第12話 闇からの来訪者

 執務室の窓から入り込む月光が、その人物のシルエットを浮かび上がらせていた。長身で細身の体格。肩まで伸びた銀色の髪が、夜風に揺れている。


「まさか……狐堂こどう先生!?」


 思わず声が漏れた。しかし、目の前にいる狐堂清明きよあきは、普段の授業で見かける穏やかな表情とは違っていた。その瞳には妖しい光が宿り、唇の端には薄い笑みが浮かんでいる。


「よく分かりましたね、蒼宮あおみや君」


 狐堂の声には、いつもの柔らかさが感じられない。


「狐堂……やはり裏切りものはお前だったか」


 学院長の声が怒りに震えている。しかし、狐堂はその怒りを余裕の表情で受け止めた。


「裏切り?違いますよ、学院長」


 彼はゆっくりと部屋の中に歩み入る。


「私は最初から、退魔協会の味方だったことなど一度もありません」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。狐堂先生が、ずっと敵だった?


颯馬そうま先輩……」


 凛の小さな声が聞こえる。彼女の体が、わずかに震えているのが分かった。


「大丈夫だ」


 俺は凛の手をそっと握る。


「俺が守る」


 狐堂は俺たちのやり取りを見て、くすりと笑った。


「『境界を見る者』と『風使い』。互いに互いを高め合う比翼連理。今風に言えば、最強コンビですかね。確かに、君たちの力は素晴らしい」


 彼は一歩、また一歩と近づいてくる。


「特に、賢樹さかきさんの【幽明霊瞳ゆうめいれいどう】は見事な出来栄えだ。私たちが長年追い求めていた力が、ここまで完璧な形で現れるとは……」


「待て」


 学院長が前に出る。


「お前たちが何を企んでいるか知らないが、この子らを渡すわけにはいかない」


「渡す?」


 狐堂が首を傾げる。


「いいえ、学院長。私たちは彼女たちを奪いに来たのではありません」


 彼は右手を上げ、何かを見せようとするように掲げた。


「彼女に、選んでもらうだけです」


 その瞬間、狐堂の手から黒い霧が立ち昇った。霧は渦を巻きながら広がり、部屋全体を包み込もうとする。


「くっ!」


 俺は咄嗟に【蒼嵐そうらん】を展開した。青い風が黒い霧を押し返す。


「おや、さすがは蒼宮君」


 狐堂が感心したように言う。


「だが……」


 突然、黒い霧が形を変え、無数の触手となって襲いかかってきた。


「はっ!」


 俺は必死で【蒼嵐】を操り、触手を払いのける。しかし、次々と新しい触手が生まれ、俺たちを取り囲んでいく。


「颯馬先輩、左です!」


 凛の声がした瞬間、俺は左方向に【蒼嵐】を放った。確かに、そこに触手が忍び寄っていた。


「さすがは【幽明霊瞳】」


 狐堂が笑う。


「賢樹さん、君のその目は本当に素晴らしい。でも、それはまだ眠っているんだ」


「眠って……いる?」


 凛の声が震える。狐堂は頷いた。


「そう。君の中には、もっと凄まじい力が眠っている。私たちは、その力を解放する方法を知っているんだ」


「黙れ!」


 学院長が怒鳴った。彼は何か呪文を唱えようとした。


「おっと、そうはいきません」


 だが、狐堂が指を鳴らすと、黒い霧が学院長を包み込んだ。


「学院長!」


 俺は【蒼嵐】で霧を払おうとしたが、霧は執拗に学院長に絡みつく。


「心配いりません。ただ、少し眠ってもらうだけです」


 狐堂の言葉通り、学院長の体がゆっくりと崩れ落ちた。


「この……!」


 俺は怒りを込めて【蒼嵐】を放つ。しかし、狐堂は軽々とそれを躱した。


「蒼宮君、君の力も素晴らしい。だからこそ……」


 彼はにやりと笑った。


「君にも、真実を見せてあげたい」


「真実……?」


「ああ、君が見ている幻影の意味を」


 俺は息を呑んだ。幻影。確かに俺は最近、得体の知れない影のようなものを見るようになっていた。それが何なのか、ずっと気になっていた。


「颯馬先輩、だめです!」


 凛が俺の腕を掴む。


「狐堂先生は……今の先生は、私たちの知っている先生とは違います!」


 その言葉で、俺は我に返った。


「残念だ」


 狐堂が溜め息をつく。


「では、少し強引な方法を取らせてもらいましょうか」


 彼が両手を広げた瞬間、部屋中の黒い霧が渦を巻き始めた。その中心から、何かが、いや、誰かが姿を現そうとしている。


「あれは……」


 凛の声が震える。俺も目を見開いた。霧の中から現れたのは。


「お母……さん……?」

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