第28話 シベリア広域機動演習Ⅲ


 現在時刻二四〇五。夜の帳が降りて久しい。静かな夜を鋼の巨人が駆けていく。

 瞬くスラスターの燐光はまるで星、曇天の下ではまるで流星群のようであった。

 轟音が草原に響いた。地上から空を見上げている者がいたとしたなら、口を揃えて花火が上がったと、でも言うだろう。

 防空軍都市守備隊が打ち上げたロケット弾やミサイルは標的を捉える事は無く、虚空で華と散った。


 深夜にも関わらず、防空軍は戦闘機隊にスクランブルをかけてくる。

 戦闘機一個小隊が第3中隊の後方に付いた。


「同志諸君、ウラジヴォストクはすぐそこだ。深夜でもエスコートを忘れない職務に忠実な彼らに、お礼をせねばなるまい」

 隊の全員がこのやり取りを何度繰り返した事か。ラスカーが言わんとすることが勝手に理解出来る程度に慣れ始めていた。

「合図で前列の部隊は反転し突撃しろ。後列はチャフを散布。その後、支援射撃用意」

 ラスカーの指示通り、マップの味方機のアイコンが入り交じる。


 チャフの銀粉が月明かりを乱反射する。その光景はまるでお伽話に出てくる魔法のようであった。


「中隊反転。曳光弾用意、目標は前方の戦闘機部隊。一斉射、放てッ」

 八機の一斉射を受けて、戦闘機部隊は回避機動をとった。曳光弾の光に照らされて戦闘機の機影が視界に照らし出された。


「突撃ッ!」

 前列の部隊が飛び出した。その進路上に戦闘機を誘うように支援射撃は放たれ続ける。

 反転した部隊が近接戦を仕掛ける。戦闘機は前方に立ちふさがった部隊をすり抜けようと加速した。

 弾雨を縫うように飛ぶ戦闘機だが次々にその機体を青く汚されて、撃墜判定を受けていく。

「敵機排除!」

「此方も!」

 続々と上がってくる撃墜認定の報告を聞いてラスカーが最終的な判定を下す。


「残敵無し。戦闘終了」

 五分も掛からない内に防空軍を撃退し、第3中隊は元の隊列を組み直した。

 ラスカーはふぅ、と息と共に熱を吐き出す。


「残弾数、知らせ」

 ラスカーが問えば、殆どが残弾無し!と答えた。いっそ清々しいぐらいである。

 いつもなら別段面白くないが、どうにも疲労は着実に溜まっているらしくラスカーが小さく笑った。中隊長の雰囲気が通信を通して隊に伝播する。穏やかな一時が訪れた。

 早く寝たい、だのアルコールを身体に入れたい、だのと異様な雰囲気だった第3中隊の間で普通の馬鹿話が咲き乱れた。


「行くぞ」

 笑いが収まったラスカーはフットペダルを踏み込む。残り僅かな推進剤が腰部スラスターで燃焼されて機体に推進力を持たせた。

 第3中隊は疲労から来る休みたいという欲求を乗せて再び駆け出した。



 メドヴェーチがウラジヴォストクの灯を捉えたのはここから一時間先の事だった。





 現在時刻、いや任務中ではないからわかりやすく深夜の二時。どうにかガス欠になる前に極東ロシア最大の港町ウラジヴォストクに辿り着いた。

 日ソ同盟が締結されて以来、大日本帝国の北端、北海道に近いウラジヴォストクはアジア人の往来が多くなってきている。日本人が経営する料理店も少なくないらしく、ロシアの地で故郷の味を忘れられない日本人が連日詰めかけているらしい。


