第22話 影衛の決断

 崩れ落ちた壁の向こうから、漆黒の炎が立ち上る。その中心に、一人の男が立っていた。


賢樹さかき……家当主」


 母の声が凍りつく。


「お久しぶりです、蒼宮あおみやかえで殿」


 賢樹剛志つよしの声が響く。その周りを黒い炎が渦巻いている。


「まさか、影衛かげえがここまで関わっているとは……驚きました」


 その声は穏やかだったが、威圧感が尋常ではない。後ろで凛の体が僅かに震えるのを感じた。


そう


 母が囁く。


「この人は危険よ。近づかないで」


 剛志はゆっくりと歩み出る。黒い炎が床を焦がしていく。


「賢樹凛」


 彼は凛を見つめる。その目は、まるで獲物を狙う猛禽類のよう。


「お前があのを色濃く継いでいるとはな。我々にとっては嬉しい誤算だ」


「賢樹家当主」


 影衛総帥が前に出る。


「貴方も分かっているはずだ。八葉はちようの血は……」


「黙れ」


 剛志の声が鋭くなる。


「退魔師の歴史を知る者なら、あの血の危険性を理解しているだろう。それなのに、八葉はちよう千鶴ちづるに乗せられおって」


「危険?」


 俺は思わず声を上げていた。


「凛の力は、人々を守るための……」


「守る?」


 剛志が嘲笑う。


「甘いな、蒼宮颯馬そうま。術式を無効化する力は、諸刃の剣だ。使い方次第ではいかようにも退魔師どもを従えられる」


 その時、凛が一歩前に出た。


「私は」


 彼女の声は震えているが、芯が通っている。


「お母さんの意思を、理解しました」


「ほう?」


 剛志の目が細まる。


「術式を無効化する力は、確かに危険かもしれません」


 凛は続ける。


「でも、それは同時に……術式に囚われた人々を解放する力でもあるんです」


「凛……」


 俺は彼女の決意に満ちた背中を見つめる。少し前のおどおどしていた凛は、もういない。


「解放?笑わせるな」


 剛志の周りの黒炎が激しさを増す。


「その力は……!」


「まったく、お堅いのは相変わらずね」


 突然、新しい声が響く。


べに様!」


 狐堂が驚きの声を上げる。


 八葉紅が、血の結晶に包まれながら現れた。その姿は少し疲れているようだが、気品は失われていない。


「八葉紅」


 剛志が警戒するように身構える。


「特別機動部隊では足止めにすらならなかったか」


「ふふ、あの程度で私を止められると思った?」


 紅が優雅に笑う。


「それより剛志くん、あなたこそ分かっているはずよ。なぜ姉さんが……」


「黙れ!」


 剛志が怒鳴る。黒炎が紅に向かって襲いかかる。


「危ない!」


 俺は【蒼嵐】を展開しようとする。


「大丈夫よ」


 紅は微笑んだまま、黒炎を血の結晶で受け止める。


「この子たちを、あなたに渡すつもりはないわ」


「くっ……」


 剛志が歯ぎしりする。


「さあ、行きなさい」


 紅が振り返る。


「私が……いえ、私たちが、ここを守る」


「でも叔母さん……!」


 凛が心配そうな声を上げる。


「凛ちゃん」


 紅の声が柔らかくなる。


「あなたには、守るべき未来があるでしょう?」


 その瞬間、母が行動を起こした。


「影衛特殊術式……【蒼天嵐そうてんらん】発動!」


 彼女の周りに、青白い光が渦巻く。


「貴様ら!」


 剛志が怒りの形相で叫ぶ。


「総帥!」


 母が声を上げる。


「ああ」


 総帥が頷く。


「全員、車に乗れ!」


 俺は咄嗟に凛の手を取り、最寄りの車に飛び込んだ。総帥が運転席に、狐堂が助手席に座る。


「行くぞ!しっかり捕まっておけ」


 総帥がアクセルを踏み込む。


 紅と母の術式が交差し、まるで光の壁のように剛志の黒炎を押し返していく。


「私たちの……想いは!」


 母の声が響く。


「この血に……込められた祈りは!」


 紅の声が重なる。


「止められない!」


 二人の声が重なり、眩い光が駐車場を包み込む。


「うおっ!」


 俺は思わず目を閉じる。だが、その時、不思議な声が聞こえた。


『約束の地で……待っているわ』


「お母さん……?」


 凛が呟く。


 車は地下駐車場を飛び出し、夜の街へと走り出した。後部座席の窓から、学院を見上げる。俺の目を疑った。学院の上空に、巨大な赤い鳥が舞い上がっていく。


「あれは……」


 総帥が低い声で言う。


「八葉流最奥義さいおうぎ……【朱雀顕現すざくけんげん】」


 その時、凛の右手が光を放った。彼女が握りしめていた写真が、淡く輝いている。そして、その裏面に新たな文字が浮かび上がっていく。


『八つの葉は、八つの扉を開く――』

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