第8話 FoTE小隊始動Ⅲ

 シミュレーターから降りたラスカーの額には落下していく瀑布のような汗が流れていた。

 ラスカーが呼吸をする度に肺は熱気を孕んだ空気を吐き出し、張り詰め凍えそうな空気を吸い込んだ。肺から取り込まれた冷気は熱くなったラスカーの身体を巡っていった。


 シミュレーターと言えども『脊髄接続』をして、脳を騙しているのだ。人間が立ち上がり、歩き回るのに一々思考してから行動をするだろうか?答えは無意識下で脳が勝手に行っているという。FoTEの場合だと先述のそれを常に行いながら刻一刻と変化する戦場で純然なパフォーマンスを行えるコンピューターはこの世界には未だ存在していない。そこで、NRリングを介して膨大な量の情報をコンピューターの代わりにパイロットの脳が並列演算していると言えば、ラスカー達がどれほどの作業を無意識下でしていたのか分かるだろうか。


 ハンガーの外では寒風に誘われた白雪がちらほら見え始めてきた。ラスカーは整備班の兵士に渡された英領インド産のコーヒーを飲む。コーヒーは知識人の飲む飲み物、という認識がこの国にはある。どうやら整備班の連中にはインテリ気取りがいるらしかった。


(苦いな………)

 ラスカーが思わず顔を顰めてしまう。このコーヒーには砂糖が入っていない。砂糖は手に入りにくい調味料の一つだ。特に欧州大戦に突入してからは。


 ラスカーはチビチビとカップの中身を啜って暖を取っていると後ろのシミュレーターから藤堂が出てきた。訓練の結果でも見ていたのだろうとラスカーは考える。

「トルストイ中尉、手合わせありがとうございました」

 藤堂がラスカーの前で頭を下げた。これにラスカーは驚いてしまう。しかも顔に出てしまうほどに。


「…?どうかしましたか?」

 藤堂は不思議そうにラスカーを見る。

「あ、あぁ…いや。昔いた基地じゃ訓練で俺が勝つ度に頭をぶたれていた物だから、まさか感謝されるとは思わなかったんだ」


 ラスカーはビボルグ基地でよくあった光景のことを思い出した。アリアナはシミュレーション訓練でラスカーにスコアで負けるとよく殴りかかってきたものだ。

「あぁなるほど。私も本国で訓練生として励んでいた頃は教官に、任官してからは上官によくぶたれていましたよ。精神注入、とか何とかで」

「そういうことではない…いやそういうことなのかな」

 アリアナの階級は大尉であるから上官は上官なのだろう。ラスカーにとっては士官学校来の付き合いであるし、ビボルグ基地に同僚として務めていたから役割としての上下関係はあっても心理的な上下関係という物をアリアナとの間で感じたことはなかった。

(なるほど、道理でスタルコフ達も緩かったわけだ…俺とアリアナのせいだったとはな………)

