第39話 雪原のモノクローム

 直掩として空に上がった16機、一個中隊分の直掩部隊がヂュガシヴィリグラード以西の索敵を開始した。

 この第二次爆撃で第一○一航空機甲大隊に課せられた任務は援軍にやって来る敵軍の撃滅だ。しかし、粉雪がチラつくラスカーの視界は未だ敵影を捉えていない。


 もし、敵が後退した場合はドン川にまで進撃し、戦線を押し上げる旨の命令も下されていた。


 直掩部隊の各員達にも少しの安堵と余裕が生まれだしていた。

 人間を足下を歩き回る蟻を潰すが如く、爆風で吹き飛ばしていた彼らには肉体的ではなく、精神的な摩耗が目立っていたのだった。


「アニーシェ大尉。敵影を発見出来ない。本隊も空に上がった時間の筈だ。ドン川まで索敵範囲を広げてはどうか?」

 ラスカーは少し焦れた様子でそう進言した。

 見渡せど、見渡せど、雪の降り積もる白く染まりつつある大地ばかりだ。

 こうなっては、守備の任務を投げ出して逃げた、とラスカーは考えたのだ。

「確かに…。ここまで見つからないとヂュガシヴィリグラードを放棄したという線が妥当かしらね」

 ラスカーの提案にアニーシェは数秒考えたのち、その意見を採用する。


「直掩各機、前進するわ。敵は絶対に見逃さないように」

「「了解」」





 ラスカーは索敵の範囲を広げるべく、今の地点より北西に舵を切る。

「吹雪いてきたな………」

 雪が風の流れをなぞる。それはまるで白い鞭のように機体に吹き下ろす。だが、FoTEの前ではそよ風と大差は無い。巨人の足を止めるには少々役不足だ。

 だが―――、

「ラスカー大尉! 12時の方向に熱源体を確認!」

 同じく直掩部隊になっていたエルヴィラ・ザノフ少尉がそう報告した。ラスカーが待ちわびた一報だった。

「12時の方向…。来たな………!」

「IFF、照合。符号、どれとも一致しません! 敵機です!」

「そうだろうとも!」


 ラスカーは口の端を歪めた。見る者がいたならば、きっと後ずさってしまうような、獰猛で凶悪な笑みだ。


「アニーシェ大尉と本隊にも敵の出現を伝えろ。一機、俺に付いて来い。行くぞ」

「「了解!」」

 エルヴィラ機はジャミングによって通信が届かない距離にいるアニーシェや本隊の方に向かった。

 ラスカーは背部武装キャリアに懸架していた60mm徹甲速射砲を構え、吹雪の向こうの敵機をロックオンサイトが追尾する。


「撃つ!」

 サイトが緑から赤に変わった。待っていた、とラスカーはトリガーを引いた。

 60mm徹甲弾は空を裂く。敵機は横にロールしてこれを回避した。敵ながら見事な機動を見せつけてくる。


「避けるか! この吹雪の中で良くやる!」

「大尉! 自分が近接戦闘で足を止めます! その隙に!」

 僚機のメドヴェーチがコンバットナイフを片手に吶喊した。

 僚機のパイロットは自分が鍛え上げた精兵だ。ラスカーは僚機を信じて次弾の照準を合わせる。


「うおおおッ!」

 分厚くなってきた雪風の壁の向こうへと僚機は消える。しかし、彼の雄叫びは確かにラスカーに届いていた。


 敵機と僚機は鍔迫り合い、距離を取り、と例え数秒の間でさえ、同じ動作をしていない。恐らく相手はかなりの手練だ。

 だが、たった一人が二人の相手を務められるかと言えば無理な話だ。


「大尉!」

「当てるッ…!」


 60mm徹甲弾はロックオンサイトに映った影を貫き、破砕した。白い吹雪の向こうで爆発したのをラスカーは確認した。


「やったか……?」

「その声、ラスカー・トルストイだな」

