第19話 古都に響くは予兆の雷鳴Ⅱ
話終えたエルヴィラは小指をピクリとも動かさず見事な立ち姿を見せている。
「仲間を失う恐怖が少尉を駆り立てていた、と」
「はっ」
ラスカーはどの言葉を掛けるか考える。仲間を戦場で失う経験は兵士誰でもがしていることだ。
さて、なんと言うべきか。
ラスカーは口下手な自分が恨めしくなる。
「俺が士官学校を卒業して配属されたのが北部戦線だった。少尉、知っているか? フィンランドの森には死神がいるんだ」
「死神、でありますか」
ラスカーは頷く。今でも忘れないあの白と赤の斑の風景。あの時の匂いさえ、昨日の事のように思い出せる。
「たった一つの丘を求めて、何機もの機行戦車が投入された。だが、突破はおろか、近づくことすら出来なかった。その時、少尉と同じようにニュービーだった俺は足元で倒れていく同期を見て発狂したよ。勝手に敵に照準を合わせて突撃していた」
少尉と同じだな、とラスカーは付け足した。
「だが、拠点防衛の観点から言えば四方に弾をばら撒くより、孤立して突撃する的を叩くのが一番効率がいい。俺は集中砲火の的になった。その時、当時の中隊長が俺を庇って戦死されたんだ」
ラスカーは一拍置いて瞼を閉じる。今でもありありとあの人のヴィフラが爆発四散していく光景が映し出される。
ラスカーはせめて、エルヴィラのような兵士の経験は誰しもがしているものだと教えたかった。
「分隊長は、どのようにして乗り越えたのでありますか」
エルヴィラはそう尋ねた。藁にもすがると言ったような感情をその目に乗せて。
だが、エルヴィラの問に対してラスカーはなんの答えも示さなかった。
「乗り越えてなんていないさ。俺は割り切ったんだ」
「割り切った…?」
「これが戦争なのだと。敵が俺に抱かせた感情があるように、俺もまた同じ事を相手にしているんだ。だから仕方ない、とな。真に戦死者を哀しむことが出来るのは全てが終わって、心が平常に戻ってからだ。それまでは先達を悲しむ為に一刻でも早く戦争を終わらせる為に戦わなければいけないんだ」
人間は進化を重ねる度に自然の理から外れる生物だ。生存の為に同種を殺し、殺す度に自分の心も殺していく。
「乗り越える為に戦う………」
「そうだ。俺の上司が言っていたんだが、心を治す薬は時間しか無い。しかし、軍人という生き物は心を癒し切る前に更なる傷を負ってしまう。治っても治っても傷を負うなら傷付ける根源を潰してしまった方が結果的に早く治る、とな。少尉が傷付き立ち止まっている間に、戦場にいる全員が同じ傷を負う。全員がその傷を治す為に戦っているんだ。勿論俺もな」
全員がやり切れない感情を持って、終わらせる為に戦っている。立ち止まっている時間を享受する権利を、前線の兵士は持っていないのだ。
「さ、少尉。明日から訓練のし直しだぞ。次は今日のようにはなってくれるなよ」
「はっ!」
エルヴィラは敬礼をした。それは形式上のものではない。真なる同胞に向けた、エルヴィラ・ザノフという人間の全てを乗せた敬礼だ。エルヴィラはこの戦士と共に戦えることを光栄とすら思っているのだ。
少年兵という単語が社会で一般化された世界で、まともな思考が出来る人間が一体どれほどいるだろうか。
ルガツェン大佐は、参謀本部付きの上官から渡された司令書を読んで、若干の頭痛を覚えていた。
曰く、爆撃機よりも素早く戦闘機よりも継戦能力が高い。
正味、自分に言われても困る。ルガツェンは呻く。
そもそも最前線の部隊に参謀本部直轄の部隊を回すな、と叫びたかった。
箱を開けてみれば新兵器の試験部隊、上からは壊すな、失うなとキツく言われてしまう始末。
