第7話 FoTE小隊始動Ⅱ

 ラスカーが目を覚ますと目の前には固く閉じられた鉄の扉が鎮座している。その扉には『鉤十字』のマークがペンキで描かれている。

 ラスカーは白熱灯に照らされた『鉤十字』をぼんやりとした眼で眺める。ラスカーの心は静かな湖面のように平静としている。


「ラスク、こっちにおいで」

 ラスクとはラスカーのあだ名だ。低い男の声がラスカーを呼んだ。

「はい!」

 幼児特有の舌ったらずな声でラスカーは返事をして、声のした方に走っていく。おぼつかない足をせわしなく動かして男に飛びつく。

「おっとっと…。ラスクは元気だなぁ………」

「はい!」


 ラスカーは声の主に抱き付き、声の主はまだ幼いラスカーを抱え上げる。

 部屋を照らす白熱灯のせいでラスカーには男の顔が見えないが、男の体温を腕から感じていた。


「さ、お薬の時間だよ」

 男が穏やかな声音でラスカーに聞かせる。

「いたいのやだ………」

「ごめんねラスク、ちょっとの間だから我慢しておくれ」

 男がラスカーを椅子の上に座らせる。ラスカーは口では抵抗してもされるがまま椅子に座らされる。

 男が注射器を取り出す。中には透明な液薬が既に入っており、男は空気を抜く為に軽くプランジャーを押し込む。


「ラスク、腕を出しなさい」

「はい………」

 ラスカーは渋々右腕を差し出す。男は差し出された細くて白い腕の静脈血管に針を刺し込む。

「っ…!」

 ラスカーは歯を噛みしめて痛みに我慢する。男もラスカーの我慢が分かっているので手早くプランジャーを押し込んで液薬を注射した。

「よく我慢出来たねラスク」

 男は丁寧に針を抜き取り、注射器を近くのゴミ箱に投げ入れる。投げ捨てられた注射器は同じく捨てられた注射器とぶつかり、乾いた音を立てる。


「さぁラスカー・トルストイ。あのマークを見てごらん」

 ラスカーの意識には薄く霧のようなものがかかっている。ラスカーは言われるがままにあのマーク―『鉤十字』を見る。

「はー、けん…くろい、つ………?」

「そう、そうだ。ラスカー。あれはね?悪い人達のマークなんだよ」

 男の言葉がラスカーの脳内で何度も何度も繰り返される。


「わるい、ひと?」

「その悪い人達はラスカーの大好きな人達を殺したんだ」

 殺した、男がそう言った途端にラスカーの霧がかった心象が一気に鮮明に切り替わっていく。


 真っ赤な視界の中、ラスカーの父と母が必死になってドイツ軍の兵士に抵抗している。ラスカーは尻もちを着いて二人を見上げている。

 逃げろ、と父が叫ぶがラスカーの足には力が入らなかった。

 その内、ラスカーの頬に生暖かい物がべったりと付着して、遅れて鉄臭い匂いが漂い始める。

 続いて母も赤黒い物を吹きだしながら倒れた。ラスカーはそれを押し止めようとしてそれが吹きだす箇所に手を当てていた。


「い、いやだっ…お父さん、お母さん………」

「ラスク。今叔父さん達はね、その悪い人達をやっつける為の研究をしているんだ」

 ラスカーの脳内には父と母が死んでいく姿が繰り返し、繰り返し映し出される。

「ぼく、も…手伝う…。お父さんとお母さんを殺した奴らは全員僕が殺すッ…!」


 そうラスカーが言葉に出すとあの真っ赤な映像が掻き消えて男の、叔父の顔がよく見えるようになった。ラスカーと同じプラチナブロンドの髪に碧い瞳をしている。

「あぁ、その言葉が聞きたかった。私も甥に何度もこんなことをするのはしのびなかったからね。ラスカー、お前が望むなら私達はお前にドイツ軍の兵士を殺す方法を教えられる。お前の父と母を殺した兵士の脳天に鉛弾を喰らわすでも首筋をナイフでかき切るでも、なんでもだ」

