第47話 褐色の笛吹き男Ⅱ

正暦1945年 5月21日 第一〇二大隊指令室


 難民の入島手続きは補給物資陳情書を書き上げるよりも簡単に終了した。

 ラスカーはエレーナ・ネムツォフ准尉に難民達の面倒も見るように命じていた。

 彼ら難民達が一時的な滞在場所に選ばれたのはクロンシュタット旧市街地の民家で、これらはドイツとの戦端が開かれた極初期に島民はレニングラード、モスクワと避難していき、主無き家々がひっそりと埃を被っていたのだ。


「報告ご苦労ネムツォフ同志准尉。これで連邦人民達も次の行き先が決まるまでは羽を伸ばせるだろう」

「はっ。同志少佐殿、こちらに来るまでに何人か武装待機した兵を見ましたがそれは?」

「ネズミ狩りを少々。同志准尉は難民達と話をされましたよね。何か、彼らとの会話中に感じたことを話して頂きたい」

「ネズミ、でありますか。そう………難民の代表者の男、レインホルト・クランツという男性は会話中、どこか上の空といいますか、私と一度も目を合わせませんでした。後は、リスト製作に気を取られていて、コレという異常には気が付きませんでした」

 レインホルト・クランツ、とラスカーも反芻する。さて、人心などという不可視の存在をどうやって見破ろうか、とラスカーは考えていた。


「今、旧市街地には?」

「お借りした第八小隊が配給食を難民達に渡しております」

 貴重な備蓄をいるかもしれないネズミに与えているだけで随分と被害を被っている。彼らが食べているであろう配給食は大隊の兵士の為の配給食だったのだから。これで、一食分、食糧を減らされた。


「警備巡回中の各小隊の巡回ルートに旧市街地を追加してくれ」

「了解」

 副官の応答が間を置かずに返ってくる。


「ネムツォフ同志准尉、難民達には旧市街地から出ないようにとは?」

「伝えてあります」


「よし………。移送船は既に北方方面司令部に事の子細と同時に要請してある。何か少しでも異変を見つけたなら即座に対処しろ。場合によっては射殺も認める。兵にはそう伝えておけ」

