第42話 人は無価値に意味を見る

正暦1944年 11月22日


 ヴォイニーツキーが主に勤務する、デスクが用意された執務室には、二人の将校がヴォイニーツキーと向き合うようにして居並んでいた。

 左側をラスカーが、そして右側には眼鏡を掛けたラスカーより歳上の男性が立つ。

 彼は髪を刈り上げ、実直かつ理性的な風貌をしていた。

「あぁ、ジューコフスキー教導隊がようやく揃い踏みだ。トルストイ同志大尉。紹介しよう。彼はレオニード・エデルギリエフ同志政治委員だ」

 ヴォイニーツキーの紹介で、レオニードがラスカーの方を向いた。

「レオニード・エデルギリエフ政治委員だ。同志大尉。これからよろしくお願いする」

「ラスカー・トルストイ大尉だ。よろしくエデルギリエフ同志政治委員殿」

 政治委員つまり政治将校だ。軍内でのプロパガンダと党的忠誠心の保持を目的とし、上官すら罷免しうる権限を持っている。

 今までジューコフスキー基地にはいなかったはずだが、いよいよ隊も政治色が色濃くなってきたという証左だろう。シビリアンコントロールとは聞こえはいいが、連邦軍と党では果たしてどちらが抑制されるべきか。それに議論の余地は無い。

「顔合わせも済んだところで、早速と言うかようやくと言うか我々の初仕事だ」

「「はっ」」




 初仕事。それは前線に送られる前の訓練生に稽古を付けてやることだった。

 ジューコフスキー基地は現在、FoTEのパイロットを生産するシステムを構築しつつあった。

 機体OSにはパイロット補助が組み込まれ、講義によって操縦に冠する知識を学習し、そして教導部隊による実機演習がセットになり、そして訓練生を前線に送り出すのだ。

 そう考えると、自分が大きな機械の歯車のようだった。


「カマンディルと比べると重いな…」

 ラスカーは連邦軍の練習機TypeJ-42モシェンニクのコックピットの中にいた。コンソールを適当に弄って確認事項をクリアしていく。

 基本動作を試すと、練習機であるモシェンニクとカマンディルの性能差に困惑してしまう。

 身体に重りを付けているみたいだ。

 モシェンニクは大日本帝国軍の42式カワセミをベースに小規模な改装を施した機体だ。具体的に言うならば簡略化、オミット、引き絞りである。

 徹底的に、元々のカワセミが有していた性能を各種国産部品の置換によって簡略化し街工場で効率的に生産出来るように改良したと言えばいいのか。

 性能比較など恐ろしくて口にも出来やしない。

 日本的機械工業の精緻をこれでもかと凌辱した結果のモシェンニク―――『詐欺師』と言うわけだ。


「よ、よろしくお願いします。トルストイ大尉」

「軽く揉んでやるから掛かってこい」

 まぁ文句を言ったところで性能が上がるわけがない。

 一人目の相手がバトルアックスを構えた。モシェンニクの近接用兵装だ。チェーンブレードがモシェンニクには取り付けられていないのが少し残念に思えてしまう。


「寸止めとは言え、俺を殺す気で来い訓練生」

「え、は、はい!」

 ラスカーが言った途端、直線機動で訓練生は機体を加速させた。

 バトルアックスを高く振り上げ、そして素直にラスカー目掛けて振り下ろした。

 ラスカーは少し左側に機体を逸らしただけで避ける。だが、そこでラスカーは自分の失敗を悟る。次の一撃の反応が遅れる。シミュレーション訓練をしていただけあって、訓練生でも易々と実機を動かしている。いや、モシェンニクのデータで訓練していた訓練生の方が今のラスカーより動かせるかもしれなかった。

 ラスカーはスラスターを垂直噴射させる。機体を強引に持ち上げて、視界を確保する。間一髪で斬撃を躱すことが出来たようだ。

「リハビリが必要か………」

 立ち回りの癖を治さねば訓練生にすら殺されかねないらしい。

 ラスカーは少し離れた位置に着陸する。それは常に訓練生を視界の右に取れる位置だ。

 訓練生はラスカーを再視認するとまたも突撃してくる。今度は右側に交わし、バトルアックスを振り切ったタイミングでモシェンニクのメインカメラを頭部ごと上に向かせ、コックピットにこちらのバトルアックスを装甲に傷付かないように触る程度で当てた。

