第12話 赤に染まる聖夜Ⅲ
二機のカワセミが近づいては遠のいて、絡み合うような機動でシミュレーターの空を翔ける。
腕部関節アクチュエーターが唸りを上げ、互いがコックピットを狙って長剣を振り下ろすが、直近まで迫った長剣が双方の斬撃を喰い止める。
「本当に、エースどころか怪物になれるよお前は!」
興奮した様子のラスカーは鍔迫り合いの状態に入ったジャンナのカワセミを蹴り上げて、ジャンナから離れる。
(今のも立て直すか………!)
ジャンナの機体制御は恐ろしいほどに完璧だった。蹴り上げられたはずの水色の機体は微塵も体勢を変えることなく、ラスカーを睨んでいた。
「人馬一体ならぬ人機一体というやつだなッ!」
ラスカーが言い終らぬ前にジャンナが突進してきた。長剣を正面に構え、騎兵突撃の如くラスカーの機体をスラスターの推進力で貫くつもりなのだ。
ラスカーのデュアル・アイ・カメラがその潔い突進を網膜に投射する。
直線軌道の進んだ先に己がいるのは自明。だが、
「だが、やはり戦闘技能ではまだ劣るか」
ラスカーは長剣を肩に担ぐと、後方に重量を寄せ、そしてスラスター、機体制御のバーニアの噴射を停止させた。
重力によって落下を始めたラスカーの機体の上部をジャンナが通過する。
このタイミングで右脚部バーニアと二基の腰部スラスターのうち、機体の右側に取り付けられたスラスターを稼働させる。
ラスカーは機体自体を捻らせ、仰向けの状態からジャンナの上部、うつ伏せの状態に移行する。
「だが、まだまだ俺には届かないなッ!」
肩に担いだ長剣をラスカーが振り下ろす。ジャンナは見事な反応速度で自らの持つ長剣で受けようとするが、防御が甘い。ラスカーの長剣がジャンナの機体頭部を切り裂く。
ラスカーはジャンナの機体腹部を蹴り、もう一度回避行動を取った。
すでに勝敗は決していた。メインカメラが破損したジャンナはようやくひよっこらしいたどたどしい挙動を見せる。
「簡単に勝負を投げるんじゃない」
長剣を振り回すだけの腕部を切り落とす。両腕を切断されたカワセミはその場で静止してしまう。
「貪欲に敵に喰らいつけ」
ラスカーは独り言をこぼす。このポリシーのおかげで『
ラスカーが長剣をジャンナの機体の胸部を抉ったところでシミュレーターの世界が暗く幕を下ろした。
シミュレーターから出てきた二人を待っていたのは日本兵達による賛辞の嵐だった。
彼らもラスカーと同じくジャンナの成長を見てきたのだ。
「はらしょお!」と、なんとも発音に違和感があったが、彼らの興奮がラスカー達にもビリビリと伝わってくる。
「ありがとう」
素直に返礼をするラスカーと、少し複雑そうな笑顔を見せるジャンナ。彼女にとっては負け試合、いや人のいないライブでマネージャーやスタッフにべた褒めされた気分だった。嬉しいのだが、素直に喜べないといった感じだった。
「ジャンナ少尉、お前の成長速度には毎日驚かされるよ」
ラスカーは心からの言葉をジャンナに投げかける。嫌味なんてこれっぽちも混じっていない。純粋な賛辞だ。
「それでも、ラスカー中尉にはかすりもしてないんですけど………」
ジャンナは半目に目を細めて自分よりも背の高いラスカーを見上げた。
「それはまぁ、経験の差ってやつだ。これでも任官してからこの前まで北部戦線の最前線にいたからな。新米少尉殿には負けられないよ。俺のプライドが許さん」
ラスカーはあの地吹雪が吹く白銀の戦場を思い出す。機行戦車が入り乱れる戦場もすでに真っ白な雪が積もり足跡を消してしまっているだろう。
「はぁ…。でもまぁ、昨日は攻撃をさせてもらえませんでしたから明日か明後日には倒しちゃうかもですねわたし!」
笑顔で言うジャンナの額にラスカーはデコピンを放つ。「あうっ!?」と口から漏らしジャンナは額に両手を添えた。
「あんまり調子に乗るな。そう簡単に落とされてたまるものか」
ラスカーがそう言うと、ジャンナとラスカー同時に笑い出してしまう。
今のラスカーはこれまで類を見ないほどに上機嫌だった。
その二人を非常に非常に面白くない様子で見つめる二人組がいることを今のラスカーが知るよしは、当然無い。
十二時頃の食堂は整備班や技術科の兵士達が食事を取っていた。だが、尉官であるラスカーとジャンナが近くを通るとその誰もが昼食を中断し、立ち上がって敬礼をする。
ラスカーも手早く返して座席を探す。すると、ちょうどよくラスカー達の近くで席が空いた。
「ちょうどいいな。少尉、ここにしよう」
「それじゃあわたしが中尉の分も持ってきますね!」
