第38話 発動、天王星作戦
正暦1944年11月8日22:00時。チカロフ特設基地。ブリーフィング室にて。
ブリーフィング室は静かな闘気に満ちていた。誰もが口を開かず、ある者は腕を組み、またある者は両手を合わせ自らの信ずるモノに祈りを奉じる。
シベリアから四ヶ月。強化機甲戦闘機試験大隊戦闘部隊はそのシベリアでの成果を多くの幕僚らに認められ、新たな隊名を名乗る事になった。
第一〇一航空機甲大隊。それが彼らの新しい巣穴の名前だ。
ブリーフィング室の何者かが開いた。それは重苦しい空気にロシアの冬の一番風を招き入れる。
「起立、敬礼」
第一〇一航空機甲大隊の副長であるアニーシャ・ヴィッテ大尉が隊員達を立ち上がらせ規律と士気の高さを思わせる敬礼を示す。
その礼の先に立つ男こそ第一〇一航空機甲大隊の指揮官ザイシャ・コーヴィッチ少佐だ。
ザイシャは返礼を済ませると全員を着席させた。
「僕は、FoTE乗りになる前はヂュガシヴィリグラードにいた。そこで受けた屈辱を、雪辱を忘れたことなんて一度も無い」
ヴォルガの野兎が語る言葉は精兵達の心に染み入り、深く戦意の根を下ろす。
「僕が陸軍の英雄?それは違う。あの日の僕は彼らから逃げるのに必死だった子兎だった。モスクワに召喚されても僕の心は南部戦線に漂ったままだった。だが、これから僕は僕を取り返しに行く。ドイツと彼らに迎合した侵略者達に正義の鉄槌を下す。その為の尖兵となる諸君らには炎天の熱射の如き辛辣さと永久凍土の霜の如き痛烈さを期待する」
英雄、正義といった大言壮語を並べてザイシャは語る。それはこの発言の一切がラジオを通じて天王星作戦に関わる全ての兵士に聞こえ伝わっているからだ。
この作戦には多くの兵士が必要とされている。多くの若者達が追加で徴兵され装備と真新しい制服を着せられて各戦場に立とうとしている。二等兵達には分かりやすい道標が必要だ。英雄として一切の悪逆を正当化してくれる英雄が。洗脳に似た同調圧を利用して新品のキリングマシーンを組み立てる。それがザイシャに与えられた任務の一つだった。
「英雄都市ヂュガシヴィリグラードを奪回し、全ての雪辱を払拭する。眠れる羆達よ、革命の寵愛児達よ!銃を持て、火炎瓶を持て!愚かな侵略者を蹂躙し、囚われた我らの大地に同志の旗を掲げる時が来た!」
カチリ、とスイッチを切る音がした。集音マイクの電源を切った音だ。
それを確認してザイシャは強ばった顔をだらしなく弛ませた。
「さて、最終ミーティングと行こうか」
ようやくザイシャは第一〇一の隊員達と目線を合わせた。
穏やかな雰囲気を漂わせつつ、ザイシャの目は誰よりも強い威圧を放っていた。
「この作戦では部隊を爆撃部隊と直掩部隊に分ける。編成はこの通りだ。確認してほしい」
モニターに爆撃部隊、直掩部隊で分けられて隊員の名前が表示される。
ラスカーの名前は直掩部隊の欄に書かれてある。ラスカーの上にはアニーシャの名前があった。直掩部隊の隊長は彼女なのだろう。
「さて、確認も済んだと思うから中身に入ろう。ヂュガシヴィリグラード奪還作戦になる。激しい市街地戦が予想されているが、第一〇一航空機甲大隊は歩兵部隊が街に入るより先に市街に飽和爆撃を行い、敵の戦力の大まかな無力化を図る。その後の掃討戦は歩兵部隊が行う手筈となっている。この飽和爆撃を第一次爆撃とし、第一次爆撃終了したならば一度ヴォルガ川東岸の防御陣地にて補給と休息を行った後、今度は街の外から入ろうとする敵軍に対する爆撃を行う。これを第二次爆撃とする。その際、敵航空戦力の存在を考慮し、第二次爆撃からは直掩部隊は爆装を解除して爆撃部隊の防衛にあたれ。敵戦力の撃滅、ヂュガシヴィリグラードの奪還が認められるまで作戦は終了しない。各員、そのつもりで、死力を尽くして党の為に戦って欲しい。僕からは以上だ。質問はあるかな?無いならば、この場は解散とする。作戦開始までは待機。各員、万全の準備をしてほしい」
「起立、敬礼!」
副長アニーシャが号令を出し、隊員が一斉に礼をする。ザイシャが返礼をして、解散となった。
全員を呑み込むぬかるんだ気配が、第一〇一航空機甲大隊の緊迫した感情を無言で物語っていた。
1944年 11月9日 00:00 チカロフ特設基地
「全機起動。離陸シーケンス、スタート」
