第9話 FoTE小隊始動Ⅳ
辞令を渡され、ビボルグ基地から遠く離れたこのジューコフスキー基地で今、ラスカーの目の前にはその辞令を渡した上官が、ラスカーのベッドの上に寝転がっていた。
「え、えぇ………」
ラスカーは手に握っていた自動拳銃をうっかり落としそうになる。もし落としてしまえば危険極まりないことを深層心理が理解していたようで慌てて空いていたもう片方の手をグリップに添えた。
ここまでの精神的ダメージを与える上官殿は顔を紅潮させると、頑なに視線をラスカーから外しつつ、乱れた制服の着装を慌ただしい手付きで整え始める。
「こほん……。待ってラスク、違う…そう違うの! これは別に久しぶりにラスクの匂いを嗅いだら止まらなくなったとか、そういうのじゃないから!」
「か、語るに落ちてるぞカシヤノフ大尉………」
ラスカーは後ずさる。顔を紅潮させてあたふたしている同級生兼上官を見続けるのがいたたまれなく感じたからだ。
(スパイや泥棒じゃなかったんだ。いいじゃないかトルストイ。あぁそうだ)
「だ、大丈夫だ…。そ、それじゃあカシヤノフ大尉、ごゆっくり………」
「だ、大丈夫じゃないわよ! なんで後ずさってるの!? ここはあんたの部屋なんだから私なんか気にせず堂々としていなさいよ!」
アリアナは立ち上がり、逃げようとしていたラスカーの腕を掴んで部屋の奥に置かれたベッドの方へ引っ張る。
「なんで俺が怒られるんだ………」
「馬鹿ラスクが全部いけないの!」
上官の言動が理不尽極まりないのは万国共通のようだ、とラスカーは諦感とともにそんなことを考えていた。
「ふぅ…部下との交流はこれまでにして………」
ベッドに二人並んで座ったラスカーとアリアナ。
アリアナは咳払いをしてからそう言った。
「部下のベッドに頬ずりすることが交流でありますか大尉」
そう返したラスカーのみぞおちにアリアナの鉄拳が刺さる。ラスカーは腹を抱えて呻いてしまう。
「よ、余計なことは言わなくていいのよ! せっかく面白い話を持ってきてあげたのに、聞きたくないの?」
「面白いかどうかは俺が決めることだから、なんとも………」
未だに痛むみぞおちをさすりながらラスカーはアリアナの顔を見る。きめ細かな新雪のような白い肌に晴天の空をそのまま映したような瞳。流れるような長髪も傷んでいる様子は見受けられない。
(俺がいなくても大丈夫だったようだな………)
ラスカーはほっと一息ついた。
「あっそ。じゃああんたには面白くない話からしてあげる」
アリアナは怒るときに眉毛が震える。陸軍士官学校の頃から変わっていない。
「第三四中隊は再編成に伴って解散したわ。それに伴って私は転属。どこに行くかまでは……こんな所でする話でもないわね」
アリアナはラスカーの部屋を見回した。隊の再編情報は軍事機密だ。個人の私室でしていい話ではない。
「それじゃあ残った奴らはどうなるんだ。まさかお前みたいに散りじりなのか?」
「いいえ、私だけよ。私だけ部隊替え。無能の指揮官はいらないってことなのかしらね…。ちょっとキツいかな………」
「アリアナ………」
ラスカーはまた彼女のことを勘違いしてしまった。大丈夫ではなかった。隠していた。気丈に振る舞っているだけだった。
この三年間。誰よりもアリアナと付き合っていたのはラスカーだ。それなのにこの少女のことを未だに理解し切れていない事実に、ラスカーは自分自身に腹が立ってしまう。
「ね? 面白くなかったでしょ? あんたの趣味嗜好なんか分かってるんだから。さ、先に嫌な話もしたところで面白い話をしてあげる」
「あぁ」
アリアナはそう言ってラスカーの耳に顔を近づけた。ラスカーの白い首筋にアリアナの吐息がかかってくすぐったくなった。
