第13話 赤に染まる聖夜Ⅳ
走り去ったアリアナの足跡を辿るラスカーはうちに気づけばジューコフスキー基地からモスクワ市内へと出ていた。
戦時中とはいえ年末年始に浮かれる市内、ヂュガシヴィリ様式と呼ばれる建築方式の摩天楼がそびえるモスクワでは軍服というのは悪目立ちをするものだ。
叩けば舞い上がる埃の如く、カーキの軍服を着た少女を見たという通行人が現れ続け、ラスカーは律儀にその一人一人に礼を言いつつ、雪に埋もれるアリアナの足跡を追っていく。
ラスカーは得た情報と街並みがラスカーの記憶内を照合させ、アリアナの居場所を特定しかけていた。
コンクリートで塗りつぶされた灰色のマンション街、そこは三年前までラスカーがよく歩いていた道だ。何一つ変わっていない街並みに安堵を感じつつ、あの場所にいるであろうアリアナのことを考えて胸が少し痛む。
(いや、せっかく二人があぁ言ってくれたんだ。この時間を無駄にしてはいけない)
ラスカーが立っている通り、よく覚えている。ラスカーには目を瞑ってでも歩ける自信があるほどに。
足が勝手に進み、その度に胸の痛みも増していく。心音も高鳴っているのが分かる。
ラスカーは浅い呼吸を繰り返しながら、もうじき到着してしまう目的地に向かってしまう。
「ここだ」
ラスカーの足が止まる。そこは閑静なマンション街のマンションの一つ。画一的なマンションの一つのはずなのに、このマンションだけは夢に見れるほど印象付けられている。
中に入り、ラスカーは九階建てマンションの九階を目指して階段に一歩を踏み出す。
ラスカーが一歩一歩階段を登っていく度に極寒の前線で凍り付いていた懐かしい記憶が甦ってくる。
「毎日、そう毎日。この階段を登っていたんだったな………」
あんな日々はもう帰っては来ない。時代も立場もラスカー達の思いなんてお構いなしに時に激しく変化していく。
初めてここに連れてこられた日、ラスカーはアリアナに殴られた。次に来た時だって殴られた。
思い返しても殴られた思い出が多いことにラスカーは苦笑するが、そのどんな思い出でも最後はアリアナは笑っていた。それが眩しかったからこそ、ラスカーはアリアナの傍に立ち続けていた。
「だからこそ、最近のお前は………」
あの弱々しくか細いアリアナの姿は、ラスカーには理解出来ない。
ラスカーは玄関の呼び鈴を鳴らす。ラスカーに迷いはない。
呼び鈴の澄んだ音が鳴ると、部屋の中から足音が聞こえてくる。
ラスカーは乱れた軍服の襟を整えると、部屋のドアが開かれる。
中から顔を出したのは金髪の中に白髪が混じり始めたアリアナ―によく似た顔をした女性だ。
「あら、ラスカー君じゃない?」
「お久しぶりです。イリーナさん………」
イリーナ・カシヤノフ。アリアナの母親との三年ぶりの再会と相成った。イリーナはところどころに時代の流れというものを感じさせるものの、その性格、元気な様子はほとんど変わっていなかった。
「いや~、こんなに大きくなっちゃって…へぇ、体付きもかなりガッチリしちゃってまぁ………。さぁ入って入って、お茶でもしていきなさいな」
イリーナのその提案を申し訳なく思いつつラスカーは断る。
「いえ、これから基地に戻らないといけないので遠慮させていただきます。それで、アリアナは………」
ラスカーが全てを言い切る前にイリーナは察したような顔をした。感情の機微を感じ取ることに関してはイリーナ以上の人間をラスカーは見たことが無かった。
「なるほど、それでアーリャがねぇ・・・。あの娘も素直じゃないから………。ほんっと不器用なところはお父さんにそっくりなんだから。ちょっと待ってなさい、今連れてくるから」
