第29話 シベリア広域機動演習Ⅳ

 機動演習が開始されて早三日が過ぎようとしている。現在第三中隊が飛行しているのはシベリアの最西端、ヨーロッパとアジアを分ける俊峰ウラル山脈の麓周辺。ウラルとはこの地域一帯で暮らしていた民族の言葉で帯という意味がある。北は北海沿岸部から南はカザフのステップ地帯まで。長く続く峰はまさに文化圏を仕分ける帯である。

 ウラル山脈からは様々な鉱山資源が産出され、帝国時代からウラル山脈周辺の地域は国内工業の基盤として発展した都市が多く存在している。戦時下、この地域の工場は文字通り不眠不休で軍需物資を生産している。出来た製品はシベリア鉄道を伝いモスクワに運ばれて各戦線に分配されている。此処は今や国内産業の生命線となっている。




 街の灯りが見え始めた。時刻は既に深夜。郊外は闇に染まっているが街の中央の灯りは爛々と輝いている。そこは工業区。製鉄所や製錬所の炉の灯りだ。

「見えてきた」

 開きっぱなしの通信回線から誰かのそんな声が聞こえた。その声につられたように安堵の息がそこかしこから漏れてくる。

 シベリア、ウラルと大自然のパノラマ映像と突発的戦闘に浸り漬けだったパイロット達は目に映った文明的な街並とその灯りが妙に懐かしく感じる。


「まだ終わっていないぞ。周辺警戒、怠るな」

 ラスカーの一言で無線から聴こえてくる声は無くなる。だが、かく言うラスカーもようやく足を伸ばせる、とため息を吐いていた。


 更に街に距離を近づけると、排煙塔からもくもくと立ち上る煙の柱や防空軍の使用する基地の飛行場灯火の青白い光がぼんやりと見えてくる。


 ラスカーは隊の進行速度を下げるよう指示を出し、管制塔を呼び出した。

「此方強化機甲戦闘機試験大隊第三中隊所属ラスカー・トルストイ大尉。チェリャビンスクコントロール聞こえるか。着陸許可を頂きたい」

「此方チェリャビンスクコントロール。問題ありません。どうぞ着陸を。第四ハンガーで機体の補給をさせていただきます」


「了解した。防空軍の協力に感謝するよ」

 管制官から着陸の許可と補給場所の指定を受け、ラスカーが着陸姿勢を取ると中隊も続いて着陸姿勢を取り始める。


「いえ、無駄飯ぐらいのパイロット共も真面目に働くようになりました。スクランブルで寝る暇も無いって」

「こっちも一日中座りっぱなしだから、おあいこってことにしてくれ」

 他愛ない会話で通信が終わる。さて、とラスカーは足を開き直した。


 ラスカーは上から下に作用する圧力を感じて腹筋に力を入れるようにして堪える。着陸すると両足でジャンプをして着地するのに近い感覚があるのだ。ランディングはもう慣れた物よ、と隊列を組んだまま第三中隊は着陸する。足が地面に着いた感覚と共にパイロット達は一日の終わりを実感するのだった。




 高さ20mのメドヴェーチを収容出来る屋根の高いハンガーに一六機もの機体が収容される様は圧巻である。給油作業をしに来た兵士達があんぐりと口を開けている様子は何処か滑稽であった。

 足下にいる人間の誰もが生まれて初めて見たであろうFoTEの前で、まるでショーケースの中で光り輝くトランペットを見つめる子供のようであった。


 そんな羨望の眼差しの中、ラスカー達がタラップから伝って地面に降り立った。


「お疲れ様であります!」

 ラスカーにそう声がかけられる。見ればラスカーよりも若い一四、五ほどの歳の兵士がラスカーに敬礼を向けていた。

「ありがとう。給油の方、よろしく頼む」

 ラスカーが答礼をしてやると、その兵士は責任感をそのあどけない顔に滲ませる。

「はっ!」

 機体に向かって駆け出した整備兵の多くが制服に着られている、そんな雰囲気を感じさせる少年達だ。彼らは意気揚々と給油作業に取り掛かっている。

 彼らの多くは正規の手順を踏んだメカニックマンではなく、抜けた正規兵の数を産めるべく動員された連邦工科学校の生徒達だ。正規の整備兵もまた兵器と共に前線へと送られた。


