第44話 黒の嵐Ⅱ
ターゲットサイトを限界倍率まで拡大する。
送られてくる視覚情報はモザイクと似たようなものだが、空中の中で黒という機体色はあまりに悪目立ちしている。
TT-57携行機関砲の黒鉄の砲身を南部戦線以来の仇敵に差し向ける。
少年の内で標的の色と変わらないどす黒い感情が沸き立ってくる。
今までならば、容易にそれに飲み込まれていたはずだ。今までならば。
「エルヴィラ。俺に同胞を守る為の力を貸してくれ」
祈りを捧げ、吐息と同時に引き金を引く。
薬室内に収められた劣化ウラン弾の雷管が起爆し発射薬が爆裂する。その爆発の衝撃が劣化ウラン弾自体を撃ち出した。
マズルの先から閃光と共に射出されたソレはまるで導かれるように、宙空を駆け抜け、忌むべき黒十字の騎士を直撃する。
正暦1944年 12月10日 ジューコフスキー基地
非常呼集の号令がジェーコフスキー基地で職務に従事していた強化機甲戦闘機試験総隊を震撼させる。
ドイツ軍による首都直撃作戦の疑いあり、という伝文が唐突に駈け込んで来たのだ。
間もなくエリョーメンコ少将の指揮の下、即応した航空隊を援護するべく可動機とそのパイロットにはあまねく招集が掛かったのだ。
「トルストイ同志大尉、大尉のType-42Jは運用試験を予定していた装備を取り付けてありまして………今から外すとなると………」
「そのまま出る」
構わない、とラスカーは整備主任へにべもなく答えた。
「長距離砲撃用パッケージは一度だって試していません。専用の兵装に至ってはこちらの力不足で調整が遅れていてまだ使えません。それでもよろしいんですか?」
「よろしい、よろしくないの話ではないだろう。使える機体を使って出るしかない。整備班は出来るだけのことをやってほしい」
ラスカーの返答に整備主任は分かりました、と答えると振り返ってラスカーの搭乗機をチェックしていた整備兵達に向かって怒声を張り上げた。
ラスカーは改めて、自分専用になったType-42Jモシェンニクを見上げる。追加バックパック・パッケージによって全高19mに水増しされた赤色のモシェンニクを。
肩部装甲表面には勲章保持者に贈り物と整備班の好意でラスカーのパーソナルマークが描かれている。稲妻を噛みちぎらんとする猟犬のエンブレムだ。
「大尉、こちらが長距離砲撃用パッケージのマニュアルになっています。出撃までに目を通しておいてください。アレ、結構な
「だろうな。整備班の腕に期待、だな」
マニュアルを手渡してくれた整備兵も敬礼をして足早に作業に戻っていく。
運用テストは三日後の予定だったために、出撃直前のマニュアルの確認になってしまう。
ラスカーは重要な部分だけを流し読みして、一通りのシミュレーションを脳内で行ってしまう。実際は脊髄接続のおかげで初見でもどうにか乗れてしまうのだが、前もって予想を立てておけば、あとは実機との差異を埋めるだけだ。
不意にマニュアルから目線を外すと、訓練生の一団が教官の前に整列している。
可動機は整備主任の話だと一二機、一個中隊程らしい。
機種転換中だった戦場を知っているパイロットは八人、補充で四人の新兵が戦場に赴く事になる。
見るまでもなく、訓練生達は戦意に充ちている。教官が志願を募った瞬間、訓練生の殆どが声を張り上げ部隊参加を志願する。
「貴様ら! ピクニックに行くのではないのだぞ! 貴様らはこれから死にに行くのだ! 馬鹿どもが雁首を揃えおって!」
「「申し訳有りません教官殿!」」
ですが自分を行かせて下さい、と訓練生達は息巻く。もう巣立ちなのだ。
しかして、覚悟無き戦意は無用である。
「同志軍曹」
「同志大尉殿…! 敬礼!」
ダンと軍靴がアスファルトを叩く。ハンガーの喧騒の中、踏歌は朗々と響き渡る。
