第8話 危機の中で輝く絆
「
学院長の声は、周囲の騒音をかき消すほど力強かった。
「なんですか、学院長?」
俺の声に、わずかな緊張が混じっていた。凛も身を乗り出すようにして、学院長の言葉に耳を傾けている。
「現在、特級魔が学院の結界を突破し、中枢部へと迫っている。我々教職員は全力で迎え撃つが、万が一のために学院の秘宝を安全な場所へ移動させなければならない」
「秘宝……ですか?」
凛が小さな声で繰り返した。学院長は頷きながら続けた。
「そうだ。退魔学院創設以来、代々受け継がれてきた《霊石》だ。これが特級魔の手に渡れば、取り返しのつかないことになる」
俺は息を呑んだ。霊石の存在は噂で聞いたことがあったが、まさか本当に存在していたとは。
「でも、学院長」
俺は躊躇いながら口を開いた。
「俺たちはまだ学生です。そんな重要な任務を……」
学院長は微笑んだ。
「蒼宮君、君の力は既に多くの現役退魔師を凌駕している。そして賢樹さん」
彼は凛に向き直った。
「君の霊視能力は、この危機を乗り越えるための鍵となるだろう」
凛は驚いたように目を丸くした。
「私の……霊視が?」
「そうだ。霊石は通常、強力な結界に守られているが、今回の襲撃でその結界にも歪みが生じている。君の目なら、その歪みを見抜き、最も安全な方法で霊石を取り出せるはずだ」
俺は凛の方を見た。彼女の表情には不安と決意が交錯していた。
「わかりました。やります」
凛の声に、迷いはなかった。俺も頷いて応えた。
「必ず、任務を遂行します」
学院長は安堵の表情を浮かべた。
「よし、では急いで……」
その時だった。轟音とともに、建物全体が大きく揺れた。
「くっ、もう来たか!」
学院長が歯噛みする。
「二人とも、急ぐんだ!霊石の保管庫は地下3階にある。この通路を真っ直ぐ行って……」
学院長の説明を頭に叩き込みながら、俺は凛の手を取った。
「行くぞ、凛!」
「はい、
二人で駆け出した瞬間、背後で学院長の声が響いた。
「気をつけろ!敵は一つじゃない!」
その言葉の意味を理解する間もなく、俺たちは地下への階段を駆け下りていった。
◇◇◇
地下2階に到達したとき、凛が立ち止まった。
「颯馬先輩、待ってください」
彼女の声に緊張が走る。俺も足を止め、周囲を警戒した。
「どうした?」
「何か……いる」
凛の目が、暗闇の中で妙に輝いていた。俺は息を殺し、感覚を研ぎ澄ます。
確かに、何かがいる。
「退魔結界」
俺は呪文を唱え、両手で印を結んだ。薄い青白い光が、俺たちの周囲を包み込む。
その瞬間だった。
「きゃっ!」
凛の悲鳴と共に、何かが結界に激突する音がした。俺は咄嗟に凛を庇うように立ち、周囲を見回した。
「……蜘蛛?」
薄暗い通路に、等身大はあろうかという巨大な蜘蛛が何匹も蠢いていた。
「どうしてこんなところに……?」
「下級魔、いや……中級魔だな」
俺は小声で凛に告げる。
「でも、何かがおかしい」
妙な感じがする。蜘蛛たちの動きが、どこか不自然だ。
「これらの妖魔は、操られています」
凛の言葉にハッとした。
「なるほど。だから動きが変なのか」
俺は眉をひそめた。妖魔を操る術は、高度な退魔術の一つだ。文献の残された強大な妖魔はその妖力で周囲の妖魔を操ったという記録も残っているが、普通の妖魔にできるような芸等ではない。特級魔の特性だろうか。だが、操っている蜘蛛だけ送り込むのは不自然だ。
「まさか、人間か?」
その言葉に、凛が小さく震えた。人間が妖魔を操って悪事を働くなんて、退魔師の倫理に反する行為だ。いったい誰がこんなことをしているのか。
しかし、考えている暇はなかった。蜘蛛たちが一斉に襲いかかってきたのだ。
「はっ!」
俺は気合とともに、結界を押し広げた。青白い光が蜘蛛たちを弾き飛ばす。