 ジェーコフスキー基地に来てからは気づかされることばかりだとラスカーは小さく笑んだ。


「トルストイ中尉?」

「藤堂、お前にあってからは新しいことに気づかされてばかりだな。俺の方こそ感謝を言わせてくれ」

 ラスカーは藤堂の顔を正面にしてそう言った。その顔は冬の澄み切った空気のように淀みのない無邪気な顔をしていた。

「ぁ…は、はい!」

 藤堂は若干上ずってしまった声で返事をした。ラスカーは気付きもしなかったが、藤堂の頬には桃色が浮かび上がっていたのだった。


 この光景を整備班の連中と遅れてきた小隊の面々がじっと見ていたことを二人は知るよしもない。




 コックピット内にアラートがけたたましく鳴り響く。


 ラスカーの機体は42式増加装甲を構えるも、機体腰部のスラスターが黒煙を吐いた。

 ラスカーを襲った機体は既にラスカーの後方に飛び去って行ってしまっている。


「くそっ!」

 ラスカーの機体の姿勢制御が安定しなくなり、高度も維持出来なくなる。機体は重力に従って落下し始める。


「トルストイ中尉!」

 個別回線パーソナルチャンネルを通して藤堂が叫ぶ。

 機体のセンサーに再び反応があった。敵機マーカーは二つ。ラスカーの機体を執拗に狙っていた二機の物だ。


 敵機の二機編隊エレメントは敵対中のラスカーすら唸らせるほどに見事だった。

「藤堂中尉!気を付けろ!」

 ラスカーはそう怒鳴りながら42式突撃機関銃を構える。機体は落下中だが脚部バーニアでどうにか姿勢制御だけは安定させる。

(来たッ…!)

 機体のメインカメラが二機の42式強化機甲戦闘機川蝉を捉える。相変わらずの美しい編隊を組み、ラスカーに向かってきていた。


 ラスカーは40mm弾を先頭の一機に向かって撃つが、一度も止まることなく二機は飛行し、遂にラスカーに肉薄した。


 ラスカーは盾を投棄して左腕部マニュピレーターにナイフを握らせる。

 チャンスは機体どうしがすれ違う一瞬だ。ラスカーは声に出してカウントする。

ピャーチチィトゥィリトゥリードゥヴァアジンノーリッ!」

 ラスカーが的確だと信じるタイミングでナイフを左のカワセミに突き出した。狙いは胸部コックピットだ。


 だが、ナイフは敵機に触れることは無かった。

「なにッ!?」

 敵機の二機はラスカーが触れる直前で急停止、その後一機はバーニアを瞬時に吹かして機動を変えラスカーの上部へ。もう一機も同じようにしてラスカーの機体の下部に、ラスカーが全てを理解し、脚部バーニアで少しでもここから離れようとした瞬間には既にラスカーのマークには撃墜判定がされていた。




 ジェーコフスキー基地の食堂は佐官以上と尉官以下で食堂が分けられていた。


 今ラスカー達は尉官以下の兵士達が食事を取る食堂に来ていた。理由はザイシャが小隊全員で食事を取ると言ったからだった。


「それじゃ今日の反省会といこうか」

 ザイシャはプレートの上のニシンを細かくほぐしながらそう言った。

「シミュレーション訓練を始めてから早三日で模擬戦闘訓練までやってみたわけなんだけど………」

 ザイシャがニシンを口に入れた。それを見てからアニーシャが夕食に手を付け始めた。


「もうみんな普通に動かせてるよねFoTE。基本的な操縦についての情報共有はあとは足りないと思った人が個人でやるってことで」

 海軍少尉のジャンナは青い顔をして汗をダラダラとかいていた。

 ラスカーの視界の端でいつも賑やかなジャンナが黙って夕食を食べている。


「それで今日は模擬戦闘のことだね。僕が気になったのはマクシムとマルセルの連携かな。ラスカーをああも簡単に撃墜してしまうとはね」

「ぐっ………」

 ザイシャがそう言ったことでラスカーの沈静化していた悔しさが再燃し始めてしまう。


「空のことは空軍の管轄」

「僕達兄弟が揃っていれば誰にも負けない」

 兄のマクシムと弟のマルセル。全く同じ顔の二人が似通った口調で話すとどちらが何を言ったのか分からなくなる。


「午後のあの機動は確かに凄かった。格闘戦ドッグファイトには自信があったんだがな」

 ラスカーは藤堂の方を見る。その視線に気づいた藤堂は顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

「ラスカーさんのは格闘戦ドッグファイトというより肉弾戦インファイト

 弟のマルセルにそう言われてラスカーがまたも呻く。独り言とはいえ藤堂にあんな啖呵を切っておきながらお前は全然違う物をしていると言われれば誰だってそうなるだろう。

「そ、そうか………」

 ラスカーは苦笑いをしながら夕食のニシンを食べる。少し塩味がきつい気がした。


「あの二機連携エレメントや機動も空軍仕込みなの?」

 アニーシャがエフストイ兄弟に質問をする。兄弟は頷いた。


「へぇ…確か二人は中東方面軍だったのよね?」

「はい。空軍の特別幼年学校を卒業した後、そのまま僕達は中東方面軍に編入されました。えっと…オスマン帝国首都コンスタティノープル攻略のメドセストラ作戦の時には戦略爆撃機部隊の直掩として出撃しました」