「同志訓練生諸君」
「「はっ!」」
訓練生四〇余名の視線の先にラスカーは立っている。
「同志諸君らは戦場に赴くことを欲するか」
「「はっ!」」
「同志諸君らは連邦と我らの志の防人足らんと欲するか」
「「はっ!」」
訓練生達の目に偽りは無い。外国人が見ればよくよく仕込まれた鰯の頭に見えるだろう。だが、それがこのソビエト連邦という彼らの祖国なれば。その土地に根付いた人間なれば。
自覚があるかは知らない。だが、確かに彼らはこの国でこの歳まで生きてきた。それに僅かでも恩義を感じて銃を取ったのならば。
ラスカーは左目を覆っていた眼帯を外す。閉じた瞼には裂傷の痕が色濃く残り、その下の眼窩には収まるべきものは無い。その傷を訓練生に見せ付ける。
「戦うとは、失うことだ。守るとは奪われることだ。守ろうとして奪われ、奪わせんとして守る。これは人類が古代から繰り返してきた慣習だ。同志訓練生諸君に問う。守るべきモノの為に諸君らの命を奪われる覚悟はあるか。眼球を、右腕を、左腕を、右足を、左足を。敵兵士に奪われる覚悟はあるか」
訓練生達はどよめく。当然だ。簡単に理解されてはラスカーの立つ瀬が無い。
ラスカーはいずれ彼らが辿る足跡を示す。愚かな自分の不毛なる道の先を。
「諸君らはすでに連邦軍人だ。連邦軍人とは連邦とその志を守護しなければならない。連邦は諸君らの命を要求する。連邦は躊躇わない。連邦は諸君らの献身を歯牙にも掛けない。だが、連邦軍人は戦わなければならない。そこには守るべき理想、守るべき郷土、守るべき人民がいるからだ。醜悪なる戦場に立つ同志よ、忘れるな。我らの後ろに我らはいない。我らの前にも我らはいない。同志諸君、防人足らんとした我らの背後には諸君らの愛した祖国しか存在し得ない」
我ながら臭い演説だ。こんなことすら実感出来なかった根無し草が何を言っているのだろう。ラスカーは自分を嗤う。
失った左目がようやく少年が守らなければならなかったモノを見通したようだった。
「同志訓練生諸君に問う。覚悟ある者だけが志願せよ。この場に於いての一切の発言を他者が咎めることを自分が禁ずる。覚悟の決まった
同日 モスクワ近郊上空
「こっちも派手な赤備えなんだ………向かって来いよ盾付きッ」
赤の巨人―――モシェンニクの構えるTT-57携行機関砲が射線上の黒の巨人―――ラングシュベートを再び捉える。
引き金を引けば、劣化ウラン弾が空を切り裂いてラングシュベートに殺到する。だが、今度は盾を構えてこれを防ぐ。
「シェレー中隊、遅くなって申し訳ない。ジェーコ中隊ただいまより貴隊を援護する。ジェーコ中隊全機、盾付きは俺の獲物だが、それ以外は好きにして構わない。中隊全機、各員の技量を信じている!」
「「了解!」」
矢印型の編隊から散開しモシェンニク各機がドイツ軍機に張り付く。これに遅滞防御を務めてくれていたシェレー中隊の戦闘機も加わった。これならば質的劣勢も誤魔化せる。
ラスカーは一息、深く息を吐き、そして肺いっぱいに戦場の空気を取り込んだ。
左目が熱い。右目は異様に冴えている。
「エルヴィラ、見てくれているんだな」
エルヴィラ・ザノフ少尉が使用していたTT-57、グローム分隊の最後の忘れ形見。
それは遺憾無く、いや神懸り的なまでにその存在意義を全うしようとしてくれる。
ラスカーはさぁ、と呼び掛ける。
「いつぞやのお返しをさせて貰うぞ! アドルフ!」
ラングシュベートのセンサー越しにでも、搭乗者であるアドルフが獰猛に笑ったのがラスカーには分かった。
「随分と細っこくなったじゃないかァ、ラスカー!」
ラングシュベートの背部大型スラスターの爆発的な噴射、そして急加速。機体間の距離がみるみる減っていく。
「
