第24話 八つの鳥居、最初の試練

 朝もやが立ち込める伏見稲荷大社の参道。まだ観光客の姿はなく、ただ鳥居の列が静かに佇んでいた。


 影衛の黒塗りの車から降りると、ひんやりとした空気が頬をなでる。俺たち——蒼宮あおみや颯馬そうま賢樹さかきりん、退魔協会の最高戦力と謳われていた影衛かげえの総帥である夜科やしな、そして退魔学院で俺の担任教師であり八葉はちよう千鶴ちづるさんの最後の弟子である狐堂こどうの四人は、最初の一台で到着した。


「夜科さん」


 俺は後続の車を待つべきか確認を求めた。


「他の影衛は、結界を張る準備がある」


 夜科総帥は参道を見上げながら答えた。


「我々は先に進もう」


「へぇ、影衛って結界も張れるんですか?」


 狐堂先生が軽やかな調子で尋ねる。その表情には好奇心が満ちていた。


「八葉千鶴ちづる様から教わった」


 夜科総帥の口元がわずかに緩む。


「まぁ、本家本元の器用貧乏さは受け継げなかったがね」


「なるほど〜」


 狐堂先生は意味ありげに頷いた。


「千鶴様らしいというかなんというか」


 二人の会話を聞きながら、俺は凛の様子を窺った。彼女は今朝から妙に落ち着いている。それが却って不安だった。


「ねぇ、颯馬先輩」


 凛が俺の袖を軽く引っ張った。彼女の紺碧の瞳には、いつもと違う光が宿っていた。


「何か見えるのか?」


「はい……鳥居が、まるで生きているみたいです。光の糸で繋がれているような……」


 凛の言葉に、夜科総帥が立ち止まった。長身の影衛の総帥は、深い溜め息をついた。


「さすがは八葉千鶴の娘だ。普通の霊視ではとても見えない結界の糸を見抜くとは」


「へぇ、凛ちゃん、やるじゃない」


 狐堂先生が感心したように言った。その表情には、どこか懐かしむような色が浮かんでいる。


「狐堂先生」


 凛が恥ずかしそうに首を振る。


「私、まだ何も……」


「いいんだよ」


 狐堂先生は優しく微笑んだ。


「君の母さんも、最初は自分の力を信じられなかった。そう聞いている」


 その言葉に、凛の目が潤んだ。


「さて」


 夜科総帥が咳払いをする。


「八葉流には八つの試練がある」


「各試練をクリアするたびに、八つの扉が開かれる」


 狐堂先生が続けた。


「そして最後の扉の向こうに……」


「本当の力が眠っている、と」


 夜科総帥が言葉を継ぐ。


 俺は思わず苦笑いを浮かべた。


「まるでゲームみたいですね」


「ふふ、颯馬先輩らしい感想」


 凛が小さく笑う。


「でも、私もそう思います」


「おや、若者たちは余裕綽々というわけか」


 夜科総帥の言葉に、狐堂先生が肩をすくめた。


「まぁ、その余裕も最初の試練を見たら——」


 その時だった。


「来るぞ!」


 俺の警告と同時に、周囲の空気が一変した。鳥居の朱色が妖しく輝き、朝もやが異様に濃くなっていく。


「これは……結界が!」凛の声が震える。


 次の瞬間、俺たちの周りの景色が歪み始めた。まるで水彩画に水を落としたように、色が溶け出し、形が崩れていく。


「みんな、近くに!」


 俺の声に反応して、四人は背中合わせの陣形を作った。そして、景色が一変した。


 鳥居の列は消え、代わりに見渡す限りの霧が広がっていた。足元は硬い岩のようだ。時折、かすかな風に乗って鈴の音が聞こえてくる。


「これが最初の試練か」


 俺は呟いた。


「いいえ」


 凛が首を振る。


「これは……試練の入り口」


 その言葉の意味を問う間もなく、霧の中から人影が現れた。


 和服姿の女性。長い黒髪が風に揺れている。


「お母さん……?」


 凛の声が震えた。その姿は、確かに写真で見た八葉千鶴によく似ていた。


「違う!」


 狐堂が叫ぶ。


「それは千鶴様の形を借りた式神だ!」


 女性の姿が歪み、その背後に巨大な狐の影が浮かび上がる。九本の尾が、まるで炎のように揺らめいていた。


「蒼宮颯馬」


 式神が口を開く。その声は、まるで千の声が重なったように響く。


「汝の覚悟を示せ」


 俺は凛の前に立ちはだかった。背中越しに、彼女の気配を感じる。


「凛を守る。それが俺の覚悟です」


 式神の口元が、かすかに歪んだ。笑っているのか、それとも。


「ならば」


 式神が静かに言った。


「その想いを、八つの試練で証明せよ」


 九本の尾が一斉に天を指す。鈴の音が轟くように響き渡る。


 そして、俺たちの目の前に、最初の扉が姿を現した。


「清明」


 夜科総帥が狐堂先生に向かって言う。


「あの方は、本当にこんな試練を……?」


「ええ」


 狐堂の表情が曇る。


「千鶴様は、最後の最後まで迷っておられた。この力を解放することが、本当に正しいのかと」


 俺は凛の手を取った。彼女の手は冷たく、小刻みに震えている。


「行こう」


 俺は強く握り返した。暖かい風が吹き抜け、鈴の音が静かに消えていく。


 そして、扉が開かれた。


 ***


 伏見稲荷大社の参道入り口。


 後続の影衛の車から降りた女性、霧嶌きりしま美奈子みなこは、周囲を警戒するように見回した。


「見つけた」


 彼女はスマートフォンを取り出した。


「もしもし、賢樹さかき様」


 彼女の声は震えていた。


「はい、確かに……この目で見ました」


 電話を終えると、送信ボタンを押す。位置情報が、賢樹剛志つよしの元へと届く。


「ごめんなさい」


 美奈子は空に向かって呟いた。


「でも、これで借りは返せる。これで……」


 彼女の瞳に、一筋の涙が光った。


 背後では、影衛かげえたちが粛々と結界を張る準備を進めていた。その中に、裏切り者がいることに、誰も気付いていない。

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