「試作機、全員分用意出来たって」
「っ! それは本当か!?」
ラスカーは思わず立ち上がってアリアナの肩を掴んだ。
「本当だから、落ち着きなさい馬鹿ラスク。ね、面白い話だったでしょ?」
「あぁ! それでっ、いつジューコフスキー基地に搬入されるんだ?」
ラスカーの目は新しい玩具を見せつけられて欲しがる子供のようになった。それほどまでに、この数日間でFoTEという兵器にラスカー自身も入れ込んでいたのだ。
「私も今日きたばかりだし、詳しいところまでは教えてもらってないんだけど…製造工場はモスクワにあるから、早ければ明日にでも来るんじゃないかしら」
「そうか…そうかそうか!」
FoTEのポテンシャルは機行戦車にも戦闘機にも負けない。あれが正式配備され各部隊に行き渡れば、と考えるとラスカーは興奮を抑えられない。
「これはそうとう入れ込んでるわね…。パパが明日ここに来るって言ってたから、近いうちに実機に乗れると思うわ」
「カシヤノフ氏がこの基地に来るのか。わかった」
言いたい事は済んだのかアリアナがベッドから立ち上がった。その顔は心なしか楽しそうでもある。
「…? どうかしたか?」
「別に。それじゃ私帰るから」
アリアナは部屋の出口に向かって歩いて行く。
「待て。新しい配属先にはいつ行くんだ?」
「そんなこと言えるわけないでしょ。それに、よしんば私が言ったとしてあんたは何する気よ」
ラスカーはアリアナに近づいた。そうして笑ってこう言った。
「一緒に街の方で食事でもしよう。俺からの餞別だ」
その声音はきっとこの地球上でアリアナしか聞いたことがないような穏やかな声音だった。
ラスカーは離れ離れになるじゃじゃ馬の同僚にささやかな餞別を送るつもりで誘ったのだ。
「その時にゆっくりと話をしよう。俺とお前の三年間の話でも。いや、士官学校も足せば六年分になるか? お前は昔からじゃじゃ馬というか暴れ馬というか…でも、お前のおかげでそれなりに楽しい六年間だったよ」
だが、アリアナは後ろを向いてしまい、ラスカーは彼女の背中を見ることになる。カーキの軍服のせいで多少膨らんで見えるがアリアナは華奢な身体つきをしていた。
「…………、から…」
「ん? すまない聞こえなかった。もう一度」
「また連絡するから、もう帰してぇ!」
そうアリアナが叫ぶと、急に振り返ったアリアナはラスカーのみぞおちに第二の鉄拳を突き刺して、逃げるように走り去っていってしまった。
(な、なんで殴ったんだ………)
ラスカーは少女の拳によって膝から崩れ落ちて、そのまま意識を失ってしまうのだった。
ラスカーの鼓膜を起床ラッパが叩いた。覚醒し始めた脳が毎朝の冷気を感じ始める。
「うっ…、まだ痛むのか………」
起き上ったときにみぞおちがずきずきと痛む。それ以外にも固い床で数時間眠っていた身体はところどころが痛んだ。
カーキの軍服は皺だらけになり、誰が見ようともみっともないと感じるだろう。だが、アイロンをかけている時間もなく、目いっぱいの力で皺を伸ばして羽織り直す。
それでもみっともない状態なわけだが、現状はどうしようもない。ラスカーは仕方ないな、と部屋から出ていった。
FoTE小隊の目前に立つのは停滞した戦況を変えつつある新兵器。ソビエト軍の試作機だ。
FoTE小隊と試作機の間、FoTE小隊のメンバーの眼前にはエリョーメンコ少将の姿もあった。
「こちらが追加注文いただいた最後の一機になります」
ホドルヒン・カシヤノフ氏がエリョーメンコ少将に受領書を渡した。それを少将は秘書に渡した。
「これでようやく実機での訓練が開始できますな。感謝いたします同志ホドルヒン殿」
エリョーメンコ少将が薄っぺらい笑みを浮かべる。少将の笑った顔はずる賢い、童話の狐のようだった。
