第2章

第15話 砂漠の残夜Ⅰ

 この世界で最も信者を得ている宗教のうち、その上位二つの信仰が寄る場所。過去を遡れば、その場を巡って何度も何度も凄惨な殺し合いが行われた聖地エルサレム。

 血濡れの聖地から西南西に200kmも行かない距離にアリーシュ基地が存在する。地中海に面したこの基地は海岸線に沿って砦が存在し、その砦がイタリア海軍からの砲撃を防いでいた。


 ドイツ軍の戦線を回避するように移動するとなるとどうしてもアスタナを経由してから中東方面に向かう必要がある。

 強化機甲戦闘機試験大隊から抽出されたラスカー以下十数名とFoTE二機・・を載せた貨物列車の中は娯楽とは一切かけ離れており、あらかじめ持ち込んだ文庫本も一日で読み終えてしまい、運転手を除く乗員の暇の潰し方はと言えば車窓から見える表情の機微が乏しい風景を眺めるくらいだった。


 モスクワから南に向かうにつれて春の訪れが少しづつ早まるようで、ウズベク社会主義共和国の国境を越えた頃に積雪量はモスクワの半分以下であった。


 イランからは情の欠けた砂漠の道をひたすらに行き、日中は日光の差し込む車窓から離れる様に、夜は月明かりを見れるように席を動かしながら過ごす。


 時折停車する駅から見えた異国の風景は、北の大地から久しく出ていないラスカーの目を楽しませるには充分だった。それでもすぐに見飽きる砂の丘を行く時間の方が遥かに長かったのだが。


 右余曲折も特になく、砂の丘とただただ間延びした時間が過ぎていき、ようやくになってアリーシュ駐屯地へとたどり着いた。




 ここに来るまで約二週間。久しぶりに列車から降りたラスカーは低中緯度特有の空気自体が熱を孕んだ息苦しさを感じた。

 まだ冬だというのに、アリーシュではすでに夏が来ているのか。列車から降りた兵士達にそう錯覚させる。


 ラスカー達は列車から今度はバスに乗せられてアリーシュ基地へと向かう。海岸沿いを行くバスの車窓からは太陽を反射して青く輝く地中海が見える。

 だが、途中からは海の輝きを遮るように灰色のコンクリートの壁が続くようになる。


「こちらがオズアルプ砦となっております」

 ガイド役の女性兵士が唐突に淡々と説明を始める。

「旧オスマン帝国のキャールム・オズアルプ将軍が築いた砦で、先のメドセストラ作戦に於いては砦の一部を近代化させて、オスマン帝国軍が最後の抗戦を繰り広げた舞台でもあります」

 誰も彼女の説明に対するリアクションはしないものの、オズアルプ砦の威容には兵士のほとんどが呑まれていた。

 当時のオスマン帝国軍はソビエト軍と現地民から徴集された英国軍に挟まれるも、果敢に応戦したのだと、内容のわりには感情の籠らない声が補足をした。


 オズアルプ砦の所々には赤錆がこびり付いており、それが兵士達の血であると思うと、うすら寒い物を感じずにもいられない。

「ちなみにですが、オズアルプ砦内では時折血まみれのオスマン帝国軍の兵士達がうろついているなんて噂もあるので、皆さまお気を付けください」

(全然怖がっているようには見えないんだがな………)

 ラスカーは苦笑した。




 アリーシュ基地にはすっと伸びた滑走路に管制塔や兵舎、簡素なハンガーには機行戦車がずらりと並んでいた。ずらりと並んでいる『Mt-05オレニョーク』はビボルグ基地でラスカーが乗っていたヴィフラより先に正式配備された機体だ。特徴としてはヴィフラよりも造りが簡略化されており、ヴィフラよりも整備性に優れていることだ。

 メドセストラ作戦ではオレニョーク、ヴィフラともに配備されたが砂漠という環境でヴィフラは稼働率の低さが露呈し、中東方面の前線の兵士からはオレニョークの信頼性が高まっていた。


 ハイ・ロー・ミックス構想における自分の対極を垣間見た気がして、ラスカーはなんともおかしな気分になったが、今のラスカーは機行戦車乗りではなくFoTEのパイロットなのだ。ラスカーは余計な感傷だ、とすぐさま気持ちを切り替える。


 バスのガイドをしていた女性兵士がそのまま基地の案内もするようで、ラスカーと整備班の班長であるハミルマ・コーデリック曹長はアリーシュ駐屯地の最高権限を持つ男の執務室へと通される。