 ラスカーの背筋に悪寒が走った。この声には聞き覚えがあった。四ヶ月前のエジプト・ポートサイドの時の、あの小隊長の声。

「あの時のドイツ軍パイロット、なのか?」

「会いたかったよラスカー・トルストイ。ようやく、部下の仇が取れるッ!」

 アドルフ・ブレイン・カーレス。ラスカーはその名前を、エジプトで苦渋と共に記憶に刻んでいた。その男が今、ロシアの地で再開を果たしてしまった。


「ッ…!」

 吹雪の向こうから何かが飛んで来る。ラスカーはそれを躱すと共に、その飛来物が何であるか、に驚愕と憤怒を覚えた。


 コックピットを抉られたメドヴェーチの残骸だった。上半身しか無い残骸には爆薬で吹き飛ばされたような傷があった。

 アドルフは恐らく、着弾より前に僚機を無力化し、そして残骸を盾にしたのだ。

「部下の仇と言ったなアドルフ・ブレイン・カーレス!ならば、こちらもエジプトでの雪辱戦とさせて貰おうか!」

 それ以外には奇妙な凹みがあった。それは何かを激しく殴打したかのようであった。

 ラスカーは何かある、と感じて、アドルフと距離を取る。


「なッ…! 突っ込んで来ただとッ…!?」

 距離を取ろうとしたラスカーとは対照的に、アドルフは圧倒的な加速度を頼りに距離を詰めてきた。

 目の前に迫ってようやく、ラスカーはアドルフが駆る、敵の機体を目撃する。

 漆黒の鎧騎士、両手には長剣と盾を持ち、背部には大型の推進機構を搭載しているようだった。肩部装甲にはパーソナル・マークとして羽を広げる盾が描かれていた。


「ラングシュベート! 推して参るッ!」


 振り上げられた長剣。だが、メドヴェーチ・カマンディルの機動性では、ラングシュベートなる機体の背部大型スラスターによって齎されたであろう直線加速からは逃れられない。


(出し惜しみをすれば…死ぬッ!)

 ラスカーは決断する。

「EMPフィールドジェネレータ、起動!」

 直後、排熱用フィンが脚部、腰部、腕部が展開される。

 ラングシュベートもこちらの異変に気付いたようだったが、すでに遅い。つま先でもカマンディルの領域に踏み込んだ時点で、EMPフィールドに飲み込まれるのだから。


「出力45%。EMPフィールド展開ッ!」

 カマンディルを中心とした半径10m以内に、電磁の檻が形成される。この檻の中では電子機器の殆どがその働きを止める。

 ラングシュベートはセンサーアイから光を失い、慣性に従ってカマンディルの頭上を飛び越えてしまった。


「グッ…ガァッ…! し、収束ッ!」

 ラスカーは苦悶の表情を浮かべながらEMPフィールドを閉じた。

 今、ラスカーの身体は燃え盛る炉の中に放り込まれた金属のように熱されている。それは体内を駆け巡るナノマシンがEMPフィールドジェネレーターの起動に併せて一斉に対電磁防護を開始した為だ。これが無ければナノマシンすら機能停止し、FoTEの操縦が行えなくなる。


 ラスカーは頭上を間抜けに飛んで行くラングシュベートを蹴り上げると、姿勢をラングシュベートを向くようにして着地した。


「ハァ…ハァ…ハァ…ッ!」

 ラスカーは乱雑にヘルメットを投げ捨てる。

 熱された二酸化炭素を吐き出しつつ、ラングシュベートを睨み付ける。

 ラングシュベートは雪原に転がったまま立ち上がろうとしない。カマンディルは機体の全身に対電磁防護を施したEMPフィールドジェネレーターを運用することを想定してチューンされた機体だ。そうでない機体ならばまともに受けた時点で様々な機能に故障が生じるはずだが―――、


