第21話 砂礫の丘に砲火は謳うⅠ

 ラスカーがアリーシュ駐屯基地に滞在を始めて半年が過ぎた。モスクワに比べると段違いなほどに北アフリカの環境は過酷である。湿度を含まない外気は一度吸い込むたびに喉を焼いて行き、制帽も被らずに外を歩き回れば大した時間も経たないうちに脳が茹でられてしまう。

 暖かいのと冷たいのどちらがいい?いやいや極端過ぎるだろ、とラスカーは内心で溜め息を漏らした。


 砂漠と鉄鋼。それが今ラスカーの視界を埋める要素だ。ラスカーは日陰の中でも全く涼しくないテントの下で双眼鏡を覗いている。


 カイロ要塞。この都市だけ中世のヨーロッパの中にいるかのような時代錯誤の感がそこにはあった。巨大な防壁の内には侵略者たる枢軸国家イタリアが立てこもっている。


 対空という概念が薄かった時代の代物だ。空は剥き出しになっていて、向こうのイタリア兵もラスカーの見ている空と全く変わらない同じ空を見ていることだろう。


 壁面には機銃を覗かせる窓が幾つも点在しており、時折、発射音が虚しく砂漠に響く。その音を聞く度に包囲軍は少なからずどよめくが、それも一過性のものでしかない。しかし、誰もがその虚しい炸裂音に共感を覚えてしまっている。

 早く戦争など終わってしまえ、と。


 数ヶ月前からソビエト連邦陸軍がカイロ要塞に対して包囲を開始していた。中世から抜け落ちたような、前時代的な攻略対象に対してこちらが取った攻略法も兵糧攻めという全くもって前時代的な物だ。

 だが、陸はソビエト連邦陸軍が要塞を包囲し、海ではアメリカ欧州軍第6艦隊が海上封鎖を行っていた。共に共通の敵たる枢軸軍のアフリカからの駆逐という目的の為に発令された作戦だ。

 イタリアを救うべくドイツアフリカ軍団が度々出現するが英西方砂漠軍団と自由フランス軍がどうにか進軍を防いでいた。


 ソ、米、英、仏。この四カ国が共同でイタリアを落とすべく北アフリカを血に染める。




 カイロ要塞を包囲しているのは第194混成大隊の殆どを占める歩兵大隊、トルコ共和国から徴兵されたトルコ軍だ。兵数の差は歴然であるが作戦指揮権はブラギエフ大佐にあった。

 半年間、第194大隊は包囲はしたが散発的な挑発行為のみを行ってきた。威力偵察もその一環だ。本攻勢までに敵の戦力を削り取り抵抗を少しでも弱らせる狙いだった。この包囲だけでイタリアのアフリカ攻略を担うイタリア第10軍が全面降伏をすることを望み薄と言えども期待していたのだ。だが、ついぞイタリアは古都を手放すことは無く、中東方面軍から抽出された部隊の編制も終了してしまった。


「諸君、いよいよだ」

 ブラギエフ大佐はその厳かな顔をさらに厳しくさせてそう切り出した。指揮所にはブラギエフ大佐やトルコ軍の指揮官、中東方面軍部隊の指揮官が集っているなかでラスカー・トルストイ大尉も臨席していた。


