第3話 霊瞳の乙女

 朝日が差し込む寮の窓辺で、俺は制服の襟を整えていた。昨夜の沙織の言葉が頭から離れない。変わった新入生?俺に見てほしい?何だか胸が高鳴る。


「よし」


 鏡に映る自分に頷きかけ、俺は部屋を出た。廊下に出ると、ちょうど沙織が階段を降りてくるところだった。


「おはよう、颯。ちゃんと起きてたのね」


「当たり前だろ。それで、昨日言ってた新入生のことだけど……」


 沙織は人差し指を唇に当てて「シーッ」とジェスチャーをした。


「立ち話もなんだし、朝食を食べながら話しましょ」


 食堂に向かう道すがら、桜の葉が舞い散る中を歩く。なんだか、特別な朝のような気がした。


 食堂では、すでに何人かの生徒が朝食を取っていた。俺たちは端の席に座り、トーストとスクランブルエッグ、サラダという質素だが栄養バランスの取れた朝食を前に向かい合った。


「で、その新入生って?」


 さっそく俺は切り出した。


 沙織はフォークを置き、少し声を潜めた。


賢樹さかき りんっていうの。1年A組の子よ」


「賢樹?あの名門退魔師家の?」


「そう。でもね……」


 沙織は言葉を選ぶように間を置いた。


「その子、いじめられてるの」


 俺は驚いて、思わず声を上げそうになった。沙織は慌てて制した。


「シーッ!大きな声出さないで」


「でも、賢樹家の人間がいじめられてるなんて……」


 俺は信じられない思いで呟いた。


「そこなのよ」


 沙織は真剣な顔で言った。


「先生を問い詰めてわかったんだけど、どうやらその子は養女なんだって。それで、同じ賢樹家の血を引く子たちからいじめられてるみたい」


 俺は眉をひそめた。なんて理不尽な。


「でも、なぜ俺に見てほしいんだ?」


 沙織はため息をついた。


「あの子、すごく繊細な霊感を持ってるの。でも、うまくコントロールできてないみたい。昨日の実技訓練の後、私が話しかけたら……」


 沙織は言葉を切った。俺は身を乗り出した。


「それで?」


「あの子が言うには、颯馬の周りに『青い風』が見えたんですって」


 俺は息を呑んだ。昨日の実技訓練で俺が見せたのは【玄武縛げんぶばく】。基本の封印術だ。【蒼嵐そうらん】は使っていない。それなのに、青い風が見えた?


「そんな……」


「だから、颯馬に見てもらいたいの。あの子の霊視が本物なのか、それとも……」


 沙織の言葉を遮るように、食堂が騒がしくなった。振り返ると、一団の生徒たちが誰かを取り囲んでいた。


「おい、化け物!」


「お前なんかに賢樹の名を名乗る資格はない!」


 罵声が飛び交う。俺は立ち上がろうとしたが、沙織に止められた。


「待って。まだ動かないで」


 俺は歯がゆい思いで座り直した。そして、取り囲まれている生徒の姿が見えた瞬間、息を呑んだ。


 肩下までの黒髪、切れ長の瞳。小柄な体つきだが、どこか力強い雰囲気を漂わせている。それでいて、全身から深い悲しみのようなものが滲み出ていた。


 賢樹 凛。間違いない、沙織の言っていた新入生だ。


 凛は黙ったまま、周囲の罵声に耐えているようだった。その姿に胸が痛んだ。


「もういい」


 俺は立ち上がった。沙織も慌てて後を追う。


「おい、お前ら」


 俺は冷たい声で言った。


「朝からうるさいぞ」


 一同、俺の姿に気づいて静まり返った。


「あ、蒼宮あおみや先輩……」


「いえ、これは……」


 言い訳をしようとする生徒たちを、俺は一瞥しただけで黙らせた。


「朝食の時間だ。静かに食べろ」


 生徒たちは尻込みしながら、三々五々と離れていった。残されたのは、凛と俺たち二人。


「大丈夫か?」


 俺は凛に声をかけた。


 凛は少し驚いたような顔で俺を見上げた。その瞬間、俺は彼女の瞳に吸い込まれそうになった。深い紺色の瞳。まるで、宇宙そのものを映しているかのようだ。


「あ……はい」


 凛は小さな声で答えた。


「ありがとうございます、先輩」


 その時、俺は気づいた。凛の周りに、微かに紫がかった霊気が漂っているのを。普通なら気づかないほどの繊細なものだ。しかし、確かにそこにある。


「あの、君は……」


 俺が言葉を続けようとした瞬間、凛の表情が変わった。彼女の瞳が大きく開かれ、俺を見つめる。


「青い……風……」


 凛の囁きが聞こえた。俺は驚いて自分の周りを見回した。しかし、何も見えない。


「どういうこと……」


 俺が聞こうとした瞬間、凛は身を縮めるようにして後ずさりした。


「ごめんなさい!」


 そう言って、凛は食堂から走り去ってしまった。


「ちょっと、待って!」


 沙織が後を追おうとしたが、俺は腕を伸ばして止めた。


「いい。追わないでくれ」


「でも……」


「あの子には、何か特別なものがある」


 俺は真剣な顔で言った。


「俺にも見えた。霊気だ。しかも、尋常じゃないほど繊細で強力な」


 沙織は目を丸くした。


「じゃあ、本当に……」


「ああ」


 俺は頷いた。


「あの子の霊視は本物だ。それどころか、俺たちの想像を超えるものかもしれない」


 俺は走り去った凛の後姿を思い浮かべた。あの瞳に宿る力。そして、彼女を取り巻く状況。これは、ただの偶然じゃない。何か重大なことが起ころうとしているんじゃないか?


「よし、決めた」


 俺は沙織に向き直った。


「俺があの子の面倒を見よう。そして、その力の秘密を探る」


 沙織は少し心配そうな顔をした。


「でも、颯。あんた、今でさえ孤立してるのに……」


「構わないさ」


 俺は断固とした口調で言った。


「むしろ孤立しているほうが都合がいい。ただ、沙織には迷惑をかけちまうかもしれないけどな。でもまぁ、生徒会長であり、鷹司たかつかさ家の令嬢である沙織に何かしようなんてヤツ、そうそういないだろう。もし何かあったら、話を持ちかけたことを後悔してくれ。それに、これは退魔学院や退魔師の未来にも関わることかもしれない」


 沙織はため息をついたが、やがて微笑んだ。


「分かった。私も協力するわ」


 俺は頷いた。そして、凛が走り去った方向を見つめた。


 賢樹 凛。お前の持つ力の正体。そして、お前を取り巻く謎。必ず明らかにしてみせる。


 その時、俺はまだ知らなかった。この決意が、俺の人生を大きく変えることになるとは。そして、退魔学院全体を揺るがす大事件の引き金になるとも。

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