「コレを食らって立ち上がるのかドイツの新型は………!」

 鎧騎士は立ち上がると盾を構え、猛然と立ち向かって来る。

 ラスカーもカマンディルに60mm徹甲速射砲を構えると、ラングシュベートの頭部を狙撃する。しかし、着弾前に盾に阻まれる。

 ならば、と盾でもカバーし切れないであろう脚部、足の付け根に狙いを付けてトリガーを引くが、横にステップされ回避されてしまう。


「どうして、そんな操縦が出来る!」

 今、ラングシュベートが見せているのはジェーコフスキー基地でジャンナ・アラロフが見せた天稟に恵まれた操縦のスキルと酷似していた。

 ラングシュベートの行動の全てに武術の達人の動きを見ているかのようだった。


「クソッ!」

 ラスカーは60mm徹甲速射砲を投棄すると、マウントされていたコンバットナイフを装備させ、そしてラングシュベートの懐に飛び込んだ。

 刃が天を突くように、コンバットナイフを振り上げる。しかし、それは装甲を撫でさえもせず、虚空を突いた。

 すかさず、ラングシュベートは無防備なカマンディルの脇腹に回し蹴りを叩き込む。


「ッハ!?」

 強烈な痛打は、装甲を伝播しコックピットブロックを激しく揺さぶった。

 その衝撃でラスカーの骨の何本かをへし折り、口から血を吐かせる。


(何故だ…? エジプトの頃とは比べ物にならない…いや、別人と言ってもいい! 新型との性能差…それだけなのか? もっと、何かある気がしているんだ………!)


「ラスカー! 無事か!?」

「ザイシャさん…!」

 カマンディルとラングシュベートの間を爆風が仕切った。

 本隊だ。本隊が救援に来てくれたのだ。直掩部隊の機体もある。


「ドン川以西まで撤退するドイツ軍が発見出来た。どうやら本格的に後退を始めているらしい。さっさと追撃に行くぞ。立てるかい?」

「はい…! 自分はまだ戦えます…。それより、あの機体。あの機体は危険過ぎる。どうやってかパイロットの戦闘能力を倍以上に引き上げている。アレはここで潰さなきゃいけない………!」

 ラングシュベート、そのパイロットであるアドルフ・ブレイン・カーレスはあんな事が出来るパイロットでは無かった。なら、何故自分をここまで痛め付けられたのか、その不安要素を振り払えないままだった。だが、それも全て硝煙の中に消え失せるのだ。


 ザイシャ機はラスカーのカマンディルの横に着地すると、牽制するようにラングシュベートに射撃する。他の機体もラングシュベートを包囲するように着地した。やがてラングシュベートを包囲する巨大な円となる。

「取り囲め! 一斉射撃用意ッ! 撃て!」

 ザイシャの号令と共に爆装したメドヴェーチの砲撃が始まった。

 砲撃の音は天を駆け地を裂く、まさに轟音であった。

 雪煙どころかその下にあった土まで空に巻き上げてしまう攻撃に、誰もが安堵し、そしてこの先の展開を誰が理解するだろうか。


 ラスカーが聞いた。ラスカーだけが聞こえてしまった。肉が潰れる音。骨が砕かれる音。血が吹き出た音。金属が割れる音。装甲板が擦れる音。火花が散った音。命が散り逝く断末魔。