そう言うとジャンナは小走りでカウンターの列に並んでいった。
ラスカーはいつも通りに座席につく。もうこんなやりとりも三日目となっていた。
ラスカーはテーブルに頬杖をついて、午後の訓練メニューについて思案する。
夕食後には市内のレッスンスタジオにてアイドルのレッスンがあり、あまり無理をさせないようにするというのを念頭に入れつつ、効率的なメニューを、と多少欲張りではあるが、それでもラスカーは考える。
シミュレーターでもNRリングを使用すれば実機と変わらない疲労がパイロットを襲う。午前にあれほどラスカーが
「中尉? なんで怖い顔してるんです? あ、はいお昼ご飯です」
昼食二人前を持って戻って来たジャンナがラスカーの顔を見ている。
昼食はシチーとカーシャのようだった。
「あぁ。午後のメニューについて考えていてな。何か希望はあるか?」
ジャンナがラスカーの左隣に座った。わざわざ狭いテーブルの脇を通って。
ラスカーは少し距離を取ろうとするが、すぐさまそれを埋めてくるジャンナ。
「それならシミュレーター以外無いですよ。今が一番ノッてるんですから!」
「だがな…、かなり疲れてるだろう? 夜まで持つか?」
「わたしは大丈夫ですから! ラスカー中尉のどんな動きだって、それに…夜だって頑張っちゃいます!」
ラスカーとジャンナは訓練の話やレッスンの話をしているのだが、傍から聞いてしまっている事情を知らない兵士達には二人が卑猥な話をしているんじゃないかと勘繰り始めてしまっていた。
「そうか、なら今度はもっと激しく扱いてやる。また気絶するなよ?」
「わたしこそラスカー中尉をあっひんあっひん言わせてみせますから!」
そう二人が話していると、荒々しい足音がラスカー達に迫っていた。
「ひっ、ひ、昼間からっなんて話をしているんだっ!」
それはバンッと銀色の昼食プレートを叩きつけて、ラスカーの席の向かいに藤堂弥生中尉と、
「………ッ!」
無言でラスカーを蹴り飛ばすオブザーバーのはずのアリアナ・カシヤノフ大尉の物だった。
ラスカーは席から落ちて床に尻もちを着いてしまった。
「ちょ、中尉っ、大丈夫ですか!?」
「あぁ…大丈夫だ。……アリアナ、急に何をするんだよ」
ラスカーは襲撃者を睨むが、当の本人はそのままラスカーの席の右隣に座り込んで無視を決め込むと、スプーンを口に咥えた。
「おいアリアナ、どうしてこんなことを…。おい、聞いているのか?」
アリアナはラスカーを無視してカーシャを口に運ぶ。
「何か言えよアリアナ」
ラスカーは乱暴にアリアナの左手を掴んだ。それによってカーシャをすくっていたスプーンを床に落としてしまう。
「痛いんだけど」
ようやくアリアナがラスカーを視界の中央に入れた。
「それは悪かった。だが、いきなり人を蹴るのもどうかと思うがな」
ラスカーは掴んだアリアナの左手を離す。そして床に落ちたスプーンを拾い、自分のまだ使っていなかったスプーンを取り換えてアリアナに渡す。
アリアナは渡されたスプーンを奪い取るようにして、食事を再開させた。
「全部あんたが悪いんでしょ………」
「それはどういう意味だ?」
アリアナは小さく「馬鹿」と零す。アリアナの想いを包み隠さず伝えられたら、この場は全部まとめて収まるのだが、彼女の懸想を素直に伝えられていたならばそもそもこんな事態にはなっていない。そのジレンマがアリアナを言葉足らずにさせていた。
「全部、なにもかもよ」
そんな事情を知らないラスカーには突然理不尽が襲ってきたとしか思えなかった。だからこそどのような理由によって暴力を振るわれたのかを尋ねているのだが、アリアナは頑なに理由を話そうとしない。
「だから、それが何なのかを聞いている」
「………」
二人の間に剣呑な空気が流れる。
「ちゅ、中尉………」
その空気も次第にジャンナや藤堂、他の兵士にも伝わってしまい、にぎやかだったはずの食堂は気づけばかえって耳が痛くなるほど静まり返っていた。
「アリアナ、俺に非があるなら謝罪しよう。だが、俺にはお前がなんで怒っているのか分からない。そんな事、長い付き合いのお前なら分かってるだろ?」
「尋ねれば必ず答えが返ってくるなんて思わないで」
諭すようでもあったラスカーをアリアナが拒絶する。アリアナの青い瞳は瞼の幕が降ろされていてラスカーからはその顔を見ることができない。
ラスカーは返ってきたアリアナの言葉にただの憤りを覚えた。
(なら、人に言えないような何かやましい事情で俺は足蹴にされたのか?)
