第33話 シベリア合同火力演習Ⅳ 『旭日』

 酒宴が盛大に行われる中、弥生は一人、ハンガーにいた。

 喧騒から距離を置いた、一人っきりのハンガーの中で、弥生は18mにもなる巨体を見上げていた。


 磨き上げられた、光沢を返す水色の装甲。海上での運用を想定された塗装は、シベリアの大地では酷く浮いてしまっていたが、この装甲色こそ帝国海軍人の誇りを示す物だと弥生は確信している。


 視線をもっと高く持ち上げると、不意にこの巨人と目があったような感覚になる。今は灯っていないが、起動すれば爛々と輝きを放つその双眸は、今ばかりは暗く瞼を閉じているようである。


 機体背部の武装キャリアから鈍色の射光が覗く。そこに目線をやれば、大和の武人の証たる刀が、野太刀どころの大きさではない巨人が持つに相応しい長刀が鋼特有の重厚な存在感を放っている。


 弥生は横に目をやる。すると、カーキ色を基調として迷彩色で彩られた四二式川蝉の姿がある。陸軍の部隊の機体達だ。その数は二個中隊分、三十二機。対して海軍機はたったの一個小隊分、四機のみ。数の差で負けようとも練度で負ける自信は微塵もないが、やるせない気持ちが込み上がってくる。

 父の愛した、そしてその背を追った自分が所属する帝国海軍は今、臣民達の批難の視線に晒されている。今の帝国海軍は陸軍の意向すら聞いてしまうほどに衰弱してしまった。


 帝国海軍の主導で発令された戈星かせい作戦。皇帝陛下の御意向を無視しアメリカ合衆国との戦端を開いたと陸軍が声高に叫び、世論が追従し、そして皇帝陛下自らが首を縦に振られた。

 かくして逮捕されたのは帝国海軍の中枢を担っていた将校達。その中には弥生の父である藤堂宗秀そうしゅう中将がいた。

 捕えられた海軍将校らは全て国家の逆賊と見なされ、軍法会議も無しに横須賀海軍基地にて銃殺刑に処される。

 麻袋で顔を覆われた海軍の将校は端から射殺され、地面に伏した。海の男が地で果てるなど、帝国を憂い立ち上がった海軍将校諸氏の無念は、父宗秀そうしゅうの無念は計り知れないものだ。たとえ臣民の誰もが逆賊と指を差したとしても弥生は彼らの護国の心を信じて疑わない。


 この合同演習も、帝国海軍には参加の話すら振られなかった。それを刑部大尉が上層部に掛け合ってようやく参加を許されたのだ。華族の箱入り娘のはずだが、なかなかどうして上官には平然と牙を剥く刑部大尉に、弥生は海軍、陸軍の枠を超えた尊敬を寄せている。


 弥生は瞼を閉じて、陸軍仕様の川蝉を視界から追い出す。そして徐に息を吐き出した。

(お父様、弥生が貴方の分まで戦います…。ですから、どうか安らかに………)

 真摯に祈りを捧げる様は少女のソレであるが、しかし、彼女の青春は歪められてしまった。


 不意に、ひどく酒の匂いが鼻を突いた。ジェーコフスキー基地で嗅いだ酒気だ。そして弥生はある特定の人物を思い出す。

「藤堂! 久しぶりだな!」

 あぁ、懐かしい声だ。凡そ私室と呼ばれる部屋にずかずかと入り込んで来た男はこの声の主が初めてだ。

 弥生は振り返ろうとして、動きを止めた。今、自分はどんな顔をしてるだろうか。友人に向けられる顔をしているだろうか。後ろ向きの暗い感情が弥生の中で渦巻いている。しかし、声の主は遂には弥生の肩に手を置いてしまう。


「トルストイ大尉殿、昇進おめでとうございます。それに叙勲もされたそうで、私にはソビエト連邦の勲章は分からないんですが、一応は」

 弥生は顔を伏せ、酒臭いラスカーに顔を正面から見られないようにしてそう言った。ラスカーは弥生を一瞬、不審そうに見つつ、しかし何も言わず、胸に輝く勲章を外してみせた。

「赤旗勲章だ。これのおかげでだいぶ肩が重くなったよ」


 そう言うとラスカーは破顔した。その笑顔を見ると弥生の心が幾分か軽くなった。

「それだけの事をしてきたんです」

 そしてラスカーはそうだな、と返した。沈黙が二人の間に横たわる。だが、二人っきりのハンガーに不思議な連帯感が存在していた。


「もう………誰もこんな気持ちにならないようにしなくちゃいけないんです」

「そうだな」

 短い返答。だが、これだけで通じ合っている感覚があった。

「やり遂げましょう。大戦を終わらせて、散っていった同胞はらからの無念を果たす為に」

 そうだ。祖国に、皇帝の為に命を散らした全ての英霊は訪れる平穏の中にあってようやく天国へと向かう事が出来るのだ。残された意思を継ぎ、弥生は戦わなければならない。


「半年振りに会ったっていうのになんだか、久しぶりな気がしませんね。なんだか前よりも親しみを感じます」

 口に出して、弥生は微笑んだ。弥生はそっとラスカーの目を見つめる。碧の瞳はかのバイカル湖の如く澄み切っていて、覗けばどこまでも吸い込まれてしまいそうだ。そう、どこまでも吸い込まれて深みへ沈んでしまいそうだ。


(私ばかりがいい気分になってしまって。あぁ、でも…今ばかりは………私に会いに来てくれたのだから、甘えてもいいのでしょうか………?)

