第9話 霊瞳の覚醒

 特級魔の姿が近づいてくる。俺は冷や汗を感じながら、凛の方を見た。


「ここからどうする?」


颯馬そうま先輩、逃げましょう!」


 凛の突然の提案に、俺は目を丸くした。


「え?そりゃ逃げられるのが一番だけどさ」


「今は霊石を守ることが最優先です。ですが、このままでは逃げられません」


 凛は一瞬言葉を切り、特級魔の方を見た。


「私に考えに乗ってくれませんか?」


 俺は一瞬迷った。考えを聞かずにのっていいのか。だが、相談している時間はない。任務を最優先にするのであれば、凛の考えに乗った方がいい気がしてきた。それに、凛の眼差しには強い決意が宿っている。


「分かった、凛の考えに乗ろう!」


 俺たちは素早く身を翻し、この部屋に入ってきた入り口を目指す。しかし、特級魔はすぐに追いかけてきた。


「くそっ、やっぱり速い!」


 俺は焦りながら叫んだ。その時、凛の声が聞こえた。


「颯馬先輩、私の指示に従ってください!」


「お、おう!」


 凛は目を閉じ、深く息を吸った。次の瞬間、彼女の目が開いた。その瞳は、今までに見たことのない輝きを放っていた。


「浄化術を左の壁、3メートル先です!」


 俺は迷わず、凛の指示した場所に向かって【蒼嵐そうらん】を放った。


「はあっ!」


 青い風が壁に当たり、霧のように広がる。すると、特級魔の動きが一瞬止まった。


「効いた……?」


「はい、でも長くは……右後ろ、床から5センチ!霊撃術!」


 俺は即座に動き、指示された場所を攻撃した。今度は特級魔が明らかに苦しそうな声を上げた。


「凄いぞ、凛!」


「このまま行きましょう。次は……」


 凛の指示に従って攻撃を繰り返す。特級魔の動きは明らかに鈍くなってきた。しかし、同時に凛の息遣いも荒くなっていく。


「大丈夫か?」


「はい……まだ、大丈夫です」


 凛の顔は汗で濡れ、明らかに疲労の色が見える。しかし、その目の輝きは衰えていなかった。


「あと少しです。颯馬先輩、あの柱の……」


 突然、凛の体が揺らいだ。


「凛!」


 俺は咄嗟に彼女を支えた。その瞬間、特級魔が襲いかかってきた。


「くっ!」


 俺は凛を抱きかかえたまま、全力で【蒼嵐】を放った。青い風が渦を巻き、特級魔を押し返す。


「はぁ……はぁ……」


 俺の息も上がっている。ジリ貧だ。特級魔は弱ってきているものの、俺たちの消耗のほうが早い。このままじゃ逃げる猶予を作ることができない。


「颯馬先輩……」


 凛の声が聞こえた。俺が顔を向けると、彼女の目が再び輝き始めていた。


「もう一度……私に力を貸してください」


「ああ、もちろんだ!」


 俺は差し出された凛の手を取った。すると、不思議な感覚が全身を包み込んだ。まるで、凛の目を通して世界を見ているような、そんな全能感する感じる。


「あれが……特級魔の正体」


 凛の声が、俺の中で響く。俺の目に、特級魔の真の姿が見えた。それは...


「人間の、魂……?」


「はい。でも、何かに取り憑かれています。あの黒い霧のようなものが...」


 確かに、人間の形をした光の塊を、黒い霧が覆っている。その霧が蠢くたびに、魂が苦しそうに歪んでいた。


「助けよう」


 俺の言葉に、凛が頷いた。


「私があの黒い霧の弱点を見つけます。颯馬先輩は……」


「ああ、分かってる。全力の【蒼嵐】だな」


 俺たちは互いに頷き合い、特級魔に向き直った。


「行くぞ!」


 凛の目が更に強く輝く。その瞬間、俺の目にも特級魔を覆う霧の中に、幾つもの光る点が見えた。


「あれか!」


 俺は迷わず蒼嵐を放った。青い風が渦を巻き、それぞれの光点を正確に貫いていく。


「ギャアアアア!」


 特級魔……いや、霧に覆われた魂が悲鳴を上げた。黒い霧が徐々に剥がれ落ちていく。


「もう少し……もう少しです!」


 凛の声に、俺は更に力を込めた。


「はあああああ!」


 最後の一撃。青い風が魂を完全に包み込む。


 一瞬の静寂の後、眩い光が辺りを包み込んだ。


「はぁ……はぁ……」


 俺は膝をつき、大きく息を吐いた。隣では凛も同じように息を切らしている。


「やった……のか?」


 俺の問いに、凛がゆっくりと頷いた。


「はい……魂は……浄化されました」


 俺たちの目の前には、か細い光の粒が浮かんでいた。それは穏やかに揺らめきながら、ゆっくりと上昇していく。


「良かった……」


 安堵の声を漏らした瞬間、凛の体が崩れ落ちた。


「凛!大丈夫か!?」


「はい……ただ、少し疲れて……」


 凛の声は弱々しかったが、その目は強い光を宿していた。


「凄いぞ、凛。君の力のおかげだ」


「いいえ、颯馬先輩がいてくれたから……」


 俺たちは互いを見つめ、小さく笑った。


「それにしても……」


俺は首をかしげた。


「どうして特級魔の弱点が分かったんだ?」


 凛は少し考え込むような表情をした後、ゆっくりと口を開いた。


「私にも、よく分かりません。でも……」


 彼女は自分の目を指さした。


「この目が、今までとは違う風に見えるんです。まるで……世界の裏側が見えるような」


 俺は驚いて凛の目を覗き込んだ。確かに、そこには一般的な瞳術とは異なる深みがあった。まるで深い闇夜からもう間もなく陽がのぼる夜明け前、薄明のような紫に橙と青が混ざったような美しい色の中に、無数の星のような煌めきが見える。


「この瞳は、まさか……【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】……?」


「え……先輩、じょ、冗談ですよね?幽世かくりょすらも明らかに見通すと謂れのある、あの……?」


「冗談で口にできる名称じゃない。薄明の空を思わせるような瞳の中に無数に煌めく星のような輝き。伝え聞く【幽明霊瞳】の特徴そのままだ」


 俺の言葉に、凛は息を呑んだ。伝説と謳われる能力が、こんな形で覚醒するなんて思いもよらなかった。凛が賢樹さかき家の容姿になったのは、能力の発現をみこしてのことだろうか。


「そんな……私に、伝説の能力が……」


「凄いな、凛」


 その時、遠くで大きな爆発音が聞こえた。


「まずい、他の場所でもまだ戦いが……」


 俺は立ち上がり、凛に手を差し伸べた。


「行こう、凛。俺たちにしか出来ないことがあるはずだ」


 凛は俺の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。


「はい、颯馬先輩。一緒に……」


 俺たちは互いに頷き合い、次なる戦いの場へと駆け出した。しかし、その時は知る由もなかった。この戦いが、俺たちの運命を大きく変えることになるとは。

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