第26話 母の願い、娘の覚醒

 次の扉は、一枚の鏡のようだった。そこに映るのは、まるで波紋のように揺らめく景色。


「これは……」


 俺の言葉が途切れる中、凛が一歩前に出た。彼女の【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】が青く輝き、鏡面に文字が浮かび上がる。


「記憶の底に沈む真実まことを——」


 凛が読み上げかけたその時、突然、彼女の体が揺らめいた。


「凛!」


 俺が支えようとした瞬間、凛の体が光に包まれ、消えていった。


「おいおい、これはまずいんじゃない?」


 狐堂こどうが軽い口調で言うが、その目は真剣そのものだった。


「試練の内容は把握していたのか?」


 夜科やしな総帥が問う。


「ええ、まぁ」


 狐堂は溜め息をつく。


「二番目の試練は『記憶との対話』。受験者は自分の封印された記憶と向き合わされる」


「じゃあ、凛は……」


「そう」


 狐堂が頷く。


「彼女の失われた5歳までの記憶の中へ」


 ***


 凛は、見知らぬ和室に立っていた。


 障子越しに射す陽の光が、畳に温かな模様を描いている。そこには——


「凛」


 懐かしい声に、凛は振り返った。


「お母さん……?」


 八葉はちよう千鶴ちづるが、優しく微笑んでいた。


「ごめんなさい」


 千鶴は静かに言う。


「あなたの記憶を封印して」


「どうして?」


 凛の声が震える。


「どうして私を賢樹さかき家に——」


「それは」


 千鶴の表情が曇る。


「あなたを守るため」


 部屋の空気が変わった。障子の向こうの光が、不気味な赤に染まっていく。


「見て」


 千鶴が言う。


「これが、あの日の真実」


 景色が歪み、別の光景が広がる。


 荒れ果てた神社。血に染まった賽銭箱。そして——巨大な妖魔の影。


「アイツは」


 千鶴が吐き捨てるように言う。


「あなたの父親よ」


 凛の体が凍りつく。


「父親……ですか?」


「ええ。災厄級妖魔、『幽世帝かくりょてい』」


 千鶴の声が冷たくなる。


「私は、彼の人間としての性格と姿に惹かれた。でも、それは罠だった」


 景色が再び変わる。今度は、小さな凛が母の背中に抱かれている場面。


「あなたは特別な子。人と妖魔の血を引く、唯一の存在」


 千鶴が続ける。


「だからこそ、アイツはあなたを欲しがった。その力を」


「私の、力……?」


「ええ。【幽明霊瞳】は、ただの霊視能力じゃない」


 千鶴が凛の頬に触れる。


「それは、世界のことわりを見通す眼」


 その時、遠くで爆発音が響く。


「もう時間がない」


 千鶴が急いで言う。


「凛、よく聞いて。八つの扉の先には、あなたの本当の力が眠っている。でも、それを使うかどうかは、あなた次第」


「お母さん、待って!」


 凛が叫ぶ。


「私、どうすれば——」


「信じて」


 千鶴が微笑む。


「あなたの心を。そして、あの子のことも」


 ***


 俺たちが待つ空間に、凛が光と共に戻ってきた。


「凛!大丈夫か?」


 俺が駆け寄ると、凛はゆっくりと目を開けた。その瞳には、これまでに見たことのない強い光が宿っていた。


颯馬そうま先輩」


 彼女の声は、どこか懐かしいような響きを持っていた。


「私、思い出しました。全部」


 その時、遠くで激しい爆音が響いた。結界が揺らぐ。


「来たか」


 夜科総帥が眉をひそめる。


「賢樹家当主、一級退魔師・賢樹剛志つよし


 狐堂が呟く。


「強いよ、アイツは」


「先生」


 凛が狐堂先生を見つめる。


「三つ目の扉は、どこにあるんですか?」


「ほう」


 狐堂が軽く笑う。


「もう次に進む気かい?」


「はい」

 凛が頷く。


「お母さんが、私に伝えたかったことが、やっと分かりました」


 俺は凛の決意に満ちた横顔を見つめた。


 その時、凛の【幽明霊瞳】が青く輝いた。


「見えました」


 彼女が静かに言う。


「三つ目の扉は、あそこですね」


 俺たちが指さす方向を見ると、霧の中に新たな扉が浮かび上がっていた。


「行きましょう」


 凛が言う。


「お母さんの願いを、私たちの手で——」


 突然、空間全体が大きく揺れた。


「結界が破られる!?」


 夜科総帥が叫ぶ。


 霧の向こうから、重い足音が近づいてくる。


「見つけたぞ」


 低い声が響く。


「我が家の不出来な養女と、その共犯者どもを」


 現れたのは、賢樹剛志。その手には、一枚の古びた写真が握られていた。


「これを見せてやろう」


 剛志が不敵に笑う。


「八葉千鶴が、最後に何を——」


 ***


 退魔学院の屋上。


 蒼宮かえでは、八葉べにと共に空を見上げていた。


「感じる?」


 紅が問う。


「ええ」


 楓が頷く。


「京都で、何かが目覚めようとしている」


「千鶴姉さんの念願が、ついに」


 紅の言葉が風に消える。


 その時、遥か西の空に、巨大な影が浮かび上がった。

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