第43話 黒の嵐Ⅰ

 正暦1944年 12月10日 ジューコフスキー基地にて


 暗緑色に塗装された連邦軍の二機のモシェンニクが演習場で射撃兵装である『AC-44』ライフルを撃ちあっている。もちろん実弾ではなく被弾したかが他人の目からも明らかに出来るペイント弾だ。

 遠目から監督しているラスカーも彼ら慣熟具合には首肯する。

 今、モシェンニクを操縦しているのは軍人ではない。

 共産党青年団コムソモールから、前線の押し上げによって手薄になった首都モスクワの警護をしたいと志願してやってきた青年警護団の有志達だ。

 青年警護団の団長は二三歳。その歳でのナノマシン移植はナノマシン定着率から言うとかなり際の際だったが、団長は相当の幸運の持ち主だ。


 ラスカーの仕事は彼らの操縦を第三者の視点から指摘し、戦技、操縦の指導を行うことだ。

 双眼鏡を覗きつつ、ラスカーは不意に思った。

 一か月でよくもここまで、と。

 職業軍人として三ヶ月のパイロット促成練兵コースをこなす訓練生とは比べられないが、手術間もない身体でここまでFoTEを扱えるなら、首都護衛部隊…とまで行かなくても壁にはなり得るだろう。


 彼らの党的忠誠心に起因する勤勉性は、見事なものであるとラスカーは評価している。


 と、一機のモシェンニクの機体装甲を黄色の塗料が汚してしまった。

 コックピット付近に斑模様を作ったソレを実弾に置き換えたとすれば撃墜は確実だ。

「メジコフ機撃墜と認む。演習を終了せよ、繰り返す

、メジコフ機は撃墜。演習を終了せよ」

 ヘッドセットのスピーカーから、それぞれ息付く声と悔しがるような溜め息が聞こえる。


 勝者となったメルヴィンスキー機は講義でラスカーが教えた通り、絶えず機動を繰り返していた。

 自分の提唱した論理に基づいた戦法がそうでないものよりも優勢だったことの事例を得られた。


 連邦軍が主戦場としている平野部では睨み合う両軍は互いに防御陣地を構築している。目の前の陣地を突破し後続の道を拓くことこそ、ラスカーがレポートにまとめ強化機甲戦闘機試験大隊改め、総隊司令部に提出した『楔打ちクリン・ドクトリン』。

 目標の敵軍陣地があると仮定し、FoTE部隊は目標に向かって部隊単位の回避機動を取りながら接近し、面的防衛陣地に対し集中的な攻撃を与え、楔を打ち込むとともに後続の機甲部隊や歩兵部隊が敵軍陣地内部に浸透し目標を制圧する。


 使い古された古典的とも言える戦術ではあるが、一度認可された以上、試験をするべきとの判断がすでに下っている。試験的にジューコフスキー教導隊も前線に赴き、有用性もしくは棄却されるべき問題点の洗い出しが行われる予定だ。


 ラスカーは溜め息を零す。

 それでも、自分の考案した戦術が通用するかどうか、他人の命を以て検証するという事の責任は重大だ。これは演習ではない。実戦なのだ。

 現場には有用で効率的な事柄こそが尊ばれる。そう言った洗練化されるべきという思考こそ人間の知性の顕れなのだ。そうは理解出来ても重責を緩和するには到底足りない。

 心底、自分がまだまだ大人ではないことを思い知らされる。


「浮かない顔だな。同志大尉。あなたからすれば警護団の技量は児戯も同然に見えるかね?」

「そうではない同志政治委員殿。寧ろ彼らは賞賛を受けだけの権利を持っている。彼らの弛まぬ努力を児戯などと笑えるものか」

 ならば何故、とレオニードが問を投げ掛ける。

「自分自身の器を嘆いているんだ。同志政治委員。戦場帰りの威厳や自信は一月もすれば薄れてしまうらしい」

 背を追うべき上官を失い、代りに道を作らねばならない後進の存在がそう思わせるのだろうか。

「時間と環境が人間を育てる。客観的にそうやって出来上がった自分を理解できる者こそ賢明な人間だ。党はそういった人間こそ求めている。無能に食べさせる缶詰もないのが戦時下だ。積雪の下で春の雪解けを待ちたくなければ、知性ある人間として有益な仕事をしよう。私も同志大尉も」