「なん、っだとッ………?」


 ザイシャ機の胸部にはラングシュベートの長剣が深々と突き刺さっていた。


「あ、アアアアアアアアアアアアァッ!!」

 涙より先にペダルを踏み込んでいた。涙を拭うより先に操縦桿を握り締めた。死を悼む前に言葉にならない呪詛を吐き散らした。


 ラングシュベートは悠然と盾を構え直した。ラスカーは獣のように盾を殴り付ける。

 右手を弾かれ、左手を弾かれる。だが、弾かれた両手のチェーンブレードを展開させて振り下ろした。

 腕ごと盾を切断しようとするが、ラングシュベートは盾を保持していたアームを解除して距離を置こうとして―――、


「お前のその声が聞きたかったんだ」

「お前は殺ス…! 今、ここでッ!」


 カマンディルの全身から排熱フィンが飛び出る。ラスカーはEMPフィールドを使う気なのだ。


「そのマジックはすでにブリュンヒルデが分析済みだ。タネが割れた手品など!」

「逃がすかッ!」

 EMPフィールドが展開される。ラスカーの身体が熱を帯び始める。


「ガハッ………!」

 ラングシュベートがEMPフィールドが閉じ切るよりも先にカマンディルを蹴り飛ばした。

 ラスカーの吐血がコックピットを赤く濡らした。


「全身の血が沸騰するほど辛いらしいなラスカー・トルストイ。どうした、立ち上がれよ。立ち上がって殺されに来いよ!」

 アドルフは煽るような口調をラスカーに向け、ラングシュベートは呆然と立ち尽くす第一〇一航空機甲大隊の隊員達を切り苛む。


「歯応えが無さすぎる。やはり、仇であるお前で無くてはッ!」

 一つ、また一つとラングシュベートは仲間達のいるコックピットに長剣を突き立てる。


「や、やめ…ヤメロォォォォォォォォ!!」

 ラスカーはメインスラスターが焼け落ちるほどの推力で突進した。当たればカマンディルもろともラングシュベートを吹き飛ばせるほどだ。

 最悪、ラングシュベートに擦りさえすれば機体は機器類のショートによって行動不能になる。


 だが、天はラスカーに無慈悲ばかりを与える。

 突然の爆発によって突進の進路が逸れて、雪中に倒れ崩れてしまったのだ。

「EMPフィールドジェネレーターが破損した…! こんな時にッ………!」

 ラスカーはコンソールを乱暴に動かすが、もう何も反応を示してはくれなかった。指先の一つも動かせやしない。


「手負いの獣もここまでか。いや、これで俺は実に気分爽快なんだよ。仇は殺せて、ブリュンヒルデの実力もこの目で確認出来たからな」

 アドルフは誰かに話し掛けるようにそう語り掛け、そして長剣を振りかざした。


「さらば、と一応は言っておこう。挨拶は常識だと同乗者が煩いんでね。地獄で悪魔によろしく伝えてくれ」


「動けッ! 動いてくれ………カマンディル…!」

 言葉とは裏腹に、ラスカーの両腕から力が抜けていった。

 コックピットの中が妙に暖かく感じられた。ナノマシンの加熱によって脳の働きが低下しつつあるのだ。


「俺は…、俺はッ………」

 操縦桿がラスカーの手から零れた―――その瞬間、


「ラスカー大尉ッ! 貴方はここで死んでいい人間ではありません!」

「邪魔だ!」

 振り下ろされた長剣の進路上に何かが立ちはだかった。

 あの時の、生命が壊れる音が鳴り響いた。

だが、声が聞こえた。熱に浮かされた脳がはっきりと識別出来る。それは断末魔では無かった。

「エル、ヴィラ………?」


「貴方は私に、もう一度戦う理由をくれた。駄目な私の背中を押してくれた! 今度は私が、その恩を返す!」

「そうだ…。俺達で大尉を守るんだ!」

「お…おう!」

 一人、また一人と消沈していた声が再び立ち上がった。

(無理だ。逃げる方が賢明だ………)

「わ、私達だって隊の一員なんだから!」

 伝わって来る地響き。それだけでもはっきりと映像が思い浮かんだ。ラングシュベートに立ち向かっているのだ。カマンディルよりも性能で劣るメドヴェーチで。


「邪魔だと言ってるだろ! そこを退け! 俺が用があるのはそこの死に損ないだけだ!」

「ハァ…ハァ……。私達! ラスカー大尉と違って学が無いもので! じゃが芋の言葉は話せないんですよ………!」

「そうだぜ兄ちゃん! 何言ってんのかさっぱり分かんねぇよ! だけどよ、大尉がテメェはヤバいから殺すっつったんだ。だったらテメェは殺さなきゃよう! それが、部下の役目ってモンだからよう!」


