第10話 赤に染まる聖夜Ⅰ

 メインカメラには今日の朝のラスカーのようにうつむきに倒れ込んだメドヴェーチの姿を捉え、ラスカーの網膜に投射している。


「あぁ…、ジャンナ少尉? 立ち上がらないと訓練出来ないだろ?」

「………」

 倒れてしまったメドヴェーチを動かすシミュレーターにはジャンナ少尉が乗り込んでいる。だが、ジャンナはぴくりとも動かない。


 ラスカーは自由回線から個別回線に切り替えた。ワイプにはジャンナの顔が映るが、あのうるさいジャンナは影を潜め人形のように精緻に作り込まれた青ざめた顔があるだけだった。

「少尉、これは個別回線だから俺以外には聞こえていないから正直に答えてほしい。脊髄接続をシミュレーター以外でしたことは………?」

「ありません………」

「NRリング適正の数値は………?」

「47です…」

 機行戦車に乗れる最低数値が40。戦車で30。戦闘機は25だ。

「調整を受けたことは……?」

 ラスカーの声のトーンがジャンナの返答を聞くたびに重く低くなっていく。

「一回です………」

 士官学校や兵科学校を卒業した新兵が訓練を始める前に一度、ナノマシンの反応指数を高める手術、調整を受ける決まりがある。機体のシステムソフトウェアが更新される度に調整をし直したり、機体が破損し新しい機体に搭乗するときも調整をやり直すのだが、ジャンナは一度しか調整を受けたことがないということはつまり―――、

「ジャンナ少尉、君は…その、新米少尉もしくは内地、後方勤務だったのか………?」

 ラスカーがそう尋ねると、ジャンナがガッと顔を振り向けた。

「わたしはアイドルだから、前線には出たことないんですー!」


 テンションは振り切って、完全に開き直った表情をするジャンナ。ヤケクソだ、と目は口ほどに饒舌に心情を語る。

「いや、アイドルとかそんなこと言われても…、とりあえず起き上ってくれ」

 今日の訓練ではメドヴェーチの慣熟訓練ののち機動飛行の訓練をするつもりだったラスカーだったが、痛みを増し始めてきた頭痛とともに諦めざるをえないことを悟ったのだった。




 ラスカーはジャンナをシミュレーターから降ろさせる。


 シミュレーターの中はパイロットのコンディションを整える為に冷暖房完備であるから、当然の如く寒暖差が激しく、ラスカーの肌はパイロットスーツを着ていても鳥肌になってしまう。


「えっと、ラスカー中尉…怒ってます?」

 ジャンナは開口一番にラスカーの顔を伺って下手に出てきた。その姿はビボルグ基地で共に戦ったスタルコフ達を思いださせた。


(アイツらも、こんなふうに俺の説教を受けていたな………)

 死者は二度と帰らない。分かっているつもりでもラスカーは生意気だったスタルコフの影をジャンナに重ねてしまっていた。


「いや怒ってはいない」

 ラスカーがそう言うと、ジャンナは気が抜けたように肩から脱力してみせた。間違っても上官に見せていい態度ではない。

「よかったぁ………」

 ジャンナはふぅ~、とわざとらしく息を吐いて額の汗を拭う。

「だが呆れてはいるがな」

「やっぱり怒ってる!?」

 ラスカーは小さく鼻を鳴らす。


 ラスカーは言葉通り怒っていない。表情がコロコロと変わるこの部下に死者を重ねたラスカーは怒気どころか贖罪の念すら抱き始めてしまっていた。

 初のFoTEとの戦闘で始めて出来た部下を失った。次のFoTEとの戦闘で新しい部下を失うことを無意識下で恐れていることの現れだった。


「少尉、君にはアレを乗りこなしたいという意思はあるか?」

 ラスカーはトレーラーに格納されたままのメドヴェーチを指さす。ラスカーの目はジャンナをじっと見つめていた。

「………はい」


「そうか」

 ラスカーは一度ジャンナから離れて、シミュレーターに戻る。そこで個別回線を開いた。

「ザイシャさん」

「ん? ラスカーどうしたの?」

 これはラスカーが勝手にすることで任務ではない。上官であるザイシャに説明して抜けさせてもらうのが筋だろう。

「少しジャンナ・アラロフ少尉を借りていきます」

「………了解した。ヘンなことしちゃ駄目だよ?」

 若干の間が気になったラスカーだが、快く許可を出してくれた上官に感謝してシミュレーターから離れる。


「よし、ついて来い」

 ラスカーは小さく縮こまったジャンナの手を引いて歩き始める。無理やりに歩かされているジャンナは最初おぼつかない足取りであったが、次第に慣れていき、傍目から見ればラスカーとジャンナが手を繋いで歩いているのかと見間違いされそうになる。