なら、後方でテストしていろよ。こう言えたらルガツェンの精神衛生上、大変よろしいのだが、何分たまにしか連絡は付かないときたものだ。
「大佐、トルストイ大尉をお呼びしましょうか」
ルガツェンが一人、心内で愚痴を飛ばしていると、部下の一人がそう言った。
この司令書は強化機甲戦闘機試験大隊のものだ。トルストイ大尉を召集するのは当然だ。
「頼む」
「はっ」
ここまでルガツェンがナイーブになるのも仕方ない。いつも碌なことを言わない参謀本部の虎の子の新兵器とその部隊を預けられているのだから。ここは戦場、最前線。いつ爆発するかも分からない爆弾を身体に括りつけたまま戦えと言われているにも等しい。
「たまったものではない」
「大佐?」
「いや、参謀本部の思い付きに付き合わされるこっちの身にもなってほしいと思ってな」
「いっそのこと、どの国も参謀なんて呼ばれてる連中ばかりでドンパチやってくれたら戦争なんてすぐ終わってくれそうですけどね無茶な作戦ばかりで実行する人間がいなくなって」
「ハハハ、全くその通りだな。我々が優秀なのがいけなかったか」
ルガツェンは皮肉を言った部下と笑う。冗談でも言っていないと、イライラで替えのテーブルを陳情しそうになる。
「ラスカー・トルストイ大尉、入ります」
ラスカーはそう言ってブラギエフ大佐のいる司令室へと入る。
中にいるのは当然ブラギエフ大佐と秘書らしい部下が一人、そして無線を片手に難しそうな顔をしている通信兵だ。
「爆撃機よりも素早く戦闘機よりも継戦能力が高い。エリョーメンコ少将がそう仰っていたがどういう意味か、貴様は理解しているな? トルストイ大尉」
「はっ」
確かFoTeのコンセプト、だったか。
生まれは米軍の兵器である。大隊内では一度も聞かなかったのだが、とラスカーは誰にでもなく心の中で呟く。
「よろしい。では貴様はこの文句通りに動かせるのだな?」
「はっ。我々はその為に存在している部隊であります」
爆撃機にも戦闘機にも乗ったことのないラスカーだが、自分の技量は確かな物であると確信している。モスクワに集められたパイロットは軍内屈指のエース達であるからだ。
「それは上々。ならばこれを読みたまえ。北アフリカでの貴様達の初仕事だ」
ブラギエフ大佐はラスカーに司令書を渡した。
「拝見致します」
紙を捲るようにして内容を頭に入れる。一通り目を通して司令書の一枚目を閉じる。
「威力偵察でありますか」
司令書に書いてあったのは、大規模攻勢の前の前哨戦であるカイロ要塞攻略、その先鋒として分隊の試運転も兼ねたカイロ要塞への威力偵察であった。
「そうだ。一週間後、貴様の部隊でカイロ要塞を襲撃しろ。そして敵勢のおおよその兵力を測るのが任務となる。敵の航空戦力をこの時に軽減させることが望ましいが、それは貴様の裁量に任せる。カイロ要塞まで行って、無事に帰って来い。要約すればこういう事になるな」
「はっ、承知致しました」
「うむ。後は、我々は門外漢だからな細かい所や必要な物は後で書類にして提出しろ」
ブラギエフ大佐は少し突き放したような口ぶりでそう言った。それだけまだ信用されていないのだ。この任務で少しでも信用を得られたらいいな、とラスカーは考える。
その為に、この任務を完璧に成功させる。
「ブラギエフ大佐、一つよろしいでしょうか」
「なんだ」
早く出ていけと言わんばかりに鋭い眼光がラスカーを貫く。
「必要な物、というのは具体的に言えばどの程度まで許されるのでしょうか」
「ふむ………、部隊などは駄目だ。そもそも参謀本部直轄の貴様の部隊宛の任務であるからな。だが、それ以外ならある程度の補給物資、兵装は最大限努力しよう」
ラスカーは頭の中でずっと考えていたあるアイデアについてようやく実行に移す権利を得たことに、内心でほくそ笑んだ。