 キン、と金属音が小さく鳴った。

「こんなところか…?」

 シベリアの演習は当てて良し所か死人すら出る次元の物であったために、寸止めは初体験であった。

「参りました………」

 インカムから降伏する声が聞こえて、初めての模擬戦闘が終了になる。


 一息付こうとしたラスカーのインカムからテノールバスの男性の声で話しかけられる。

 レオニードは制服姿のまま用紙に筆を走らせ、片手で咽喉マイクを押さえている。

「同志大尉はそのまま。次は転向組の兵士との模擬戦闘をやってもらいます」

「え、あぁ。分かった」

 息付く間もなく、別の練習機が初期位置にセッティングされる。


「模擬戦闘始め」

「レイラ・クズ・ボリエフ伍長、行きます!」

 また、号令と同時に飛び込んで来た。

 そうか、そう来るのかとラスカーも機体を加速させる。

 加速された大質量が衝突する。鍔迫り合いになれば小手先の技が必要になってくるのだが、伍長は何も考えていないのか、スラスターの秒間燃焼量を増やす事でごり押してくる。

 ラスカーは一瞬左に機体姿勢を傾けさせ、すぐに右に姿勢を倒した。ついでに刃先で柄を引っ掛けてやれば、そこには俯せに倒れてしまったモシェンニクが一機。


「そこまで。クレーン、倒れたモシェンニクを吊り上げろ。その後に整備を開始。模擬戦闘は一時中断だ。訓練生、並びに転向組はそれぞれ上官の指示に従え。この場は一時解散とする。再開の目処が付き次第、連絡する」

 文官らしい、レオニードの実務の手際の良さに思わず関心してしまう。

 レオニードの命令に従った訓練生は教官である軍曹の下に、転向組は最上級の士官の下に集合を始める。


「同志大尉。スケジュールという物があります。以降、要らぬ面倒でそれが破綻することのないようお願い申し上げる」

「りょ、了解した…」

 お飾りの部隊長と雑務を任された副官、そして唯一の戦闘員である副長という部隊編成上、そして連邦に蔓延る政治的慣習から、その男にラスカーは頭が上がらない。

 実質上部隊を掌握しているレオニード同志政治委員はため息を零すと、室内に戻ってしまった。

 もう十一月。珍しく晴れていたモスクワにも気紛れなる冬将軍の魔の手が音もなく忍び寄る。

 モシェンニクの暗緑に白の斑点模様が浮かび始める。


(降りるか…)