「中尉? どこに行くんですか?」

「三番ハンガーだ。まぁ贅沢を言えるなら馴染みの陸軍基地がいいな」

 ラスカーの答えにジャンナは頭に疑問符を浮かべる。

「わたし海軍出身ですけど………?」

「海軍の基地は駄目だ。所属が違うからな。いや、この質問はどうでもいいんだ。どちらにせよどの基地にも行けはしないからな」

「はぁ………?」


 ジャンナは余計に疑問符の数を増やす。意味が分からないことには質問をするが、やぶへびと判断すればすぐさま話題を切り替えるのがジャンナ・アラロフという女だ。

「というか、手を離してくれないか少尉。行き先も分かっただろ?」

「嫌でーす。ラスカー中尉の手は大きくて暖かいので離したくないのです」

 ラスカーにとっては歩調を合わせなくてはいけない分非常に歩きにくくて仕方ないのだが、ジャンナは離そうとしない。

 自分から離さないのでは仕方無い、とラスカーは諦めて少女の歩調で三番ハンガーまで辿り着いた。




 ラスカーとジャンナが三番ハンガーに訪れると、日本帝国軍の兵士達が慌てて作業を中断し、驚きながらも敬礼をした。


 メドヴェーチが到着して、メドヴェーチ用のシミュレーターまで作ってやったのに更に何かと思っているのだとラスカーは勝手に想像して、非常に申し訳ない気持ちになりつつ一番近くにいた兵士に話しかける。

「済まない、シミュレーターを二基貸していただきたい」

「わっ、えぇと………おぅけぇい?」

「ありがとう」

 和製外国語というのか、たどたどしいが許可を得たラスカーはシミュレーターに近寄る。


「さ、乗れジャンナ少尉。特訓だ。今日一日でお前にはカワセミの仮想戦闘訓練でパーフェクトスコアを出してもらう。出来なかったら明日もだが、最初から出来ないと腐ることは許さん。勝利至上主義ではないが、俺は敗北主義者が嫌いだ」

「そ、そんなぁ………」

 ジャンナが目尻に涙を溜めて上目遣いでラスカーを見つめる。ラスカーの後ろで日本兵が何かを叫んでいるが日本語なのでラスカーにはさっぱり分からなかった。


「安心しろ。俺が少尉にみっちりと基本を叩き込む。それに出来なかったとしても少尉が出来るようになるまで付き合うさ」

「えっと…それは嬉しいんですけど…わたし………」

 なかなか煮え切らないジャンナ。ラスカーはこう見えて何かを長くは待てない性分だ。

「ちょ、中尉!?」

 ラスカーはジャンナを抱きかかえるとシミュレーターの中に放り込んで強引にハッチを閉めると身体でハッチを抑え込んだ。


 またも日本兵が騒いでいるが例によってラスカーにはよく分かっていない。オヒメサマダッコとはなんだ?と心の片隅で考えつつ、狂騒の中にいる日本兵の一人をラスカーは呼びつける。

「誰かこのハッチを抑えつけておいてくれ。後でウォッカをご馳走しよう」




「しっかり走れ!競歩をしているんじゃないぞ!」

 ラスカーの乗るカワセミがジャンナの乗るカワセミの上で旋回を続ける。身体が鈍るのが嫌なラスカーは本格的に動くまで身体に負荷をかけ続けることにしたのだった。


 ラスカーが個別回線でそう怒鳴りつけるが、ジャンナの機体はさっきと全く変わらぬ速度で北上を続ける。

(歩く姿勢は体を鍛えている人間のそれなんだがな…やはり適正数値が問題なのか?)

 47は機行戦車を動かすギリギリの数値だが、これよりはもっと速く走れるだろう。とすればFoTEの適正最低数値は40から45といったところかとラスカーは目星を付ける。

(ふむ…。少し荒療治だが、試してみるか)


「ジャンナ少尉。脊髄接続をしているときの『弊害』という物を知っているか?」

「しっ、知りま、せんっ………」

 今にも倒れてしまいそうなほど、肩で呼吸をするジャンナを本当に軍人なのか問いただしたくなったラスカーだが、どうにか堪えてこの訓練に集中する。

「今、お前は42式強化戦闘機という物と一心同体となっているんだ」

「はっ、はぁ………」


 ラスカーの機体が42式突撃機関銃を構える。安全装置セーフティは当然解除アンロックした。

「つまり、機体が破損すれば繋がっているお前にも多少のフィードバックが返ってくる」

 ラスカーはトリガーを引いた。狙ったのは装甲の厚い肩部だ。


いったい!?」

「そうか、痛いか。お前のシミュレーターではフィードバックの神経衝撃吸収装置センシティヴィティ・ショックアブソーバーを切ってあるから、失神しない程度に痛みを感じるからな。言葉通り死ぬ気で走れ」