「このカイロ要塞を落とせば、イタリア半島は目の前だ」

 この場の全員の顔が引き締まる。佐官がそうなるのだからラスカーはもっとだ。


「現在、我が機甲大隊とトルコ共和国軍歩兵師団がカイロ要塞を包囲し、その後方に第26機甲大隊と中東方面軍の機甲二個師団が待機している」

 息切れ寸前のイタリア軍にはもはや過剰とも言える火力だ。それほどまでにこの兵糧攻めでイタリア軍は憔悴していると本国の参謀本部は考えているのだ。


「火力も充分なうえ、厄介なドイツアフリカ軍団は英、仏の両軍が引き留めてくれているが、連中にとっても地中海は大事な航路。英仏の部隊が抜かれる可能性もある。」

 アフリカ大陸の趨勢はこの作戦で決まるだろう。この大戦の趨勢がこの戦いにかかっているのは、それは火を見るより明らかだ。


「よって、要塞の攻略は速やかに行われなければならない。一々、門を破ってなどいられない。そこで、我々は要塞内にとびきりの爆竹を投げ込む」

「爆竹? それは一体………」

 ブラギエフ大佐は聞き返した将校を「今から説明する」と制した。


「カイロ要塞攻略について、時間の問題もあるが、舞台の損耗に関しても注意を配らねばならない。イタリア軍に向ける火力は充分であるが、カイロ要塞攻略の後、我らはドイツアフリカ軍団を殲滅する為に反転する必要がある。要塞は固く門を閉じ歩兵師団による突破にはかなりの犠牲が出ると予測されるが、出来うる限りそれは避けたい。そこで強化機甲戦闘機試験大隊だ。要塞攻略の後に地中海からローマを攻撃する予定のトルストイ大尉の部隊に本攻勢の最先鋒として上空から要塞内部へ浸透して門を内側から突破してもらう。門とその周辺の安全を確保次第、機甲部隊を突入させる」

 敵の航空戦力は使い物にならないとはいえ、要塞内部には最後の抵抗をしようとする相当数のイタリア軍がいるだろう。


「厳しい任務であることを許して欲しい。だが、それだからこそ大戦を勝利へと導く任務になるのだ。北部戦線の猟犬の腕を遺憾無く発揮してほしい」

 ブラギエフ大佐の目は、指揮官の目であった。自らの采配によって幾つもの命を散らせ、それでも戦う指揮官の目だ。


 決して他人に向けられることのない自責の眼差しがラスカーへと向けられた。

「はっ! 祖国の勝利と、その為に散った全ての同胞の為に、後続部隊の障壁を取り除いてみせます!」

「あぁ、頼む………!」







「少尉。準備は万全か」

「はっ、機体の調整は済んでおります」


 エルヴィラはパイロットスーツのファスナーを胸辺りで留めどうにかそこから熱を飛ばしているようだった。

 なんとも目のやり場に苦心しつつラスカーはこの作戦に於ける自分達の役割を伝える。


「我が隊が先行して後続の道を確保、でありますか」

「そうだ。敵の航空戦力はもはやまともに飛べない。FoTEの侵入を防ぐ能力は皆無だが、対空射撃には注意しろ。流石に学習しているはずだ。本作戦に於ける航空支援と呼べるものは我が隊を除いて他には無い。友軍に酷使される物と思われる。我が隊が玩具遊びをしているわけではないと、アフリカの連中に教えてやろう」

「はっ」


 エルヴィラは規律ある敬礼をする。エルヴィラ・ザノフ少尉は威力偵察までやってのけたのだが、それでもやはり緊張を隠せないようだ。


「分隊、機体に搭乗だ」

「はっ」

 ラスカーは自らの駆る白の機体を見上げる。光を反射するほど丁寧に磨かれた巨人はただ静かに闘争までの秒読みを待っている。


 タラップを昇り、コックピットに乗り込む。装甲で密閉されると余計に暑苦しく感じてならない。

「此方CP。グローム分隊、グローム01応答されたし。此方CP」

「此方、グローム分隊グローム01。CP、どうされた」

 ラスカーが無線を取る。グロームとは強化機甲戦闘機試験大隊所属ラスカー分隊に与えられたコールサインだ。その名で戦い始めて既に半年になる。耳に馴染んで久しい。


「いや、本格的な作戦参加は初めてだろうと思ってな。緊張しているか?まぁ文句を言われても困るんだがな」

 管制官であるグラクレスト中尉は少し茶化したふうに言ってくる。こうやって無駄話を出来る程度には強化機甲戦闘機試験大隊も北アフリカの地に慣れた。


「此方グローム01よりCP。問題無い。後続部隊には安心して突入されたしと伝えてくれ」

「CP、了解。戦果を期待している」


 無線が黙る。ラスカーはゆっくりと呼吸をした。戦闘の前はいつもこうだ。肺が空気を求めて破裂しそうな程膨らんでいるような感覚。これが緊張だとラスカーに教えてくれた人間はラスカーを庇って戦死した。だが、教えはラスカーの血となり肉となり、今のラスカーを生かしている。

 (もう部下を失わせないし、失わない。)