「教えてください。その為なら僕はなんだってやります」

 ラスカーは叔父の顔にある碧い目をじっと見つめる。その目は深い湖の様な目だった。見るほどに薄暗くなっていく水面もまたラスカーを見つめ返していた。




 ジューコフスキー基地に新しい朝が訪れる。とは言ってもユーラシア大陸上で最も広大な国土を持つソビエト連邦には地域によって日の出の時間が全く違うから一番新しい朝というわけではないのだが。


「んっ………」

 ラスカーは再び眠ってしまわないようにすぐさまベッドから降りて、硬直しきった筋肉を伸ばす。それに伴って穏やかだった血流が活動に耐えうる拍動によって激しくなるような感覚になった。


 起床ラッパの時間までだいぶある。そういう時間に起きるように習慣づけをしているラスカーは運動のしやすいジャージに着替えて部屋を出た。

 廊下にはラスカー以外には誰もいない。静かな物だ。


 ラスカーはあくびを噛み殺して兵舎を出る。下着の上にジャージ一枚のラスカーにはこの寒さは非常に辛いものだが、お構いなしとラスカーは走り出す。


 ジューコフスキー基地はビボルグ基地とは違い雪かきを自力でやる物はいない。除雪機でぱぱっとやってしまうのだ。それが良いとも悪いともラスカーは思わないが、少し寂しいなとは思っていた。


 ラスカーはジューコフスキー基地の外周は一定のペースで走る。吐き出される息は瞬時に白く染まり空に消えていく。

 足を踏みしめる度に氷の割れる音が伝わって、何かの音楽を奏でているようだった。

 モスクワ川の川岸を走っていると、川から大気と水温の温度差でもやが発生している。


 ジューコフスキー基地の長い滑走路には戦闘機が待機している。モスクワじゃローレライ・システムの影響外に位置しており制空権は確保出来ている。極寒の外気に晒されている戦闘機を見ているとラスカーはエフストイ兄弟を思い出した。

(そういえばエフストイ兄弟はトルコ方面から来ていたんだったか)


 歴史を振り返れば何度も矛を交えた旧オスマン帝国はソビエトとの戦いに敗れる。帝政に終止符を打たれたオスマン帝国はトルコ人民民主共和国となった。政府の中身は親ソ。ソビエト連邦の衛星国家だ。


 現在スエズ運河を挟んで向かい側に位置するエジプトには枢軸国家イタリアが居座り籠城戦を行っていた。それの包囲が目的でトルコからアラビア半島にソビエト軍が進駐している。だが、実際の目的は包囲網の形成よりも産油地帯であるアラビア半島を確保しておきたいというのが一番の目的であった。