 致し方無い事情とは言えそれが何年も続けば常識になる。次第に疑問を呈する者も少なくなってしまっている。


「同志大尉、集合完了致しました」

「あぁ」

 ラスカーは整列した第三中隊に向き直る。


「中隊、傾注」

「今日で機動演習の大半が終了した。残っているのはノヴォシビルスクへの帰還のみ。明日はそう気張らなくてもいいだろう。チェリャビンスクを出発するのは明朝〇四〇〇。それまでは今日の疲れを明日以降に残さぬようにしておけ。特に言う事も無いな。以上だ。解散」

 ラスカーは手短に、伝えることだけを伝える。というより、自分で言った通り筆談言うことが無い。それに皆疲れているだろう、とラスカーが慮った結果だ。ラスカーは形式上の挨拶をしてこの場の解散を告げる。


「中隊、敬礼」

 ラスカーも敬礼を受けて答礼。こうして、晴れて一時ばかりの休息と相なった。




 ラスカーは食堂の座席に一人座り、気まぐれにテレビの電源を入れた。


 国営放送の、真実と虚飾の比率が狂ったニュースを聞き流しながら紙コップの中のコーヒーを呷る。

 口の中に広がるのは雑な苦味。凡そ代替コーヒーか何かだ。香りだけが本物らしいが、鼻を抜けていく香りと口を蹂躙する雑味が何とも言えない不味さを表現していた。


「続いてのニュースです。ヂュガシヴィリ同志書記長は昨日の国家人民委員会議にて、」

 ラスカーはチャンネルを切り替える。適当に何度もチャンネルを切り替えていると、日本映画を放送するチャンネルを見つけた。


(同じフィクションならばこっちの方が笑っていられるな)

 連邦は映画大国なぞと呼ばれているが、その実戦意高揚の為のプロパガンダ映画が大半である。日本映画はクロサワやミヤザワなど素晴らしい娯楽映画を作る監督が多く、同盟の締結によってそう言ったエンターテインメントも厳しい規制を乗り越えて連邦内に着実に普及していた。


 この映画は音声は日本語だが字幕がロシア語だ。俳優達が喋ったセリフ毎に字幕が切り替わる。

 どうやら先ほどから始まったらしく冒頭の説明を見ることが出来た。


「正歴1500年代の日本なのか………」

 本州より南の九州の侍一族の物語。字幕はそう書かれている。


 画面が切り替わり水田の映像が映し出される。そして引きの画面に現れた日本の城が徐々にアップされていく。

「日本の城は変わった形だな。これが文化の違いか………興味深いな」

 感想を口に出しつつ、ラスカーはテレビに食い入るように見つめる。


 話の流れ的にこれから戦いになるようだ。

 ラスカーはもう一杯、偽コーヒーを口に流し込んだ。酷い味だが眠気覚ましには持ってこいだ。


「トルストイ大尉………? こんな場所で何を?」

「ん?」


 主人公の兵達が出陣し始めた場面でラスカーに声が掛けられる。振り返ってみればエルヴィラだった。彼女のその赤みがかった頭髪は湿り気を帯び、天井の照明によった艶やかに照らされていた。シャワーを浴びてきた帰りだったのだろう。服装もタンクトップにパンツと、なかなかラフな格好だ。


「あぁザノフ少尉。たまたまテレビ。つけたら日本の映画をやっていたのでな…。見始めたら、なかなか興味深くてな」

「日本映画…サムライですか。トルストイ大尉もやはりこういったのがお好きで?」


 好きかどうかで言ってしまえば興味は無かったのかだが、何を言っているのか分からない日本語を聞いているのが楽しかったのだ。


「サムライとは本当にチョンマゲだったんだな、と思いながら見ていた。少尉も見るか?」

 ラスカーは隣の席の椅子を人が座れるように引き出した。

 エルヴィラは一瞬考えるような目をして、徐に席に着いた。


 エルヴィラは落ち着きなく辺りを見回して、誰かに見られていないかを確認しているようだったが、一通り確認し終えたのかテレビの画面に視線を向けた。


「ハヤテノブシというタイトルらしい。主人公は今、あの変な板の付いた棒を振っているイエヒサというサムライだ」

 現在イエヒサはオオトモ軍、兵数四万。対してイエヒサ側の軍は四万に達していない。そしてオオトモ軍の新兵器クニクズシという大砲の存在。フランキ砲という宣教師が西欧から伝えた火砲の威力は島津軍の持つ火力の比では無いと解説で書かれている。