ラスカーは特殊な生い立ちから他人の言葉を大体額面通りに受け取ってしまう。そんなラスカーにとってアリアナの言葉は拒絶の意でしか捉えられない。
「そうか。分からないことに関して謝罪をすることは俺には出来ない。話はここまでだ」
「………ッ!」
アリアナは座席から立ち、食堂を走り去ってしまう。
ラスカーはもう一度座り直し、床に落ちてしまった方のスプーンでプレートのカーシャを口にかき込んだ。
「ジャンナ少尉。
いくら食べても味がしない。シチーも同様だった。
「ラスカー中尉、わたしから少しいいですか?」
「なんだ、少尉」
ジャンナは一度藤堂の方を見ると、ジャンナと藤堂の二人は頷きあった。
「午後のシミュレーター訓練は藤堂中尉と行いたいと思います」
「私からも頼みます、トルストイ中尉。マンツーマン指導というのもいいのでしょうが、相手を変えて、新しい戦闘技術にも触れさせた方が成長は早いと思います」
「だが………」
ラスカー自身釈然としていない。問題は棚上げになったままだからだ。このむしゃくしゃした気分を訓練で紛らわせようとしていた節すらある。
「私だって公衆の面前であんな如何わしい相談していた理由について聞きたいですが、今回はアリアナさんにお譲りします。トルストイ中尉、このまま問題を放置してアリアナさんとの関係に溝を深めるのは賢い選択ではないと忠告します」
「そうですよ! たぶんじゃなくて大方わたしのせいでこんなことになっちゃったんだろうしっ、せめてもの罪滅ぼしというか!」
ジャンナが親指をぐっと天に向けて突き立てる。その姿にラスカーはすっかり毒気や怒気といったものが抜けてしまった。だが―――
「あ痛っ!?」
「上官に対する態度がなっていないな」
ラスカーのデコピンがジャンナの額を襲う。ジャンナは叩かれた額を両手で隠した。
「任せてくださいトルストイ中尉。大日本帝国海軍の後輩イビリは熾烈を極めますから」
「あぁ、任せた」
「ちょっと!?」
ラスカーは残っていたシチーを飲み干し、アリアナを追って食堂から走り去っていった。
ラスカーが去っていったことでにぎやかな食堂が帰ってくる。張り詰めた空気が途端に弛緩し、笑い声や両手に華を持っていたラスカーを妬む声で盛況だ。
「それにしたって………」
「どうかしましたかアラロフさん?時間はトルストイ中尉が言っていた通り13:00に行いますよ?」
ジャンナが手に持っていたスプーンをプレートの上に置いた。
「お二人ともわたしをダシにしないでもらえます?」
「んなっ!?」
藤堂の珍しく、間の抜けた叫びは賑やかな食堂の喧噪に飲まれて、かき消されていった。
「というか、別にやらしい話をしてたわけじゃないですし。夜もレッスンがあるってだけだし。むしろ、それだけでやらしい事に結び付く藤堂中尉ってむっつり……」
「な、なななな………!」
藤堂の顔が見る見る羞恥に染まっていった。
「でも、大丈夫なんですかね。ラスカー中尉とあの人」
「それはどういう意味ですか?」
ジャンナはテーブルに突っ伏して上目遣いで藤堂を見る。
「あの人、頭おかしいぐらいに素直じゃないというか…。普通に言っちゃえばいいじゃないですか。弥生さんもですけど」
ジャンナがそう言うと藤堂の顔が真っ赤に染まった。
「わ、私は別にっ! シミュレーターで負けたのが悔しくて再戦の機会を伺ってるだけですからっ!?」
「あはっ、弥生さんの顔リンゴみたい~」
「う、うるさいっ!」
ジャンナの頭に鈍い痛みが走る。それも拳骨で。
「大日本帝国海軍の精神注入棒の痛さを思い知らせてあげますから! とっても痛いんだから!」
浮ついた姦しい騒ぎが食堂全体に響き渡ったのだった。
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