ザイシャの声がラスカーの頭の中に響く。若干強ばったその声は淡々と指示を告げる。
ラスカーは機体に火を入れた。待ち望んでいたとばかりに愛機『KsY-17』改め『Ks-17K メドヴェーチ・カマンディル』は唸り声の如く搭載したガスタービンエンジンの稼働音を響かせる。
メドヴェーチ・カマンディルは大隊に三機しか存在しないKs-17のアップグレード版の機体だ。外面は通常版とはあまり大差は無いが、メドヴェーチ・カマンディルにはつい最近になってようやく実戦投入の目処が立った兵器が搭載されているのだ。
ラスカーはコックピットの中で深く息を吸った。柄になく緊張しているらしい。両手に目をやれば震えている。だが、なぜ震えているのか分からなかった。
(武者震いか)
そう割り切って意識を切り替える。
震えて当然だ。ラスカーが体験したことの無い規模で行われる作戦なのだ。国内中から、砲弾から人間まで何十万という単位で集められているのだから。
旧スターリングラードをヂュガシヴィリグラードと改めた党は恐らく爆破剤が欲しいのだ。国内に蔓延する厭戦の感情を吹き飛ばす気付け薬だ。
誰もが口を噤みながらも目で叫んでいるのだ。父を返せ、兄を返せ、弟を返せ、友を返せと。戦争なんて懲り懲りだ。帝国戦争の時のように離脱してしまえと。
しかし、ラスカーには理解しかねた。ならばなぜ武器を取らないのか、と。なぜ泣き喚くだけなのか、と。
泣き叫ぶだけで戦争は終わるのか、否。死んだ両親は帰ってくるのか、否。否である。
これは相容れぬ思想どうしの衝突。人々を束ねるのが困難なのと同様に異なった思想は決して交わることのないまま、平行線上を理想に向かって滑り続ける。そこには和解も無ければ融和も無い。
「トルストイ大尉、カタパルトデッキへどうぞ」
ラスカーはカマンディルをカタパルトデッキに乗せると、機体の姿勢を固定させる。
チカロフ特設基地はFoTE運用に関する専門的な設備を備えた初めての基地だ。
「ラスカー・トルストイ大尉。メドヴェーチ・カマンディル、飛ばせ」
「了解。カタパルト射出」
スラスターから青い燐光が瞬くと、電磁石と同様の原理によってカタパルトが打ち出された。
カタパルトによって即座に巡航機動可能な速度にまで至ったカマンディルはそのまま西方、ヂュガシヴィリグラードに向けて飛び立った。
上空から見下ろすロシアの大地には薄く雪が積もっている。今年の降雪は例年よりも早い。それからは今年の冬将軍のやる気のほどが伺える。
メドヴェーチ・カマンディルのコックピットの中、目的地を設定し自動操縦とするとラスカーは到着まで交代で仮眠を取ることにかった。しかし、いやに目が冴えてしまって仮眠どころではなかった。仕方無くリニアシートの収納スペースに入れて置いた文庫を一冊手に取った。
四ヶ月前、シベリアからモスクワへ帰って来た時に買った小説だ。
ラスカーの目線は紙面を滑る。ラスカーの手はパラパラとページを捲るが、読了してしまっているが故に内容は頭に勝手に入ってきた。
徴兵され戦場に行く男と田舎で男の帰りを待つ女の話。しかし、男は戦場で帰らぬ人となるが、女はその事を知らずに何年も待ち続ける。やがて、戦争は終わり国に平穏が戻って来るが男は帰らず、そして女は男を探して旅に出る。
女の道筋を辿り終えると、カマンディルのメインカメラが前方20kmの地点に集積陣地の管制灯を見つけた。
第一〇一航空機甲大隊は今まで飛行していた高度を下げる。作戦の隠密性を上げるためにここからは歩行によって移動するのだ。
ラスカーは文庫を戻すと機体を減速させる。リフトシステムが作動し脚部に仕込まれたスラスターが機体と地面との激突を受け止め、衝撃を殺した。
(女は死んだ恋人を探して各地をさまよった)
闇の中、照明を消して歩くラスカーには他の機体が見つけられない。周囲に三十機ほどいるのは確かだが、その気配はカマンディルが上げる唸り声とズシンズシンと鳴らす地響きによって判別が付かない。
(女は神に祈りながら、月の照らした道を歩く)
小説にあった一文。この後、女は恋人と同じ部隊にいたという男に出会った。
彼は恋人は死んだといい、亡骸を埋めた場所に女を連れて行く。
ラスカーは月が出ている事を確認した。ぼんやりと浮かんだ生白い月が空に昇っていた。