「彼我の戦力差は微妙ですが…イエヒサは死ぬんでしょうか」

「さぁなぁ…。そんな展開は俺の好みでは無いが…、如何せん。どうにもし難いか?」


 兵の数と大砲の火力を信奉するのが連邦軍の戦闘教義。どうしても大勢はオオトモ軍に流れていると見てしまう。


「兵糧攻めか。忌々しいがカイロを思い出すな」

「と言うか何で内ゲバしてるんですかオオトモは。あぁ当主が宗教に心酔しているから!」

 映画を見ながら思った事をどんどんと口にする二人。


 場面が切り替わる。城に詰めたイエヒサの兄であるヨシヒロなるサムライの部隊がオオトモ軍の陣地を縫うようにして兵を配置。油断していたオオトモ軍に奇襲を仕掛けた。

 陣地と陣地の連絡を断ち切られオオトモ軍はあっという間に甚大な被害を被っていた。


「あのクニクズシ、私が撃ってれば木造の城なんて文字通り木っ端微塵に………!」

「ハハハ………」

 すっかり魅入っていたエルヴィラの様子にラスカーは笑んだ。


「っ! 熱くなりすぎました………」

「別に映画に見入るくらい悪いことではないだろ。気にするなザノフ少尉」


 エルヴィラを励まして、ラスカーは偽コーヒーを飲もうとして紙コップが空な事に気が付いた。

(取りに行くのも面倒だな………)

 ラスカーは偽コーヒーは諦めて画面に視線を戻す。


「トルストイ大尉」

「どうした? ザノフ少尉?」

 エルヴィラは何故か下を向いている。まだ恥ずかしがっているのだろうか、とラスカーが思っていると、意を決したようにエルヴィラは頭を上げた。


「わ、私の事をな、名前で呼んで頂けませんかっ?」

 急に何を言い出すかと思えば、エルヴィラはラスカーに自分の事を名前で呼べという。

「なんだ急に………」


「私が、北アフリカでトルストイ大尉の部下になって、半年以上が経ちました」

「そうだな」

 ラスカーは頷く。


「そして最近は部下も増えました。トルストイ大尉の掲げた理念遂行の為にもっと密接な部隊内の関係の構築が必要だと思い、意見具申させていただきまひたっ」

(噛んだ…? ふむ、密接な関係の構築か。そうなればもっと密度のある情報共有が出来るか? とすれば作戦時の、身内の不安要素は減る、かも知れないな)

「ですから、別に私個人が大尉に名前を呼んで欲しいという邪な理由がある訳ではなくてっ」

 ラスカーは多少のメリットと思い浮かばないリスクを勘案し、口を開く。


「良いだろうエルヴィラ少尉。名前で呼び合う、か。確かにその方が連帯感が生まれるやも知れない。俺もラスカーと呼んでくれ」

「は、はいっ!」

 エルヴィラの仏頂面に珍しく嬉しいという感情が表面化した。冷静沈着なスナイパーとして認識しているラスカーは何で嬉しそうなのか分からないが、部下が明るいのは喜ばしいことだ、と思って頷いていた。


