第25話 優しさの代償、八葉流の真実

 霧の中に姿を現した扉は、まるで古い神社の門のようだった。朱色の柱に、金具が緑青を帯びている。その扉に刻まれた文字が、凛の【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】によって浮かび上がった。


「守るべきものと、守れないもの」


 凛が静かに読み上げる。その声が、不思議な反響を伴って響いた。


「なるほど」


 狐堂先生が眉をひそめる。


「最初からこれとは厄介だな。師匠も難儀なことをする」


「どういう意味でしょうか?」


 俺の問いに、夜科やしな総帥が答えた。


「最初の試練は、常に『選択』を迫るものだ」


「選択、ですか?」


「ああ」

 夜科総帥の表情が厳しくなる。


八葉はちよう流の術者には、常に『選択』が付きまとう。誰かを守れば、他の誰かを見捨てることになる。その覚悟が……」


 突然、扉が大きく開かれた。中からまばゆい光が溢れ出す。


颯馬そうま先輩!」


 凛の叫び声と同時に、俺たちは光に飲み込まれた。


 目が覚めると、そこは見知った場所だった。


「これは……退魔学院の訓練場?」


 だが、様子が明らかにおかしい。建物の一部が崩れ、至る所から黒い炎が立ち上っている。


「きゃあああっ!」


 聞き覚えのある悲鳴。俺は反射的に声の方を向いた。学院で見かけたことのある女子生徒が巨大な妖魔に追い詰められている。


「颯馬先輩、あっちも!」


 凛が指さす方向には、沙織が倒れていた。彼女の周りにも、黒い炎が迫っている。


「くっ」


 俺は歯を食いしばった。両方を同時に助けることは不可能だ。距離が離れすぎている。


「凛さん、あなたはどちらを助けますか?」


 狐堂先生の問いに、凛は苦しそうに目を閉じた。


「私は……私は……」


「決断を」


 夜科総帥が厳しく言う。


「これが試練だ」


 その時、女子生徒の悲鳴が再び響く。


「たす……けて」


 沙織の弱々しい声も聞こえてきた。


 俺は——


 迷わず沙織の方へ走り出していた。


「すまない」


 心の中で女子生徒に謝りながら、全力で駆ける。


「なるほど」


 狐堂先生の声が響く。


「彼は幼なじみを選んだか」


 違う。理由は違う。


 俺は走りながら叫んだ。


「凛!女子生徒を頼む!」


「え?」


「凛なら【幽明霊瞳】で妖魔の弱点が見える。俺より確実に倒せる!」


 一瞬の驚きの後、凛の顔に決意の色が浮かぶ。


「はい!」


 俺たちは、それぞれの目標に向かって走った。俺は黒い炎に向かって【蒼嵐そうらん】を放ち、凛は妖魔に向かって祓魔の印を結ぶ。


 そして——


 景色が再び歪んだ。黒い炎も、妖魔も、美奈子も沙織も消えていく。


「見事」


 式神の声が響く。


「汝らは最初の試練を乗り越えた」


「えっ?」


 俺は首を傾げた。


「でも、まだ何も——」


「違うわ、颯馬先輩」


 凛が柔らかく微笑む。


「私たち、ちゃんと選択できました。誰かを見捨てるんじゃなくて……」


「お互いを信じることを選んだ、ということだな」


 夜科総帥が頷く。


 狐堂先生は感慨深げに空を見上げた。


「千鶴様も、きっと喜んでおられるはず。八葉流の本質は、決して『誰かを切り捨てること』ではない。むしろ、その逆——」


 突然、遠くで爆発音が響いた。結界の外の音だ。


「まずい」


 夜科総帥の表情が変わる。


「もう追手が——」


 その時、俺たちの目の前に新たな扉が現れた。


「行くぞ」


 狐堂先生が声を上げる。


「この扉を開ければ、外の追手は入ってこれない」


 俺は凛の手を取った。彼女の手は、さっきより温かい。


「心配しないでください」


 凛が静かに言う。


「私、もう迷いませんから」


 俺たちは頷き合い、次の扉に手をかけた。


 ***


 伏見稲荷大社の参道。


 賢樹剛志つよしは、結界の前で腕を組んでいた。


「父上」


 竜二が声をかける。


「凛の奴、もう二つ目の扉を開こうとしているそうです」


 剛志は冷たく笑った。


「焦ることはない。次の扉こそ、八葉流最大の試練。そして——」


 彼は懐から一枚の古い写真を取り出した。


「これこそが、千鶴の最後の秘密だ」

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