 ウラジヴォストク海軍基地付随の飛行場を間借りして機体を着陸、格納し第3中隊の面々は四時間の休憩が与えられた。

 ラスカーは真っ直ぐにシャワー室へと向かう。他の連中もそうだった。

 更衣室のロッカーに着替えを入れ、タオル一枚を片手にシャワー室へと入っていく。


「いやー、本当に一日で着くんですね! ウラジヴォストクまで! モスクワの反対側ですよ!?」

「ほんと、ヒヨッコ共のお陰で道中冷や冷やしっぱなしだったからなぁ………。五体満足で到着できて何より………」

 そんな声が聞こえてきて、ラスカーも気を緩める。


 温水が張り詰めていた神経を解きほぐす。皮膚を伝う雫が落ちていく様をボーっと、ラスカーは床のタイルを眺めている。

 暖色系の照明に照らされた床を見ているとビボルグ基地をラスカーに思い出させた。


 数秒か数分か、ずっと床のタイルを眺めていたラスカー。だが、そろそろのぼせて来たのかも知れない。

(上がろう………)

 ラスカーはタオルを手繰り寄せると身体の水滴を拭き取りながらシャワー室のドアに手を掛けた。


「同志大尉殿はもうお上がりに?」

「充分に温まったよ。貴様らも朝の出発までゆっくりするといい」

 とても穏やかな気持ちで言葉が口を出た。


「了解であります!」

 茶化して敬礼する彼らにラスカーは背中で手を振った。




(海の匂いはプランクトンの死骸の匂いと聞いたな………)

 ラスカーは鼻をくすぐる磯の香りを嗅いでそんな事を思った。

 あれは誰に聞いたのだったか、ビボルグで聞いたんだったか、と自問を繰り返していると曇天の切れ目から少しだけ月明かりが差し込んだ。


 ラスカーは浜辺に一人立ち、海を眺める。月明かりが海面をキラキラと照らし出す。優しい潮騒だけが音を放つこの光景にラスカーは胸を打たれた。

「カメラでも持っていればよかったな………」

 この静寂を切り取って記録しておきたい、なんて初めて思った。


(そう言えば、ここ最近は色んな海を見ていたな)

 バルト海に地中海、そしてこの 日本海。まるで日本海海戦に於けるバルト艦隊の航路をなぞっている様であった。


 北部戦線で戦っていた日々も既に半年以上も昔のことだ。バルト海に面したあの基地で沢山の事を学び、沢山のモノを散らせた。


「偶然にしては、縁起でもないか………」

 バルト艦隊は大日本帝国海軍の聯合艦隊れんごうかんたいに敢なく敗れてしまうが、ラスカーはここで果てるわけにはいかない。まだ何も成してはいないのだから。


「俺は何だってやるよ。父さん、母さん。その為の力だって手に入れた。仲間だっているんだ。もう子供の頃の俺とは違う。無力じゃない、虚弱じゃない」

 モスクワの両親の墓地には何も入っていない。空の棺は二つ。ただそれだけしかラスカーには残されていない。


「戦争が終わったら二人の墓参りに行くよ。トビっきりの酒なんか持ってさ。俺、もう酒の味なんかも分かるようになってさ………、上司と一緒に朝まで飲んだりして………」

 時間の流れを思えば思うほどに、全てがおかしくなったあの日が想起される。

 一三年間、一度足りともあの光景を忘れた事は無い。忘れられない。心の奥底では今でも両親はドイツの悪魔に殺され続けている。断末魔の悲鳴さえ耳を澄ませば聴こえてくる。


 そうして湧き上がってくるのは無性の怒りと憎しみだ。仄暗い感情だけが幼き日のラスカーを立ち上がらせた。そして、同時にこの世に神も絶対的な正義も存在しないと理解した。

「祈りで人は救われない。願いで世界は変わらない。闘争と力ばかりが人間と世界の真理だ………!」


 ラスカーの言葉は夜の闇に溶け込んでいく。こんなにも静かな海であっても三〇年ほど昔には戦場だったのだ。

 やはりどこまでも、いつまでも人間は闘争を止められない。戦争に魅入られたラスカーは戦場を忘れられない。

 その事を確認し終えると、のぼせた頭も充分に冷えていた。


「戻るか………」

 散々好き勝手言ったお陰で多少は心もすっきりとした。夢見も悪くは無いだろう、と基地の方へ向かおうした時、長く、ぼーっと汽笛の音がした。ラスカーが振り向くと港の方に大きな貨物船が一隻、ウラジヴォストク港を出るのが見えた。




