第18話 古都に響くは予兆の雷鳴Ⅰ
強化機甲戦闘機試験大隊ラスカー分隊に与えられた部屋。天井から吊るされた電球の青白い光は暗いエルヴィラの姿を照らす。
「さて………」
ラスカーは手元の資料をテーブルに無造作に投げた。怒っているわけではないが、部下に説教をする時には必ずこうしていた。部隊の規律を締めるには毅然、厳然とした態度の提示が大前提だ。
「今回のシミュレーター訓練に於いての失敗。まずは何が起こったのか、説明してみろ」
「はっ、編隊飛行中に小官の機体が追突し大尉を巻き込み大破させてしまいました」
そうだ。ラスカーはあの時、背後から迫るエルヴィラの機体がぶつかって来て姿勢制御を乱し地面に激突。何度もカメラのログを見直した限りはそうだ。断じて敵の射撃などは無かった。
「少尉のNRリングのログは確認させてもらったが…少尉、君は過去に何かあったのだろうか? それを説明してもらいたい」
「………」
エルヴィラは固く口を閉ざす。そうなれば当然ラスカーの質問は詰問のように変わってしまう。
「これはあくまで訓練の失敗の原因を洗い出して再発を防ぐ為だ」
「………はい」
重々しくエルヴィラはその口を開いた。
「あれは、自分が第194大隊に着任して間もない頃でした………」
「エル、まさか同じ部隊に配属されるなんてね!」
ソビエト=オスマン戦争、メドセストラ作戦を終え第194大隊はアリーシュ駐屯地に駐留を始め、ようやく兵士達は一つの戦争を生き残ったと実感し始めていた頃、オスマン帝国軍の残党を最後まで追いつめて消耗していた第194大隊に補充兵の一人として配属されたエルヴィラは同じ士官学校の同期だったディアーヌ・トルガウスと思わぬ再会を果たしていた。
「久しぶりねディア。また会えてよかったわ」
エルヴィラは当時は比較的安全であった後方の部隊にいた。だがディアーヌは任官と共に第194大隊に配属されていた。エルヴィラは再会した瞬間に、自分とディアーヌの間で何か決定的な精神の差異を感じていた。
「小隊長からエルを案内しろって言われてるの。早速案内してあげるね!」
後方の部隊は自分のような新兵ばかり。しかしこの第194大隊は欧州大戦の開戦以前から軍役に就いていたような熟練兵ばかりだった。そんな所で生き抜いてきたディアーヌからは当然自分とは違う空気を漂わせていてもおかしくはなかった。
ディアーヌの後ろから案内をされる。アリーシュ駐屯地は一つの戦争が終わったばかりだと言うのに後方にはない前線の空気というものを確かに感じさせていた。どの兵士も目が鋭いのだ。そしてそれは時折ではあったがディアーヌも見せるのだ。
そしてエルヴィラは初めての実戦に赴く。
ソビエト陸軍の駐留に嫌な思いを抱いたイタリア陸軍の夜間強襲だ。
第194大隊はアフリカ大陸に一番初めに足を踏み入れた部隊。撤退は当然、全滅など許されていなかった。全部隊が迎撃に駆り出された。そこに新兵も熟練兵などの違いはなく、ただ決定的な違いを持った等しい駒として。
「大丈夫だよエル、生き残ることだけを考えて。怖いのが目の前にあったら人差し指でトリガーを引く。はい、復唱」
「ひ、人差し指でトリガーを引く………」
エルヴィラはディアーヌに促されるまま新しい機体MT-2オレニョークに乗り込む。
エルヴィラは機行戦車のコックピットが大嫌いだった。そもそも志願でも徴兵でも適性を持っているならば選択肢を与えられずに放り込まれる兵科なのだ。それなのにエルヴィラはかろうじて機行戦車を動かせるだけの数値しか持っていない。エースを狙う? 両手に持った30mmで1km先の空き缶を狙った方が遥かに確率が高いだろう。
NRリングを首に嵌められる。忌々しい棺桶に自分を繋ぐ枷だ。これのせいで常時管制官に監視されるのだ。
「ニュービー。準備はいいか?」
「は、はいっ」
声が上ずる。小隊長は豪快に笑った。
「我が小隊は敵機甲部隊の排除を命じられている。貴様はなるべく戦車を狙え。大物はこっちで片付ける。連中の豆鉄砲じゃオレニョークの装甲は抜けないが、なるべく敵の背面を取ることを心掛けろ」