ロケット推進弾を二発迎撃に使用し、長距離砲撃仕様になっている赤のモシェンニクは後退しかる後に反転、都市部から西に向かって離れる。
「追いかけっこかい!」
黒騎士は容易く迎撃用のロケット推進弾を切り伏せ、距離を詰めてくる。推進力が増している長距離砲撃用バックパックでも振り切れはしなかった。
「そう、だよ!」
ラスカーはバックパックのスラスターを半ば強引に噴射さけ、機体を拗らせた。
半円を描き、赤のモシェンニクが黒のラングシュベートの背面を取った。
「モシェンニクならば雑に扱っても平気なんでね!」
モシェンニクはラングシュベートの背部大型スラスターを蹴り下ろした。
「追いかけっここそ猟犬の本分よ!」
急な上部からの衝撃に煽られてラングシュベートは大きく体勢を崩す。よろめく黒騎士にラスカーは確実に仕留められるように照準を合わせる。
黒騎士はこのまま地面に叩き付けられて終わりだが、奴は戦友の仇だ。ラスカー自身の手で片を付けなければならない。
「小山まで退場願おうか。それとも、ベルリンまでエスコートして欲しいかな?」
「勝ったと思うなッ!」
明らかにアドルフの雰囲気が変わった。それに併せてラングシュベートも機体を持ち上げ直した。
「せっかく再会したのだから、せいぜい優しく殺してやろうと思ったが必要ないらしい。コックピットの中まで赤く染めてやるぞッ!」
「戯れ言をッ!」
TT-57の砲身から振り下ろされる劣化ウランの雷霆をラングシュベートはその盾でもって弾いた。眼下の地面から土煙が立ち上る。
この近距離ならば、如何なFoTEと言えども防げるものではないはず。故に弾いた。掛かる衝撃を逸らした。脊髄接続をしている人間でも一瞬を飛翔する衝撃を目測し盾に角度を付けて跳弾させるなど、もはや人間の出来る芸当ではない。
「アドルフ・ブレイン・カーレス、貴様は一体何者なんだ………!」
「狂戦士だよ。ヴァルハラの戦乙女に選ばれた、なァ!」
指向式のガトリング砲二門をラングシュベートに差し向ける。
ロケット推進弾も同時にばら撒くが、まるで迎撃にならない。偏差射撃を試しても、まるで見えているかのように直前で進路を変更してラスカーに向かってくる。
「あんな機動が、人間に耐えられるわけがない! なるほど、どうして狂っているなッ!」
肋骨の二、三本は折れていそうな急加速、急停止を繰り返すラングシュベートを目前にして急後退、閃光手榴弾を打ち出す。
ラングシュベートの盾に触れた瞬間、閃光を撒き散らした。その光は精密な光学センサーの機能をダウンさせる。その隙にラスカーは体勢を立て戻す。
TT-57と両脇ガトリング砲を構え、モシェンニクはラングシュベートのいる辺りに面制圧を行う。
濃密な弾幕の一つ一つに充分な殺意が込められている。突進する
だが、ラングシュベートはラスカーの予想に反した行動を取った。
ラングシュベートはその推力に物を言わせて高高度に上昇してしまったのだ。
「視覚を潰したはずだろうが!」
長距離狙撃スコープ無しで、モシェンニクは狙撃姿勢を取る。
ターゲットサイトにラングシュベートを収めた瞬間に、ラングシュベートは反転。ラスカーに向かって盾で機体を覆うようにして長剣を構え急降下してくる。
腰部スラスターを逆噴射させて後退、相手の進路上から外れ―――ない。
「奴には見えているのか!? そうだとしか、思えない!」
ラングシュベートはこちらの機動に合わせて突入角度を調整してくる。
「クソッ!」
脚部発射管に残る全てのロケット推進弾を発射すると、モシェンニクは腰部からバトルアックスを抜き放つ。
ラスカーは迎え撃つ気だ。
高鳴る鼓動を抑えつけ、静かにタイミングを計る。
(距離五○…四〇…三〇…二〇…一〇……!)