 全くその通りだと理解する。

「それではな。青年警護団の同志諸君の方は任せたまえ。同志大尉は、自分の為すべきと思うことを為すといい」

 レオニードはそう言い残すと青年警護団のいる演習場のフェンスの先へと歩いて行ってしまった。


「為すべきこと、か」

 ラスカーにとって、それは長い間、復讐だった。しかし、人の温かさに触れて、ようやく血と泥濘を踏み行くばかりの道ではないのだと知った。

 考えるのだ。ラスカーもまた、一人の知性ある人間である為に。








同日 シェレメチェボ防空軍レーダー基地


「レーダーに感! 南西、絶対制空圏の影から複数の反応が直進してきます!」

 グメリン少尉が発した声に、管制室内の全員の将校の顔が厳しくなった。

 実直に軍務を果たす彼らの表情は常に強面だが、グメリン少尉の報告は輪をかけてそれを強くさせる。


「同志少尉、民間機や反応のあった空域で演習をしていた部隊のものではないのか」

「はっ。同志大佐。この時間は民間の航空機の飛行許可は出ていません。それにドイツの絶対制空圏の近くで空軍機が演習をする、などという予定も聞いておりません」

 ドイツの絶対制空圏、ローレライの中ではドイツ軍が散布したジーメンス粒子という単体で電磁波を放つ磁石的な特性を持った特殊な粒子が粒子間で複雑な電波反射を繰り返すことで、対策がなされたドイツ籍以外の全ての航空機に搭載された電子機器は機能を止めてしまう。

 ローレライの傘の真下にいなくても、付近を飛行するだけでもレーダーなどには影響が出てしまうのだ。その為に、軍務を除き航空機は空中の危険地帯を飛ぼうとはしない。


 そのはずなのだが、この影は絶対制空圏から突如として姿を現した。

 ノヴァク大佐は暫し考えるポーズをすると、思い当たった事態に対して恐ろしさとそれを超える危機を感じる。

 自分の予想が外れていることを願いつつ、ノヴァク大佐は困惑する部下達に指示を下した。

「スクランブルを要請し、レーダーに映り込んだ影を直接確認させろ。早急にな」

「はっ!」

 ノヴァク大佐の号令一下、士官らは先程までの混沌が嘘のように、己の職務を全うするべく行動を開始する。

 しかし、とノヴァク大佐は思案する。

 これに似た反応があったことをノヴァク大佐ははっきりと覚えている。

 大祖国戦争開戦当初、電撃的な作戦展開によって反撃が遅れた連邦軍は為す術もなく、首都直前までドイツの攻撃部隊が迫ってきていた頃の対空レーダーもこれと全く同じ反応を指し示していた。

 モスクワに迫った戦略爆撃部隊の群れ。最精鋭の機甲師団。そう忘れられるはずもない。


「嵐が来るか…」

 憚った小声が管制室内の喧噪に掻き消される。

 杞憂だとノヴァク大佐はコーヒーを呷る。雑な苦味が夢ではないことを確かに告げている。


「同志大佐、第一小隊が六〇〇秒で発進出来るとのことですが………」

「遅い! 何のための無駄飯食らいだ! サボタージュの疑いで政治委員に突き出すぞとでも言っておけ! いいか、三〇〇秒で上げさせろ! それと、中隊規模で確認に行かせろ!」

 弁明の余地もないが、言わせてもらえるならばこの事態は想定されているはずだった。活躍の場を、とばかり思っているが、基地内には弛緩した空気が漂っていることは否めないようだ。