「いえ、我が設計局を選んでくださった同志少将の頼みでもありますからな」
遅れてきた最後の機体は装甲を輝く白銀に彩られ、日本機に比べて装甲が厚く正にソビエトを守る冬将軍の遣わした番人のようであった。
「それでは私も色々と仕事が出来てしまったので戻らせてもらうよ。コーヴィッチ同志少佐、あとはカシヤノフ氏から詳細なスペック等の説明をしてもらいたまえ」
「はっ。敬礼」
ラスカー達は去っていく少将に敬礼をする。少将は去り際に小さく敬礼をして、秘書を連れて屋内に戻って消えてしまった。
「それでは機体を一番ハンガーに格納ののち、メドヴェーチについて説明したい。同志少佐、よろしいか?」
「はっ。了解いたしました。整備班、トレーラーを移動させてください」
「あぁ、それには及ばんよ」
ザイシャが整備班を動かそうとしたとき、カシヤノフはザイシャの命令を遮った。
「私の連れがいる。それにやらせるから問題無いのだ」
「は、はぁ。了解いたしました。それでは全員一番ハンガーまで移動しろ」
アニーシャが大尉以下の者に敬礼を促させ、ラスカー達は一番ハンガーに向かって移動を始めた。
「カシヤノフ設計局が開発したKsY-17メドヴェーチはアメリカ海軍が開発したFo-1マスケッティアの資料を基に我々が改修を加えた機体だ。大日本帝国の42式強化機甲戦闘機
カシヤノフは机上に分厚い書類の束を置いて、きっとその山のてっぺんから読んでいた。
カシヤノフの見事に刈り上げられた禿頭にはじわりと汗が滲んでいる。この場ではラスカーのみが知っている事実であるが、ホドルヒン・カシヤノフという男は説明狂、人に物を教えたくてしょうがない性分なのだ。
(あぁ、あの悪癖がまた…説明はありがたいのだがな………)
カシヤノフ自身に全く悪気がないのが、事をより一層悪質にしていた。
「ここではアメリカ軍のマスケッティアではなく、日本軍のカワセミと比較して説明させてもらう。諸君らはそちらでのシミュレーター訓練を行っていると聞いているからな」
カシヤノフが藤堂をちらりと見た。カシヤノフは説明狂ではあるが、常に紳士的でもあった。藤堂が目を閉じたのを確認してカシヤノフの口が回り始める。
「メドヴェーチはカワセミと比べて装甲を増加させている。肩部、脚部、腰部だ。それに伴ってスラスターの出力も20%上昇させている。諸君はカワセミのシミュレーション訓練で鳴れているからすぐに乗りこなしてくれるかと思う」
ラスカーは耳でカシヤノフの説明を聞きながら、資料に目を落としていた。
「大きいな………」
「その通りだラスカー」
思わず出てしまった独り言に返事を返されたラスカーは驚いてカシヤノフの頭を見てしまう。照明の光が反射して目にささった。
「カワセミの全高が18mなのに対してメドヴェーチは20m。これは装甲の増量による機動力確保の弊害と言えるだろう。これに関しては諸君らの批判を浴びるのはいたしかたないことだと承知しているが、国内の技術ではこれ以上の小型化は各種動作の安全性を損なうと私は判断した」
カシヤノフはそう謝罪と思えなくもない言葉を放った後、資料の真ん中あたりに指を突っ込んで捲り上げた。
「次は武装について説明しよう。メドヴェーチの主武装は40mm突撃機銃、122mm
「
カシヤノフの説明を遮るようにジャンナ少尉が言葉を口に出して首を傾げた。ラスカーが後ろを振り向けばエフストイ兄弟も分からなそうな顔をしていた。
「滑腔砲はライフリングの施されていない火砲のことだよ。一般的にはライフリングの施された銃よりも長砲身で反動が出てくるんだけど一発の威力が高いんだ。戦車のや戦艦の主砲は全部これ…ってジャンナ少尉、お前は海軍出身のはずだろうに……」
