第16話 砂漠の残夜Ⅱ
沈み行く夕日を背に、ラスカーの駆るメドヴェーチが多量の砂埃を巻き上げる。加圧空気が機体の足元に向けて絶え間なく吹き続けているからだ。
「準備はいいか? シミュレーションはやっていたんだよな?」
「はい」
無線すら厳しく制限されるこの時世で、何をどうやったのかラスカーには全く理解出来ないが、エリョーメンコ少将はモスクワから離れた北アフリカ戦線の前線にまで根回しをしていた。FoTE二機に兵員を送るだけでも兵站を酷使してしまう情勢で良くやったものだと、上官に畏敬の念を覚える。
機行戦車のシミュレーターでも専用パッチを充てればFoTEのバージョンに更新される。それを使ってエルヴィラも訓練をしているらしかった。
「なら、いくぞ。あまり長々とは出来ないからな………」
ルガツェンには訓練の許可を取りに行ったときに、あまりイタリア軍を刺激するなと釘を刺されていた。万が一向こうがスクランブルをかけてきたらば事だ、と。
「カウント。3………2……1、
カウント0を数えると同時にスラスターによる加速を行う。
砂塵を纏い、月下のメドヴェーチがナイフを片手にエルヴィラの機体目掛けて直線に突進する。
対してエルヴィラに動きは無い。ハンデとしてラスカーが持っていない40mm突撃機銃を構えてはいるが、狙いを付けている様子も無かった。
エルヴィラはどこか新車のような香りのするコックピット内でひたすらにラスカーの機体を凝視する。
自らを弾丸として迫って来るラスカーがこちらの得物の間合いに入った。
「弾倉装填」
エルヴィラが脳内で思っただけで機体が動く。
(これが分隊長の言っていたことね………)
頭の片隅でそんな感想を抱きつつ、目前にまで迫ったラスカーを睨む。
「リフトシステム、起動。リフトエンジン出力最大」
エルヴィラの機体脚部の空気圧縮機が唸りを上げる。
機体直下から噴き出した暴風に砂上が抉られ、空気中に巻き上げられた。
エルヴィラは機体を右側に逸らさせる。このままラスカーをかわして無防備の背中を狙い撃つつもりだったのだが、
「くっ…!」
肩部装甲にラスカーのナイフが突き立てられる。重い衝撃がコックピット内にいるエルヴィラを襲った。
エルヴィラを襲った衝撃によって機体は倒れ込んでしまう。
倒れまいとスラスターを噴射しようとするのだが、間に合わずに尻もちを着いてしまう。そして嫌な音が聞こえた。
「立て直さないと………」
だが、エルヴィラが機体をもう一度立ち上がらせようとしたときにはすでにラスカーのナイフが胸部に突きつけられていた。
「んで? 少尉さんよぉ…? 一体どうしてKs-17のスラスターがぽっきり逝っちゃってるのか、説明してもらえませんかねぇえ!?」
鬼の形相という言葉が一体どんな表情なのか、ラスカーとエルヴィラはこの日初めて知ることとなった。
「あんたら、訓練やってたんだよなぁ!?」
整備班のハミルマ・コーデリック曹長が見るも無残になってしまったエルヴィラのメドヴェーチを指差す。
「ま、まぁまぁコーデリック曹長…。人間、誰しも初めから一人前というわけではないんだから、そこまでザノフ少尉を怒らないでやってくれないか………?」
「大尉は黙っていてください。というかあんたの機体だって実機を動かす度に関節部に馬鹿みたいな負荷かかってるんですが?」
ハミルマの顔がラスカーの方にも向いた。ジェーコフスキー基地でも同じことを言われてきたラスカーは耳が痛い。
「だが、スラスターの破損ばかりは度し難い! スラスターってのはなぁ! 本国の工廠でないと造れないんだよ! 俺達だって少しの故障なら直せる…だからってぶっ壊されてたら直せねぇんだよ!」
ハミルマが顔を赤く染め、ハンガー内に再び怒号轟いた。
「申し訳ありません」
エルヴィラが頭を下げた。顔は涼やかな物であったが、声音には反省の色が見られる。
「まぁ、予備のスラスターを取り付けるが、二度と壊すんじゃねぇぞ? もし壊して帰ってきたら……分かってんだろうな?」
「はい。以後このようなことが無いよう精進します」
エルヴィラが顔を上げた。ハミルマの怒りも収まったように見えた。
「だったらさっさと出ていけ! 仕事の邪魔だアンタら!」
ラスカーとエルヴィラの二人は揃ってハンガーから追い出されたのだった。
アリーシュ駐屯地の食堂は佐官以上とそれ以下で分けられているということもなく、食堂は一つしかない。
だが、二千人近くを捌けるようにかなり広い造りをしていた。それはアリーシュ基地で最も大きな施設ということからも窺える。
ラスカーとエルヴィラの二人は遅めの夕食を取ろうと食堂に来たのだ。
注文を受けるカウンターに二人は並ぶ。受けるといっても日替わりランチ以外にこの基地にはメニューなど存在しない。
「大して気に病むな。コーデリック曹長はああ言っているが、それも命を無駄にしないためだ。今後、気を付ければいい」
「私の予測では間に合うはずだったのです。回避行動の後、分隊長の背部を射撃する予定だったんです………」
エルヴィラは本当に悔しそうにそう言った。
「俺の視界を潰したまではよかったな。まさか砂を使ってあんなことが出来るとは思わなかった。まさに砂漠戦の妙だな。だが、戦場は、敵は自分の都合では動いてくれない。策をこうじるなら、相手の取りうる行動の全てを考慮して更なる一手を打たなければならない。なんて、これも先達の受け売りだがな」
列が進む。二人も後に続く。カウンターに近づくたびに夕食のコンソメの香りが際立ち始めた。
「得手不得手とは誰にだってあるものだ。繰り返しになるがあまり気に負うなよ」
「はい」
ラスカーの後ろで短く、でもはっきりとしたエルヴィラの返事が聞こえた。
(あまり心配しなくてもよかったか?)