「そ、そんなぁ!?」


 悲痛な叫びをあげるジャンナを照準に捉えてどんどんと肩を狙って撃っていくラスカー。装甲が壊れないように撃っているのだが、今一速度も変わらないので既にジャンナの装甲はベコベコに歪んでいる。

「痛い、痛い、いたぁぁぁぁい!!」

「おおっ」

 地上のカワセミが走り始めた。陸上選手のような整ったフォームで走るカワセミはどんどんと速度を増していく。


「いいぞ少尉。その調子だ…ん? 少尉?」

 個別回線からジャンナの声が聞こえなくなった。今まで聞こえていた息切れの吐息さえも。考えられるとすれば気絶したか。だが、地上を走るカワセミは止まっていない。

「どういうことだ?」

 ラスカーは不審に思って戦闘機動から巡航移動に戻して走り抜けるカワセミを追う。


「おい。おい! どうしたジャンナ少尉、ジャンナ・アラロフ少尉!」

 依然呼び掛けには応答しないが、機体は止まらない。普通気絶した瞬間に脊髄接続は切れるのだ。明らかな異常事態が起きていた。


「誰かっ! ジャンナ少尉の神経衝撃吸収装置を入れてくれ!」

 ラスカーはシミュレーターの中から外にいるであろう日本兵に頼みかける。すると、日本兵のたどたどしいロシア語が聞こえた。「いれた」と。

「ありがとう!」

 ラスカーはその日本兵に感謝をして、再び戦闘機動に切り替える。


 ラスカーは42式突撃機関銃を構えて、股関節部を狙って発砲した。

 放たれた弾丸はそのままジャンナの機体に着弾する、そうラスカーが思った瞬間にジャンナの機体は右脚で踏み込んで跳躍し弾丸を回避した。その動きはバレエのグラン・バドゥシャと呼ばれる動きに近いものだった。

「なっ…!?」

 ラスカーにだってそこまでの有機的、生物的な動きは出来ない。まるで本当にカワセミに人間が乗り移っているかのような感覚にさえ囚われそうになる。


「おい! ジャンナ少尉はどうなってる! ハッチをこじ開けてでも確認しろ!」

 ラスカーが大声で怒鳴る。走ることさえてんで駄目だったジャンナがどうしてあそこまでの動きをするのか、異常が異常を呼んだとしか言えない状況がラスカーの目の前に広がっている。

 ラスカーは肩部を狙って発砲するが、それを身体を回転させることで回避して見せ、胸部を狙えば上体を機体関節の許すギリギリまで逸らして回避した。見ているラスカー自身がゾッとしていた。


「ジャンナ少尉は気絶しておられますが………?」

(き、気絶だと?)

「NRリングは装着されたままです。外しますか?」

(無意識下でこの動きをしてるってのか? 冗談じゃないのか………)

 ラスカーはジャンナの機体に42式突撃機関銃を投げる。ちょうど機体の目の前に落下した突撃機関銃をジャンナの機体は掴みあげた。


 ジャンナの機体のメインカメラがラスカーの方を見た。ラスカーを照準に捉えたらしい無意識は緩慢な動作で42式突撃機関銃を構える。

「はは、俺に仕返しがしたいのか…。そうか、ただのひよっこ少尉が! 面白い!」

 ラスカーは武装キャリアから長剣を装備する。その行動が引き金となり、ジャンナの機体が下手くそな狙いを付けて発砲を始めた。


「動きは凄くても兵装の扱いがなってない! おい、俺の合図でNRリングを外せ! いいな!」

「は、はっ!」


 ラスカーは腰部スラスター、脚部バーニアの残った推進剤を全て使い切るつもりで全噴射させた。

 殺人的な加速がラスカーの身体を叩くが、ラスカーの脳はアドレナリンを放出し続けていた。重力の抵抗など今のラスカーは歯牙にもかけない。

 ジャンナの40mm弾は全てラスカーに当たることはなく、ラスカーは無傷の状態でジャンナの懐に侵入した。

 ジャンナはすぐに離れようと脚部バーニアを吹かすが、全てラスカーの思惑通り。かえってラスカーの間合いに足を踏み入れることになったのだ。


 大地が剥がれ、土煙が舞い上がるなか、メインカメラの緑色の光が鈍く暗く輝きを放つ。

「今だ! 外せッ!」

 ラスカーは思いっきりに長剣を振り上げた。腰から肩にかけて、刃はカワセミの装甲を舐めた。胸部コックピットがある部分は無惨にも抉り取られていた。

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