「颯馬先輩、あっち!」
凛の指さす方向に、一匹の蜘蛛が結界をすり抜けようとしていた。
「【
俺の掛け声と共に、薄い霧のような青い風が俺の周りを包み込む。その風は瞬く間に伸びて、蜘蛛を包み込んだ。
「っ!」
蜘蛛が苦しげに身をよじる。風の中で、黒い霧のようなものが蜘蛛の体から抜け出していくのが見えた。
「凛、今だ!」
「はい!」
凛が両手を前に突き出す。彼女の手から、淡い光が放たれた。その光が、蜘蛛から抜け出た黒い霧を包み込み、消し去っていく。
「やった……」
蜘蛛の体から黒い霧が消えると、その大きさがみるみる小さくなっていった。最後には、ただの小さな蜘蛛になって、おとなしく床に降り立った。
「凄いぞ、凛!」
俺は思わず声を上げていた。凛は少し困ったような顔をして、頬を赤らめる。
「いえ……颯馬先輩がいなければ……」
その時、再び大きな振動が襲ってきた。
「くっ、まだか!」
俺は歯噛みした。このままでは霊石庫にたどり着く前に、建物が崩落してしまう。
「颯馬先輩、あそこ!」
凛が指差す先に、小さな通気口が見えた。
「そっか、そうだな。俺たちなら……」
言葉を交わす必要もなく、二人は頷き合った。俺が通気口の格子を外し、中に潜り込む。凛が後に続く。
狭い通路を這いながら進んでいく。時折、上から激しい振動が伝わってくる。特級魔との戦いが、まだ続いているのだろう。
「あっ!」
突然、凛が声を上げた。
「どうした?」
「霊石が……見えます」
俺は息を呑んだ。まだ見えてもいないのに、既に感知できるなんて。凛の能力は、本当に驚異的だ。
「よし、じゃあそこを目指そう」
二人で慎重に進んでいく。やがて、薄暗い広間に出た。その中央に、光り輝く石が祭壇の上に置かれていた。
「あれが……霊石?」
俺の問いに、凛が小さく頷いた。二人で祭壇に近づく。
しかし、その瞬間だった。
轟音と共に、天井が崩れ落ちてきた。
「危ない!」
俺は咄嗟に凛を抱きかかえ、飛び退いた。埃と瓦礫が舞い上がる中、巨大な影が現れる。
「グオォォォ...」
低く唸る声が、広間に響き渡った。埃が晴れると、そこには巨大な獣のような姿をした特級魔が立っていた。
「な……なんてモノが……」
凛の声が震えている。俺も思わず息を呑んだ。今まで見たこともない、強大な妖力を放っている。
特級魔は、俺たちを一瞥すると、すぐに霊石に目を向けた。
「させるか!」
俺は叫びながら、両手を前に突き出した。
「【
青い風が渦を巻いて、特級魔に向かって突進する。
「凛、霊石を!」
「は、はい!」
凛が祭壇に駆け寄る中、特級魔が俺の蒼嵐を薙ぎ払おうとする。
俺は全身の霊力を振り絞って、蒼嵐の威力を上げていく。特級魔の動きが鈍る。
「颯馬先輩、霊石を!」
振り返ると、凛が霊石を手に持って駆け寄ってきていた。
「よし、逃げるぞ!」
俺は凛の手を取り、通気口に向かって走り出した。
「グオォォォ!」
しかし、特級魔の咆哮と共に、強烈な衝撃波が襲いかかる。
「うわっ!」
俺と凛は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。なんとか凛と壁の間に体を捩じ込ませる。
「いってぇ……凛、大丈夫か?」
「は、はい……なんとか……」
俺たちが立ち上がろうとする中、特級魔がゆっくりと近づいてくる。その瞳には、獲物を捕らえた捕食者の輝きがあった。
俺の頭の中で、様々な作戦が駆け巡る。しかし、どれも勝算が薄い。
その時、凛が俺の袖を引っ張った。
「颯馬先輩……私に、考えがあります」
凛の瞳が、決意に満ちて輝いていた。
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