男は恋人は右目を貫かれて死んだと言った。粗末な墓標の前で女は泣き崩れる。長い旅の果て、彼女はようやく恋人が死んだという現実に追い付いた。
女は「私は闇の中に居過ぎた。太陽の光は目に毒です」と言うと恋人と同じように右目を抉ると墓標の下に右の目玉を埋める。
「まさかな」
ラスカーは読んだばかりの小説に自分を重ねて、そして妄想だと頭を振った。
これから向かう先に士官学校からの腐れ縁がいる可能性も、小説のようなラストを迎える可能性も、全て天王星作戦の前の緊張から来る感傷に過ぎないのだと。
「敵は殺す。全員殺す。銃殺して爆殺して惨殺して鏖殺する」
ラスカー自身にしか届かない声で呟いた。自己暗示は呪いのようにラスカーの精神に根付き、巣食い、そして肥大化してきた。
錬成に従事した数ヶ月間はラスカーの内に植え付けられた殺意に養分を与え、成長を促していた。
呪いの木に実がなった時、ザクロのように地に落ちて割れた時、ラスカーがどうなってしまうのか。それは自分自身でさえ分からない。
幼少期に植え付けられた闘争の呪いは解けぬままラスカーは天王星作戦へと臨む。
正歴1944年 11月9日 12:00 ヂュガシヴィリグラードより東20km地点 ソビエト連邦陸軍集積陣地
第一次爆撃が終了し、ラスカーの機体から対地ミサイルを懸架していた追加ハンガーが外され、直掩機は第二次爆撃に備え、通常兵装への換装が行われていた。
既に歩兵部隊は市街地へ突撃し、幾筋もの黒煙が空にその立ち姿を表している。
ラスカーが確認した所では現在、ヂュガシヴィリグラードを占領している部隊は旧式の機行戦車が主力となっていた。
対空砲は一門も無い。機関銃ですら無かった。それは驕りだとラスカーは吐き捨てる。絶対防空システム、ローレライは高度2000m以上からでないと発動されない。中低空はこれに対空砲火を足して完全となるのだから。
(舐められたものだな)
九年という時間は敵兵士の心に慢心という亀裂を入れた。今回はそこの隙間からミサイルをしこたま食らわせてやったのだ。
「大尉、カマンディルの整備は終了しました。各部破損、異常はありません」
「ありがとうハミルマ曹長。EMPフィールドジェネレーターも問題無いな?」
「はい。約180秒は問題無く使用出来ます。ですが、それ以上は」
「分かってる。メインコンピュータが焼けるかパイロットの脳が焼けるか、だろ?」
「大尉自らの希望で乗られているのですから自分からは強くは言えませんが、EMPフィールドは諸刃の剣です。180秒で使用を止めてくださいよ」
ハミルマは繰り返して注意した。
EMPフィールドは使用すると機体周囲に特殊な磁場を形成させる。その磁場内部では発生源であるカマンディルを除く全ての機械が狂う。
その代わり、機体は常にオーバーヒート直前の状態になり、パイロットにも吐き気や頭痛などの悪影響が一挙に現れるのだ。
「分かったと言った。曹長、エジプトまで一緒に行った仲だろう?俺を少しは信じろよ。俺より少尉共に声を掛けてやれ。第三中隊の親父殿?」
「エジプトの頃のがよほど可愛げがありましたよ大尉。了解です。ちょっくらガキ共に声を掛けてきますよ」
ハミルマはそう言うとラスカーのカマンディルから離れた。そして元第三中隊のメンバーに声をかけ始める。
入隊間もない少尉達の父代わりとしてハミルマはなんだかんだ言いつつもよく彼らの面倒を見て、悩み事の相談にも乗っていた。
ラスカーは自分に足りないバイタリティーをハミルマに感じ、ハミルマに任せていたのだ。適材適所、ラスカーには戦う事しか出来ないのだから。
「第二次爆撃、出るぞ!総員準備!」
直掩部隊の指揮を任せられたアニーシャの声だ。
「作戦域で動きがあった。敵が来るぞ・・・!第一〇一航空機甲大隊、気合い入れて行けよ・・・!」
ザイシャの、彼らしからぬ熱のこもった声。
敵の大軍が迫ってきているという情報は集積陣地を目まぐるしく駆け回る。
「直掩部隊は先に上がる。着いてきなさい!」
「「了解」」
アニーシャ機が空に上がる。
ラスカーもペダルを踏み込んだ。リフトシステムの加圧空気が機体を持ち上げると、スラスターを全力で吹かして空に駆け上がる。
昼下がりのヴォルガ川一帯には白と黒が入り混じった焦げ臭い雪が降り始めていた。
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