第23話 ポートサイド追撃戦Ⅰ
UF型潜水空母内は異様な緊迫感に包まれていた。
ひっきりなしに無線が船内に鳴り響き、クルー達の怒声が聞こえる。任務時以外は極力休息する事を求められるパイロット達がうるさくて眠れなかったほどに。
艦載機部隊の隊長であるアドルフ・ブレイン・カーレス中尉は嫌々ながら浅かった眠りを中断した。
歳は19。今年で20になる。故郷ブラウンフェルスには婚約をしている幼馴染みがいる。この戦争が終わったならば結婚をすると幼馴染みには告げていた。
「貴様ら起きろ。既に地中海だ」
規律を至上とする軍隊に身を置いて久しいアドルフとその部下達は一声かけると起き出した。
潜水艦という超密閉空間の中でも比較的マシな部屋を与えられているのはこのUF型潜水空母の艦長と艦載機部隊だけだ。と言っても部隊でまとまった部屋で雑魚寝をする形になるのだが。
「もうじき召集がかかる。その前に最低限の身だしなみでもしておけよ」
この艦載機部隊の隊長であるアドルフだが部隊の構成員の殆どが士官学校からの同期である。それゆえにアドルフに対する敬いと呼べるものはほぼ無い。あるとすれば最近部隊に編入されたティアナ・カーフェン・アッヘンバッハ少尉ぐらいだ。
隊唯一の新米の女性パイロットであるが同じ部屋で雑魚寝出来る程度に戦場というものに慣れてきていた。
「はいよカーレス」
そう答えたのはイール・フレデリック・ヒューバート中尉だ。どんな時も飄々としている性格が上官らから敬遠されているが操縦に関する腕は確かな物がある。
「コイツはどうするねカーレス」
「叩き起こせヒューバート………」
そして最後まで眠っているのがイルヴィン・ジョン・ケネスロイデ少尉だ。
アドルフがため息混じりにそう言うと、イールはイタズラっ子の様な笑みを浮かべて制服の胸ポケットから油性のペンを取り出した。
「ほら起きろよイルヴィン………じゃないと顔にお寝坊イルヴィンって書いちまうぜ?」
「や、止めろう!!」
イルヴィンが勢いよく起き上がって、二段ベッドの天上に頭をぶつける。
「痛つ〜………!」
「おはようケネスロイデ少尉」
「あれ? なんでみんな起きてるの………?」
「これから任務ですケネスロイデ少尉」
ティアナがロイドに説明すると、慌てた顔をして制服を羽織るイルヴィン。
その姿に誰からともなく笑いが零れる。
アドルフが少しの頭痛を覚え始めた所で艦内放送が流れる。
「艦載機部隊はブリッジへ。繰り返します艦載機部隊はブリッジへ」
「行くぞ」
アドルフは部屋の扉を開ける。重く張り詰めた空気が部屋の中に入り込み、部下達の心を引き締めた。
それほどの重要な作戦が始まるのだとアドルフ達は密かに理解した。
「やぁ諸君。おはよう。早速だが任務を伝える。シュタイナー君、作戦の説明を」
UF型潜水空母の艦長。白髪頭の上に制帽を乗せたマルティン・ネロ・オリバー=ポール・クインシー中佐は参謀のバスティア・シュタイガー少佐に説明を促す。
「はっ。現在同盟国のイタリア王国陸軍第一〇軍が連合軍、ソビエト連邦陸軍によってカイロ要塞内に封じ込められていたのは知っているな。その救出の為にドイツアフリカ軍団が出撃し包囲部隊を撃破の後、兵員輸送船によってイタリア半島まで後退する。我々はその撤退の支援だ」
黒の頭髪を後ろで丸めて束ねた女性の参謀将校であるバスティア・シュタイガー少佐が状況説明に入る。
「アフリカ戦線を放棄するのですか?」
「違うなアドルフ・ブレイン・カーレス中尉。一度戦線を組み直すのだ。連合軍は指揮系統すら統一されていない、言わば烏合の衆だ。戦時に至っても団結が敵わない連合軍に付け入る隙を与えない為のこの作戦だ。我が栄光ある大ドイツの揺るぎない勝利の為の一時的な後退である」