そう言うとイリーナは部屋の中に戻っていき、ドアが一度閉じられる。ラスカーは肺に残っていた空気を吐き出し、冷たい空気を吸い込む。ラスカーは自覚していないが、戦場に立つときと同じような緊張を感じている。
ラスカーは何回か深呼吸を繰り返す。そうしているとドアが開かれた。
「はい、お待ちどおさん。ほらアーリャ、言いたい事ちゃんと言いなさいよ?」
イリーナが顔を引き込めると、代わりにアリアナが姿を現した。ラスカーの前に出てきたアリアナの姿はラスカーの記憶に無いほど、少女的だった。
「アリアナ………」
その姿に戸惑ってしまったラスカーは彼女の名前を口に出すも、続く言葉を詰まらせてしまう。
「ここまで来たんだ………」
アリアナも言葉を探していた。互いの間には静寂が居座る。
「あぁ。お前に言いたいことがある」
「っ! …何よ」
アリアナの肩が震えた。この先に続く言葉をアリアナは震えて、怯えながらも期待してしまっていた。
「俺にとって、アリアナ・カシヤノフは太陽だった」
「………」
アリアナは相槌も頷くこともなく、ただラスカーの言葉を聞いている。今度は拒絶されないことを確認してラスカーは言葉を続ける。
「士官学校で初めてお前にあって、誰からともなく張り合い続けた。
俺はこんな性格をしているからな。誰とも親しくはなれなかったが、お前はそんな俺を照らし続けた。
お前は時に激しく、無邪気に俺を翻弄し続けた。あれが俺の励みになってたんだと思う。たぶん士官学校の時にお前が俺の隣にいなきゃ今の俺は存在しなかった。
ビボルグ基地に同時に配属されたときは何か作為的な物すら感じたが、きっと新米少尉だった俺はお前の明るさがなければ初陣でやられていただろうよ。それに俺を庇ってアリエイダ隊長が死んで、パニックを起こした俺を付きっ切りで面倒見てくれたりさ。
アリアナがいなきゃ、俺はとっくのとうに死んでいた。俺が困ったときにはいつだってアリアナがいた。だから、俺はお返しがしたい。お前が俺にしてくれたことを全て俺が返すのは難しいかもしれない。だが、お前が何かに困っているなら、悩んでいるのなら、俺は解決の手助けがしたい」
ラスカーが今までに秘めてきたアリアナに対する気持ち、感謝をさらけ出す。その言葉をラスカーの口から聞いたとき、アリアナは感情を抑えきれなくなった。涙を嗚咽を噛み殺すが、アリアナの内に秘め続けたラスカーに対する想いの最下層にあったモノが染み出してしまう。
「私は…そんな偉い人間じゃないの。今、そんなこと言わないで………」
アリアナ自身、これがあまりに危険なことだと分かっているのだが、一度染み出たモノが巻き戻ることなど出来るはずもない。純粋なラスカーと比較してしまえば、今抱いている感情はどれほど醜いか。
「何を謙遜しているんだ。俺はお前の為になるんなら何だって………」
「止めてったら!」
拒絶した。今のアリアナにはラスカーの言葉が辛い。
「アリアナ………?」
もうラスカーの知っていたはずのアリアナ・カシヤノフはこの場にいなかった。目の前にいるのは齢18の少女だった。
「ラスクの中の私って凄いんだね…。私とは大違いだね………」
「お前はお前だアリアナ」
ラスカーがアリアナに言葉をかける度にアリアナの中にあった心のダムが軋んでいく。それはやがて強固だった建前や嘘で強固に作られていた壁を罪悪感という亀裂が走っていく。
「違う。絶対に違うよ…ラスク。ラスクの考えるアリアナ・カシヤノフはいつも明るくてみんなを引っ張っていて、いつもラスクを助けているんでしょ………?
なら分かってよ!今ラスクの目の前にいるのは別人なの、本当の私なの! 私はずっとラスクの注目を引きたかっただけ、ラスクに振り向いてほしかったからなの!
悩みを聞くフリをして、私はラスクに頼られてる優越感に浸ってた…。ラスクには私がいなきゃいけないって思いたかったのよ………?
