第2話 孤高の蒼き風

 朝日が寮の窓から差し込み、俺の目を覚ました。久しぶりの自分のベッドだ。昨日の夕方に帰ってきてからぐっすり眠っていたようだ。時計を見ると、まだ6時半。授業開始まで十分時間がある。


 俺は起き上がり、伸びをした。体のあちこちに昨日までの戦いの痛みが残っているが、それも心地よい。さて、今日から本格的に学院生活に戻るんだな。そう思うと、少し複雑な気分になる。


 顔を洗い、普段以上に入念にストレッチをする。いつもなら日課の筋トレや素振りを行ってからストレッチを行うのだが、今日は任務明けなので体調を整えることを優先した。


 ストレッチを終えると朝食を食べ、制服に着替えて身支度を整えた後、俺は寮を出た。朝の空気が清々しい。


「おはよう、颯。相変わらず早起きだね」


 振り返ると、沙織が笑顔で立っていた。


「おはよう、沙織。お前こそ、生徒会の仕事で忙しいのに早いな」


 沙織は軽くため息をついた。


「もう、あんたにそう言われるとは心外よ。私だって、朝は早いの」


 俺たちは並んで歩き始めた。すっかり葉桜になった桜並木の下を通り抜けると、ポツポツと他の生徒たちの姿も見えてきた。


「そういえば」


 沙織が俺をちらりと見た。


「昨日の夕方に帰ってきたじゃない?『蒼宮あおみや先輩が帰ってきた』って新入生たちが噂してたわよ」


「へえ……」


 俺は少し居心地悪そうに首筋を掻いた。


「別に大したことじゃないのにな」


 沙織はクスリと笑った。


「あんた、自分のことが分かってないわね。退魔学院の2年生にして4級退魔師の免許持ち。親や親類が退魔師やってる子は多いからね。入学したら会えると思っていた退魔学院のエースが3週間も任務で不在だったんだから、みんな興味津々なのよ」


 俺は黙ったまま歩き続けた。確かに、俺の実力は認められている。でも、それゆえに距離を置かれることも多い。複雑な気分だ。


「あ、そうだ」


 沙織が突然立ち止まった。


「今日の午後の実技訓練、あんたに手伝ってもらえないかしら?」


「え?俺が?」


「そう。新入生たちに、上級生の実力を見せてあげたいの。刺激になると思うのよね」


 俺は少し考え込んだ。確かに、後輩たちの役に立てるなら悪くない。でも、自分の力を見せつけることになるのは少し気が引ける。


「ね、幼馴染の頼みを引き受けてくれないかしら?」


「……分かった。沙織がそうまで言うなら、やってみるよ」


「やった!ありがとう、颯」


 沙織は嬉しそうに飛び跳ねた。


「じゃあ、午後3時から中央訓練場ね。忘れずに来てよ」


「ああ」


 俺たちは校舎に到着し、別々の教室へと向かった。俺が教室に入ると、周囲の視線が一斉に集まった。


「おはよう、蒼宮」


「お帰りなさい、蒼宮くん」


 クラスメイトたちが次々と声をかけてくる。俺は軽く会釈を返しながら、自分の席に向かった。


「よう、蒼宮。すっげぇ活躍したんだって?」


 隣の席の高山が話しかけてきた。高山の父親は、昨日まで任務で一緒だった村上さんの親友らしい。昨日の今日で高山が詳しく知っているのは、村上さんが親友に話した内容を聞いたのだろう。


「いや、そんなことはないよ」


 俺は謙遜しながら答えた。


「普通の任務だったさ」


 高山は目を丸くした。


「普通じゃないって。上級魔を単独で倒したんだろ?俺たちじゃ下級魔相手でも苦戦するってのに」


 俺は苦笑いを浮かべた。


「まあ……」


 その時、先生が教室に入ってきて、授業が始まった。


 午前中の授業は、退魔術の理論と実践が中心だ。俺は集中して先生の話を聞いていたが、ときどき周囲の視線を感じた。どうやら、俺の一挙手一投足に注目が集まっているようだ。