 強い意思と共にNRリングの装着シークエンスに入る。


「グローム01よりグローム02。そろそろ時間だ。脊髄接続を開始しろ」

「グローム02了解。接続完了。問題ありません」

 脊髄を経由して神経信号をくみ取るNRリングが自動で取り付けられる。一瞬、頭痛が走ると、全能感が沸いてくる。機体情報、残弾数。カイロ要塞の様子。デュアル・アイ・カメラから捉えている外の様子がはっきりと分かる。


「こっちも問題無い」

「此方CPよりグローム分隊。作戦開始まで残り300」

 管制官がそう告げる。これは枢軸崩壊までの秒読みだ。祖国を蹂躙したファシストに死の鉄槌を。ラスカーは万感の思いを込めて呪詛を呟く。


「5、4、3、2、1…。各機発進されたし」

「了解。グローム隊各機、跳躍噴射ブーストジャンプ開始」


 加圧空気の層がメドヴェーチの足底部に形成される。砂塵が巻き起こり、視界が悪くなるが、すぐに地中海の青がラスカーの目に飛び込んでくる。

 高度1000mにまで機体はすぐに上昇してしまう。

「グローム1よりグローム2。巡航機動に移行後は編隊を組み要塞上空まで移動する」

「グローム2了解」


 空は快晴。文字通り遮る物の無い空だ。空の青、海の碧。随分と見慣れた風景であるが、何度見ても美しいままだ。ラスカーはこれから死に逝く全ての兵士へ祈る。冥府への旅路が安らかであることを。


 メドヴェーチは機体の速度をゆっくりと加速させる。白銀の機体は陽光を反射し煌めいた。これから破壊する事象の全ては祖国の勝利と同胞の為。悪しきファシズムが存在できる領域など、この地球上のどこにも無い。


「我らが赤旗よ、死に逝く同志の旗よ、我らを勝利から次なる革命的勝利へと導きたまえ」

 カイロ要塞へと向けられた120mm滑腔砲の砲身から放つのは予期された霹靂。

 この号砲を聞く全ての兵士が銃を手に取る。


 若者は祖国の為と銃を取る。家族の為と人を刺す。人の為と人を撃つ。











 この放送を見ている全世界の皆さん、ご機嫌よう。私はアメリカ合衆国第32代大統領クリント・ベルトローズです。

 そしてこの場に臨席しているのは英国首相、サー・ヘンリー・レナード・ウィンストン。

 ソビエト社会主義共和国連邦ソビエト連邦人民委員会議議長、ヨーセフ・ベサリオニス・ヅェ・ヂュガシヴィリ氏。

 大日本帝国内閣総理大臣、北条新九郎卿。

 自由フランス亡命政府首相、シャール・アンドレア・ジョセフ・ピエリ=マリ・ゴール氏。


 我々は今、この地球上で行われている凄惨な事態を嘆いています。

 排他的な民族主義、ナチズムを唱える独裁国家の誕生により、途方も無い戦乱が渦巻いています。

 それは、罪の無かった人々に銃を持たせ、同じく罪の無い同胞を殺させました。

 俗に世界大戦と呼ばれる1930年に始まった今次の戦争が始まり既に14年、あと、数ヶ月で15年が立ちます。彼の国はその年月の間で悪の限りを成しています。愛する人を、妻を、息子を、友人を失った人々の悲しみは時を経るごとに増え続ける一方です。

 この14年間、我々は孤軍で彼の国と戦ってきました。しかし、彼の国は強大な軍事力により、列強と言われる我らを幾度と無く打ち返しています。

 我々には何が足りなかったのか。銃の弾丸ですか?戦艦を動かす油ですか?戦闘機の数ですか?全て違います。

 足りなかったのは、そう協調です。見てください。この固い握手を。過去に何度も争いあった国のトップ同士が今、こうして過去の軋轢を乗り越えて絆を結んでいるのです。

 我ら孤軍は大戦が始まって14年目にして、ようやく彼の国と戦う仲間を得ました。肥大したナショナリズムに対抗しうる紐帯の友を。私達、人類は手を取り合って困難に立ち向かう次元に至っているのです。

 この場にいる各国の最高責任者を代表してクリント・ベルトローズが全世界にいる愛する同胞達に誓います。


 我ら連合国は現時刻より失われた人類の14年を取り戻す奪還作戦を開始します。


 これが人類にとって最後の戦争とならんことを。

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