バスティア少佐はスラスラと言い分を垂れるが用は形勢が悪くなって欧州まで乗り込まれたらマズいからアフリカから引き上げて欧州の守りを固めるって事だろ、とアドルフは心の内で呟く。
いくら祖国ドイツが戦争に勝ち続けているとは言え、戦場で一人の兵士を撃ち殺す度に、戦艦を動かす度に様々な資源を消費しているのだ。資源の殆どを植民地を持たないドイツは輸出に頼っていた。アフリカから撤退となれば イタリアは植民地を放棄することになるだろう。勝てば勝つほど、長引けば長引くほどにドイツは首を真綿で締め上げられている。
「お話を遮って申し訳ありませんでしたシュタイガー少佐。続きを」
「兵員輸送船が停泊しているのはポートサイドだ。勘づかれない様にイタリア海軍が出撃してアメリカ第6艦隊を足止めしている状況だ。兵員輸送船はイオニア海を通ってブリンディジ海軍基地を目指す事になっている。我々も随行する。貴様らにはその際には兵員輸送船の直掩として上がってもらう」
「はっ、了解致しました」
「ソビエト軍の妨害電波によってアフリカ大陸のどの部隊とも連絡が通っていないが、内通者の報告によればトルコ共和国軍と中東方面軍から抽出された二個師団が現在カイロ要塞を包囲しているとの事だ。航空戦力は現在確認されていないが、一応イオニア海域までは警戒しておくように。地中海は歌姫の庇護下には無いからな」
(ローレライ・システム、あんな物が生まれてきたからいつまでも戦争が終わらないんだよ)
絶対に口に出来ないが、ローレライ・システムと言う単語を耳にする度にアドルフはその歌姫を呪う。
「質問、よろしいでしょうか」
「許可する」
バスティアの視線がアドルフに集中する。切れ長の目に長いまつ毛はあまねく男の注目を集めるだろうが、真面目が服を着ているようなバスティア・シュタイガーという女性には浮いた話の姿も影もアドルフは聞いたことが無かった。
そんな女性の視線に貫かれ、アドルフは質問を口にする。
「援軍はこの艦を除いて他にはいないのでしょうか」
「なるほどな。真っ当な問だ。率直に言えば、無い。貴様も知っていて当然だと思うが、我が大ドイツは幾つもの戦線を抱えている。東欧北部、南部戦線。北欧戦線、ヒスパニア戦線。そして」
「ドーバー海上戦線」
バスティアの続く言葉を遮って最後の一つを口に出す。それはアドルフ達が戦っていた戦場の名前だ。
「そうだ。その戦線から兵を引いてしまえば突破されるリスクが高まる。だからドックで修理と補充を済ませていたこの艦に白羽の矢が立ったのだ。理解したか?」
「はっ、ありがとうございます」
(何が揺るぎない勝利だ。どこの前線からも部隊を抽出出来ないから後方待機だった手負いの部隊を前線に呼び戻したんだろうが………)
絶対的な制空権の保持という突拍子もないことをやってのけ、開戦から5年で欧州の殆どを制圧した。ドイツ国民は狂ったように戦争の継続を熱望したのだ。自分達がゆっくりと破滅の道を歩んでいることに目を背けながら。
バスティアは厳しい顔にただ不敵の笑みを浮かべた。その顔は軍務に対する誇りで満ちていた。
「出撃予定時刻は
「敬礼!」
アドルフの音頭に合わせて艦載機部隊のメンバーが敬礼をする。バスティアやクインシー中佐の答礼の手が下がるのを確認して、艦載機部隊は機体格納庫へと向かう。
その足取りは重く、両足に国家への忠誠という鉄球を括りつけられた虜囚アドルフは心の中で愛する者の姿を思い浮かべる。
(ミーナは俺が守るんだ………!)