「トルストイ大尉とザノフ少尉? このような時間まで会議でありますか?」

 新たな人物が食堂に現れた。年功序列の順番待ちの末にようやくシャワーを浴びることが出来た女性の新任少尉達だ。


「おぉカーラ少尉。丁度いいな。周りの連中もこっちに来い」

「はい、トルストイ同志大尉………って名前呼び!?」


 ラスカー以外の全員がギョッとした目でラスカーを見る。エルヴィラまでもが。

「エルヴィラ少尉の提案により今後、第三中隊の構成員は部隊内の連携向上の為に名前で呼び合うことにした。俺のことはラスカーと呼んでくれ」

「「えぇっ!?」」


 食堂に悲鳴に近いような声が上がる。その意味を理解していないのはラスカーだけである。


「同志諸君、親睦を深め合うという意味で共に映画でも見ようじゃないか。そら、席に着け」

 かくして謎の映画鑑賞会が幕を開けた。




「あの責任の押し付けあいは、どうにも既視感を覚えてならんな………」

 ラスカーがそう零す。正歴1576年の日本の出来事のはずだが、やはり人間はそう簡単に変われないとそう言われているような気分になった。


「なんでこんな事に?」

「ザノフ、エルヴィラ少尉殿が言い始めた事なんですよね? 何がどうなってるのか教えて頂きたいのですが」

「それは………」

 ブラッコ少尉改めカーラがエルヴィラの脇を小突く。エルヴィラは言い淀んだ。まさか、ラスカーがこんな事を言い始めるとは想定していなかった。


 当のラスカーは楽しそうに映画を見ている。一人で見始めたのが気付けば六人だ。エルヴィラ達はラスカーが案外賑やかなのが好きのか、と心の備忘録にメモ書きしておく。


「川を渡った先で隠れていた部隊の奇襲か。となると、退却していた部隊はここまでオオトモ軍を誘導する為の餌で、本当の狙いは伏せていた部隊と反転した囮部隊での包囲殲滅か!」

 これが四百年前の戦術か、とラスカーは驚嘆した。


 数で勝っていた筈のオオトモ軍の指揮系統は崩壊。哀れオオトモ軍は今来た川へ引き返すも、兵の大半がここで命を落とす。

(これは使えるんじゃないか!?)

『釣り野伏せ』と言われる戦術をラスカーは目に焼き付ける。必死になって脳に叩き込む。


 その後、オオトモ軍は自国領まで敗走するも途中で追い付かれ、指揮系統は完全に崩壊し、増水した河川に追い込まれ兵の大半が溺死した。

 この戦いによったイエヒサの家は九州の中で台頭していく、と言った所で映画のスタッフロールが流れ始めた。


「大変勉強になる映画だった………!さて、同志諸君出撃準備に間に合うように仮眠を取れよ。一時間後に会おう」

 意気揚々とラスカーは食堂を出た。久しぶりに有意義な時間を過ごせたように思えたラスカーだった。




 明朝〇三五〇。第四ハンガーでは中隊ブリーフィングが行われている。


「中隊長より訓示を頂く。総員傾注せよ」

 エルヴィラが軍靴を鳴らした。その音で隊の全員がラスカーに注目を寄せる。


「本日を以て機動演習は終了となる。長時間に渡ったFoTEの飛行は貴様らに苦痛、ストレスを与えだろう。初日では厳しい事を言った。だが、それらは全て貴様らの糧となり戦場に赴いた貴様らの血となり肉となり、そして党と人民の勝利に繋がっていると自分は信じている。我々は常に行動し結果を追求しなければならない。貴様らにとってこの機会がその為の有意義な演習となることを切に願うものである。以上だ」

「中隊、敬礼」

 第四ハンガーに軍靴のコンクリートを叩く音が鳴り響いた。


「総員搭乗! ノヴォシビルスクに一番乗りする気で行くぞ!」

「「了解!」」















『●●●●●●●●●』

 本日未明、シベリア鉄道ノヴォシビルスク駅を出た物資を輸送していた貨物列車が横転し死者多数を出した。鉄道関係者やノヴォシビルスク警察などが調査を開始。私のような新聞記者らもわらわらと集まっていた。

 横転した貨物列車の乗っていたであろう線路は断ち切られていた。そして大きな穴が空いていた。まるで地中に爆発物が埋まっていたみたいだった。

 次に我々は驚くべきものを見つけてしまった。

 線路の脇に●●●●●●●●●●●がたなびいていたのだ。今は懐かしき●●●。

 これが意味するところは? だがソビエト連邦共産党に弓引く行為だ。伊達と酔狂で出来ることではないだろう。

 そして勤勉なる●●●●である国家保安人民委員部の連中が現れ、我々の持っていたカメラを没収すると、こう言った。「君たちは今日、何も見ていない」とね。

 きっとこの旗の事は国家保安人民委員部の手によって●●●●●●●●●●●●●●●。

 この手記も、隠し持っているのがバレたら私は●●●●●。まぁ危ない橋は何度も渡った私だ。下手なヘマは打たないさ。

 何も見ていない。そう何も私は見ていない。たまたま線路の脇でボーっとしていただけなのだから。




 反革命分子・サボタージュ取締全ロシア非常委員会の規約に則り危険文書に指定。情報拡散を防ぐ為、焼却処分を申請する。1944.8。

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