第26話 シベリア広域機動演習Ⅰ

 モスクワ、ジューコフスキー基地から飛び立った一団の眼前に広がった広大な平原。そこには、ソビエト連邦という国家に暮らす人間ならば誰しもが思うところがある光景が広がっている。

 ある者は親が、ある者は友人が、ある者は恋人が。しかし、そこに向かった彼らの成れの果てを理解してしまっているばかりに誰もが口を噤んだ。


「此方大隊長より大隊各機。ノヴォシビルスクは目の前だ。長距離フライト、ご苦労だった。新兵達には少し応えただろう? 着陸した後、ブリフィーング室で明日以降の詳細な説明を行う。その後は諸君らの自由を保証する。問題にならない程度で羽休めしてほしい」

「「了解!」」

 湿っぽかった雰囲気が一転、休みがあると聞いた新任達の声は明るい。


 大隊の航路上に管制塔が見えはじめた。

 本日は快晴、電波感度良好である。通信の声も心なしかいつもよりもクリアな物だ。

「此方ノヴォシビルスクコントロールより強化機甲戦闘機試験大隊。着陸を許可します。繰り返します。着陸を許可します。ようこそノヴォシビルスクへ」


 管制官の歓迎の挨拶で迎えられ、大隊はその飛行速度を減速させ機体を前方に傾け着陸姿勢を取る。

 徐々にスロットルを絞り、滑走路を間近に捉えた所で加圧空気の層が主脚底面部、つまり足の裏に形成される。

 これはFoTEの自重量による着陸時の関節部にかかる負荷を減少させる為だ。

 かくして空気の層の上をホバークラフトが如く、あえて言うなればフィギュアスケーターのように滑りながら、大隊は優雅にランディングを終える。


 格納庫にて機体ステータスを呼び出し、目立ったダメージや許容値に収まらない負荷が無いことを確かめるとラスカーはコックピットハッチを開いた。


 パイロットの生命機能維持を兼ねるパイロットスーツを着ていれば充分に快適だったが、ヘルメットを外した途端に長い日照によって暖められた空気が肺に入り込んだ。

 人肌程度に暖められた空気といいのはえてして人間の好むものではないとラスカーは知っている。


 何処か懐かしさを感じる余韻に浸りつつ、タラップで20mという高さを降下し、地面に足を着けた。


 先に到着していた整備兵達が続々と格納庫に集まってくるのを尻目に大隊のパイロット達はブリーフィング室を目指す。早足で向かう彼らは軍人たる者かくあれかし、と傍目からは見られそうだが、実際の所は早く休みにしたいから急いでいるのだ。


 新任達の間にはピクニックにでも来たのか、という緩い空気が漂っていた。どうにも学生気分が抜けきっていないようだった。

 彼らは聞かされていないのだ。このノヴォシビルスクに来た本当の理由を。彼らがソレを知るのはそう遠くないことをラスカーは知っていた。




 ブリーフィング室には総勢で六十人弱の軍人が集まり、大隊長であるザイシャの説明を受けていた。


「さて、今回のシベリア合同火力演習は………まぁ、今回ってのが初めての第一回なわけだけれど………、我々連邦軍がホストとなり大日本帝国軍のFoTE運用部隊、アメリカ合衆国軍のFoTE運用部隊と合同で演習を行う事になる。目的は単純で明快だ。新兵器であるFoTEの操縦技術の更なる向上と発展。運用するにあたっての戦術の開発と考察を図るものとなっている。あとは整備班の方でも知識交流だったりノウハウの交換だったり………FoTEに関する情報の大交換会みたいな物だと思ってくれてもいい。このシベリア合同火力演習が開催されるのが今から七日後だ」