「りょ、了解………」
「よし、クラースヌィ小隊出撃!」
小隊の先任の後を追うようにしてエルヴィラも発進した。
「管制より、クラースヌィ小隊。現在敵機甲部隊はシーニィ小隊が抑えている。至急援護に向かわれたし」
「各機、よく聞いたな? パスタ共に鉛弾のフルコースをお見舞いしてやれ!」
小隊長の30mm弾のマズルフラッシュが瞬き始めると、他の小隊員も同じように射撃を始めた。
チカチカと点滅する視界の中、エルヴィラもがむしゃらになって引き金を引いた。
怖くなったら引き金を引け。今のエルヴィラにはレーダーに表示される赤い点が恐ろしくてならなかった。
敵の機甲戦車がこちらを向いた。エルヴィラを。よりによってエルヴィラを。複眼のような敵のカメラが今、自分を見て、照準を合わせている。そう思った途端に頭が真っ白になった。
「おいニュービー! なぜ前進している!? 戻れ! 戻れ! クソっ! クラースヌィ01よりクラースヌィ小隊各機! ニュービーの援護だ。幸いにして敵は引きつつある。押し込むぞ! シーニィ小隊、後ろは任せたぞ!」
「シーニィ01了解した。新人の尻拭いは大変だな? クラースヌィ01」
「そう思うんならテメェが隠してるウォッカ寄こせ。クラースヌィ小隊、前進!」
「おまっ何で知ってるんだよ!?」
「「「了解!」」」
クラースヌィ小隊が前進を始める。代わりに抜けた穴をシーニィ小隊が埋める。襲撃時から敵の数はだいぶ減っている。それに対してこの火線は充分過ぎる。
クラースヌィ小隊がエルヴィラを守るべく前進する中、イタリア軍は撃ち返してはいるものの、どうにもまとまりが無い。まるで今更になって威嚇射撃でもしているようだった。歴戦のクラースヌィ小隊が気づかないはずが無い。エルヴィラを除く全員が心のどこかで同じことを思っていた。「何かがおかしい」と。
それはまるで誘蛾灯を灯して羽虫を招き寄せるような。しかし、今の半ば発狂状態のエルヴィラは後ずさりをする恐怖の根源に対して鉛弾を食らわせるべく引き金を押したまま前進する。
「ニュービー! エルヴィラ・ザノフ少尉! 小隊の所まで引け! クソっ無線が壊れたのか!?」
「小隊長、自分が連れ戻します!」
「トルガウス少尉か。任せた!」
更に小隊からディアーヌの機体が離れ、エルヴィラの機体に近寄った。
「ザノフ少尉! ザノフ少尉! 聞こえているなら返事をして!」
「ディ、ディア・・・? 私は・・・・」
無線からディアーヌの声を聞いたエルヴィラはさっきまで憑りついていた何かが急に離れて行ったように正気を取り戻す。
「よかった。無線は通じてる・・・。小隊長、ザノフ少尉を確保。小隊のいるラインまで後退します」
ディアーヌは小隊長への報告を終えると、再びエルヴィラに無線を繋げる。
「少尉。後退してラインを整えます。単機での突出は自殺行為と同義です」
「りょ、了解」
そしてエルヴィラがオレニョークを後退させようとした、その時だ。ディアーヌの乗るオレニョークから火が舞い上がった。
「ディア!」
「少尉? 少尉!? どうした報告しろトルガウス少尉! ザノフ少尉!」
無線から小隊長の怒声が聞こえる。だが、耳はそれを言葉と認識せず、エルヴィラはじっと黒煙の奥に燻る敵を睨む。ディアーヌを殺した敵を。
「お前が・・・お前がァァッ!」
反射的に引き金を引いた。放った弾丸の全てがイタリア軍機行戦車に吸い込まれ、大破炎上。レーダー上のマーカーが二つ、姿を消した。
エルヴィラは吼える。理由はよく覚えていない。生存本能からくる恐怖故に、友人との死別故に、少女であった自分と彼女を戦争へと駆り立てた祖国への失望故に。
そこから先、どうして次の日の朝、医務室のベッドに寝かしつけられていたのかは覚えていない。
この襲撃の後、第194大隊の間ではクラースヌィ小隊に着任したばかりの新兵が先任を盾にして生き残った、という噂が立った。クラースヌィ小隊のメンバーは当然否定したし、シーニィ小隊も当時の状況を見ていた為に否定の色を示していた。