「ジューコフスキー基地の方にも連絡しておけ」

「はっ………?」

「なんだ副長。それは返事かね?」

 ノヴァク大佐にも副長の心情は理解出来る。

 新しい兵器兵装を扱う部隊を創設するから立ち退け、と言われたのは一年前。記憶に新しい。


「未確認機の数、敵機と仮定するとどうも妙だとは思わないか。私ならばこの数で首都奇襲爆撃となれば夜間を選ぶ。だが、まだ日も高いこの時間にこの影は現れた。余程の自信があるのだろう。ならば、こちらも予備策を貼っておくのは当然ではないかな?」

「私情を挟んでしまい、申し訳ありません同志大佐。直ちに!」

 あぁと言って副長を見送る。

 ノヴァク大佐は無線機のマイクフォンを取り出すと、進発前の戦闘機中隊に無線を繋げた。

「此方、シェレメチェボ・コントロール。怠惰を享受していた同志諸君、急なスクランブルで済まないが君達はこれから党とその主義を守る崇高な任務に就くことになる。此方のレーダーには依然として未確認機がココ、モスクワを目指して飛行中である。未確認機が敵機と判断された場合はこれを速やかに撃滅、敵の攻勢に対処し切れない場合は遅滞戦闘に務めてほしい。すでに増援要請をジューコフスキー基地に打診している。だが―――


 空の男達よ。我々からジューコフスキー基地を奪い取った彼らに空の防人としての矜持まで奪われていいのか?

 

 出番が欲しかったろう、活躍の場が欲しかったろう。空を取り上げた歌姫の声もここまでは届かない。同志諸君、本当の空戦をさせてやる。諸君らの敢闘、奮戦を私は切に期待する。以上だ」

 ノヴァク大佐はマイクフォンを戻した。不意に音がして、振り返ると副長が手を鳴らしていた。


「感服致しました同志大佐!」

「無駄飯食らいも仕事をしなければならない状況だからな。さて、副長。我々も職務を全うしよう」

「はっ!」


 ノヴァク大佐はレーターに目を落とす。

 既に見つかっていることは向こうにだって分かっているだろう。

 それでもなお、愚直に突き進んでくる彼らの不敵さには嫌なモノを感じてならない。

 まるで恐怖などないと言っているようだ。

 たった数機での敵地浸透で恐怖心を抱かない。戦争に慣れきった軍人。

 そんな人間はきっともう人間ではないのだとノヴァク大佐は哀れみを抱く。


「中隊、進発します」

 管制塔からは空に飛び立った十八機の鉄鳥の勇姿が脳裏に焼き付けられる。それはノヴァク大佐ら空軍という組織に属する人間の誰もが待ち望んでいた憧憬だ。








「シェレー01より中隊各機、同志大佐殿の演説は聞いていたな。ありがたいことにようやく我々にもお鉢が回ってきた。しかも、首都防衛戦ときた。空に憧れた猿ども、糞に変えてきた飯の分はしっかりと仕事しろよ」


