第34話 世界の理

 黒い門が唸りを上げた瞬間、背筋が凍る感覚に襲われた。これまで見てきた妖魔の気配とは、まったく次元の違う威圧感だ。


「凛!」


 反射的に後輩の前に立ちはだかった。しかし、彼女は静かに首を振る。


「大丈夫です、颯馬そうま先輩」


 凛の声には、不思議な落ち着きがあった。その瞳に宿る決意の色は、もう迷いを感じさせない。


「これが、お母さんの望んだことなんです」


 黒い門からは、まるで生き物のような唸り声が響き続けている。それは人間の言葉でも、妖魔の叫びでもない。世界の理そのものが軋むような音だった。


八葉はちよう流の……」


 言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。違う。今の凛から感じる力は、八葉流でも賢樹さかき流でもない。そして、俺の蒼宮あおみや流とも違う。


 むしろ——


「世界の理は、無理に一つにする必要なんてない」


 凛の言葉が、結界の中に響き渡る。彼女の【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】が、七色の光を放ち始めた。


「凛、その力は……」


「はい。新しい力です」


 彼女の周りに、青い風と金色の光が渦を巻き始める。それは妖しくも美しい光景で、見とれてしまうほどだった。


 しかし、黒い門の唸りは更に大きくなる。その存在自体が、世界の歪みそのものであるかのように。


「ああ、そうか」


 凛は静かに微笑んだ。


「お父さん、聞こえていますか?」


 門の向こうにいる方の『幽世帝かくりょてい』——凛の実の父親に向かって、彼女は語りかける。


「本当の絆は、相手を変えようとしないんです」


 その瞬間、凛の【幽明霊瞳】の光が更に強まった。七色の光は、まるで虹のように結界内を彩る。


「何度でも言います。人は人のまま、妖魔は妖魔のまま。それでも、心は通じ合える」


「馬鹿な」


 重く、深い声が門の向こうから響いた。『幽世帝』の声だ。


「それでは、お前は永遠に——」


「ええ。永遠に、どっちつかずです」


 凛は微笑みながら、そう答えた。その表情には、もう迷いはない。


「でも、それこそが私。どちらにも分類されないのです。八葉千鶴ちづると『幽世帝』の娘で、賢樹家に育てられた、私という存在。何度でも言います。私は、私でしかない。人間や妖魔というくくりにこだわる必要はないのです」


 その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。今まで自分の出自に悩み続けてきた凛が、こんなにもはっきりと自分を肯定する言葉を——


「見えます」


 凛の声が、結界の中に響き渡る。


「世界の理は、無理に一つにする必要なんてない。むしろ——」


 その時だった。黒い門が、これまでにない轟音を上げた。まるで凛の言葉に反応するかのように、あるいはこれが試練なのかもしれない。


 俺の思考が巡るその時、凛の体から放たれる光が、更に強さを増した。青い風と金色の光が交わり、新たな色を生み出していく。


「颯馬先輩」


 凛が俺を振り返る。その瞳には、強い意志が宿っていた。


「私、やっと分かりました。お母さんの本当の願いを」


「本当の、願い?」


「はい。人と妖魔を一つにしようとしたんじゃない。違いを認めながら、それでも心を通わせる道を——」


 突然、黒い門が大きく唸り声を上げた。その轟音は、まるで世界を揺るがすかのような強さだった。


「凛!」


 俺は咄嗟に彼女の手を掴んだ。しかし、彼女の表情は穏やかなままだ。


「大丈夫です、颯馬先輩」


 凛は静かに微笑む。


「これは、終わりじゃない。新しい始まりなんです」


 その時、黒い門の中心に、かすかな光が灯った。それは、まるで夜明けの最初の光のように——


 ***


「時が来たようね」


 伏見稲荷大社の奥社で、"もう一人の美奈子"が静かに呟いた。


「ああ」


 おおとり学院長は、深いため息をつく。


「八つ目の扉が開かれる時——全ての理が、その真なる姿を現すのです」


 その時、遠くで大きな轟音が響いた。

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