第11話 赤に染まる聖夜Ⅱ
「中尉、こちらが診断書になります……」
ラスカーは技術科の女性兵士に渡された診断書を見て恐怖を内包する興奮を感じていた。
「は、はは…!」
乾いた笑いが心の間隙から零れて落ちた。
急に笑い出したラスカーを女性兵士は驚くことも諌めることもない。女性兵士も全く同じ感情を抱いたからだ。
「恐らくですが連邦軍でここまでの数値を出したパイロットは前例がありません………」
その紙面には真面目な顔で撮られた、似合わない顔写真とともにその被験者の氏名と新たな調整によって更新された脊髄接続の適合数値が記載されている。
ジャンナ・アラロフ少尉、脊髄接続適合数値『97』
ジャンナ少尉の部屋のベッドに失神したままの彼女を寝かせ、ラスカーは備え付けの椅子に腰を下ろして、ジャンナが目覚めるのを待つ。
ラスカーの手にはさっきの診断書が握られている。
時刻は八時を回った頃。十二月ともなれば当然外は暗く、夜の帳に白い雪が混じる。
ラスカーは腕を組んで、ただただジャンナが目覚めるのを待つのではなく日中のあの状態について考えていた。
「んっ…、んぅ…? あれ、中尉?」
「あぁ起きたかジャンナ少尉。気分はどうだ?」
ラスカーは立ち上がってジャンナに近寄った。
「えっと、大丈夫…だと思いますけど……」
ジャンナは戸惑いながらそう答えた。その顔にはどうして自分がベッドに寝かされていて寝起きにラスカーがいたのか、様々な戸惑いが複合している。
「少尉は自分の適合数値はいくらと言っていたか、覚えているか?」
「47ですけど………」
「これを見ろ」
ラスカーは診断書をジャンナに手渡す。
「嘘…なにこれ…。ほんとにわたしなの、これ………?」
「お前のその数値は軍に在籍するパイロットの中で最も高い数値だ」
ジャンナは診断書とラスカーを交互に見る。どうしても信じられないといった表情をしている。ラスカーだってその診断書を見たときは笑ってしまったのだから仕方ない。
「シミュレーター訓練での出来事を覚えているか?」
「えっ、確か凄い痛くて…それからは、覚えていません………」
「そうか。じゃあこれを見てほしい」
ラスカーは薄型の携帯端末を取り出す。三番ハンガーから拝借してきた物だ。その端末にメモリーキーを刺し込む。
そしてディスプレイには一つの動画が再生される。シミュレーターに記録された訓練のリプレイだ。そこにはあのあまりにも変態的な機動をするカワセミの姿があった。
「このカワセミがお前が動かしていたモノだ」
ラスカーは指さす。映像ではラスカーに斬り伏せられているが。
「この動きをし始めた直後にお前は気絶している。どういうことか自分で説明出来るか?」
「誰か他の人が動かしていたとか…?」
「いや、お前を技術科の所まで運んだのも、部屋に寝かせたのも俺だ」
「それじゃあ、一体どういうことなんですか?」
ラスカーは端末の画面を止める。そして手で頭をかいた。
「それが分からないからお前が起きるのを待っていたんだが…。まぁ分からないというならこれ以上確かなことは言えないが、俺が考えるにだ」
「はい………」
ジャンナが生唾を飲み込む。その音がラスカーにまで聞こえてしまう。
「お前は精神的な苦痛、ストレスによって錯乱し暴走していたんじゃないか、と考えている。それによってジャンナ少尉が扱いきれていない部分にまで影響を及ぼし、眠れる才能を目覚めさせた」
脊髄接続に関する技術が登場し、そういったケースは珍しくはあるが、稀ではない。後天的な理由によって、昨日まで部隊の足を引っ張っていた兵士がエースパイロットとして部隊内で頭角を表したなんて事例は。
「わたしにこんな才能が………」