「なるほど、了解致しました。それでは侵攻ルート等の作戦案を作成して参ります。失礼致します」
「あ、あぁ………」
ラスカーは敬礼して、司令室を後にする。
トルストイ大尉が退室したのを確認すると、ルガツェンは大きき溜息をついた。
「見たか、たった二機で敵陣に突撃して無傷で帰って来いと言ったのに笑っていたぞ…。一体何を我々に用意させる気なのか………」
今から考えるだけで戦々恐々である。ただでさえ干上がった兵站で、その少ない予算をやり繰りしているのだ。
「あれが北部戦線のエースの自信なのでしょうな。なんでも猟犬と呼ばれているとか」
「犬でも狐でもどっちでもいい。送るなら荷物を満載した
「全くですな。これで機体を損失したとなれば、考えるだけで大佐の胃が慮られます」
「「ハハハ」」
司令室の中で全然愉快そうではない笑い声が響きわたる。
「喧しいわ!」
そして怒号が轟いた。
一週間後、ラスカーの前に用意されたのは『57mm汎用支援砲TT-57』。オレニョークの搭載重量ギリギリの火砲だ。使い手のいなかったコレを見つけた時、ラスカーは小躍りしたくなったし、コレの使用許可どころか大隊に寄付とまで来ればアルコール度数の低い安酒でも美味しく感じるほどだった。
「コーデリック曹長、調整は!?」
「終わってますよ。まさか本当に持ってくるとは思いませんでしたけど」
ウキウキのラスカーとは打って変わってハミルマは目の下のクマの暗度を一層深める。
「少尉の機体もTT-57を運用するように換装してあります。ですが…近接装備を全て排除して予備弾倉にまわすというのは、少し理解しかねますがね」
「安心しろ。敵兵はTT-57の射程に入った瞬間に生きては帰れないよ。俺の知る限り、最高のスナイパーが俺の後ろを飛ぶんだ」
それに前衛と後衛の役割を分けての実戦のテストも兼ねているのだ。
「まぁ大尉の腕が相当なモンってのは重々承知しておりますがね」
「あぁ、俺も曹長のメカニックの腕は信頼しているぞ」
そろそろ任務開始時刻だ。
ラスカーはエルヴィラの乗るメドヴェーチに向かって叫ぶ。
「少尉、装備しておけ」
「了解。TT-57を装備します」
すると、メドヴェーチのスピーカーからエルヴィラの声がした。
そしてラスカーも自分の機体に乗り込む。
「コックピット閉鎖。脊髄接続、問題無し」
脳内に溢れる膨大な情報。火器管制、無線、残り燃料、残弾数、機体ダメージ。どれも問題無し。本当にハミルマ達整備班には頭が上がらなくなる。
「少尉」
「分隊長? 何か? 問題はありませんが」
TT-57のおかげですっかり重要な事を言い忘れていた。
「
「
今まで大隊名やラスカー分隊と呼ばれてきたが、この威力偵察任務を以てコールサインを与えられた。
「コールサインだ。俺がグローム01、少尉がグローム02だ」
「あぁコールサインでしたか。
「俺もお気に入りだ。それでは少尉。グローム分隊初めての出撃任務と行こう。目的地は
カイロ要塞だ。奴らの頭上に鉛玉をしこたま置いていってやろう」
メドヴェーチの腰部スラスターが甲高い機械音と膨大な熱を放ち始める。既に整備班は屋内に退避していた。
「グローム分隊、此方管制のファジア・グラクレスト中尉だ。レーダーに感なし。至って平和な空だ。発進を許可する」
「グローム分隊、了解。発進する」
グローム分隊は
ラスカーは頭上ばかりでなく眼下に広がる
この時ばかりは自分が戦争をしているなど頭の中から転げ落ちてしまったかのようだった。
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