第7話 予兆の警鐘

 狐堂こどう先生の誘いを受けてから数日が経った。今日はついに、その特別な課外授業の日だ。俺は少し緊張しながら、約束の場所である学院の裏手にある古い校舎に向かっていた。


颯馬そうま先輩!」


 背後から聞こえた声に振り返ると、凛が小走りで近づいてきた。


「おはよう、凛」


 俺は微笑んで答えた。


「緊張してるか?」


 凛は少し照れたように頬を染めた。


「はい、少し……でも、先輩と一緒なら大丈夫です」


 俺は思わず咳き込んだ。この子、たまにストレートな物言いをするんだよな。


「そうだな」


 俺は取り繕って言った。


「俺たち二人なら、どんな課題も乗り越えられるさ」


 古い校舎に到着すると、そこには狐堂先生が待っていた。


「よく来たね、二人とも」


 先生は微笑んだ。


「さあ、中に入ろう」


 内部に入ると、そこは予想外に近代的な設備が整っていた。壁には様々な結界術の図が描かれ、中央には大きな魔法陣が刻まれている。


「わあ……」凛が驚いた声を上げた。


「ここは、特別訓練場だ」


 狐堂先生が説明を始めた。


「普段は卒業時点で4級退魔師を目指している3年生や現役の退魔師が使用している」


「へえ」


 俺は感心しながら周りを見回した。


「俺たちみたいな2年生が使っていいんですか?」


 狐堂先生は意味深な笑みを浮かべた。


「君たちは特別だからね。さて、早速だけど今日の課題は……」


 突然、けたたましい警報音が鳴り響いた。


「な……何だ!?」


 俺は驚いて周りを見回した。


 狐堂先生の表情が一変する。「まさか……こんなタイミングで……」


「先生、これは……」


 凛が不安そうに尋ねた。


「緊急避難警報だ」


 狐堂先生は厳しい表情で答えた。


「しかも、最高レベルのものだ」


 俺の背筋が凍りついた。最高レベル。それは、ただの訓練ではない。本物の脅威が迫っているということだ。


「どうすればいいんですか?」


 俺は必死に尋ねた。


 狐堂先生は一瞬考え込んだ後、決断を下したように言った。


「二人とも、ここに残りなさい。ここは強力な結界で守られているからね。私が状況を確認してくる」


「でも、先生……」


 凛が心配そうに言いかけた。


「大丈夫だ。これでも3級退魔師免許は持っているんだよ」


 狐堂先生は優しく微笑んだ。


「それに、君たち二人なら、きっ……」


 言葉の途中で、突然の衝撃が建物を揺らした。


「くっ……」


 狐堂先生が顔をしかめる。


「来るのが早すぎる……」


「先生、何が来てるんですか?」


 俺は焦りを抑えきれずに尋ねた。


 狐堂先生は重々しく答えた。「最高レベルの警報が鳴ったことから、少なくとも特級魔ではある」


 俺と凛は息を呑んだ。特級魔。教科書でしか聞いたことがない、上位クラスの妖魔だ。


「二人とも、ここを動くな」


 狐堂先生は厳しく言い渡した。


「絶対にだ。分かったね?」


 俺たちは無言で頷いた。


 狐堂先生が去った後、俺と凛は緊張した面持ちで向かい合った。


「颯馬先輩……」


 凛の声が震えている。


「私たち、大丈夫でしょうか……」


 俺は強がりの笑顔を作った。


「大丈夫さ。ここは結界で守られてるんだろ?それに……」


 その時、再び大きな衝撃が走った。今度は、建物全体が軋むような音を立てる。


「くっ……」


 俺は思わず凛を抱き寄せた。


「先輩っ……」


 凛が小さな声で呟いた。


 俺は凛の肩をぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫だ。俺が守る」


 そう言いながらも、俺の心臓は激しく鼓動していた。この状況、どう対処すればいいんだ?