そのせいか、噂は一部の兵士の悪い冗談として沈静していくが、エルヴィラは確かにその通りだ、と一人自責の念に囚われていた。
あの時は正気を失っていた。自分がまともではなかったばかりにディアーヌは死んだ。もしあの時、自分が勝手に前進などしていなければディアーヌが死ぬことは無かった。エルヴィラは眠る度にそう考え込むようになった。睡眠時間はどんどんと自責によって消費され、眠ると言っても脳が限界に達し意識を失うように眠るのだ。
スエズ運河の奪取、それに伴うイタリア軍占領地帯への侵攻作戦。戦艦すら通りうる運河を占領ないし破壊し封鎖するのが目的だ。陽動として英軍も同時期に展開していた。アラビア半島から産出される石油を届けるには紅海からスエズを渡って地中海を出る方が、一々喜望峰を回るよりも早いという理由だったらしい。エルヴィラはそこまで戦争がしたいのか、と石油の利権を握っている肥え太った資本主義を笑った。
作戦決行日、エルヴィラはオレニョークのコックピットに乗り込み、じっと砂漠を睨む。
「ニュービー、気合が入っているな」
「はい」
短い返答のみだ。
ディアーヌを殺したイタリア軍、戦地に送りやった祖国、祖国にその汚名を着せた戦争。その全てが恨めしい。
「ニュービー。これをトルガウス少尉の弔い合戦と思っているなら、その考えは改めろ」
「えっ?」
「時間だな」
「此方CPより、戦域に展開している全部隊。侵攻を開始せよ。繰り返す、侵攻を開始せよ」
管制官が新たな戦争の再開を告げる。
「クラースヌィ小隊、前進」
「了解」
鉄の棺桶は喜び勇んで異国の地で蹂躙を開始した。
スエズ運河を挟んで70m前方にイタリア軍がいる。相手が対岸に陣取っている中で渡河作戦など、死にに行くような物だ。
「此方CPより、全部隊。歩兵師団の到着を確認した。砲撃を開始。繰り返す砲撃を開始せよ」
管制官の合図により砲兵隊のいる一帯から砲撃音が轟いた。着弾を待つ間もなくイタリア軍からも砲弾が返ってくる。発砲音は雷鳴の如く、砲弾はまさしく弾雨が如し。
クラースヌィ小隊も、敵の迫撃砲や自走砲を黙らせるべく射撃戦へと移行した。
エルヴィラは照準を絞る暇を惜しみ、射線が通った瞬間に引き金を引いた。
的はあれだけあるのだ。何も特別なことをしなくても30mmの弾丸はイタリア軍の兵士の肢体をバラバラに引き裂いた。
「次、次、次ッ」
圧倒的な火力の差。砲門の数。スエズ守護を命じられたイタリア兵士を硝煙が覆い隠したとしても鳴りやまない地上の雷鳴。降り注ぐ雷。エルヴィラがちょうど予備弾倉まで使い終わった頃、スエズ運河はソビエト連邦の手に落ちた。
スエズ運河を占領したとしても、取り返されては火薬と人員の無駄だ。
「これからカイロ要塞まで進軍…でありますか………?」
「あぁ。急に決まったようで、今どこもかしこも大慌てで準備をしてる。貴様も今のうちに休んでおけ」
硝煙は川の流れに連れられて夜の闇へ溶けて消えて行った。
最初の目的であるスエズを越えて部隊は西へ。カイロ要塞へ。
夜間を進軍し、カイロ要塞へ至る。しかし、そこには当然イタリア軍が配備されている。歩兵、砲兵、機甲全て合わせて師団規模。
「此方CPより戦域の全部隊。現在、中東方面軍から援軍が向かっている。援軍まで持ちこたえ、イタリア軍を撃滅せよ。繰り返す―――」
イタリア軍は師団規模、ソビエト連邦陸軍は疲弊している機甲大隊である。だが、撤退は許されない。敵前逃亡は軍法会議にかけられ銃殺刑。カイロにいる両軍の兵士には前進しか許されていなかった。
「行くぞ。文句があるのはよく分かる。俺にだってあるからな。だが、言ったところでどうしようもない。どうせなら一番槍でも貰おうじゃないか。クラースヌィ小隊、行かせて貰うぞ」
クラースヌィ小隊の突撃を皮切りに、他の機行戦車部隊が続く。
歩兵の小銃、機関銃ぐらいならば機行戦車の装甲には傷が入らない。軽戦車の主砲程度なら継戦に問題はない。だが、今ソ連兵達が突撃を敢行しているのはイタリア軍が防御陣地として利用しているカイロ要塞だ。地獄はスエズでは無くカイロに在った。
