第36話 策謀

「は? ………演習の残りの行程を繰り上げて終了でありますか?」

 ザイシャが話した指示の内容にラスカーは驚きの余り、声を出してしまった。いや、ラスカーだけでは無い。この場にいる部隊の構成員の全員がだ。

 ミーティング室は一時騒然としてしまう。


「その通り。既に日本軍、合衆国軍共に撤収作業に入っている」

「しかし、なぜ………」


「何故も何も無い。同志大尉、決定された事だ。従って貰う。大隊各員、撤収作業を二時間以内に済ませ機体に搭乗した後、新たな指示を待て。以上、解散」

 ザイシャは事務的に指示を出すとミーティング室から退室した。


 残された士官らは困惑しつつも上官に指示に従うべく行動を開始し始める。

「諸官ら、急ぎたまえ。遅れは許されんぞ。解散だ解散!」

 大隊戦闘部隊の副官であるグリゴリーがノロノロと行動を始める士官達の尻を叩いた。


 ラスカーも気に入らなかったが撤収作業と言う事で自室として割り当てられた部屋へと向かった。




 その途中、日本兵達が忙しなく働いている中にラスカーは藤堂の姿を見つけた。


 話し掛けるか否かを勘案するも、忙殺されている様子を見て邪魔はよそう、とラスカーは決めるが向こうからこちらへ駆け寄ってきた。

「トルストイ大尉殿」


 敬礼は互いにしない。必要無い。既に友人の間柄だ。


「やぁ藤堂。忙しそうだが、いいのか?」

「帝国海軍人の私物はトランク一つに収まる程度と決められていますから。それに第四航空隊も試験的な部隊。隊員は私を入れても四名しかいません。準備もそれほど掛からないのは自明です」


「なるほど。先ほど演習が中止になったと聞かされたよ。だが理由は教えていただけなかった。既に日、米、両軍は折込済みとは、どう言った理由かな」


 ラスカーは面白くなさげに呟いた。その様子を見てどう思ったのか、弥生はラスカーの耳に顔を近付けると、辺りを憚るようにそっと呟いた。


「帝国陸軍の中で死者が出たようなんです」

「それは………だが、中止にまでなるだろうか?」

「陸軍が演習から途中で抜けるよう言ったようでアメリカ軍も同意して、演習が成立しなくなって中止なのだとか」


 死傷者を出した帝国陸軍と負け続きの合衆国軍が揃ってそんなことを言うのは、恐らく政治的な理由からではないか、とラスカーは勘繰った。

 日本の方は解せない部分があるが、アメリカ合衆国ならば、負け続きの演習結果を中止でウヤムヤにしたいのだろう。途中で終わってしまったから結果はなんとも言えない、と。


(合衆国内では反戦感情が根強いらしいからな。この件で更にそれが悪化するのは避けたいか………)