「ルガツェン・ブラギエフ大佐。エルヴィラ・ザノフ少尉であります。ラスカー・トルストイ大尉、ハミルマ・コーデリック曹長が到着致しました」

 澄んだ声が空虚な廊下に響き渡る。女性兵士エルヴィラはジャンナと同じ階級であったがエルヴィラの居姿はジャンナより遥かに兵士らしかった。


「入れ」

 執務室の扉の向こうから野太い男の声が聞こえた。ルガツェン・ブラギエフ大佐の物だ。ルガツェンはアリーシュ駐屯地に駐留する第一九四大隊を指揮している。


 エルヴィラが扉を開け、ラスカーとハミルマに中に入るよう促す。

 ラスカーが一歩、室内に踏み込むとハミルマも続くように中に入った。


 室内の床はリノリウムの固い物で、この暑苦しい部屋には冷房機器は存在していない。

「本国じゃ、未だに雪で道路が埋もれて氷に足を取られる季節なんだろうな………。暑いか?」


 ルガツェンがラスカーの目を正面から捉えた。ラスカーはその茶色の瞳孔から目が離せなくなる。

「いえ」

「ふむ、額から汗をかいているが?」

 ラスカーの額から汗が伝って降りて来た。この部屋には籠るような熱気が存在していた。


「……………」

「いや、しょうもないことを言ってすまないな。言う事無い忍耐だ。…私がここの指揮を執っているルガツェン・ブラギエフ大佐だ」

 ルガツェンがそう言い、ラスカー達は敬礼をする。


「強化機甲戦闘機試験大隊所属、ラスカー・トルストイ大尉。ただいま到着いたしました」

「同じくハミルマ・コーデリック曹長、到着いたしました」

 ルガツェンも敬礼を返す。


「あぁ。エリョーメンコ少将から報告が来ている。FoTEとか言ったか、新しい玩具の名前は」

 ルガツェンがそう言った瞬間、ラスカーやハミルマの顔が若干曇った。


 ルガツェンもそれが分かっているのだが、意に介さず言葉を続ける。

「せいぜい税金と兵士の無駄にならないように気張ってやれ。貴様らがいた所とは何もかもが違うんだ。その気でいろ」

「「はっ」」

 言うだけいうとルガツェンは散乱した机に向き直ってしまった。


「ザノフ少尉、連れていけ」

「はっ。それではこちらへ」

 ザノフの後を付いて行くようにして執務室を出る。

 ラスカーはルガツェンを見て、環境の違いをまざまざと見せつけられた気分になったのだった。




 ラスカー達が基地内を見て回り終え、強化機甲戦闘機試験大隊に割り当てられたハンガーにはメドヴェーチが運び込まれていた。夕日を反射するメドヴェーチが嫌に眩しい。


 管制塔の窓から二機のメドヴェーチが仰向けになって運搬される様子がよく見えた。

 エルヴィラも物珍しそうにメドヴェーチを見ていた。


「あれが…強化機甲戦闘機、ですか………」

 ラスカーはメドヴェーチを見つめるエルヴィラを見ている。赤みがかったエルヴィラの髪が夕日に映えている。だが、ラスカーの視線に気づいたのかエルヴィラが顔を振り向かせた。

「なんですか………?」

「すまない。少尉は何事にも無関心な感じかと思っていたから、メドヴェーチを見たときの反応に驚いてしまったんだ」

 ラスカーも同じように窓の方に体を向けた。


「あの白い機体が『Ks-17』だ。俺が乗るのはソレの試作機だ。と言っても性能はテストの結果を受けてマイナーチェンジをしただけでほとんど変わらないらしいがな」

「そうですか。それでは…機行戦車とはどれほど違った物なのですか?」

 エルヴィラが踏み込んで質問をしてくる。ラスカーは顎に手を当て、少し考えてからエルヴィラに伝え始めた。

「そう、だな…より人間の動きに付いてくるって感じだな。機行戦車と言うと脚部があって、前腕、中腕があるだろう? それだと、やはり脳が動かすのにラグが生じる。違和感って、教本じゃ書かれていたか。だが、FoTEはソレが無い分、素直って感じだろうな」

 ジェーコフスキー基地で初めて機体を動かしたときのあの感触は未だに忘れられるものではない。ありありと脳裏に、手に焼き付いている。


「気になるのか? ザノフ少尉」

 ラスカーが気まぐれに言った言葉にエルヴィラは大まじめに頷いた。彼女の琥珀色をした瞳がラスカーの碧い目をじっと凝視する。

「当たり前です。これから私の命を乗せて飛ぶんですから」

 エルヴィラは自分の命を乗せて飛ぶ、と言った。それはつまりもう一機のメドヴェーチに乗るということだ。

「そうか………!」


 エルヴィラはカーゴパンツのポケットから一枚の紙をラスカーに手渡す。

 それは辞令であった。第194大隊から強化機甲戦闘機試験大隊への転属の旨が明記されている。

「エルヴィラ・ザノフ少尉、ただいまより強化機甲戦闘機試験大隊、FoTE小隊第1分隊に着任いたします」

 エルヴィラは角のしっかりとした敬礼をした。その姿はエルヴィラの性格を表しているようにラスカーは思った。

「ラスカー・トルストイ大尉だ。歓迎しようエルヴィラ・ザノフ少尉」


「それでは分隊長、さっそくなのですが」

 ラスカーが敬礼を返すと、エルヴィラがラスカーの方へぐっと近づいてきた。ラスカーは何事かと一歩後退したが、そんなものお構いなしだ、とばかりにエルヴィラが更に詰めよる。


「ど、どうしたザノフ少尉………?」

「実機訓練をしましょう。時間が勿体ないですから」

 まだアリーシュ基地に着いてから一日も経っていない。それなのに訓練だという新たな部下の姿に、ラスカーはエルヴィラには静かに燃える闘志を見た。


「………」

「分隊長?」


 エルヴィラは首を傾げる。

(ジャンナ少尉の奴には見習わせたいくらいだな………)

 ラスカーは自覚はするが、改める気はない。

「二週間、体も鈍ってしまっていたところだ。肩慣らし程度に捻ってやろう」

 このとき、砂漠の夕日は大西洋の方向へ沈もうとしていた。

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