 シベリア合同火力演習の開催が七日後というザイシャの口振りにパイロット達は困惑の色を隠さなかった。

 ブリーフィング室が一段と賑やかになる。


「静粛に。これは各中隊長と副官にしか伝えていない事だ。びっくりするのも仕方が無いと思う。今からこの七日間、我々が何をするのか説明をする」

 ザイシャがここで一度区切った。静まりかえったブリーフィング室で誰かが喉を鳴らした。


「明日より第一、第二、第三中隊に分かれシベリアで機動演習を行う。副官、地図を」

「はっ」

 副官であるグリゴリー・キルコーロフ大尉がモニターにシベリアの地図を表示させた。


「さて、画面上の地図を見てほしい」

 ザイシャが地図を指すと地図上に幾つかの赤い点が現れる。


「この赤い点が示すポイントを全て周りノヴォシビルスクまで帰還するのがこの機動演習の全てである」

 ザイシャは事も無げにそう言った。だが、広大なシベリアを横断するようにその点が走っている。


 東はウラジヴォストクから西はウラル山脈の麓までだ。凡そシベリア鉄道で列車が約七日間で移動する距離だ。


 知らされていなかった殆どがあまりに広い移動範囲に愕然とする。ラスカー自身聞かされた時は目の前の人物が素面かどうかしつこく確認したほどだ。


「この距離を渡りきるとなると機体にも非常に負荷がかかる。よってシベリア合同火力演習開催前の三日間は機体の整備に時間を充てる。よって四日間の間に全てのポイントを巡る事になる。質問はあるかな?」

 ザイシャがそう言うと一人が手を挙げた。


「補給は、どうなるんでしょうか?」

「いい質問だ。補給はこのノヴォシビルスクで行う。ウラジヴォストクからウラルに向かうにもウラルからウラジヴォストクに向かうにも結局ノヴォシビルスクの近くを通るからね。それにこの演習は最低限の武装のみを保持したまま行ってもらうから、武装キャリアに予備槽を積むことになる。まだ聞きたいことは?」

「い、いえありがとうございます………」


 休みに浮かれていた新任達の顔から笑顔が消えた瞬間だった。誰にだって分かるだろう。かなりの強行軍となることが。

 追加の予備槽を積むという事はノヴォシビルスクに辿り着くまでは休みがほぼ無いという事だ。


「あ、そうそう。防空軍の方々には協力してもらっていて、ある程度都市に近づくと守備隊の対空機銃とか防空軍の戦闘機がスクランブルしてくるので上手い事やるように。防空軍の演習も兼ねているのでそこのところよろしくね。他には? まだ質問がある人?」

 事情を聞かされたばかりの誰もが下を向いて俯いていた。


「無いようだね。それじゃ最後は真面目に………。コホン、この機動演習は連邦軍にとって意義のあるものでなくてはならない。戦時下、我々強化機甲戦闘機試験大隊戦闘部隊に多大なる燃料や資源の消費が許されているのは、それはひとえに我々が期待されているからに他ならない。今も同胞達は前線で戦っている。本来であれば我々もその任を負うべきだ。しかし、我々は現実には前線より遥か後方であるシベリアにいる。党の期待に我々は献身で返さねばならない。そして、シベリア合同火力演習は連邦の他に大日本帝国、アメリカ合衆国からも部隊が来訪する。その時に貴官らの稚拙な腕前を見せ、連邦が侮られる事を決して許してはいけない。それは強化機甲戦闘機試験大隊だけの事ではなく、連邦、党への侮辱にも等しいだろう。党が指導している連邦軍が資本主義国家の前で無様な姿を晒してもいい理由があるか? 一国家以上の代表として今回のシベリア合同火力演習に我々は参加するのだ。それを心に留めるように。長くなったが以上だ」


 アメリカ合衆国とソビエト連邦はその政治形態の違い故に友好的とは言えない。アメリカ軍部隊から見た大隊の評価が低ければそれはコミュニズムを掲げるソビエト連邦の評価にも間接的に関わってしまう。


 世界中の人民を救済するという高潔なる理想を掲げた同志ヂュガシヴィリの為にラスカーは立ち塞がる万難は排除されなければいけない。それを要求する国家の軍にラスカー達は所属しているのだ。


「総員、起立。敬礼っ」

 副官キリコーロフ大尉の声に、全員が立ち上がった。


「機動演習の開始は明朝〇四〇〇マルヨンマルマル。それまでは節度を守って、休むように」

 今から整備班は寝る間も惜しんで全機体の整備にあたるだろう。パイロットの方もアルコールの方は控えなければいけないし、これからの機体の稼働予定時間を考えれば睡眠も長く取らねばなるまい。従って休みとは漏れなく休むしかない。


 ザイシャは最後にそう言って締め括った。




「いやぁ………あそこまで嫌そうな顔されるといっそ清々しいまであるね!」

 ノヴォシビルスク基地の食堂でザイシャは暢気にそう笑った。

 話し相手は副官だろうか。ともかくテーブル二つ分離れている距離まで声を響かせられるとはなかなかの大声だ。


 中隊毎に座り分けされたテーブルで室内側から第一中隊、第二中隊。そして最も廊下側にラスカーが指揮を執る第三中隊が席を占めている。


 テーブルの賑やかさはそのテーブルの最も偉い人間に比例しているようで笑いが絶えないのがザイシャ・コーヴィッチ少佐が率いる第一中隊。比較的優雅にお食事をしているのがアニーシャ・ヴィッテ大尉率いる第二中隊。そして一番やりにくそうに各員がトレーの上の肉を突っついている第三中隊だ。