「あぁ、これで目標が決まったな」
「はぇ?」
ラスカーはジャンナの肩をガシッとつかんだ。無駄に力が入ってしまっている。
「目標がパーフェクトスコアなんて、ジャンナ少尉の能力に見合っていない。お前の真の目標は俺に勝つことだ!」
「え、えぇ!?」
磨けば光る原石とはよく言ったものだ。ラスカーにはジャンナの姿が鍛えれば鍛えるほど切れ味を増す剣に見えていた。いつか数多のドイツ軍人を畏怖させる抜き身の白刃に。
「明日からは今日以上に厳しくいくからな。なに心配するな。お前の調整は更新されたから今日よりは確実に良い動きが出来る!」
「い、いや! あの!」
「今から楽しみだ! なんせダンスを踊るかのような動きで弾丸を躱せるぐらいだからな!」
ラスカーの隠れていた歪んだ子供っぽさと言える部分が、気持ちの興奮により氾濫していた。
「ラスカー中尉!!」
ラスカーの耳元でジャンナがラスカーの名を叫んだ。
「な、どうしたっ?」
「落ち着いて」
「あ、あぁ…取り乱してすまない」
すぐに興奮が冷めていき、いつものラスカーに戻っていく。
「わたし、夕食の後は用事があるんですけど………」
「そうか、なら明日は夕食後は自由時間にしてそれ以降は夕食後も………」
磨けば光るなら、研磨剤を盛りに盛って最高に輝かせるつもりのラスカーだったが、ジャンナの都合は最低限付けるつもりだ。
「多分、来月の初めまでずっとそんな感じなんですけど…って、今何時ですか!?」
「今は八時過ぎだが?」
ラスカーは時計を指さす。
「レッスン行かないと!」
ジャンナが立ち上がろうとして体勢を崩して倒れてしまう。ベッドにうつ伏せになって寝間着から白い背中が覗いていた。
「少尉、どういった用事かは知らないが今日は無理だ。休んだ方が体の為だぞ」
「いや、行かないと…!みんな楽しみに待っているんですから!」
そう言ったところで、二人の軍人が異変に気付く。床を誰かがスゴイ音を立てながら近づいてきているのだ。
「少尉、気づいたか?」
ラスカーはジャンナを見るが、なんとジャンナは青くなって震えているではないか。
「少尉、隠れていろ。お前のことは俺が面倒を見ると決めたからな」
そう言ってラスカーはホルダーから自動拳銃を引き抜く。弾は込められていた。
扉は内側に、左側に開かれる。ラスカーは右側で待機する。そうすれば万が一謎の侵入者がこの部屋に入って来たとしてもすぐさま脳天を吹き飛ばせる。
無遠慮な足音がこの部屋の前で止まった。ラスカーの見つめるドアノブがゆっくりと回されて―――――、
「ジャンナちゃん! もう時間なんだけど!?」
ラスカーは侵入者の側頭部を掴み、ドアに叩きつける。
「はっ!?」
ふらつく侵入者の足を払って転ばせると、侵入者の上に膝を立てながら乗り上がり、侵入者の左腕を捻り上げながらラスカーは自動拳銃を後頭部にぴたりと付けた。
「ひぃ!? 殺さないでっ!」
怯える侵入者を踏みつけながら、ラスカーは尋問を開始した。
「貴様は何者だ。俺の部下に何か用か?」
ラスカーは自動拳銃を侵入者の後頭部により強く押し当てる。
その脅しがよく効いているのか侵入者は震えながら、叫ぶように質問に答え始める。
「じ、じぶんっプラーヴダのクスタントと申しますっ!?」
「プラーヴダ? 新聞社が連邦軍基地に何の用だ?」
プラーヴダはソビエト連邦の公式発表やスローガンなどの記事が書かれる新聞を出している会社だ。だが、もはや周知の事実であるが内容は共産党のプロパガンダ紙である。
「そ、それは………」
「なんだ、言えないのか。あの世に逝くのと楽しい労働キャンプで死ぬまで木の数を数えるの、どちらか選ばせてやろう」
「うっ………」