「「はっ」」


 ラスカーという一指揮官の持ちうる権限の中ではこれが精々、後は上役の対応待ちだ。

 難民の移送にどれほど掛かるだろうか。物資を運ぶ輸送船もつい三日前に補給しに来ているのだから、そう遅くはならないとは思うのだが………。

 ラスカーが無意識で口に運んだコーヒーは既に酷く冷め切ってしまっていた。






同日 旧市街地


 身なりは汚く貧しい。痩せ細った男達が数人、似たようで、そして決定的に違う集団から抜け出して路地裏に集まっていた。

 彼らの目は一様にギラついている。強い興奮が疲労や空腹の辛さを脳が知覚するのを妨げていた。


「見られてるな」

「あぁ。何分かに一度は、兵士が見に来てる」

「バレたのか?」

「分からない」

 だが、と彼らの頭目は言った。続けて、

「やるしかない」

 男達は頷いた。

 やるとは、つまり………、

「夜中になったら決行するぞ。まずこの街に火を付ける。兵士の目が街に向けられた所で、あの新兵器の保管されている倉庫を爆破するんだ」

 子供でも思い付くような作戦だった。だが、誰も異論は無かった。と言うよりもそれ以上のモノを考えるには、彼らには猶予も余裕もなかった。

 お互いで、これでいけるのだ、と自己暗示を掛けている状態なのだ。


 民間人と人殺しの専門家とでは、圧倒的な力の差がある。その戦力差を前にはこういった精神的な作用を以て臨むしかなかった。


「祖国エストニアの為だ」

「共産主義者に食い潰されるぐらいなら」

「侵略者と手を組んで家族を守る」

「祖国と自由の為に」


 男達は人知れず、ナチスと手を組んだ。民間人の破壊工作による戦線の撹乱が目に見える成果を上げたなら、ナチスドイツによる独立保証と防衛協定の締結を約束すると。

 占領下のエストニア国民がどうしてこれを拒めるだろう。そして、それは平等を騙った共産主義者との決別なのだ。旗を変えるのなら少しでも豊かな側に付くのは必然。

 もう痩せ細った我が子や、母乳が出ないと泣き腫らす妻。骨と皮ばかりの両親を見るのは沢山だ。


 これは祖国エストニアの為の、男達の戦争。求めるのは貧困からの脱出。家族が腹を膨れさせて見せる団欒の笑顔。その為に死ぬ事に、なんの躊躇がいるだろう。







同日 深夜 第一〇二大隊指令室


「仮眠を取られてはどうでしょうかラスカー同志少佐殿」

 アリアナ・カシヤノフ大尉が、夜更かしをする幼子に諭すような口調でラスカーを茶化した。

 ラスカーは書類を捲る手を止めて机の向こうへ、椅子を勝手に持ってきてはそこに座ったアリアナを見る。


「俺もそうしたいのは山々だがな。難民のお陰で、昼に片付けるつもりだった仕事が残っている」

「明日でもよろしいのでは。生真面目な性格のせいで、大した量ではないでしょう?」

 明日は明日で仕事があるんだよ、とラスカーが書類に目線を戻して答えると、面白くなかったらしい、アリアナは子供のように頬を膨らませた。彼女らしくないといえば、らしくない甘えきった表情と雰囲気を浮かばせている。


「ねぇラスカー。サイヒン放送局って知ってる? 南部じゃ有名な海賊放送」

 サイヒン放送局は南部戦線で戦ったことのある将兵なら一度は耳にするであろうラジオ放送だ。彼らは放送の頭にサイヒン放送局から、と名乗るからその通りに呼ばれている。


「陸地で海賊なのか? 山賊の間違いだろ。それに、確かあれは視聴禁止だったはずだが」

「まぁ、指導部肝いりの航空機甲大隊じゃ徹底されてるわよね。普通の機甲部隊じゃ、風紀も糞もありゃしないわ」

「それは職業軍人としてどうなんだ?」

「違うの。無線がたまたまその周波数を拾って、それで聞こえちゃうだけよ」

 屁理屈極まれり、だ。


「ジャズとか………ラスピン辺りね。それとクラシック。よくまぁ、こんな時勢に音源を集めたわねって感じのするラインナップだったわ」

 アリアナが訥々と挙げる曲名は殆どがアメリカや西欧諸国の作曲家のモノばかりだ。欧州との連絡が絶たれているというのにどこから調達した音源なのやら。しかも、このサイヒン放送局、連邦の政権批判を平然とやってのける大分気合いの入った酔狂な人間が運営しているに違いないと兵士の間で話題だったのをラスカーは何となく思い出した。


「あ、でも。どんな曲でも途中からあの政府認定偶像アイドルの電波な曲になるんだから笑っちゃう」

「あれか………」

 ラスカーなど、レコーディングにまで立ち合った事がある。そういった意味では懐かしさを覚えるが、毎日聴くには相当の精神力がいる。


「ピアノなんて、ずっと触ってないわ。もう簡単な曲も弾けないでしょうね………」

 カシヤノフ宅にグランドピアノが一つあることをラスカーは知っている。だが、アリアナがそれを弾いた所は一度足りとも見たことはなかった。


「あれってお前のピアノだったんだな。てっきり………」

「お母さんのだと思ってた? 徴兵も志願も年齢が引き下げられて、すぐに士官学校を受験したから、まぁ………。三年は弾いてないし、あながちお母さんのでも間違ってないかもね」

 そうアリアナは窓の方へ視線を逸らした。


「聴いてみたい気もするがな」

 ラスカーは自然と微笑んで、アリアナに告げた。

 すると、アリアナはチラッとラスカーの方を見てすぐに窓の外に目線を戻してしまった。


「………戦争が終わって、二人でまたモスクワに帰れた時は弾いてあげてもいい、けど………」

「帰る、か」

 人には故郷がある。それは個人の拠り所として確かに存在しているのだ。ならば、ラスカーにとってそれは………。


 瞬間、窓が音を立てて激しく振動した。

 地鳴りのような低い音と共にラスカー達が現在いる建物がゆっくりと揺れた。


「どうした!」

「旧市街地が!?」

 アリアナの指さす方向、旧市街地から大きく火の手が上がっていた。逆巻く炎は天を焼き、月明かりさえ塗り潰す朱色が付近を煌々と灯している。


「大隊総員を叩き起こせ!」

「り、了解っ!」

 大隊長としての責務は理解している。ラスカーは怒号を以て第一〇二大隊を束の間の休息から戦場へと連れ戻した。






5月22日 第一〇二大隊指令室


 時針は頂点を指し示す。

 指令室に集まっているのは大隊所属の各小隊長、副長、大隊長の十数余名だ。


「エネルフ同志曹長、火災の規模と今の状況を知らせろ」

「はっ、火災は難民が宿泊していた施設からは一〇〇〇m離れた地点のアパートから発生しており、徐々に隣の建物にも燃え広がりつつあります。現在、第三、四、八、一一小隊が火災の沈下作業を実行中であります」