 突然、俺の頭に例の幻影が浮かんだ。荒涼とした大地、空に浮かぶ巨大な何か。そして、かすかな声。


「来るぞ……」


「うっ……」


 俺は頭を抱えた。


「先輩!?大丈夫ですか?」


 凛が心配そうに俺を見上げる。


「ああ……大丈夫だ」


 俺は何とか答えた。


「ただ、何か……見えたんだ」


「見えた……?」


 俺は凛に向き直った。


「凛、君の霊視で、外の様子は分かるか?」


 凛は少し躊躇したが、頷いた。


「試してみます」


 凛が目を閉じ、集中し始めた。すると、彼女の周りに薄紫の霊気が漂い始める。


「見えます……」


 凛が震える声で言った。


「巨大な……影のようなものが……」


 その瞬間、凛が悲鳴を上げた。


「凛!」


 俺は慌てて彼女を支えた。


 凛は青ざめた顔で俺を見た。


「先輩……あれは……人の形をしていますが、人ではありません。そして、あまりにも強大な力を……」


 俺は歯を食いしばった。やはり特級魔以上か。しかも、相当強力なやつらしい。


「くそっ……」


 俺は拳を握りしめた。


「こんな所で立ち尽くしているわけにはいかない」


「でも、先生は……」


「分かってる」


 俺は凛の目をまっすぐ見た。


「でも、ここにいたら万が一のときに生き埋めになる。結界だって万能じゃない。一緒に行こう、凛」


 凛は一瞬躊躇したが、すぐに決意の表情を浮かべた。


「はい、先輩」


 俺たちは手を取り合い、訓練場を後にした。廊下に出ると、そこかしこに破壊の跡が見える。


「気をつけろ」


 俺は凛に言った。


「どんな状況になっても、絶対に離れるなよ」


 凛は強く頷いた。


 俺たちは慎重に前進した。窓の外を見ると、空が不気味な色に染まっている。そして、遠くに巨大な影が見える。


「あれが……」


 俺は息を呑んだ。


「特級魔……」


 凛が震える声で言った。


 その時、突然廊下の向こうから人影が現れた。


「誰だ!」


 俺は警戒して叫んだ。


「蒼宮……君?」


 声の主は、なんとおおとり学院長だった。


「学院長……!」


 俺は驚いて声を上げた。


 学院長は俺たちに駆け寄ってきた。


「どうして君たちがここに……いや、それより急いで避難したほうがいい」


「学院長、一体何が……」


 俺の質問を遮るように、再び大きな衝撃が走った。今度は、廊下の一部が崩れ落ちる。


「くっ……」


 学院長が顔をしかめる。


「説明している暇はない。とにかく、君たちを安全な場所に……」


 その時、俺の頭に再び幻影が浮かんだ。そして、はっきりとした声が聞こえた。


「力を合わせろ……」


 俺は咄嗟に凛の手を取った。


「凛、俺と一緒に霊力を出すんだ!」


「え?でも……」


「いいから!」


 俺と凛の周りに、青と紫の霊気が渦巻き始めた。そして、それらが混ざり合い、美しい光の壁を作り出す。


 その瞬間、廊下の天井が完全に崩落した。


「危ない!」


 学院長が叫ぶ。


 しかし、崩れてきた瓦礫は、俺たちの作り出した光の壁に阻まれて落ちてこない。


「こ、これは……」


 学院長が驚いた声を上げた。


 俺も信じられない思いで目の前の光景を見ていた。俺たちの力が、こんなことまで...


 突然、遠くで大きな咆哮が聞こえた。


「まずい」


 学院長が焦った様子で言った。


「もう、ここまで来ているのか……」


「学院長」


 俺は決意を込めて言った。


「俺たちに何かできることはありませんか?」


 学院長は一瞬躊躇したが、やがて重い口調で言った。


「……分かった。君たち二人に、任せたい仕事がある」


 俺と凛は顔を見合わせた。これから俺たちは、どんな運命に立ち向かうことになるのだろうか。


 そして、再び聞こえてきた特級魔の咆哮。その轟音が、俺たちの新たな冒険の幕開けを告げているようだった。

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