頼ってくれるラスクを独占したかった、他人に取られたくなかったの………それなのに、今日なんて歳下の娘にヤキモチ焼いてるのよ私」
ラスカーはアリアナの言葉を遮る。ラスカーの碧の双眸はじっとアリアナを見つめている。
「落ち着くんだアリアナ…疲れているんだろ? 部下だってドイツ軍に殺された。その仇を取る前に第34中隊は解散になり、そのまま転属が決まって………。月並みなことしか言えないが、転属先に行くまでにしっかり休めばきっと、きっといつものアリアナに………」
「やっぱり………」
「どうしたんだアリアナ、何がやっぱりなんだ………?」
ラスカーが尋ねるとアリアナは何も言わずにドアを閉めてしまう。
「アリアナ! どうしてなんだ!? 俺に問題があるなら………!」
ラスカーはドアを叩きながら叫ぶ。アリアナはドアの裏でその衝撃を感じて、ドアから離れてしまう。
「ラスクは悪くないの…ごめんなさい…。私が弱いから…嘘つきだからいけないの!ごめん、ごめん、ごめんなさいっ………!」
アリアナの泣き崩れる声が聞こえた。ラスカーは握った拳から力が抜けるのを感じた。
「私が、弱いから悪いの…。お願い、もう帰って………」
嗚咽混じりで謝罪するアリアナがラスカーには理解出来ない。
ラスカーがふらりとよろめく。もう分からないことだらけだった。ラスカーは今何をしているのか。何の為にここまで来ていたのか。
「お願いだから…、私がアリアナを殺しそうになっちゃうからっ………!」
ラスカーが今まで話していたのは一体誰だったのか。今までアリアナだと思っていた人間は一体何者だったのか。認識の矛盾で塗りつぶされた謎がラスカーの視界を白く覆い隠した。
その後のことはよく覚えていない。
気づけばラスカーはジェーコフスキー基地のパイロットに割り当てられた自室のベッドの上で横になっていて、だが、ラスカーの思考は四方八方好き勝手に飛び散ってしまってまとまらない。
これまでずっと一緒にいた
今まで信じていたものが崩れるのを見たという衝撃がラスカーを襲い続ける。心は依然として何かにがんじ絡めに囚われていた。だがその何かをラスカーが理解することは無い。
酷く霞がかかっていて、掴もうとする度に胸が痛む。試しにラスカーは胸を摩るが傷は何処にも無い。
ラスカーは虚ろな目線を天井から壁に掛けられた時計に移す。
時針は八時を指す。すでにジャンナはレッスンスタジオでレッスンをしている時間だ。
(藤堂やジャンナ少尉には申し訳ないことをしたな………。せっかく二人が時間を作ってくれたのに、このザマか…。俺は、俺は一体どうしたらいいんだよ………!)
その時、ある光景がフラッシュバックした。それは地面に崩れ落ち、赤い血を噴き上げる両親の姿。血まみれの二人がラスカーを見て鬼の形相でこう言うのだ。「戦え」と。ラスカーの方へ手を伸ばす父と母を顔の無いドイツ兵が拳銃で射殺する。その音が、銃声がラスカーの脳裏にリフレインされ、繰り返し繰り返し響く。
「戦う…。何の為に? 父さんと母さんの復讐の為に…。そうだ戦わなくちゃ。俺は復讐しなきゃならないんだ………」
ラスカーは怯えるように、見えない何かに突き動かされてベッドから飛び降りる。
痛む頭の中。脳内で反芻されたラスカーを戦わせようとする声は、やがて聞こえなくなり、次第に頭痛も治まっていく。
(止まってる暇なんて無い…。俺にはやるべきことがあるんだろ………)
ラスカーは知らないうちに部屋の扉を開け放ち、走り出していた。ふらつくような、おぼつかない足取りでラスカーはひたすら一番ハンガーを目指していた。
『ミッション開始』
ラスカーの網膜にシミュレーター内で構築された暗い街並みが映り込む。
制限時間以内に敵機を全て撃破すればクリアとなるミッションだ。
敵機となるのはビボルグ基地でラスカーが撃破したドイツ軍のFoTE、表示名はソビエト軍が仮称として定めた『クレーエ』。カラスという意味だ。その名の通り機体は黒を基調としてカラーリングされている。
クレーエに関して、戦闘経験があるのはラスカーのみということで、シミュレーションで現れるクレーエには機行戦車搭乗時の戦闘データをフィードバックしている物の、大半のデータはカワセミを流用されていた。
ラスカーの頭は依然として明瞭としない。だが、体中が焼ける様に熱く、今にも体の内側から膨れて爆発しそうだった。
「ミッション開始…メドヴェーチ起動」
メドヴェーチの頭部デュアル・アイ・カメラが輝きを放ち、腰部のスラスターが火を噴き始める。