ラスカーは左基スラスターを強く噴射させ、その場で回転し、ラングシュベートの進路上から一瞬外れて、振り返った先にバトルアックスを叩き付けた。戦斧は円を描いてラングシュベートの背部を襲ったのだ。
「グオオッ………!」
「ヌゥゥッ………!」
だが、接触した瞬間に、モシェンニクの右腕は長剣が引っ掛かって肩口から抉り取られていた。
更に強引に腰部スラスターを噴射させた為に突貫工事の長距離砲撃用バックパックが黒煙を吐き始める。だが、ラングシュベートにもまた目に見える程のダメージを負わせられた。背部大型スラスターが破損しガスが漏れ出始めたのだ。
ラスカーは後退しながら、大型スラスターに照準を合わせた。
「貰ったッ!」
その瞬間、モシェンニクの外景を網膜に投射していたシステムがエラーを起こした。ラスカーの視界は暗転してしまう。
「何ィ!?」
『感謝します』
声がした。耳心地の良い女性の声だ。だが、ラスカーとアドルフの二者間の決闘に余人の介入を許した覚えはラスカーには無かった。
「………誰だ」
『ラスカー・トルストイソビエト連邦軍大尉殿。貴方との戦闘で私達は素晴らしい戦闘経験値を得ました』
「アドルフはどうした。アドルフ・ブレイン・カーレスは」
奇妙な声だ。まるで耳で声を聞きとっているのではなく、脳内に直接響いてくるかのようなそんな声なのだ。
アドルフが人が変わったようだったのも、この女が関係しているのだろうかとラスカーは類推していた。
『たったの一ヶ月程度で見違えられた。喜ばしい限りです』
「質問に答えろ」
『今日は退くとします。またどこかの戦場でお会いしましょう大尉』
女はラスカーの質問には答えず、一方的に別れを告げる。
『機会があれば、貴方もヴァルハラに………』
「待て!」
カメラからのデータが正常に網膜に投射されると、あの声は聞こえなくなってしまった。
正常に戻ったモシェンニクが最初に映したのは投棄された背部大型スラスター。赤熟して、今にも爆発しそうな、それは爆弾と同義だ。
「しまッ!?」
た、と言い終える間もなくそれは爆発した。
まるで意趣返しとでも言いたげだったその攻撃に、ラスカーは唇を噛んだ。
「アドルフ・ブレイン・カーレス、そして謎の女の声。ドイツはまだ奥の手を隠しているのか………!」
胸部を爆風から庇った両腕を降ろす。黒煙も風に流され、この戦闘空域からはすでにドイツ軍機は撤退を始めていた。
もう直、ドイツ軍機はローレライの絶対制空圏の中に逃げられてしまう。
「ジェーコ02よりジェーコ01。交戦していたドイツ軍機が撤退を始めたわ。追撃するの?」
アリアナ・カシヤノフ大尉の声だ。彼女には臨時編制中隊の副長を任せていた。
ラスカーは彼女の声に強い安堵を感じた。
「部隊の損耗率は?」
「全機健在よ。でも、この残弾だと追撃戦で浸透部隊を撃墜するのは難しいわ。それに訓練生達の方は確かに疲弊してる」
「そうか………」
生きている。全員。それだけでラスカーの心に暖かな感情が溢れてきた。
「軍管区司令部に連絡はしておけ。だが、ローレライの傘に逃げ込まれれば追跡も困難だ。中隊はジェーコフスキー基地に帰投する」
「了解。初めての実戦闘だったけど、案外どうにかなるものね」
「言っとけじゃじゃ馬。対空砲火があれば回避だけでブリヌィを吐けるぞ?」
「女はゲロなんて吐かないわ」
「そうかい………。中隊全機、帰投するぞ」
上官同士の軽口の叩き合いを聞いた訓練生達の笑い声が漏れる。それを聞いたラスカーの口の端も緩んでいた。
「「了解」」
出撃と同じ人数分。確かにラスカーは中隊を生かして帰すことができた。その事実は確かにラスカーが変わり始めていることの証左なのだろう。
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