そうラスカーが思っていると背後から男達の声が聞こえた。それはラスカーにも分かるような下卑た笑いを伴いながら。
「おっとぉ? これはこれは部隊潰しのエルヴィラ少尉じゃないですかぁ。どうしたんです? 食堂にいるなんて珍しいですねぇ…あ、そうそう。そういやさっき整備兵に怒鳴られてませんでしたぁ? 一体何をしでかしたのかよろしかったらお教えいただけますぅ?」
聞いていてイライラとしてくる喋り方をする男。ラスカーは怒りを覚える。しかしラスカーが驚いてしまったのはエルヴィラは聞かれた問いにあろう事か答え始めたことだ。
「実機訓練で転倒し、機体を破損させた」
「おや! それは大変、一大事だ!」
調子にのって大仰に男はそう騒ぎ立てる。
「どうして新しい上官殿に実機では必ず事故を起こしてしまうと伝えなかったのですかぁ?」
「私から頼んだ。私のことは構わないが分隊長まで悪く言うのは止めろ」
「少尉の適正数値分かっていらっしゃいますよねぇ? ギリギリの45。どうして機行戦車に乗ろうと考えたのか…乗り続けようとしているのか。ほんと、理解に苦しみますよ」
このエルヴィラの言動、なぜ自分を卑下されることに怒らないのか。ラスカーには分からない。今、ラスカーは自分の部下が貶められてこれほどまでに怒っているというのに。
ラスカーは自然と握り拳を握っていた。
ラスカー・トルストイという男は、人情というものには鈍感極まりないが一度感じた仲間意識という物には人一倍過敏だ。
「貴様、こちらを向け…!」
「はい?なんですかねぇ?」
男が振り向いた瞬間、その頬にラスカーの鉄拳が突き刺さる。
「い、いきなり何をするんだっ!?」
「上官侮辱罪だ。今から三秒後に貴様を射殺する。俺の前からさっさと失せろ」
ラスカーはホルスターから自動拳銃を引き抜く。この銃には安全装置などという装置は付いていない。
「3、2、1」
「ひ、ひぃィ!!」
男は急いで立ち上がって食堂から走り去っていく。
「分隊長………」
ラスカーはホルスターに自動拳銃を戻す。それを見計らうかのように、安堵の吐息がそこらからこぼれ始めた。
「さぁ、夕食を食べよう。多少のカロリーも消費してしまったからな」
この滞ったような空気をどうにかする為にラスカーは脳と口を目一杯に回転させるのだが、どうにも旗色が悪いようだった。
「分隊長…どうして、そのような………」
「さっきも言ったろう。上官侮辱罪だ」
「そんな! 彼が侮っていたのは私だけでした! 貴方が怒る理由は………!」
エルヴィラもまた、感情という物に疎かった。今までの暴言も悪質な嫌がらせだって荒事を起こすまでには苦痛とは感じなかった。現状はこうなんだ、と。
「俺の部下を、よりにもよって俺の隣で侮辱した。それで充分だ。それにな、こんなの以外で怒る理由は俺の中ではあと一つしかないんだよ」
「分隊長………?」
エルヴィラにはラスカーに黒い陽炎がかかっているように見えた。だがソレは一瞬で見えなくなる。
今まで幽霊の類を全く信じていなかったエルヴィラが生まれて初めてソレらの類に小さな畏怖を感じた。
数回目を擦るが二度とその黒色を垣間見ることはなかった。
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