛下さい、トルストイ大尉」


「俺は彼らを三度殴った。だから俺はもう一度自分を殴らねばならない。これが拳を振り下ろした俺の責任だ」

 ラスカーは自らの理想の姿を示す為に拳を振るったのだ。ラスカーの腕を掴んでいたエルヴィラの手が離れた。

 ドンッ、という鈍い音が鳴った。


「服装を正せブラッコ少尉、ミハイロヴィッツ少尉。部下の失態は上司の失態、俺はそう言ったな? だからこれも俺の失態なのだと思っている」

「そんな、これは全て私達が………」


「貴様達は自分は軍人である、と言った。ならその言葉の責任を負うのは俺の役目だ。ミハイロヴィッツ少尉、ブラッコ少尉、貴様達の言ったその言葉が嘘偽りの無い事を俺は切に願うよ」

 ラスカーはミハイロヴィッツ少尉とブラッコ少尉の肩を叩いた。

「ありがとうございます………!」


「ルキン小隊長にも済まない事をした。こうでしか部下を諌められない俺を許して欲しい」

 直立不動のまま固まっていた第一一小隊のルキン小隊長にラスカーは頭を下げる。すると、ルキン小隊長は滅相もない、と右手を大きく振り回した。それを見たラスカーは少年らしく笑ったのだった。


「それでは出発しようじゃないか。なに、タイムリミットが少しばかり、ウラジヴォストクでの仮眠時間が減っただけだ。問題は無い」

 時計を見やればまだ一〇一五。今日中には付けないかもしれないが、ラスカーにとってはどうって事無い。


「総員、搭乗」

「「はっ!」」


 一六機のメドヴェーチがシベリアの空を薙ぐ。

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