 第三中隊の面々がどうにか楽しく食事を行おうと奮戦しているがどうにも場が続いていなかった。

 なにしろ隊長がラスカーであり副隊長がエルヴィラだ。二人とも食事は迅速に行うタイプの人間だった。そして二人ともおしゃべりな同僚がいたお陰で話の振り方など知らないのである。


「そ、そうだ! トルストイ大尉! こうもゆっくりと話せる機会があまり無かったので少しトルストイ大尉について個人的な質問をよろしいですか!?」

「ん? あぁ…構わないが………」


 急に話しかけられたせいでラスカーはスプーンから豆を零してしまう。


「その、受勲式ってどのような感じだったのでしょうか?」

「どのような、とは? 質問は意図を明瞭にするものだ。えっと…」


(名前、何だったか………。あぁ駄目だ、思い出せない)


「コズィン・ミハイロヴィッツ少尉であります、大尉殿………」

 ラスカーの沈黙にミハイロヴィッツ少尉は苦笑いしながら自己紹介を行った。あぁ申し訳ないことをさせてしまった、と思いつつラスカーは質問に答える。


「まぁ北アフリカ戦線の解消で沢山の受勲者がいたから、ほぼ流れ作業のような感じではあったな。クレムリンの装飾は見事だったな」

 帝国時代の建造物をそのまま党の中枢として流用しているだけあって、大国の栄華を刻みつけたかのようだった事をラスカーは思い出した。


「おぉ! いつか自分も表彰台に上がってみたいものです!」

 ミハイロヴィッツ少尉の目が見開かれる。その目の先に憧憬と共にラスカーの姿が映っている。


「あぁ。実績を上げていけばきっとミハイロヴィッツ少尉も勲章の一つや二つ、簡単に受け取れるだろう」


 ミハイロヴィッツ少尉の目には大粒の涙が浮かび上がっていた。

「おいおい………泣くことは無いだろうに」

「お言葉ですが…トルストイ同士大尉殿は英雄であらせられますから…そのような方に励ましていただけるなんて、思いもしませんでしたので…自分、感動のあまり…つい………」


「英雄、か…」

 英雄。確かにラスカーの制服を彩る赤旗勲章は英雄の証かも知れない。だが、ラスカーは英雄という単語にどうも嫌悪感を抱いていた。

 英雄と聞く度に鼻の奥からアルコールの、葡萄の甘い香りがせり上がってくる。酒に溺れたモスクワの夜をラスカーに想起させるのだ。


 あの光景はラスカーにとって唾棄すべき行為として脳裏に刻まれている。


 ラスカーはスプーンをトレーの上に戻すと、徐に立ち上がった。


「色々あって挨拶をするのをすっかり忘れてしまっていたことを謝罪しよう。この度、貴様ら第三中隊の指揮を仰せつかったラスカー トルストイ大尉だ。俺は、一軍人として、一人の人間としてナチスの残虐非道な在り方が許せない。目の前にナチスの手先がいたならば俺は必ず貴様らに殺せと命じると思う。任官して間もないような連中もいるだろうが、引き金を引く際、少しでも躊躇を覚えたなら俺のこの言葉を思い出して欲しい。貴様らの罪は俺が命じる事であって貴様らに何の責任も無いことを。軍に入隊した時点で貴様らには殺人の義務が課せられている。だが常に忠実であれ。勤勉であれ。貴様らが軍務を全うしている間は俺が貴様らの犯す罪の一切を背負う、とな。そしてその誠実な貴様らに俺は最大の敬意を払う」


 支えてくれる存在は遥か遠く、心のうちには失望の虚影ばかりが渦巻いている。

 今は遠く朧気な彼女に少しでも近くある為に。その有り様に忠実であれ、果たすべき使命の為に勤勉であれ。ラスカーはそう考えるようになっていた。


 急なラスカーのその言葉に第三中隊の面々は目を丸くする。しかし、すぐにその表情は使命感を帯びたものへと変わっていく。

 エルヴィラやミハイロヴィッツ少尉がしきりに手を叩くのにつられて拍手まで起こってしまう始末だ。


 ラスカー自身、不意に口をついた言葉を並べ立てただけであり、対処に困っているうちに、他のテーブルも何事かと第三中隊に注目してしまっていた。


 最終的にこの食堂で最も騒ぎを立てたのは第三中隊なのだった。

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