第35話 新たなる夜明け

 黒い門の中心に灯った光が、結界の中を優しく照らし始めた。それは夜明けの最初の光のように、儚くも希望に満ちている。凛の【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】が放つ七色の輝きと呼応するように、波紋を描いていく様は神秘的ですらあった。


「凛、大丈夫か?」


 不安げに声をかけると、後輩は穏やかに頷いた。その表情には、今までに見たことのない確かな強さがあった。


「はい。むしろ、今までにないくらい——」


 その時、意外な声が響いた。


「凛」


 振り向くと、賢樹さかき剛志つよしが立っていた。厳格な表情は消え、代わりに深い感情を湛えた眼差しで凛を見つめている。


「お義父様? どうして……」


「私は、ずっと見守っていた」


 剛志の声には、これまで聞いたことのない優しさが滲んでいた。長年の仮面が、今まさに剥がれ落ちようとしているかのように。


八葉はちよう千鶴ちづるとの約束を守るため。そして、お前が真の力に目覚めるその時を待つため」


「約束?」


 凛の声が震える。剛志は静かに目を閉じ、まるで遠い記憶を辿るように言葉を紡いだ。


「そう。あいつは言った。『この子の中には、二つの世界を繋ぐ力が眠っている。でも、その力は強制してはいけない。自分で気づき、受け入れるまで』とね」


 俺は思わず息を呑んだ。今までの全ては、計画的なものだったのか。凛を冷遇し、その力を抑圧してきたように見えた剛志の行動が、実は深い愛情に基づいていたとは。


「お義父様、それなら、どうして今まで……」


「お前を強くするため」


 剛志の声が、わずかに震えた。


「この世界で生きていくには、強さが必要だ。特に、お前のような存在はな」


「私のような……」


「人と妖魔の狭間に生まれた子供。八葉千鶴と《幽世帝かくりょてい》の娘」


 その言葉に、俺は反射的に凛の表情を窺った。しかし、彼女は穏やかな表情を崩さない。


「お義父様、私、わかったのです」


 凛の声が、結界の中に響く。


「私は、どちらかになる必要なんてなかった。人でもあり、妖魔でもある。その両方を受け入れることで、初めて見えてくるものがある」


 その瞬間、凛の【幽明霊瞳】が更に強い光を放った。七色の光は、まるで虹のように結界内を彩っていく。


颯馬そうま先輩」


 不意に名前を呼ばれ、俺は我に返った。


「力を貸してください。あなたの【蒼嵐そうらん】があれば——」


「ああ、もちろんだ」


 返事をする前に、既に俺の【蒼嵐】は凛の力と呼応していた。青い風が七色の光と交わり、新たな輝きを生み出していく。


「見えてきました」


 凛の声が響く。その声には、確かな手応えが感じられた。


「お母さんの願い。お義父様の想い。そして——」


 彼女の右手が、黒い門に向かって伸びる。


「《幽世帝》、いいえ、もう一人の父の存在意味」


 門の中から、深い声が響いた。その声には、もはや敵意は感じられない。


「我が娘よ。お前は本当に——」


「はい」


 凛は微笑んだ。


「世界は、無理に一つである必要はない。違いを認め合い、それでも繋がることができる。それこそが、新しいことわりなのです、お父さん」


 その瞬間、凛の体から放たれる光が爆発的に強まった。七色の光は、まるで極光のように結界内を染め上げていく。


「これが、私の選んだ道です!」


 凛の声が結界を貫く。その瞬間、黒い門の中から、温かな光が溢れ出した。それは凛の光と呼応するように、優しく世界を包み込んでいく。


「見事だ、凛」


 剛志の声が響く。その表情には、誇らしさが溢れていた。


「お前は、私たちの想像以上の答えを見つけ出した」


 黒い門の向こうからも、深い満足感のこもった声が響いた。


「我が娘よ。お前は確かに、新しい道を——」


 その時だった。突如、結界の外から強大な力が押し寄せてきた。それは今までに感じたことのない、純粋な威圧感だった。


「これは!?」


 俺が叫ぶ前に、剛志が身構えた。


「来るぞ、『理の番人』が」


「理の、番人?」


 凛が困惑した声を上げる。その時、結界の外から、澄んだ鈴の音が響いた。


 ***


 伏見稲荷大社の奥社。


「始まったわ」


 ”もう一人の美奈子”の声が、静かに響く。


「ああ」


 おおとり学院長は、深いため息をつきながら頷いた。


「しかし、これは終わりではない。むしろ——」


 その時、老人の手の中で、古びた札が不思議な光を放った。それは八つ目の札と呼応するように、かすかに脈動している。


「理の番人たちよ」


 ”もう一人の美奈子”が呟いた。


「あなたたちは、この新しい理を、受け入れることができるのかしらね」

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