侵入者は頑なに口を開かない。ラスカーの手に力が入る。
「待ってください中尉待って! その人はわたしのマネージャーさんなんですー!」
ラスカーの膝がクスタントの腰に全体重をかけた結果、
「あ、ああはぅ…!」
「ん?」
クスタントの腰はぎっくり逝ってしまった。
それから、ラスカーはクスタントの車に乗せられ、あまつさえ運転までさせられて目的地に向かっていた。
「そこを右です」
クスタントに言われるままに夜のモスクワを走る。闇を裂くように輝くライトの光を道路の端に寄せられた雪が反射した。
車が通りを右に曲がり、先ほどの道よりも少しばかり狭くなる。
「ここで止めてください」
「あぁ」
ラスカーはブレーキを踏み込む。FoTEと比べると緩すぎる慣性が働くも、ラスカーとジャンナは静止したままであった。だが、腰を痛めたクスタントにとっては堪えるものがあったようで、助手席で痛む腰に手をあてて擦っていた。
「さ、ここがレッスンスタジオです。痛て…すみませんラスカーさん、ちょっと手伝ってくれます?」
ラスカーはベルトを外し、一度ため息をついて車から降りる。そして助手席のドアを開けて、クスタントの手を引いて車から降ろす。
「先に行ってますねー」
「あ、はい。レッスン頑張ってね………」
ジャンナは先にレッスンスタジオの中に入っていき、ラスカーはクスタントに肩を貸していた。
「我々も行きましょう」
「………」
クスタントの歩みに合わせてラスカーも歩くが、ラスカーの胸中には腑に落ちないことばかりだ。
「クスタントさん。ジャンナ少尉は一体…」
ラスカーがそう尋ねるとクスタントの弱っていた目がギラリと猛禽類のように眼光を放った。
「絶賛売り出し中の大人気軍人アイドルジャンナちゃんです! 現在は海軍さんの方にお邪魔させてもらって慰安ライブだったり広報部で活動させてもらっています!」
「お、おう………?」
ラスカーは困惑してしまう。軍人とアイドル、普通なら絶対に結び付くことのない二つが合わさった存在がお前の部下だ、とこうも堂々と言われてしまうと返す言葉を探すのも一苦労だ。
「まぁ、でも本当は
ラスカーは辺りを見回す。寒いギャグはそれとして、ラスカー達を見つめる視線は無い。クスタントの発言は下手をすれば秘密警察に逮捕されるような内容にあたるかも知れなかったからだ。ラスカーは随分と肝を冷やす。
「分かった。党の広報活動に少尉は従事しているわけだな?」
(こんなところでそんなことを言わないでいただきたいのだが………)
「あっ、そ、そうなんですよ………」
(すみません………)
とりあえずジャンナの正体が分かったところで、レッスンスタジオに入る。もうじき年が明ける十二月のモスクワはずっと外にいられるほど優しくは無い。
レッスンスタジオでは、練習着に着替えたジャンナが軽快な音楽に合わせて軽やかに飛び跳ね、踊っていた。
「なるほどダンスによって体幹は鍛えられていたわけか」
無意識下でのあの踊るような回避も、体に染みついていたからこそ出来た芸当というわけだ。
ラスカーが関心したところで音楽が止まった。何やら講師の女性がジャンナに詰め寄っていた。
その女性の言葉を噛み締めるように聴き入れ、返事をするジャンナの姿をラスカーは初めて見たのだった。
「ほう…随分と熱心だな………」
「そうでしょう? ジャンナちゃんは練習熱心な女の子ですから」
「訓練の時とは別人のようだ」
翌日のラスカーの訓練メニューが更にハードになったことは、当然この時のジャンナが知る由もない。
講師との話は終わったらしく、ラスカー達の方へ向かって歩いてくるジャンナ。
「ダンスは大方大丈夫なので、次は歌の方に行きますね」
「うん、頑張って」