 弱い軍隊に誰が子を送ろうとするだろうか。民主主義国家の頭取を自称するかの国ならば余計に、そう言った主権者の声は無視出来まい。


「ありがとう藤堂。理由が分かっただけ幾分は納得出来たよ」

「いえ、大した情報でも無いですから」

 藤堂がラスカーから数歩後退って離れた。


「そう言えば、俺がアフリカに行っている間に藤堂達は本隊に戻っていたんだよな」

「えぇ。ですが、大尉の活躍は日本でも大きく報道されていましたよ。アフリカ解放の英雄だ、とか。ジューコフスキー基地に居た頃とは別人みたいでした」

 藤堂は珍しい笑い方をした。友人に悪戯をする子供のような、無邪気な笑みを浮かべていた。


「俺もいつの間にかプロパガンダに利用されるまでに偉くなったか。せいぜい使い潰されないようにしないとな」

 ラスカーにとって熱砂の半年間は苦い記憶でもある。敵軍の撤退を許し、中東で燻る同志達の反攻の芽を潰してしまった。


 その苦い感情を押し隠してラスカーも笑ってみせる。


「次はいつ会えるでしょうか………」

「出来れば平和な時代で、がいいな。旧知の友情を温められる良い時代がいい」


「そう、ですね。えぇ、きっとそれがいいと思います。それでは、失礼しました大尉殿」

 藤堂は深く礼をすると、藤堂の部下達が待つ方へと歩いていった。


「また会おう」

 そしてラスカーも歩き出す。藤堂とは反対の方向へ。彼女とは違う戦場に向かって。




「F○ck! F○ck!」

 合衆国で最も高度なセキュリティを持つ白亜の城の一室でクリント大統領は、今までに無いくらいに大声で、恥も外聞もかなぐり捨てて四つのアルファベットを叫んだ。


 机に無造作に投げ捨てられた受話器の向こうからは高級将校の困惑の喘ぎが聞こえていた。

 彼には戦略的に重要なプロジェクトを任せていた。合衆国発展の為の戦略的に重要なプロジェクトだ。


「閣下………」

 親に彼女との逢瀬を邪魔された少年のように取り乱すクリントに秘書であるウォーケンは声を掛けられなかった。


「ふゥ…フぅ………! さっさと戻ってこさせろッ!」

 クリントは獣のように息を整え、そう叫ぶと何やら煩い受話器を叩き付けるように定位置へと戻した。


「………ウォーケン君、頭痛薬を持ってきてくれ給え。それとコーヒーだ。砂糖はホワイトハウスにあるだけ入れてくれ。脳を落ち着けたい」

「はっ、直ちに」


 クリントの指示通りに働くウォーケンを見るとクリントの自尊心が癒された。


 クリントの前に錠剤とコーヒーが差し出される。クリントは錠剤を強引に投げ入れてコーヒーを流し込んだ。


「ゴホッ! ゴホッ!」

「閣下!」

 ウォーケンは懐からハンカチを取り出すとクリントの口から漏れたコーヒーを拭った。


 クリントはもう歳か、と場違いな感想を抱いてしまい、怒りが萎えてしまった。


「ウォーケン君」

「はっ、何でしょうか」


「君はドイツが降伏したならば世界はどうなると思うかね?」

 意地の悪い問だ。この質問の答えは一国の、合衆国大統領たる自分でしか答えられないからだ。


「平和な時代が訪れるのでは………?」

 ウォーケンは未来ある優秀な若者だ。良識があり、紳士的だ。しかし、政治家には向いていないようだった。だからこそ、こんな問いをしてしまった事にクリントは後悔した。


「我々合衆国は自由の為に戦わなくてはならないのだよ。だから答えはNoだ」

「閣下………それは!」


「日本にソビエト連邦。欧州大戦の次は―――」

 本当に嫌な答えだ。それを実行しなければならないのが自分だというのも呪わしい。


「世界大戦になる」

 今はその為の準備に徹しなければならない。軍の練度の向上。兵器のグレードアップ。次の戦争の為に今から準備をするのだ。

 二枚舌も腹芸も、市民と国益を守る為なら遺憾なく発揮しよう。共産主義者に帝国主義者。欧州大戦が終わったとて、この世から敵はいなくならないのだから。誰かがやらねばならぬのだ。そしてクリントが生贄なだけなのだ。


 全ては自由経済と民主主義の為に。

 この言葉にクリントは縋っていた。




 ヨーセフはスクリーンに表示される自国の地図に目線をやっていた。赤く塗られた地域はドイツ軍によって占領された地域だ。


 ドイツ侵略軍と戦い始めて既に九年の歳月が経っている。いい加減、いい加減もう良いだろう。幸いな事に文官、武官両方の綱紀粛正は完了しヨーセフがしっかりと手綱を握る体制は完成している。


「同志書記長。私が提案する天王星作戦によって膠着した欧州大戦の戦局を一変させて見せましょう」

 我ながら恐れられている自覚のあるヨーセフだが、目の前の軍内の規律を取り締まる政治将校は悠然とヨーセフなど怖くもないと言いたげにそう謳った。周りの同志委員達は「無理だ」、「出来るのか」、「勝算は」などと消極的な発言が目立つ。実にヨーセフは不快な気分になる。ヨーセフが一つ咳払いをすると、それはすぐに聞こえなくなった。


「よろしい。だが、そこまで豪語するのだ。責任の所在も明らかだろうね?」

 だが、それは必要な事だ。ヨーセフは「Дa」と答えることを前提に疑問を呈した。


「恐れながら同志書記長。天王星作戦に失敗はありません。党にとっては良い事ずくしのまま、成功させるのです。目的遂行の為に命を惜しむような怠惰な人民は我らが連邦には存在しないと確信しております。しかし、人民の士気を更に高める為に同志書記長にもう一つ提案させて頂きたい事が」