右腕部に40mm突撃機銃を持ち左腕部には120mm滑腔砲を装備している。背部武装キャリアにはもう一対ずつそれらの火器がセットされ、両腕部にチェーンブレードが折りたたまれてある。
これほどの重武装でもカワセミと同じかそれ以上の速度でメドヴェーチは仮想の市街地を飛行している。
ローレライ・システムに干渉しないギリギリの高度1000m以下を維持しながら、巡航機動で飛行していたメドヴェーチをアラートが襲う。
地上に伏せていたクレーエが対空射撃を開始したのだった。
高速移動中の機体に銃弾を浴びせるには着弾時の予測ポイントに向かって火器管制システムによって自動でロックされる。
そのクレーエのメドヴェーチをロックオンしたという情報を察知して、メドヴェーチの機体を急停止させ、コンピューターの狙いを狂わせる。
クレーエの放った40mmの弾丸はメドヴェーチより僅か前方を通過して虚空に消える。逆にそのマズルフラッシュにてメドヴェーチは建物の影に隠れていたクレーエの位置を特定していた。
メドヴェーチ左腕部に装備されている120mm滑腔砲の120mm榴弾を放つ。クレーエはすぐさま建物を盾にして隠れてしまうが、120mm榴弾は建物に突き刺さった瞬間に爆散し、ラスカーの瞳の脇にはスコアが一点追加される。
「次は…。次ッ」
メドヴェーチは更なる獲物を求めて高度を下げる。地面との距離が次第に近づくなか、一際高いビルの上から閃光が瞬いた。
咄嗟のことに回避行動も充分には取れない。クレーエの弾丸がスラスターを掠めた。
ラスカーの視界に警告が表示される。先ほどの一撃でスラスターの噴射剤が漏れ始めていた。
「チッ」
ラスカーは短く舌打ちをすると、腰部スラスターを二基とも投棄する。更なる弾丸が降り注ぐがそれはスラスターを撃ち抜き、噴射剤に引火、爆風が発生してメドヴェーチを各種センサーから覆い隠すことになる。
ビルを背にして着地したメドヴェーチはすぐさま反転し40mm弾を放つ。だが、クレーエはビルから飛び降りてその姿を隠す。
「逃がすかッ…」
メドヴェーチが着地地点から移動しようとすると、一斉にアラートが鳴り出した。
左右の建物の影に二機、前方のビルの屋上に一機、後方の道路上に一機。すでにメドヴェーチは包囲されていた。
四方を取り囲んだクレーエが同時に40mm弾丸の十字砲火を放つ。コンピューターの正確無比な射撃は道路上に立ち尽くすメドヴェーチを予測線に捉える。
だが、メドヴェーチはバック転をする形で地面に腕部を密着させ、そのまま上に跳ね上がる。
ラスカーにまたも警告メッセージが表示されるも、今のラスカーにはそれを受けて踏みとどまれるだけの思考力は無い。
跳ね上がった空中で脚部バーニアを使い射撃姿勢を整え、後方にいたクレーエに40mm弾丸を連射させる。
一度の着弾で装甲が凹み、二度目で亀裂が走る。三度目は内部構造を破壊して、四度目に貫通した。
一機を撃破したメドヴェーチは前傾姿勢で着地し、一歩分多く踏み出す形で前に出ている右脚を軸にして、バーニアによる方向転換。振り向きざまに前方のビルに建っているクレーエに40mm弾の残弾が無くなるまで発砲、ビル上のクレーエが爆散するのを確認もせず、使い終わった40mm突撃機銃を投棄し、背部武装キャリアーの120mm滑腔砲を右腕部に装備させる。
メドヴェーチはそれぞれ120mm滑腔砲を建物の影に隠れたクレーエに向けて引き金を引く。
暗鬱とした市街地の十字路に爆炎が天を灼くべく雲上へと舞い上がった。
黒煙燻る地上で立ち尽くすメドヴェーチに、スラスターを撃ち落とした最後のクレーエが襲い掛かる。
「足りない…。足りないッ」
股関節部を沈み込ませ、メドヴェーチは身を捩らせて、頭上から飛び掛かって来たクレーエに対面する。メドヴェーチに右腕部チェーンブレードが唸りをあげた。
ナイフによる近接戦を仕掛けたクレーエはその刃が装甲に届く直前にチェーンブレードの裁断に巻き込まれ、続いて迫る左腕部でメドヴェーチは強引にクレーエを機体右側の建物に叩きつける。
「もっと……もっともっともっとッ」
上半身は辛うじて下半身との接続を保っているクレーエにラスカーは容赦なく120mm榴弾を撃ち込む。何度も何度も。例えクレーエの残骸が残骸としての様を為さなくなっていたとしても。純白のメドヴェーチが黒く煤けても。
何もかも消えてしまえ。分からないままなら表に出てくるな、と。ラスカーは叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます