第4章

ヴァルハラの選定者

 アドルフは目の前に突然として広がった光景に自らの目を疑うばかりだった。


「んなっ………!?」

 アドルフの手前には巨大な門がある。見事な細工の施された門の格子の先には巨大な宮殿がそびえ立っている。それはアドルフが見た事のあるどんな建造物よりも美しく、人の踏み入れては行けない、神域のようにも感じられる。


 アドルフは門に手を掛けるのに躊躇うが、直前までバスティア・シュタイガー少佐が行っていた目的を思い出し、恐る恐る門の格子を握った。


(婚約者がいる身でナンパとはな…。これも任務か………)

 ままよ!とアドルフは腕に力を込めた。しかし、門は勝手に開いていった。


 勝手に門が開帳していく様にはなんとも肩透かしな気分を覚えたアドルフだが、すぐに気持ちを切り替え、門と宮殿の向こうに立っている九人の乙女をキッと睨んだ。


「失礼致します。自分は武装親衛隊シュッツ・シュタッフェルザイフリート特務隊所属アドルフ・ブレイン・カーレス中尉であります」


 アドルフは脱帽の上、官姓名を名乗り宮殿の庭で楽しげに談笑する彼女らの下へと進んでいく。


(特務隊はこんな物を作っていたのか…?)

 大陸撤退戦以降、アドルフは国防軍から武装親衛隊に鞍替えをした。理由は明確。部下を殺した忌々しいアカの犬をこの手で葬るためだ。任務の内容的にも国防軍に留まるよりこちらの方が機会は多い。それに、上官に誘われたのもある。


 アドルフは歩きながらなるべく顔を動かさずに目線のみで周囲を観察する。

 整えられた植木に潤いを齎す噴水。壁面は汚れを知らぬのか白く光を反射している。そして進路上に佇む女性達。アドルフは絵画の中に迷い込んでしまったかのような気すら起きてくる。


 そして、アドルフは視線を乙女達へと留めた。

 アドルフは声を掛けようとして、彼女達が既に談笑を止めアドルフに注目しているのに気付き、そして困惑した。


「ご機嫌よう、アドルフ中尉」

 そう口火を切ったのはバスティア少佐であった。だが、何か違う、とアドルフは感じ取った。

 少佐であるならばもっと男が逃げ出すくらいにキツい話し方をされる。ご機嫌ようなどと少佐から聞いた日には祖国が滅ぶ前兆かも知れない。ならば、目の前の彼女は誰だ? バスティア少佐の顔した女性は何者か。


「私達は肉体を持っていませんので、勝手にモデルを作らせていただきました。姉妹達もこの通り」

 バスティア少佐の姿をした女性がアドルフの視線を横に促した。その先でアドルフは信じ難い物を見た。


 どの顔の女性もアドルフの見た事のある顔だったからだ。


「ミーナ!?」

 アドルフは堪らなくなって叫んだ。その女性達の中にはアドルフの婚約者であるミーナまでもがいたからだ。ミーナは久しく帰っていない故郷でアドルフの事を待っているはずだ。この前手紙が届いた。