「さて、準備はいいか」

 ラスカーはずらりと並んだパイロット達を見る。彼らの顔に疲れという物は見えない。


 いずれも目の前に立つラスカーを注視している。

 ラスカーの姿はいつかの自分自身の姿であると、本能が信じるのだ。自分もかくあれかし、と。

 戦争の為に青春を捧げた彼らだ。そんな彼らにとって赤旗勲章を胸に飾る目の前の男ほど英雄的な存在は無いのだから。

 体制への狂信という国民性は、従わなければ消される社会を産み出し、そこで生き続ける彼らは同志ラスカーに続くのだ、と考えその通りに行動しようとするだろう。


「昨日のような失態を、俺は許さない。昨日よりも迅速で効率的な行軍を中隊長としては望む次第だ。まだ拳が痛むんでな。これ以上酷い事になると操縦桿が握れなくなるやもしれん」

 ラスカーはミハイロヴィッツ少尉とブラッコ少尉らの方を見て訓示の後ろにそう付け足し、右の手を左手で覆って見せた。隊員達が笑った。


「だが俺は憎き民族至上主義を打倒するまでは戦場を去るつもりは無い。そして俺は貴様らにも同じように戦う事を要求する。連邦の尖兵として、連邦の鋭利な剣として。だが我らが連邦がこの大戦に勝利するまで貴様らの隊からの離脱は認めない。玉砕など以ての外だ。生きている限りの闘争を俺は貴様らに望む。腕を失っても、足が千切れてもだ。恨むなら俺に貴様らの書類を送り付けた上司を恨め。もしくは自分の馬鹿さ加減をな」

「「はっ」」

 彼らは了承を告げた。これは誓いだ。ラスカーと彼らの、生ある限り暴力行使を続けるという馬鹿げた契約。狂った世界に生れ落ちた歪められた若者達の宣誓。

 ラスカーは徐に頷いた。


「さしあたってこの機動演習だ。遅れを取り戻す。行くぞ同志諸君馬鹿ども。総員搭乗」

「「了解ッ」」


 全長20mの鋼の巨人。白亜のその機体は朝日を反射して輝いている。すでに歪んだ何者にも染められぬ白。狂気を孕む純粋の白だ。


 タラップを登ると、開け放たれた胸部コックピットのシートに飛び乗る。

「システム起動。NRリング装着」

 首筋に金属特有の冷やりとした感触が走ると、脳の思考が一度止まってから再起動を始めた。


「機体ステータス…異常無し。兵装、駆動系、戦域データ・リンク………全ネットワーク、オンライン」

 脳内に各種情報が一瞬で流れ込む。それを精査する必要はない。パイロットならば瞬時に理解出来るからだ。その為のNRリングでもある。


 メドヴェーチの双眸に光が灯る。デュアル・アイ・カメラが機体の足下の映像をラスカーの視界に映す。


「コックピットハッチ閉鎖。グローム01起動する。小隊、稼働状況知らせ」

 ラスカーの機体が立ち上がる。地面に大きな影が出来た。同じような影がそこらに出来始める。


「第九小隊、全機稼働」

「第一〇小隊、同じく」

「第一一小隊、全機体稼働中!」

「第一二小隊も演習の遂行に問題はありません」


 全機問題は無いらしい。元機行戦車乗りのラスカーからすれば驚くべき稼働率。整備班の腕はラスカーも信頼している。パイロットからすれば腕の確かな整備兵とは何よりも得難く、ありがたい存在だ。


「よし。第三中隊、出るぞ。全機俺に続け」

 ラスカーが先頭に立ち、滑走路を滑る。目に映った全てがラスカーよりも後ろに流れていく。ただ広大な海ばかりがいつまでも第三中隊の傍らにあった。


 INSは機体の速度が飛行可能ということを指し示した。

跳躍ジャンプ開始」

「「跳躍ジャンプ開始ッ」」

 呼吸が出来ないほどの圧力の先に、朝日に照らされた日本海が見えた。第三

中隊はその海原を背に、西へと向かう。

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