あの見ている者の毒気が抜けるような笑顔を見せる、愛しい幼馴染みの為に戦う。それは忠誠宣誓をしたあの日から何一つ変わっていない。
「此方グローム分隊よりCP。ポートサイドに入った。我がグローム分隊はこれより攻撃目標の破壊を行なう」
「此方CPよりグローム分隊。了解した。速やかに行われたし」
グラクレスト中尉の声に多少の安堵の念が込められていた。だが、まだ何も終わっていない。気を引き締めねば、とラスカーは己を 律する。
「CP。援軍は来れないのか? カイロ要塞は最早放っおいてもいいと考えるが」
「今、機甲部隊がドイツ軍へ追撃を行っているが、幾分ドイツ軍に追い付けていない。ポートサイドに来るとしてもドイツ軍が先に到着しているだろう」
「分かった………」
通信を終了させ、ラスカーは港を観る。兵員輸送船を探す為だ。
「見つけた………!」
六隻もの兵員輸送船が港に係留されていた。そしてその港を見慣れない制服を纏った男達が占拠しているのも。
「あれがオスマン帝国軍人………いや、最早テロリストと一緒だな」
その他に敵影は見当たらない。どうにか一番乗り出来た事で、ラスカーの心に少しの余裕が生まれた。
「グローム02。漏れなくスクラップに変えてやる。雑魚は放っおけ。左端から潰していくぞ」
「了解」
まずは手前に係留されている兵員輸送船に狙いを定めると、エルヴィラが57mm鉄鋼榴弾を放つ。
空気を切り裂きながら砲弾は直進し、兵員輸送船の艦首に突き刺さると爆発した。
港ではオスマン帝国軍将校らが慌てふためいている。
いくら軍用艦とは言え所詮は型落ちした旧式。艦砲射撃出なくとも、簡単に装甲を貫ける。
エルヴィラは穴の空いた装甲部分に対して正確無比な射撃を続ける。見事なことに着弾点は全くブレがない。
あえなく左端にあった輸送船は大破炎上することになる。
ラスカーは大破した輸送船の右隣の輸送船に取り付く。甲板に降り立ったラスカーは
刃に触れた部分が摩擦熱により赤く熱せられていた。
「此方グローム分隊よりCP。輸送船の内部の構造について分からないか」
「此方CPよりグローム分隊。申し訳ないが答えかねる。トルコ共和国海軍に問い合わせよう」
「なるべく早くしてくれ」
ラスカーは甲板に40mm突撃機銃の銃口を当てると、その状態で引き金を引く。
(機関室に当たっていてくれ)
ラスカーはそう願いつつ次の輸送船に取り付こうとした時、不意にコックピット内に
「高熱源体。高速で此方に迫っています! 一〇時の方向! 数四!」
IFFは味方の信号を発していない。つまり向かってくる四つの高熱源体は―――。
「敵か! グローム02。此方からでは敵を視認出来ない。敵は何だ? 戦闘機か?」
「ッ! 戦域データリンク、映像送ります」
エルヴィラから送られてきた画像にラスカーは息を呑む。そして遂に来たか、と拳を握った。
「グローム02は輸送船の破壊を優先しろ。あと四隻、アフリカから出す訳にはいかない。あっちの四機は俺が食い止める」
「恐れながら意見具申致します大尉。あまりに危険すぎるかと」
当然だ。兵法然り敵の三倍以上の兵数を以て敵を撃滅するのが用兵の基本。だが、今この場で優先されるのは何か。それはラスカーの命ではない。
「少尉は最優先攻撃目標を破壊することだけを考えろ。全部沈めたら、援護してくれればいい。これは命令だ」
「しかし………!」
「俺に二度も同じことを言わせるな。時間が惜しい。通信を終了する」
食い下がるエルヴィラとの通信を終わらせて、10時方向の敵へと向かう。
機体の速度を徐々に加速させ、敵を目視でも視認できる距離まで近づいた。
「半年だ。半年もの間、貴様らの事を忘れた日は一度たりとも無かったぞ………!」
ラスカーは獰猛に、犬歯を剥き出しにする。視線は敵機に張り付いて離さない。
視界の先にいるのはドイツ軍が開発したFoTE、通称『クレーエ』。その黒い機体にはご丁寧にもナチスのシンボルたる鉤十字が描かれている。
ラスカーは残りの兵装を確認する。
(残弾数は400に予備弾倉が一、ナイフが四、チェーンブレードが二)
続いて機体ステータスの確認。
(推進剤が心許ないな………。
推進剤が枯渇すれば真っ逆さまに転落してしまう。だがそればかりを気にして撃墜されてしまえば目も当てられない。
ラスカーは最悪、自分を犠牲にしてでも対艦攻撃を続けるエルヴィラを守る、と決める。
「短期決戦と行こうじゃないか。ケチケチしているのは生憎と性分ではないのでな!」
ラスカーはペダルを踏み込んだ。機体の速度はスラスターの許す最高速に達した。
全ての物が後ろに流れる中、ラスカーは目もくれず、ただ
「忌まわしき鉤十字に呪いを! 父と母を殺した褐色の狼共に死の鉄槌を!」
視界は赤く染まり、コックピットの中は血の匂いが充満し始める。
あの日あの時あの瞬間、叶わなかった願いを果たす為、少年は自ら銃を握った。全てはドイツへの復讐の為に。父と母が死んだその日から、少年は何一つ変われていない。
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