「「了解!」」


「シェレー01より、シェレメチェボ。アンノウンを視認した。航空機じゃあないぞ、FoTEだ! 数は四機!」

「撃、退は可能か、メニコ、フ同志中、尉」

 これ以上基地から離れると無線通信は効かなくなる。ノイズ混じりの声はモスクワから離れていることを示す。

「情けないが、中隊はまともに空戦をした事がない連中が殆どだ。率直に言うと厳しい」

「了解した。増援が戦闘空域に向かっている。それまでは遅滞戦闘に務めよ同志中尉」

 そうだろう、とメニコフ中尉は応答を返した。


「戦域データリンク! アンノウンは赤だ! 青に弾ァ当てるんじゃねーぞ童貞ども! 散開!」

 メニコフ中尉の号令で、中隊は二機編隊に分散した。

 脊髄接続によって機外カメラの映像がメニコフ中尉の網膜に投影されている。

 赤いターゲットサイトにはアンノウン、ドイツ軍機の姿が映し出されている。

 対FoTEを想定した訓練で使われていた機体『クレーエ』とはフォルムが違う。

 新型のようだ。

 メニコフ中尉は乾いた唇を舌で湿らせた。


「盾持ちと、見るからに背中に何か仕込んでる奴が三機………、さて、どう反応してくれるかね?」

 メニコフ中尉は牽制射撃で機関砲の30mm弾をばら撒いた。

 敵FoTEは編隊を散らさずそのまま向かってくる。


「ミサイルが無いと馬鹿にしやがってッ!」

 この電磁波の海の中では、ミサイルに搭載されるコンピューターなんてものは簡単に壊れてしまう。浅瀬でさえミサイルは目標に向かっては動かない。

 メニコフ中尉は後部リフトコンテナを作動させる。中に詰められているのは一基四発、二基総数八発の無誘導ロケット弾だ。


「中隊各機、タイミング合わせろ! ズルカルナイン、発射ァ!」

 無誘導ロケット『ズルカルナイン』は中隊一八機から一斉に前方に向かって放たれた。その数、実に七二発。

 ズルカルナインは濃密な弾幕を形成しドイツ軍機の方向に猛進していく。

 着弾の結果を見る前に中隊は機首を上げて高度を上昇させ離脱していく。


「どうだ………驚いて何発か当たってると嬉しいんだが」

「中隊長! 背後に付かれました! あ、あぁ…うわぁ!?」

「シェレー09!? クソがッ!」

 シェレー09のビーコンが消失した。意味することは分かりきっている。

 メニコフ中尉には感傷に充てる時間は一秒足りとも存在しない。

 メニコフ中尉は一八〇度、ターンして敵機に機首を向ける。


「テメェか! テメェがキーリを!」

 その視線の先にメニコフ中尉は殺意を向ける。

 盾を持った黒いFoTE。パーソナルマークは翼を生やした盾。だが、それは紛うことなく悪魔の姿だ。


 30mm弾ではFoTEの装甲には傷を付けられない。ならば、あの背部の推進用アポジモーターだ。弱点丸出しのそこを30mm弾が貫いてくれたなら、勝ち目はある。

 シェレー01は急降下しながら、盾持ちに迫る。地面と中央に黒い点。本能が恐怖を叫ぶが、戦意と殺意がそれを押し込める。


「コンテナ、パージ!」

 加速の為に後部コンテナを機体からパージさせる。

 余分な重量を排した機体は矢のように、盾持ちだけを狙って突進した。

「キーリにはな、故郷でガールフレンドが待ってるんだよ! キーリにはなァァァァ!」

 射程に入った瞬間、強い衝撃がメニコフ中尉を襲った。エアバッグが作動したが、衝撃は肋骨を容易く砕く。


「どうした…どうした!?」

 顔を上げた先に、巨人の光る双眸があった。

 その巨人はメニコフ中尉の機体を四本の腕で押さえ込んでいるのだ。

 盾持ちが剣を抜き放つ。そして、コックピットに狙いを付けて刺突の構えを取った。


「あ、あぁ………」

 これほど恐ろしいことがあるだろうか。今、メニコフ中尉の前で20mの兵器を破壊する為の兵器がゆっくりと確実に自分を殺せる角度と位置を調整している。

 あれで潰されれば、骨も肉もミンチになって、自分という存在は人の形を留めずに死滅する。


「アァ! アアアァ!?」

 メニコフ中尉は狂ったように機関砲のスイッチを押すのだが、それは地面に穴を増やすだけだ。


 盾持ちはメインセンサーに紅い光を湛えた。




(これほど、恐ろしいことを味わったことがあるか?)


「こんなのが人間の死に方なのかよ………!」

 盾持ちはゆっくりと、嬲るように剣を押し込み始めた。


(いいや、無いな)

 走馬灯は静かにそう締め括った。

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