「あはは。わたしってばアイドルなので………」
ラスカーが滑腔砲について説明をし終えると、再びカシヤノフが機体の説明を始める。
「ラスカー、補足ありがとう。それでは再開する。主武装は前述の二つ。副武装にナイフを四本。両前腕部外縁下部にチェーンブレード、これは折り畳み式で前腕部に固定されている。更に、ここが一番の改修ポイントなのだ。機体の両前腕部外縁上部に副腕が装備されている。副腕にも前腕部同様のマニュピレーターを搭載してあるから前腕部の副腕を全て展開すれば同時に突撃機銃を四つ構えるなんてことも出来る」
腕が四本、と聞いてすぐに反応を示したのがラスカー、ザイシャ、アニーシャの三人だった。ラスカー達が依然搭乗していたのは機行戦車だ。機行戦車は前腕部、中腕部、脚部の六つの腕、足と呼べるものがあった。
「さて、次はカシヤノフ設計局の技術の粋を集めた純国産アクチュエーターについてだが………!」
そう言ったカシヤノフの目は狂科学者の目をしていた。カシヤノフが昔から研究していたのがアクチュエーターの分野だったからだ。機行戦車に使用するにはかなりの問題点が指摘されていたのだが、この度めでたく採用されたことがかなり嬉しかったようだ。
「主任、正午から会合がございますが」
「ええい、そんな物どうでもいいわ! アリアナ、お前もそこに座って私の話を………」
「すこ~し失礼しますね皆さん」
カシヤノフの言っていた連れとはアリアナのことだった。カシヤノフの助手としてジェーコフスキー基地に来ていたらしい。それにしても、アリアナがカシヤノフを改まって主任と呼んでいる姿はどうも変な感じだ。
(職権濫用じゃないのか………?)
アリアナは顔に笑顔を貼り付け、父であるカシヤノフを連れてどこかに行ってしまった。
「ど、どうしたんだ?」
この場を収めなければいけないザイシャが一番に声を出した。
「すぐに戻って来ると思います少佐」
士官学校の頃は毎日のようにああだったことをラスカーが苦笑とともに思い出した。
(変わっていないなあの人も)
「そ、そうなの?」
ラスカーの根拠がない返事で満足したのかザイシャは再び座席に戻ったが、今度はアニーシャがラスカーの肩に手を回してきた。
「そういえばラスカー中尉ってカシヤノフ氏と妙に親しげだったけれど、お知り合い?」
ラスカーは肩の上に置かれた手を退けながら、
「あの人は士官学校の同級生の父親で。訓練生時代はよくお世話になりました」
「へーそうなの………」
手を退かされたアニーシャもラスカーの答えに満足はしていないだろうが、席に戻った。
そんなことをしていると、カシヤノフとアリアナの二人が戻って来た。
「いや、申し訳ない。私は正午から予定があるんだった。では私はこれで失礼させてもらう。整備班の方に資料は渡しておくことにするが、もしアクチュエーターについて質問があるならカシヤノフ設計局まで来てもいいんだ…ふがっ!? 何をするかアリアナ!」
「主任、奥様は結婚記念日に帰って来られない主任を大変お怒りでいらっしゃるらしいですよ? 会合が終わったら即刻お帰りになられた方がいいかと」
「ぐぬぅ…。で、では失礼する………」
アリアナが何か言ったのは明白だろう。カシヤノフは早足で去って行ってしまった。
「主任が失礼いたしました。ですが、主任はアレでも国内全設計局が参加した先行コンペティションでメドヴェーチは生き残った機体なので、性能については安心してくださいね。頑張ってください、それでは」
アリアナもそう言い残すとカシヤノフを追って、手早く資料を纏めてハンガーから出て行ってしまうのだった。
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