クスタントがそう答え、ジャンナはダンスホールから出て行った。クスタントも腰に手を添えて立ち上がろうとしていたのを、ラスカーが手伝う。
「それにしても歌まで歌うのか」
「アイドルですから。それでは我々も行きましょう。地下にピアノが置いてあって、そこでいつもレッスンしてもらっているんです」
クスタントはダンスホールから出て階段を降りる。ラスカーはクスタントが転ばないように気を配りながら階段を降りていると、ピアノの音色とともに美しい少女の声が聞こえてきた。
「いい声でしょう? オーディションの決め手がこの声だったんですよ」
「そうだな…。いい声だ」
階段の最後の段を降りて、部屋の扉を開ける。
先ほどとは別の、音楽担当の講師がジャンナにあれこれ言っている。それを真剣に聞くジャンナ。ラスカーはその集中力を訓練中にも出せと思ってしまう。
「あ、今度やる曲に練習に入るみたいですよ」
そう言うとクスタントは何やらカバンの中を探し始める。
文屋らしく紙でパンパンになったカバンから取り出された一枚の紙をラスカーは手渡される。
「こちらが歌詞になります」
ラスカーはそれを眺めて、すぐに閉じた。
『 長く、暗いトンネルの先には何がある?
そこには人民平等の理想郷 同志ジューニンの視線の先に 手を取り合って歩いていこう…(以下省略)』
「作詞は党歌の作詞をされた方がやってくださいまして…希望溢れる若者に向けた応援ソングらしいです」
これをあの革命期を生きた老人達が書いたと思うと、悪寒が止まらなくなるラスカーは、歌詞カードをクスタントに返す。
「そ、そうか…素晴らしい曲だな………。俺も頑張れる気がしないでもない、かもしれない………」
歯切れの悪い言葉がラスカーから吐いて出る。クスタントも気持ちは分かるぞ、という目でラスカーを見ていた。
男達が隅でそんなことをやっていると、ジャンナの歌声が響く。もちろんあの歌詞だ。
「本当に、良い声をしているな………」
「はい………」
一生懸命に歌うジャンナの姿を見ていると、どうしてジャンナ然り藤堂然りアリアナ然り。少女が戦わねばならないのかラスカーは考えてしまう。
きっと欧州大戦なんて、始まらなければたった一人の、どこにでもいる音楽を愛する少女として生きていけたのだろうに。
徴兵制により15歳から18歳までは軍に入隊し兵士として国防の一翼を担う。だがそれは男子のみであるのだが、ラスカーが士官学校に入った頃には当たり前のように女性将校という物があった。
15で入隊した者も、希望や上官の推薦によっては士官学校の短期促成コースに入学し、更に長い期間を軍という組織で生きていくことになる。
「自分は19になった途端に軍から除隊してしまいました。一兵卒として前線に立っているうちに、最初五人いた同僚が三年経つと自分の他に一人しかいなくなっていたという状況に怖気づいてしまったんです。逃げ帰るように戻って来たモスクワの空気を吸った時は、人目も気にせず泣いてしまいました。トルストイ中尉、あなたが何の為に戦うのかは存じ上げませんが、生きているのが一番です。腰抜けの元兵士の言葉ですが、どうぞ心の片隅にでも置いておいてください」
クスタントは腰の痛みを堪えながら小さく笑って見せた。
「はっ。クスタント殿の言葉、肝に銘じます」
ラスカーはクスタントに敬礼をした。ラスカーは存外空気にあてられやすいようだった。
「中尉の方が自分よりも階級が上なんですがね………」
困ったようにはにかみながら、頬をかきクスタントもまた右手で敬礼を返して見せた。
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