 更に横に視線を進めると部下の顔があった。いや、元部下だ。

「これは夢か…? こんな事が………」

 アドルフは呼吸が苦しくなるのが分かった。なぜならその元部下ティアナは、死んでいるのだから。

 あの日、アフリカのエジプトで。ソビエトのパイロット、ラスカー・トルストイの手によって殺害されているからだ。


 アドルフは怖くなって視線を逸らせば、次々に見知った顔が現れる。

 向かいの家にいた同年代の少女に、士官学校の同級生。ハイスクールの若い恩師の顔までが、ジッとアドルフを見つめていた。


「何がどうなっている…、特務隊は一体何を研究していたッ!?」

 分からない。アドルフは上官に言われるままにココに誘われた。その上官は向かいで他人のように微笑んでいる。


「怖がらないでアドルフ」

 その九人の女性達の中からミーナの顔した女性が一歩前に踏み出してきた。


 咄嗟にアドルフは拳銃を引き抜いた。恐怖から照準が合わせられない。


「君は誰だ? なぜミーナの顔をしている!?」

「私達は肉体を持っていないの。この顔も躰もアドルフの記憶を覗いて借りているに過ぎない」

 この喋り方、笑い方。仕草の一つに至るまで、目の前の女性はミーナに似すぎている。まるで同じ人間のよう。


 女性はアドルフの握る拳銃に触れる。すると、拳銃は花の花弁となって宙に舞って消えてしまった。


「なっ…!? それなら君は、君達は一体………」

「私達はヴァルキュリオル。選定し、契約し、戦士をヴァルハラへと誘わん」

 ミーナの顔の女性が一歩分前に。アドルフのすぐ側に、傍らに立ち、アドルフの瞳を見つめる。


「私の名はブリュンヒルデ。貴方を選定し、戦場に於いては貴方を守護し勝利へと導きましょう。そして必ず、ヴァルハラへの共を務めましょう」

 ブリュンヒルデ、甲冑の戦乙女。そう名乗った女性はアドルフに傅く。


「止めろ…ミーナの顔で、ミーナの声で………そんな事を言うのは、」

 アドルフは頭痛を覚え始めた。それは段々と大きく唸るように痛みを増す。

 ブリュンヒルデはアドルフの傍らで傅くまま、固まったかのように動かなくなった。


「その顔でその声で、俺のミーナを壊すなァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 視界にノイズが走る。砂嵐が巻き起こり、宮殿も噴水も庭木も女性達もドロドロに溶けて分からなくなっていく。顔が無くなった化け物がただアドルフを見つめていた。


「アドルフ、貴方はヴァルハラに招かれた。その死後も貴方の魂は戦い続ける」

 滲む世界の中で、形を残したままのブリュンヒルデは微笑みを浮かべ、アドルフを抱き締めた。







「データ! 保存しろ! 成功者だ! 新参者の中尉殿が帰ってこられた!」


「バイタル、正常値に戻っていきます!」


「救護班! カーレス中尉を医務室へ! 早くしろ!」


 喧騒が聞こえた。酷い頭痛で身体を起こすのも難儀だが、アドルフはどうにか腹筋に無理をさせて上半身を起こす。

 状況が飲み込めない。なぜ、アドルフは病人みたいな格好をして頭に変なパッドを貼られて寝かせられていたのか。

 どうにも頭が明瞭とせず、求める解を得られない。


「良くやった、アドルフ・ブレイン・カーレス中尉」

 そう声をアドルフに掛けたのはザイフリート特務隊の責任者であるメルバイン上級大将閣下その人だった。

 アドルフは慌てて立ち上がり敬礼をしようとしたが足腰に力が入らず、ベッドを危なく揺らすだけに留まった。


「あぁ、いけない。敬礼はいい。むしろ私達がしたいくらいだ。今はよく休みなさい。シュタイガー少佐、彼を医務室に連れて行きなさい」

「はっ」


 バスティア少佐もいるのか、とアドルフが少佐の顔を見た瞬間、先ほどまで自分が何処にいたのかがフラッシュバックした。


「ゥッ…!」

 アドルフは情けなくも床に胃液を吐き散らした。


(そうだ、この顔…あの宮殿で………)


「貴様、上官の顔を見ていきなり吐き出すとはいい度胸をしているな」

「あぁ…いや………悪夢に出てきたと言いますか」


 最悪な気分のアドルフだったがバスティア少佐が顔に青筋を浮かび上がらせて自分を睨んでいる姿にどこか安心感を覚えた。戻って来れた、という実感が少しづつ浮かび上がってきた。


「済まない。この床は綺麗にしておいてくれ。私は戦士を医務室に届けねばならん」

「はっ。戦士殿の健康を祈願し掃除させて頂きます!」

 大袈裟にやり取りをし合うと、アドルフを乗せたキャスター付きのベッドは医務室へ向かって進み出した。


 第一実験場を出ると殺風景なコンクリートの廊下に出る。灰色の天井が無性に愛しく感じるアドルフ。


「良くやった、良くやったぞ中尉。これで、長きに渡る戦争が終わるかもしれないぞ」

 バスティア少佐は独り言のように歓声を上げる。


(成功した、のか………)

 今は成功を噛み締めるよりもあの場所から戻ってこれたことの方が嬉しかった。


「貴様の様子は常にモニターしていた。脳波が激しく乱れた時は何事かと思ったが、貴様は見事にやり遂げた! 勲章物だ!」


(つまり、あれは俺しか見ていないのか………)

 ヴァルハラで談笑する九人の戦乙女。その中の一人とアドルフは契約したのだ。


「シュタイガー少佐。今後、自分はどうなるのでありましょうか」

「貴様の体調の回復を待って専用機のテストに入る。最初の成功例だけに、機体の調整にはかなりの時間が掛かるだろう」

「そうですか………」

 アドルフは力無く答えた。

 

 アドルフは目覚めた瞬間から、身体に違和感があるのを自覚していた。まるで、一つの身体に二つの意志が存在しているような奇妙な感覚だ。

 意識が覚醒してくると余計に強く感じられる。いるのだ。アドルフの身体の内側にブリュンヒルデが。

 アドルフを死者の軍勢の最初の一人とするべく、戦場を求めている。


(それでも俺は、ミーナ。お前のいる場所に帰るからな)

 アドルフの願いはどうなるのか。彼の結末を知る者は一人を除いて他に無い。

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