 ラスカーは自分がもどかしくなった。仲間達はこれほどまでに戦ってるのに、自分だけ眠っていようとしているのか、その意地だけがラスカーを絶望の淵から蘇らせた。


 ラスカーはコックピットのハッチを開く。肌を刺すような寒風が身体をちょうど良く冷やしてくれた。


「カマンディル、再起動しろ!」

 コンソールを弄って、何から何まで片っぱしから立ち上げ直す。どこか、一つでも動いてくれればいい。奴に一矢報いないまま死ねるものか、とラスカーは祈る。


「ラスカー・トルストイ! そんなものは悪足掻きだ! 今、息の根を止めてやる!」

 ラングシュベートは長剣を引き抜こうとするが、長剣が刺さったままのメドヴェーチがそれを阻んでいた。


「エルヴィラ!?」

 長剣の刃は明らかにコックピットブロックにまで到達していた。あれでは中のパイロットは―――、

「構わないで! 私の命なんて…。所詮は娼婦の娘ですから…。その母も私が物心付く頃には消えていました。生きる為に祖国に泣き付いて軍に入隊し、人殺しの術を身に付けて、そんな人生で、命を掛けても守りたいと思った人に出会えた。ただ、それだけで、私が産まれてくた意味は十二分にありました……だから―――、」

「エルヴィラ! 傷に障る! 今、ソイツを倒して、助ける!」

 エルヴィラの命は吹きっ晒しの屋外に灯された蝋燭の火のように揺らめいて、ラスカーにはだからこそ輝いて見えた。失いたくないと強く願った。


「クソ! 雑魚どもが! 邪魔ばかりしやがって!」

 ラングシュベートは機体にまとわりつくメドヴェーチを引き剥がし、恐るべき出力で装甲を握り潰していた。


「両手が塞がろうとも、まだバルカンがあるッ! その脳天にしこたま食らわせてやるッ!」

 ラングシュベートはコックピットを開いたままのラスカーを睨んだ。その先で血走った顔をしたアドルフの顔がラスカーには視えた。


「「死ねッ!」」


 轟音が鳴り響くなかで、ラスカーとアドルフは互いの殺意が聞こえていた。


 ラングシュベートのバルカン砲はその殆どがエルヴィラの機体によってラスカーの機体に届くことはなく、エルヴィラ機から零れた少しの破片がラスカーの左目を抉る。

 メドヴェーチ・カマンディルのチェーンブレードはラングシュベートの左腕を巻き込み切り上げた。


「「ぁ、ああああああああああッッ!!」」

 ラスカーは叫ぶ。だが、それが何による叫びなのかは判然としなかった。


「何故だ…何故勝てない……俺は、俺はァッ! ミーナ! ミーナ、どこだ! 俺だよ、アドルフだよ? 姿を見せてくれないか! アアアアアアアアアッッ!」

 アドルフはそう叫び散らすと、ラングシュベートと共に西に向かって飛び去ってしまう。その声には狂気が滲んでいた。

 ラングシュベートは見た者に、聞いた者に等しく恐怖と狂気を振り撒いて、吹雪の向こうに消え去ってしまった。


 ラスカーは左手で左目の出血を抑えて、カマンディルの上で蹲った。

 エルヴィラの声は、命の音は、何も聞こえなくなってしまった。

(どうして、最後にそんな事を言っていくんだ…! 何も答えられないじゃないかっ…!)


『どうか生きて、私の愛しい人。ありがとう。さようなら』




 ラスカーは泣き叫んだ。子供のように。恥も外聞もかなぐり捨てて。

 涙の代わりに、熱く赤い血の雫がラスカーの左頬を流れて落ちる。

 焼けるような痛みがラスカーを現世に繋ぎ止めていた。

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