 無線から伝わるエネルフ軍曹の報告を指令室の全員が傾注している。


「難民の避難の状況は」

「第五、六小隊が避難と救助活動に当たっておりますが、良い状況とは言えません」


「どういうことだ」

「一部の難民が、数名の姿が見えないから、探しに行きたいと………」


「その数名は誰か分かっているか?」

「いえ、難民達は恐慌状態で、とても話を聞ける状態では………」

 ラスカーはすぐに難民の名簿を机から取り出した。


「通信小隊は難民の処理に当たれ。クラースヤ同志中尉が現場に付いたら第五、六小隊の統合指揮を取るように!」

「はっ!」

 難民名簿を投げ渡すとマリベルはそれをしっかり受け取り、短く敬礼をして指令室から飛び出していく。彼女の背を追って通信小隊の女性兵士達も続いて駆けだした。


「カシヤノフ同志大尉。貴官には消火作業中の部隊とクラースヤ同志中尉の指揮するもの、それと第一小隊以外の戦闘小隊を率いて現場の探索指揮を行え。ライフルの携行は許可する。だが、極力発砲は避けろ。必ず見つけ出して生きたまま捕えろ。それは尋問する必要がある可能性があるからだ。いいな」


「尋問というのは?」

 今、ここにいる部隊長格の軍人達にはそうしなければいけない理由は昼間の時点で聞いていたはずだが、彼らの殆どは初じめての暴徒鎮圧………になる可能性がある。ラスカーも改めてその目的を伝え直す。


「この火災が仮に人為的な物であるならば、それは一軍事拠点を狙った戦術、戦略的な行動であると考えるのは自然。難民を装った枢軸国の工作員ないしそれに近しいコマンド部隊の襲撃である可能性を考慮し、捕縛しろ。分かったか?」

「ありがとうございます。了解しました。銃火器の携行については承知致しましたが、機動兵器の使用については?」


「それについては、状況に応じて、だ。国際社会に、人型機動兵器を使用してまで生身の民間人を発砲するという構図はなるべく避けるべきだ。同志ソビエト連邦共産党、ソビエト連邦の国際印象の悪化は断じて許されないことだ。その指導を受ける軍が謂れの無い難民を虐殺した、というのも厳禁だ。一兵卒にまで徹底させろ。無礼を働いた軍人は階級に関係なく処断する」

「はっ! 失礼します!」

 マリベルのものとは違った、芯のある敬礼をして、彼女も各小隊長を連れて退室した。


 大隊指令室に残ったのは大隊長と第一小隊長とネムツォフ准尉だけになる。

「バルカ同志少尉、貴官は第一小隊を指揮してハンガーに向かいFoTEの起動準備をしろ」

「了解しました」

 アラン・バルカ。大柄な体型に似合わない寡黙な男性士官。転向組でも一、二を争うほどの操縦の腕を持つ。男は一言、「Дa」と答えた。


「………? 先ほど、同志少佐殿はFoTEは使用されないと仰られていた気がしますが」

「彼らには周囲に接近する敵機がいないかを確かめて貰います。用心に越したことは無いでしょう?」

「なるほど」

 エレーナ・ネムツォフは今気付いたとでも言いそうな顔で頷いていた。ラスカーは内心、冗談だろ、と呻いた。

 平和ボケ。こんな、まともに電波通信を行えない島で?

 それは、やはり彼女は軍人ではないとラスカーに強く印象付けをした。


「バルカ同志少尉以外小隊員三名は各FoTEに搭乗後、速やかに哨戒線を改めよ。異変があれば詳細に報告を送れ。質問は?」

「オプション装備の使用は許可されますか」

「時間が惜しい。すぐに飛べ。出来れば火災現場、島内全域の俯瞰写真も送ってほしい」

「了解しました。それでは」

 寡黙な巨漢の高い位置からされる敬礼にラスカーは答礼し、彼の背を見送る。戦場を理解する部下とはかくも頼りになるものか。


「同志少尉、一応ライフルを持っていけ。パイロットの領分はやはり機動兵器を扱ってこそだ。貴官らは連邦軍にとって金の卵だ。それを忘れるな」

「了解」


 雛同然の大隊に、ようやく春一番が舞い込んだ。火の粉混じりのそれは大火となるか。

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