 高鳴る胸に手を当てて、徐に瞳を閉じてみる。慰問会で見た欧州の恋愛映画の女優は確かこうしていたはず。そして、ヒーローは腰に手を回して胸に抱き寄せて――――。


「そうだ、藤堂。食堂に来てなかったろう? だから、酒を持ってきたぞ………っと、どうした。眠いのか?」

「………明日は帝国軍と米国軍の演習ですから、もう休みますっ」

 そうだった。アリアナ大尉から聞いた通りだ。ヒーローは間抜けだ。視線を集めるだけ、気持ちを寄せさせるだけで、ラスカーはただ何もしない、理解しない。アリアナ大尉はジューコフスキー基地でそう言っていた。


(ズルいです………。いえ、これが婦女子の嫉妬、ヤキモチなのでしょうか………)

 今は、ここまで。あと一歩、踏み込めない気持ちを再び奥底へと押し込める。


 そう言い聞かせてハンガーの出口を目指して弥生は歩を進める。

「お、おいっ!」

 ラスカーの声が後ろから弥生を引き留めようとするが、その声の分、弥生の歩調は速くなった。


 最後に弥生の心の中に残ったのは、不貞を恥じる気持ちと反って熱くなっている自覚だった。それを反芻して、弥生は一人で苦笑いをした。武人でも撫子でもない、一個人として藤堂弥生を意識したのはこれが初めてだった。




 夜が明けて、シベリアに朝日が射した。演習開始まであと二時間ばかり。ハンガー周辺は喧噪に包まれている。


「藤堂さん、全機の整備は終了しているようです。陸さんのところの整備の方が準備万端、と」


 弥生をさん付けで呼ぶのは西沢にしざわかなで曹長だ。奏はさらりとした毛髪を肩に届かないほどに短く切りそろえている。遠くからでは男女の見分けがつかないぐらいだ。だが、奏も好き好んで毛髪を切り揃えているのではなく、規則として毛髪を伸ばす自由を認められるのは女性士官だけだからだ。

  奏が何度も弥生の肩に届く程度に伸びた黒髪を羨ましそうに見つめているのは弥生を含め第四航空隊では周知の事実となっている。


「分かった。伝えてくれてありがとう西沢曹長」

 弥生は礼を告げると、パイロットスーツのファスナーを引き上げた。機動時にパイロットの負担を軽減させる重要な命綱だ。それを着込み、どこにも不備が無い事を確認する。


「機体の整備まで余所に任せねばならないとは………。信用できるか?」

「まぁそう言うな樫村。こんな更衣室でぼやいても状況は変わらない。失った名誉も誇りも結果を積み重ねて、もう一度手に入れればいい。帝国海軍の未来を担うのはこの場にいる私達だ」

 ぼやいたのは樫村かしむら真尋まひろ少尉。黒の長髪を後ろで一つに束ねている。弥生とは同期だ。


「ほう、昨日は顔を真っ赤にして帰って来た乙女のセリフとは思えんな。貴様、部屋に戻るまで男と会っていたらしいな?」

「貴様、なぜそれを知っている? 誰に聞いた。確か貴様は昨日は食堂にいたはずだな?」

 弥生は何故か昨夜の弥生を知る真尋の顔を睨んだ。昨夜の事は久しぶりの再会で熱くなってしまったというか、弥生にとって不可抗力的な事案であって、よって墓まで持っていく青春の一場面として処理しようとしていたのに。


「笹井軍曹が教えてくれたんだ。貴様、まさか異国人の想い人がいるとは思わなんだ。あの藤堂が、だ。目を閉・じ・て、貴様は男児とても握った事の無い未通女おぼこだったろう。それが、どうだ! ようやく貴様の浮ついた噂話が聞けたな!」

「さぁ~さぁ~い~~~!」


「樫村さん!? 藤堂さんには言わないでくださいってお願いしたじゃないですか!?」

「そうだったか? 笹井軍曹の話を肴に昨日はもう一杯やってしまったぞ」


「ひ、酷い………」

 奏のように毛髪を切り揃えた笹井ささい裕香ゆか軍曹は弥生の鬼面に怯えて身体を震わせている。


「笹井軍曹、今日の夜は精神注入棒のお世話になるからな。そのつもりでいろよ?」

「そ、そんなぁ………」

 樫製で軍人精神注入と書かれた、通称バッターは若年兵の殆どがお世話になった代物だ。裕香でなくても叩かれるとなれば震えあがる者続出だろう。


「さて………、貴様ら。楽しいお喋りもここまでだ。そろそろ行くぞ。陸軍の準備も終わったらしいからな」

「あぁ。戈星作戦で失った誇りを取り戻して陛下に我らの忠義を示さねばならないからな。その為に、今更になってノコノコと出てきたアメリカの連中に勝つ! あのまま戈星作戦が進められていたらどうなっていたか、教えてやろうじゃないか」

 真尋はその瞳に闘志を燃やして、開いた左の掌に右の拳を合わせた。


「………そうだな。散った英霊の無念を晴らす為、今は臥薪嘗胆がしんしょうたんの時だ。樫村、斬り込み役は任せた」

「嫌味か? 貴様の方が剣の腕が立つだろうに」

 真尋がそう聞き返した。海軍兵学校で共に木刀を握っていたのは今は昔の事だ。


「小隊長は私だ。指揮官が堂々と前線に立つ時代ではない」

「一番槍こそ武人の誉。その大任、この樫村真尋が引き受けた!」

 弥生の分かりきった反論には冗談だ、と茶化した口調で返して、真尋が笑う。そしてゆっくりと更衣室のベンチから立ち上がった。


「樫村、西沢、笹井。近代兵器史はこのFoTEの登場によって大きな転換期を迎えている。帝国海軍に新しい風を吹き込むのもまたこのFoTEを運用する私達だと思っている。アメリカにも陸軍にも負けない戦果を建て、この武勲を以て英霊への慰めとする。第四航空隊、行くぞ」

「「応ッ」」

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