「はっはっはっ………」

 ジューコフスキー基地の門から走り出したラスカーはいつの間にか同じ地点に戻ってきていた。

 外周を一周走り切ったことでラスカーの身体はいい感じに暖まった。お腹も空いてきている。


「おはようございます中尉殿」

 見張りをしていた歩兵の一人がラスカーに気づき敬礼をした。ラスカーも敬礼を返す。

「あぁ、おはよう。見張りご苦労だ。頑張ってくれ」

「あ、ありがとうございます!」

 ラスカーは挨拶もほどほどに兵舎の中に戻っていく。


 走りに出たときよりも人の出入りが多くなっている。一番ハンガー辺りには大型トレーラーが何台もあり、整備主任の怒号が飛び交っていた。

 ラスカーはこの朝の活気に溢れた喧噪が好きなのだった。




 朝食を済ませて、シミュレーターを使おうと三番ハンガーに向かうが、ラスカー以外には藤堂しかまだ来ていないようだった。


 藤堂がラスカーに気づき駆け寄ってくる。

「おはよう藤堂。早いな」

「朝食を済ませたらすぐに訓練と言われていたはずですが………」

 藤堂はFoTE小隊の集まりの悪さにため息をつくが、おそらくラスカー達には自覚が無いから藤堂が指摘するまで変わりはしないだろう。


「それはそうと一番ハンガーの、見ました?」

「あぁ。連邦軍の試作機の隣にドイツのがあったな」

 一番ハンガーに収容されていたのはラスカーがビボルグ基地で破壊したFoTEだ。だが切り離した箇所は元通りになっていたが。

「あれは研究目的で持ってこられたとか」

 ドイツ軍のFoTEの装甲は白く塗り替えられていた。その為、ラスカーも流し見程度に留めていた。


「藤堂、訓練をしよう。今日はお前に勝つからな」

 だがそれでもラスカーの腹の虫が暴れそうでならなかった。耐え難い破壊衝動をシミュレーションで発散させたかった。


「わ、分かりました…? 今日は吐かないでくださいね。ウチの整備班が掃除してるんですから」

 シミュレーターは日本帝国軍の備品だ。

「うっ…善処はするがな………」

「さ、どうせ待っていても当分来ないでしょうしさっさと始めてしまいましょう」

 ラスカーと藤堂はそれぞれシミュレーターに乗り込んだ。




 昨日と同じく苔の平原に二機の42式強化機甲戦闘機川蝉カワセミが出現する。


「模擬戦闘はここから左右に50m分かれた地点から始めましょう。いいですか?」

 個別回線パーソナルチャンネルで藤堂がルールを定める。

「開始時点から兵装使用自由ウェポンズ・フリー。勝敗は機体に大破判定が出たら決まるということで。高度は…トルストイ中尉が決めてもいいですよ?」

 挑発的に藤堂が言う。ラスカーは少しむっとする。

「高度も自由でいい」

「そうですか。私は飛ばなくてもいいんですけど」

 陸戦が得意なラスカーに挑発を繰り返す藤堂。ラスカーもそれが挑発と分かってはいるが、余計むっとする。


「それじゃあ定位置に移動しましょう。お互いが定位置に到着後、30秒後に模擬戦を開始しましょう」

「分かった」

 そう言って回線を切り、ラスカーの機体は巡航機動で移動をする。別に大した距離ではないし歩いた方が推進剤の節約にはなるのだが、ラスカーは確認も兼ねて機体を浮かせる。


「こちらトルストイ中尉、定位置に到着した」

「こちらも到着。カウントを開始します」


 ラスカーの網膜投射視界にカウントダウンが表示される。

『30…29…28』

 電子音声がカウントを読み上げる。ラスカーはゆっくりと深呼吸をした。

(昨日の無様な姿だけは繰り返さないからな…!)

『15…14…13』

 ラスカーの機体の右腕部には42式突撃機関銃、左腕部には42式増加装甲という盾を装備している。

『3…2…1…』

ノーリ!)


 ラスカーはカウントゼロになった瞬間に機体を巡航機動、戦闘機動へと移行させる。

 暴力的にも思える慣性がラスカーを叩きつけるが、それを堪えて突進する。

 機体の姿勢は完璧だ。昨日の訓練で吐くほど繰り返した成果が早速表れていた。

 戦闘機動時の最大時速は400km、秒速110mで飛行する。だが藤堂との開始地点まで100mほどだ。だから最大速度は出せないが、そんなものお構いなしにスロットルを上げるラスカー。


 半分ほど機体を進ませたところでコックピットの中でアラートが鳴り響く。だが、周囲に敵影は無い。

(どこだッ?)


 ラスカーが上を向く。太陽の光がメインカメラを通してラスカーの目を焼く。その光の中で影が一つ浮かび上がっているのが見えた。

「クッ…!?」

 ラスカーは脚部バーニアで即座に後退する。

 ラスカーがさっきまで立っていた地点を40mm弾が襲う。


「そこかッ!」

 ラスカーも42式突撃機関銃を構えて弾幕を張る。だが藤堂の機体をさらに上昇させて回避した。


 ラスカーは機体腰部のスラスターを垂直下に噴射させる。浮かび上がったラスカーの機体は42式突撃機銃を構えつつ戦闘機動に移行させる。

 陸上から空中での戦闘に移行するのに巡航機動を経てから戦闘機動に、という段階を踏まなければならない以上、段階移行中は大きな隙になる。それを防ぐためにラスカーは突撃銃を構えたのだ。


(襲ってこない?さすがに俺より多く乗っている分、分からないことだらけだな…!)

 背後に敵影の感あり。ラスカーはすぐさま振り向いて40mm弾をばら撒く。だが狙いの定まっていない弾丸は空中を虚しく突き進んでは消えて行った。


「上か!」

 藤堂の機体がラスカーの機体の目前まで迫っていた。

(なにィッ…!?)

