第44話 新世界の夜明け

 朝日が昇り、窓から差し込む光は、いつもと少し違って見えた。


「なんだか、空の色が変わったような……」


 俺は窓辺に立ち、深く息を吸い込む。昨日までとは明らかに違う、不思議な空気が肺の中に入り込んでくる。<環境圏>の確立により、世界は確実に変容していた。


「颯馬先輩、もう起きてたの?」


 振り返ると、凛が寮の中庭に立っていた。彼女の【幽明霊瞳】が、薄く青く輝いている。


「ああ、朝の空気が気になってな。凛も感じるか?」


「はい……妖魔の気配が、今までよりずっと近くに。でも、不思議と怖くないんです」


 その言葉通り、彼女の表情には穏やかさが漂っていた。人と妖魔の世界が重なり合う新しい理が生まれた今、彼女の中の人と妖魔の血も、より調和しているのかもしれない。


「おーい! 朝から二人で何してんのよ!」


 突然の声に振り返ると、沙織が小走りでやってきた。彼女の手には、分厚い革表紙の本が抱えられている。


「これ見て! 昨日から勝手に文字が書き込まれていくの!」


 沙織が開いた本のページには、確かに金色の文字が煌めきながら現れては消えていった。


「<記録者>としての能力が現れ始めたんだな」


「うん。でも変なの。私が見てる景色とか、聞いてる会話まで、全部記録されちゃうの」


「へぇ、じゃあ今の会話も?」


「そう。ほら」


 ページを見ると、確かに今の会話がそのまま記されている。だが、単なる会話の記録ではない。その場の空気感や、話者の感情までもが、まるで詩のように美しく綴られていた。


「すごい……沙織さん、これって」


 凛が感嘆の声を上げる。


「でしょ? ちょっと恥ずかしいけど……あ!」


 突然、沙織の表情が変わる。


「どうした?」


「ねぇ、空見て」


 三人で空を見上げると、青空の中に、薄い虹色の膜のようなものが見えた。


「<環境圏>の境界……揺れてる」


 凛の声が震える。確かに、虹色の膜は不規則に波打っていた。


「おい、みんな!」


 廊下を駆けてくる足音。振り返ると、狐堂先生が息を切らせて立っていた。


「早く、講堂に集まるように。重大な発表がある」


 先生の声には、普段の穏やかさがない。


 講堂に着くと、すでに大勢の生徒たちが集まっていた。ざわめく声の中、鳳学院長が壇上に立つ。


「諸君、おそらく気付いている者も多いだろう。我々の世界に、大きな変化が起きている」


 学院長の声が響く。


「人と妖魔の世界が重なり合う<環境圏>の確立により、これまでの常識が通用しない事態が次々と発生している。例えば……」


 その時、講堂の窓ガラスが大きく振動した。全員が息を呑む中、ガラスの向こうに、巨大な影が映り込む。


「あれは……」


 凛の声が震える。


「<玄武>……」


 俺の口から、思わずその言葉が漏れる。伝説の四霊獣の一つ、北方の守護神が、講堂の外に姿を現していた。


「皆さん、慌てないように」


 学院長の声が響く。


「これも新しい世界での変化の一つです。<玄武>様は、我々に警告を伝えに来られたのです」


 その時、美奈子が立ち上がった。彼女の手には、八つ目の札が輝いている。


「わたくし……分かります。<玄武>様が言おうとしていることが」


 講堂全体が静まり返る中、美奈子はゆっくりと歩み出た。


「新しい世界には、新しい理が必要です。でも、それは同時に……新しい脅威も生み出してしまった」


 彼女の声が、不思議な響きを帯びる。


「人と妖魔の世界が重なり合うことで、かつて封印されていた何かが、目覚め始めている」


 突然、講堂の空気が重くなる。同時に、沙織の本のページが勝手にめくれ始めた。


「これは……」


 現れた見開きページには、不気味な文様が浮かび上がっていく。


「まさか、これが……」


 狐堂先生の顔が青ざめる。


「<混沌の門>」


 その言葉が発せられた瞬間、講堂全体が大きく揺れ始めた。


(これが、新しい世界がもたらした試練なのか……)


 窓の外では、<玄武>の姿が徐々に霧の中に消えていく。その背後で、空がゆっくりと、不気味な紫色に染まり始めていた。

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