 コンスタンティノープル攻略が目的とされたメドセストラ作戦はソビエト連邦史上最も激しいと言われた空戦が行われた作戦だ。秘密裏にアメリカと手を組んだオスマン帝国空軍がアメリカ製の航空機を使用していたという。戦場は迫撃砲の砲弾よりも剥がれた航空機の装甲の方がたくさん落ちてきたきたとうそぶかれるほどだ。


「それから一年も経たないうちに呼び戻されてきたんですがね」

 マクシムが先に話し、マルセルがそう付け足した。


 この計画に関わる人間は怪物揃い、ジェーコフスキー基地に来た当初に廊下ですれ違った査察団の一人が言っていた言葉をラスカーは思い出した。

(メドセストラ作戦は地獄だったと聞く。兄弟二人で出撃し、揃って生還するということはこの二人にも突出した才能があるんだろうな………)


「あ、でもやっぱり航空機とFoTEじゃ飛び方が全然違いますね。機体が大きい分捨てざるをえなかった加速性を無理矢理に腰部スラスターで獲得しているんでから」

「そうだねマルセル。僕達は空戦専門だったからだけど、陸軍出身のラスカーさんがたった数日であそこまで機体を飛ばせるのは凄いと思うよ」

 マクシムが心からの言葉をラスカーに投げかける。その言葉には空軍の軍人としての、空戦のプロとしてのプライドが許した純粋な尊敬が込められている。


「僕やマルセルどちらか一人がラスカーさんと戦っていたら僕達は勝てなかったと思うよ」

「そ、そうか…? ありがとう、お前達に言われるとまだまだ頑張ろうと思える」

 落ち込み気味だったラスカーの心が多少持ち直した。他人のせいにするわけではなかったが、陸軍出身のラスカーと空軍出身のエフストイ兄弟。圧倒的なアドバンテージを持っていた二人からそう言われたのだ。言い訳に縋ってしまうのは仕方無いだろう。


「あぁ~、話が盛り上がって来た頃に腰を折るのは忍びないけれど、食堂も込んで来たから今日の反省会はここでお開きにして食事を済ませてしまおうか」

 ザイシャが言うようにラスカーも辺りを見回せば強化機甲戦闘機試験大隊の大半を占める整備班の兵士が続々と食堂に入ってきていた。

「夕食後は各人の自由ということで。常識を踏まえたうえでくつろぐなりなんなりしてね?」


 ザイシャがそう言ったのを最後にFoTE小隊の占領した座席からは声がしなくなった。




 ラスカーが兵舎に戻り、自分の部屋の前に立った時違和感というか不審な感じがした。


 ラスカーの部屋の中から人の気配がするのだ。軍人は個人を優先してはならない。その一環として個人の部屋と言えど鍵付きの部屋はこの兵舎には無い。あるとしたらエリョーメンコ少将の部屋くらいだろう。


 ラスカーは腰から自動拳銃を引き抜く。こんな所で銃など使いたくはないが、やむを得ない場合は…とラスカーは腹を括る。


 ゆっくりとドアノブを回して、勢いよくドアを蹴り開けた。

「動くな! 俺の部屋で何をしている!」

 自動拳銃を構える。

「えっ、ちょ、ちょっと!?」

 侵入者のマヌケな声が聞こえた。声から察するに少女のようだった。


(他国のスパイか………?)

 だが、銃口を向けた先に居たのはスパイとは程遠い。

「なっ、なんでお前がここにいるんだ?」

 ラスカーも随分と間抜けな声を上げてしまう。

 そこにいたのはラスカーのよく知る少女の姿。アリアナ・カシヤノフ大尉の姿だった。

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