 藤堂の機体はラスカーの機体に蹴りを食らわせた。

 シミュレーターが衝撃までを再現しコックピットのラスカーまで伝える。ラスカーの視界がぶれるほどの衝撃がラスカーを襲った。


 ラスカーは機体が地面に激突する前にスラスターを噴射させて墜落を回避する。

 ラスカーの機体が地面に足を着けたタイミングで藤堂の弾丸がラスカーを襲う。だが機体の反応が追いつかず、回避が出来ない。

「クソ!」

 ラスカーは回避という選択肢を捨てて42式増加装甲を構えて機体への着弾を防ぐ。

 藤堂の射撃はこれきりですぐに飛び去ってしまう。


(どうする!? 今のままじゃ埒が開かない!)

「ッ!」

 反転してきた藤堂がもう一度射撃をして飛び去って行った。藤堂はヒットアンドアウェイ戦法を執っている。


(アイツの動きを止めて、地上に叩き落せれば………)

「そうだッ!」

 ラスカーはもう一度戦闘機動に入る。向こうから藤堂の機体が向かって来る。それを注視すると藤堂の機体が拡大される。

 ラスカーも藤堂に向かって真正面から突進する。藤堂も避けることはなかった。格闘戦ドッグファイトでも負けないという自信があるのだろう。


 ラスカーは弾丸をばら撒きながら突撃する。狙いは付けていない。それが分かっているであろう藤堂は避けることをしない。

「本当の格闘戦ドッグファイトってのをやってやるよ………!」

 藤堂との距離まで50m。ここでラスカーは42式増加装甲を藤堂に投げつけた。

 これには藤堂も驚いたのか、慌てて42式突撃機関銃を構えた。

「それを待っていた!」

 藤堂が投げつけられた盾に気を取られたわずかな瞬間に、ラスカーの機体は更に加速して、空いた左腕に長剣を装備させる。

 藤堂の機体がラスカーの機体を見た瞬間にはもう既にラスカーの機体は長剣を振りかぶっていた。

 咄嗟に藤堂は盾を構え、長剣の刃先を喰い止める。だが空中では衝撃までは殺せない。


 藤堂は落下を防ごうと腰部のスラスターを噴射させるが、藤堂の機体をラスカーの機体が蹴りを入れる。ラスカーのスラスターを噴かして推進力を高めた蹴りによって藤堂の機体は盾もろとも左腕が破損判定を受け爆散した。

 その分の重量変化によって藤堂の機体制御が狂った。あとはラスカーが何もしなくても地面に落ちていく。


 すんでの所でスラスターで持ち直して着地するが、もはや形勢は逆転していた。

 ラスカーが藤堂の機体のスラスターを見れば黒煙を吐き出していた。


「はぁッ!」

 ラスカーは長剣で斬りかかる。藤堂は機体を左に傾けることで回避した。これでスラスター破損は確定だ。


 ラスカーは地面にめり込んだ長剣を放棄して42式突撃機関銃を構える。

 ラスカーは武装キャリアから短剣を装備する。


 藤堂が弾幕を張ろうと40mm弾をばら撒くがラスカーは空中で宙返りをして弾丸を回避しながら接近して藤堂の懐に入り込んだ。

 ラスカーの短剣が藤堂の機体右腕関節部に突き刺さる。これで藤堂の機体は両腕を潰されたことになる。


 藤堂は脚部バーニアで後退する。ラスカーはその瞬間を狙い撃とうとしたが死重量デッド・ウェイトと化した長剣を藤堂が放棄したことで長剣を避けざるを得ないことになり、ラスカーは射撃を中断する。


 ラスカーのまたも空いてしまった左腕が藤堂の放棄した長剣を掴む。


「逃がさないッ」

 スラスターの推進剤を使い切る気持ちで噴射させて後退する藤堂に突進する。

 本来姿勢制御用のバーニアとスラスターでは出力が違う。ラスカーはあっという間に藤堂に追いついた。


「貰ったッ!」

 42式突撃機関銃で藤堂の逃げ道を奪いながら長剣を振り下ろす。

 ラスカーの左手には固い感触が、藤堂を落とした感触が伝わってきた。


 藤堂の機体が地面に叩きつけられて、苔の平原が爆風で埋め尽くされた。

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