 コックピットハッチを開き、ワイヤーを掴んで白がかった灰色の地面の上に足を着ける。

 中に戻ってコーヒーでも飲もうかと考えていたラスカーに突然声が掛けられた。

 振り返れば、女性が立っている。見慣れ、懐かしいその顔は少女的な可憐さから女性的な美しさにパラダイムシフトされており、ラスカーは言葉を失った。


「ア、アリア…」

 ラスカーが名を呼ぶよりも早く、その身が押し倒された。

 身体にのしかかった柔らかで暖かな彼女を、ラスカーは無意識に抱き留める。


「お、おいアリアナ・カシヤノフだろ?」

 ラスカーの記憶にあるアリアナ・カシヤノフは長いブロンドの髪をしていたはずだが、今のアリアナは肩に触れるかどうかの辺りでバッサリと切られていた。

 彼女の背中に当てた手を離そうとすると、今度はアリアナの方がラスカーを抱き締めた。

「何か言えったら…というかいつまでそうしてるつもりだ………」

「北部戦線に居た時と同じ顔してる」

 アリアナを引き離そうとしていたラスカーの手の動きが止まる。

「アリエイダ隊長がアンタを庇って死んだ時のみっともない顔してる」

「そう、か…。そうだろうな」

 北部戦線には死神がいる。死の丘に陣取り、ひたすらに赤い脳漿を飛び散らせる白い死神が。

 それにのせられたラスカーを庇い、敬愛すべき人を失った。

 取り乱して取り乱して…あの時はどう収まったのだろうかと過去に思いを馳せる。


「尊敬していた人と、大事だった部下を同時に無くした。俺は自分の行いが、していた事が分からなくなった…」

 奪われぬように壊してきた、殺してきた。それが跳ね返ってまた奪われた。イタチごっこだ。復讐とは非生産的な行いだった。誰だって報われてはいない。

 最愛と、エルヴィラは言った。ラスカーを人と。こんなどうしようもなく無駄な男を。

 どうして失ってから気付くのか。気付いてしまわなければ自らの業の深さに立ち止まることも無かっただろう。自縄自縛だ。自らの行いに足を引っ張られている。


「ラスカーのやってきた事は無駄じゃない」

「無駄だ。無駄と矛盾で満ちていた。何をした所で結果は俺から遠ざかっていく。救えない。俺は誰も救えない」

 ポートサイドの時に奴を殺していれば、ドイツ軍の撤退を阻止出来ていれば、俺がもっと強ければ救えた命が目の前にあったのだ。


「救われた人間は確かにいる。エジプトなんて連邦軍だけじゃない。何万人もの人の命を結果的に救ってる」

「そんなのは………見ず知らずの人間を助けたところで、俺は俺の知ってる人を守れない…俺は別に」

 救世主になりたいわけじゃない。

 軍や士官学校に志願した理由は愚かで非生産的な両親の復讐の為。しかし、その復讐は果たされず、近しい人間ばかりが死んでいく。

 限界なのだ。復讐だけでは。左目と共にラスカーは多くの物を失った。それには戦う理由も含まれていた。

 無価値なものに、無意味な物のために、自分は更に傷付かねばならない。それを自覚してしまうと、今まで持っていた覚悟は寒風の晒されて冷えきって青ざめた。

「私は知ってる。守れた人間も確かにいた事を。その人まで否定しないで」

 アリアナの、ラスカーを抱き締める両腕に力が込められる。

「そんなのいるわけが無い!」

「いるわよ! 私が!」

 ラスカーが自分の胸の中のアリアナに視線を合わせる。

「な、に…?」

 ラスカーは戸惑いを隠せない。

 アリアナは涙を流していた。


「ここで今日、生きてるラスカーを見れただけで私は救われた気持ちになった! 突き放しておいて勝手だけれど、私がラスカーを忘れたことなんて一日足りとも無いわ! ずっと会って話がしたかった…こうして抱き締めてほしかった。この際だからはっきり言うと、私はね凄く嫉妬深い女なの。ラスカーを独り占めしたい。私だけと話してほしい。他の女と話してほしくない。誰よりも私を優先してほしかった」

「アリアナ………」

 考えたこともなかった。ラスカーの中のアリアナという少女は完璧で統制された存在としてあった。自己矛盾に潰されない絶対的な見本だった。


「無駄に意味を見出すのが人間だよ。私はこの気持ちを恋だと思う。私はラスカーに恋してる。誰にも奪われたくないし、いつだってラスカーの隣にいるのは私じゃなきゃ嫌なの。だから、今度は離さない。ラスカーが苦しんでいるのなら、私はいつまでも隣にいる。世界中の全員が、ラスカー自身でさえラスカーを否定するなら、私だけはそれでもと叫んでみせる。それでもラスカー・トルストイは私がただ一人恋焦がれ愛した、人間だと」

「違う…俺は、そんな権利なんて元から無いんだ………。だって、父さんも、母さんも、エルヴィラも…みんな、みんな遠くに行った、死んでしまった………。次はアリアナまで死んでしまう………!」

 自己矛盾に満ちた心は風船の如く膨らんで、今にも破裂してしまいそうだ。


「私は死なない。あなたの傍にいる為なら、そこは私の死地にはなり得ないのだもの。私とあなたを引き裂くのは世界中のどんな人間だって役者不足だわ」

 アリアナはラスカーの頭を撫でる。細い指はプラチナブロンドの髪を梳く。それは在りし日の母の手つきによく似ていた。

 堪えなければとラスカーは空を仰ぐ。

「我慢しなくていいじゃない。私はそうするわ」

 アリアナの手がラスカーの顔を引き寄せた。

 顔と顔の距離がずっと近付いて肌が触れる。

 寒さの中でも確かに温かさがあった。ずっと探していた温かさだ。


 霧が晴れるようだった。暖かな太陽がその顔を覗かせる。

 少年は着込んでいた鎧を脱ぎ払い、やがて自分の意志に気付くのだ。

「俺は……―――」

 開かれた少年の口は、もう一度温かさに包まれる。

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