「ぐわああっ!?」
クラースヌィ02の機体が爆発した。射線を辿ればイタリアの機行戦車の姿があった。
「クソっ!」
エルヴィラは引き金を引く。敵の機体からは火が上がった。
「クラースヌィ04よりクラースヌィ01、クラースヌィ02は大破! 生存は見込めない…かと」
「分かった………。クラースヌィ04、絶対に止まるな。俺のケツから離れるな! 死ぬ気で喰らい付いて来い!」
小隊長の機体がジグザグと、複雑な機動を開始した。それは見事なまでに完成された戦場の妙。生き残る為の術。
砲弾が機体を掠める度に警告がポップアウトし、コックピットに耳障りな金属擦過音が響く。
「クラースヌィ04、了解!」
だが、怯んではいられない。砲撃は敵の戦意まで粉砕してしまおうとする。戦場の女神は、いつだって悪魔に変わる。
「よし、機動防御だ。頭を出してきた所を叩く。こっちは別に敵を全部殺さなきゃいけないわけじゃない!」
援軍が到着するまで持ちこたえれば、この戦いは終わる。それまでの時間稼ぎをすればいい。エルヴィラは必死にその言葉に縋る。
後ろを向くなかれ。背後には振り切れないディアーヌの亡霊がそこでじっとエルヴィラを見つめているのだから。
「クラースヌィ01、敵突出部隊とエンゲージ! さっさと引っ込んでパスタでも茹でてろ!」
30mmの、もはや聞きなれた炸裂音がして、突出していた敵部隊は後退していく。
「敵部隊、撤退していきます!」
エルヴィラは逃げ帰る戦車に狙いを付けて引き金を引いた。そして爆炎が上がる。もう何度、この作業をやったか、数えることすらエルヴィラはやめていた。スコアなど、言葉の意味すら思い出せない。
「此方CP、戦域の全部隊へ。援軍が到着した。繰り返す、援軍が到着した。もう少しだ、堪えてほしい」
あぁ、もうすぐ終わるのだ。管制官の援軍の報には歓喜の感情が込められていた。
「もう少しで終わるんですね…!」
「クラースヌィ04! 気を抜くな!」
そして最後の爆音はエルヴィラのすぐ隣で轟いた。なんて事のない自走砲の砲撃がこの場に於いて当たり前の事のように、これが戦場の理であると、早すぎる勝利の美酒に浸っていたエルヴィラを現実に引き戻す。
「あ、あぁあぁああああッ」
そしてエルヴィラもまた、引き金を引く。それは今日一日のルーチンワーク。戦場の理。弾丸はこれもまたいつも通りに敵自走砲を打ち砕いた。
作戦は終了し、援軍がカイロ要塞を包囲したのを確認して第194大隊はアリーシュ駐屯地まで帰還した。
急な攻撃作戦によって部隊損耗率は作戦開始前の予想を大きく上回り、部隊の再編成が行われた。
部隊の統廃合の末に、エルヴィラは新たな部隊に配属されることになる。
その新部隊の顔合わせ、初めて会話をするような相手から開口一番に、「味方を盾にしてまでスコアにこだわったエース様のご登場だ」。「俺達もスコアを釣るエサにするのかよ?」。「少尉殿は正しく死神でありますな」。
楽しげに、ニヤニヤとエルヴィラを見ながら談笑する同僚達にエルヴィラは何も反論をしなかった。心のうちで認めてしまった。確かにこの砂漠の地に来てから、自分に関わった者は今現在生き残っていない、と。
「そうだな。軍曹の言う通りだ。死にたくないのなら戦場で私の周りに立たないことだ」
怒る新兵を期待していた彼らは、あっさりと認めたエルヴィラに肩透かしをくらい、このいけ好かない後方からノコノコとやって来た新米少尉に赤っ恥をかかせてやろう、と更に過激な発言を連発し始める。
およそ子供のような罵倒が続き、廊下を歩いていた上官に見咎められた。しかし、その日からエルヴィラには悪質なイジメが始まったのだった。
だが時折、悪戯の為に近寄ってくる以外で他人がエルヴィラに近づくことは無くなり、内心でホッとしていた。今の自分には孤独こそが最も必要としている物なのだと、本心からそう信じ込んでいたからだ。エルヴィラの心は頑なに閉ざされる。
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