 「ほう」と呟きヨーセフは彼にその提案の続きを語る事を許す。他の委員達も息を飲むようにして彼の語る言葉を聞いている。


「彼の地、スターリングラードについてなのですが」


 会議室内の全ての委員達が彼の口にした夢物語に驚嘆し魅せられた。


 ヨーセフも国内で厭戦感情が高まりつつあるのは耳にしていた。彼の言う士気がそれほど高くないのも熟知している。


「ならば、こちらからケツを引っぱたいてやればいい、と?」

「戦争とは勝利して終わらせなければ意味が無いのです。それを理解していない老翁方のなんと多いこと。確かにドイツの技術は多くの部分で連邦を超えているでしょう。ですが、連中にとって最も不足している物を我々は有している」

 同志委員達が口々に反駁した。それはヨーセフの気持ちも多少なり反映してはいるが、政治将校の語る話は今までに観たどの喜劇よりも愉快なピエロであった。


「敵兵を殺せば良し。死んでも祖国友邦の為に殉死した、と」

「名誉ならば金も掛かりますまい。それを党の公式な声明として発表するのです」

 ヨーセフは笑う。いやはや私まで舞台装置か、と。周りの委員達も笑う。この場ではヨーセフが笑えばそれが笑いのツボなのだ。


 この国では、ヨーセフ・ヅェ・ヂュガシヴィリソビエト連邦共産党書記長が黒と言えば白が黒になるのだから。


「なるほど。天王星作戦、ウラヌス………結構じゃないか。君はロマンチストだな」

「私が同志書記長閣下に勝利という夢をお見せ致しましょう」

 同志政治将校は最後にニヤリと笑った。

 犠牲が避けられないならば、有効利用するしかないのだ。




「まだ落とせないのか?」

「はっ、総統閣下。ソビエト連邦軍はヴォルガ川対岸を堅固に保持したまま、睨み合いが続いております」


 後一歩、そういった所で防がれたという報告をバルドルは聞き飽きていた。


「それを私は後何百回聞けばいいのかね君」

「はっ、それは………」

 報告に来た将校は言葉を詰まらせた。


「敵領地に侵入している以上、兵站線は非常に長く脆い物になっておりまして………更に工作部隊も敵の激しい砲撃の下での作業は難しいようでして………」

 報告をしに来ているだけの彼に罪は無いと分かってはいるのだが、どうにも最近は良いニュースを聞かない。何かと言えば面倒な知らせばかりだ。


「下がりたまえ」

ドイツに勝利あれジーク・ライヒ!」

 見事な敬礼を示して伝令将校は退室していった。


 一人になったこの部屋でバルドルは地図を表示したスクリーンを睨む。


 この戦争が長期化し、戦前より貯蓄していた物資はとうに底を尽きている。

 ガス欠になる前に、戦争は終結させなければならない。


 後、一歩なのだ。だが、それが届かない。


「忌々しいブリカスにアカ共め! 一体どれほど私を阻む!」

 ついでに自由フランスなる組織もだが、言うだけイライラが増すだけなのでバルドルはあえて口に出さなかった。


 バルドルは地図上のある一点を睨んだ。

 スターリングラード。忌々しいヂュガシヴィリの生まれ育った街。

 ここを制圧出来ればソ連の支配に穴が空くだろう。潜在的な反体制分子も活動を始めるかもしれない。なんたって敵の多い男だ。国内で大粛清を行ったアカの皇帝だ。奴の首を切り落としたい者は確実にいるだろう。


 共産党の支配を揺るがす為にも占領せねばならない都市なのだ。


 バルドルが思案に耽っていると、机上の電話機が鳴り出した。受話器の向こうから聞こえてきたのは戦争終結の鍵となるやも知れぬジョーカーが完成した、という報告だった。


 バルドルは暗く笑んだ。

「待っていろヨーセフ。モスクワはすぐそこにあるようだぞ」


 大ドイツの首魁バルドルはただ一人の自室でそう言った。

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