 昼休みになると、たくさんのクラスメイトが俺の周りに集まってきた。


「ねえ、蒼宮くん。任務の話を聞かせてください!」


「上級魔ってどんな感じだったの?」


 質問が次々と飛んでくる。俺は丁寧に答えようとしたが、正直少し疲れを感じていた。


「みんな、ちょっと落ち着きなさいよ」


 沙織の声が聞こえ、彼女が教室に入ってきた。


「颯だって、やっと戻ってきたばかりなんだから。ゆっくり休ませてあげなさい」


 クラスメイトたちは少し残念そうな顔をしたが、大人しく離れていった。


「ありがとう、沙織」


 俺はほっとした表情で言った。


「いいのよ」


 沙織はニヤリと笑った。


「でも、その代わり午後の実技訓練はしっかりやってもらうわよ」


 俺は軽くため息をついた。


「それが狙いか……分かってるって。ちゃんとやるよ」


 午後の授業が終わり、俺は中央訓練場に向かった。到着すると、すでに多くの新入生が集まっていた。沙織が俺に気づき、手を振った。


「よく来てくれたわ、颯。じゃあ、始めましょうか」


 沙織は新入生たちに向かって声を上げた。


「みなさん、今日は特別ゲストとして、2年生の蒼宮颯馬先輩に来ていただきました。蒼宮先輩は、現役の4級退魔師でもあります。今日は、先輩の実力を見せていただきます」


 新入生たちの間でざわめきが起こった。俺は少し緊張しながら、訓練場の中央に立った。


「それでは、蒼宮先輩。よろしくお願いします」


 俺は深呼吸をして、集中力を高めた。周囲の空気が変わり、青い風が俺の周りに渦を巻き始めた。


「【玄武縛げんぶばく】」


 俺の声とともに、邪気を帯びた的の足元から、半透明の鎖が何本も飛び出した。その鎖はいくつもの的を何重にも縛り、封じていく。新入生たちは、目を見開いて見ていた。


 数分後、俺は技を解いた。訓練場には静寂が広がっていた。


「す、すごい……」


「これが上級生の力……」


「あんな数の霊鎖、見たことない……」


 新入生たちの間で興奮した声が上がり始めた。


「はい、みなさん」


 沙織が前に出てきた。


「これが、退魔学院が目指す力です。蒼宮先輩のような存在を目指して、しっかり訓練に励んでくださいね」


 新入生たちからの質疑応答や訓練の立ち会いが、俺は疲れた体を引きずるように寮に戻った。確かに、新入生たちに刺激を与えられたのはよかった。でも、同時に俺は孤独感も感じていた。


 寮の部屋に戻ると、俺はベッドに倒れ込んだ。天井を見つめながら、今日一日のことを思い返す。みんなの憧れの的になっているのは分かる。でも、それゆえに多くの人は気軽に話しかけてこない。高山だって、父親の親友である村上さんと俺が一緒の任務に出ることがあるから話しかけてくるだけだろうし。


 俺は目を閉じた。明日からも同じような日々が続くんだろうな。そう思うと、少し寂しい気もする。


 その時、ノックの音が聞こえた。


「颯、いる?ちょっといいかしら」


 沙織の声だった。俺は起き上がり、ドアを開けた。


「どうした、沙織?こんな時間に」


 沙織は少し心配そうな顔をしていた。


「ごめんね、急に来て。でも、気になる話を聞いちゃって……」


 俺は首を傾げた。


「気になること?」


 沙織は一瞬躊躇したが、口を開いた。


「新入生の中に、ちょっと変わった子がいるの。その子のこと、颯馬に見てもらいたいのよ。まだ確証のない話があるんだけどね。でも、颯にしか頼めないの」


 俺は驚いた顔をした。変わった新入生?俺に見てほしい?どういうことだ?


「明日の朝、その子のことを詳しく教えるわ。だから、明日は絶対に寝坊しないでよ!」


 そう言い残して、沙織は去っていった。俺は閉じたドアを見つめながら、考え込んだ。


 いったい、どんな新入生なんだ?そして、なぜ俺に見てほしいんだろう?


 俺は再びベッドに横たわった。明日が来るのが、少し楽しみになってきた。

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